福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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政宗と翌檜(あすなろ)

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 五層の天守に白壁まぶしい江戸城は周辺のどこからもよく仰ぎ見ることができる。

 元和よりはるか昔の長禄元年(一四五七)、この城の原型は関東管領・扇谷上杉氏の重臣である太田道灌によって築かれた。当時、武蔵国豊嶋郡に属するこの地は江戸氏の所領で、武蔵国の海沿いにあるありふれた一地域に過ぎなかった。道灌はそんな海沿いの台地に、外丸・中丸・子丸と三つに区分けされた構造の城を築いて、みずからの拠点とした。
 それが今日武士の統べる首府の源になった。
 城郭は旧態から大幅に拡張し完成を見たが、周辺一帯は今なお軒並み工事中である。それらは上水工事のような大規模なものから、門・石垣・濠・天守や櫓、居館の修築に至る土木工事である。これらの工事の主体は公儀普請と呼ばれ、各藩が持ち回りで担っている。
 このときは休閑期となっている。
 一朝一夕にはとても為らないものであるから、幕府でも順繰りに焦らず進めているのだ。

 江戸城西ノ丸脇の小田原口から、右手に浅野但馬守長晟の屋敷を抜け左手に曲がる。曲がらず先に進めば織田左衛門佐長政(有楽斎の子)の屋敷が横並びで見られるだろう。両家とも広大な敷地を誇っている。
 少し眺めてみたいところだが、左に曲がっていく。
 そこには上屋敷が四邸集まる一画が見える。広大とはいえないが立地は申し分ない。ほどよい敷地といえるだろう。
 そこに水野日向守の上屋敷がある。

 静かな夕べである。
 水野家江戸上屋敷では二人の男が碁盤をはさんで向き合っている。中山将監重盛と神谷治部長次である。二人はこれまでも余裕があるときに碁に興じることがあった。とはいっても、ここのところまったくそのような暇はない。このときもそうだ。もう明日は江戸から備後へ発つのである。

 今宵、主は所用で不在で戻るのが遅くなる。
 今宵は急に呼ばれずに済みそうだ。
 それが家老二人の対局の主な理由である。どうにもこうにも非日常的な事案が続くので、ささやかな娯楽で少し落ち着きたい気持ちもあったのだろう。

「しかし、突拍子もないことだった。伊達陸奥守があれほど和やかに話をなさるとは思わんかったでよう」
 中山がパチンと白石を置く。
 神谷は思案して離れた位置にそっと黒石を置く。
「そうですな。ただ、もう胸襟を開いて話をしてええ時期なのだということではないでしょうか。殿はその辺り、ようよう考えられ訪問したのでしょう」
 神谷が離れた場所に黒石を置いたので、中山はどこに行こうかと思案している。こう言っては何だが、神谷の打ち方は中山の想定を外してくること頻繁なのだ。少し間があって、神谷の石の隣に白い石が置かれた。

 実はこの日、幕府に新藩にまつわる事柄の認可を得た備後福山藩の藩主勝成、そして中山と神谷は日比谷入江を埋め立てた地に建つ伊達陸奥守の上屋敷に赴いてきたのだった。この会見は以前に伏見で勝成が突然伊達屋敷を訪問して当の政宗が不在だったので、招かれ再訪するという形になった。


(伊達屋敷のあった辺り、日比谷)

 伊達と水野の間には大坂夏の陣で生じたいさかいがあった。すぐに修復できるようなものとも思えなかった。それをよく知る中山は例のごとく、気が気ではなかったのだ。ただ、彼がいつも以上に心配するのも致し方なかった。

 大坂夏の陣のとき、勝成は家康より奈良方面から大坂城に進軍する、大和方面隊の大将に任ぜられた。すでに大坂方(豊臣勢)が大和を焼き討ちしていたため事態は急を要していた。大和方面隊には松平忠明や掘直寄などの諸将に地元大和の国衆が入るとともに、伊達政宗の大隊も加わることになった。
 大坂方の後藤又兵衛を倒した道明寺の戦いの後、大坂方は葛井寺から誉田の西にかけて布陣し、勝成らとにらみ合いになった。勝成は攻撃する好機だと政宗に諮るが、政宗は兵が疲弊していることを理由に応じなかった。大坂方は撤退を決めて悠々と目の前を去っていった。この戦略の行き違いも十分両者の火種になりうるものだったが、幸い何事もなく済んだ。しかしさらに火に油を注ぐ事態が起こるのだ。
 翌日の天王寺の大混戦と激闘を勝ち進み、徳川方は大坂城に攻め上がった。城に詰める豊臣秀頼と母・淀の方は自害し、城には火が放たれる。これで戦も終結すると誰もが思っていた。
 その最終盤にあって、勝成の直轄指揮下にあった大和の神保相茂(すけしげ)隊が伊達勢の銃撃を受け全滅した。味方に銃を掃射したのである。まかり間違えれば、味方同士で戦闘になってもおかしくない局面だった。
 勝成は表だって抗議することはなかった。
 ただ手下とともに伊達隊に乗り込んで、奪われた家臣の馬を取り返した。その際に伊達勢の者を何人か斬り捨てた。政宗もこれまでのいきがかり上、勝成に刀を抜くことはしなかった。

 中山将監が心配していたのはその件だった。
 だが、会見の場の空気は想定とはまったく異なるものだった。
「過去の行き違いなど水に流そうということかのう。どちらかといえば、水を流す話だったもんでな」
 神谷はすでに戦術を決めているようで、即座にパチンと黒石を置く。
「まことに水を流す話でしたな。伊達さまはずいぶん気さくに領内の水普請の話をしてくださいました。他藩の川の付け替えの話など初めて聞き申しました。阿武隈川に北上川、どちらもかなりの大きさでございます。いや、まことに面白いお話でしたぞ」
 中山は置かれた石を見て、とたんに渋い顔になる。
「うーむ、そこに行くのか。また悩ましい……しかしのう、川の話になるとは思わんかったで少々たまげたわ。殿はどのようなお考えで伊達さまに話を伺っておったんかのう。備後には芦田川という川があるが、あれを動かそうというのか……」 
「中山さま、備中側にも松永の方にも川がございますぞ。まあ、高梁川は領内ではございませんから勘定に入れずともよいのでしょうが……中山さま、いつ打っていただいてもよろしいですぞ」
 中山は腕を組んでしばらく考え、白石を置いた。一端黒石に絡むのを止めると決めたらしい。

「治部どの(神谷)は短い間にずいぶんと備後の川に詳しくなったものだ。これまでも水普請には携わっておったからな」
 神谷は石の置かれた場所を眺めてうなずいている。いや、話の方に興が乗ってきたようだ。
「ええ、もちろんお役目だったのもありますが、川の付け替えのような大きな作業には携わったことがございませぬ。伊達さまのお話はまことに興味が尽きぬほどで、もっと質問させていただきたかった」と一気呵成に言った後、思い出したように黒石を置いた。
「あ、そういうことか」と中山はさらに渋い表情になる。それでも、まだ進む目はあるとばかり果敢に白石を置く。

 置いた後、中山は改めて会見の様子を反芻する。
「伊達さまも粋なことをなさる……正直なところ、見直したでよう」
「そうですな」と神谷も同意する。

 ふたりが感心していたのは以下のようなやりとりだった。

 伊達邸で話がひとしきり済んだ後のことである。政宗は何か思案し始めた。勝成一行はどうしたのかと政宗の表情を窺う。
「さて、話が変わるが貴公は翌檜(あすなろ)という木を知っておるか」
 また突然の質問である。勝成ははてと首を傾げる。名は聞いたことがあるが、どれがそれか問われて答える自信はない。
「桧とよう似た木じゃ。奥州にはヒノキ、翌檜などの木が多く自生している。これが水に強く硬く虫も食わない。要するに滅法丈夫と来ている。城の土台によう使われる木だ。山に入ればそんじょそこらにあるからな。それを譲ってもいい」
 政宗の提案の趣旨に勝成ははたと気づく。
「伊達どの、もしやその木をわが藩に……」
 政宗はにやりと笑う。
「無論タダとは言わん。木こりにも給金が要るからな。まとめてならば、そこは多少割り引こう。ただし、廻船の手配はそちらでしてもらわねばならぬ。葦原の奥に城を建てるならばまとまった良い木材はなかなか手に入りづらかろう。もし、すでに木の手配を済ませとるのなら余計なことかもしれぬが……」
 勝成は即座に反応する。
「いや、まったくもってありがたいお話でござる。しかも、翌檜とは明日なろう。まったく、備後の新城にふさわしい木じゃ。ぜひとも用立てていただきたい。廻船の手配を急ぎいたします。何卒よろしくお願い申す」
 政宗は笑顔になる。
「これは商いの話なので、大仰にされずともよい。備後の国の大事業の噂を聞き万事合点がいったのだ。文をもろうたときは、すでにある国に入るのになぜいきなり水普請なのかと不思議に思うとった。貴公は先の先を見越して尋ねてきたのだと」
「まったく、ご明察にございます。しかし陸奥守どの、なぜこれほどご厚意をいただけるんか、わしゃ正直、ちぃと背中がムズムズとするような心持ちですんじゃ」と勝成は恐縮しつつ言う。

 政宗はしばらく間を置いてから答える。
「そうだな……真っ先にわしのところへ訪ねてきてくれたからか……それに、四年前の借りもある」
 勝成は静かにうなずくが、すぐにはものを言わなかった。付いていった中山も神谷もこの瞬間に身を硬くし、ごくりと唾を飲み込んだ。
 しばらくして、勝成が口を開く。
「貸し借りなどない……皆同じなんじゃ。わしらはこれまで幾度戦に出て人を殺めたかのう。それをいちいち恨みに思うとったら、来し方に戻っていくだけじゃ。わしらはわしらがすべきことをする。一人でできなければ皆に助けを求める。貴公はわしらの意を汲んで手を差しのべてくださった。それで十分じゃ」
 政宗も何も言わず、同じようにうなずいている。
 張りつめた空気はいつしか溶けて流れていった。


「まことに、粋な計らいだでなあ……」
「中山さま、次の石を」と神谷が催促する。
 中山はハッと我に返って碁盤に視線を戻す。そして、目を大きく見開いてむーんと堪えたが、思わず盤の上の石をグシャグシャに混ぜる。
「あ……」と神谷が小さく声を上げる。
 中山はぷうとむくれて、ぶつぶつとこぼし始める。
「まったく、これだから貴殿と手合わせするのは嫌なのだ。とんでもない打ち方をすると思うとるうちに、行き場がなくなるほどに追い込まれておる。もう金輪際、貴殿とは対局せぬわ」
 神谷は「あい済みませぬ。碁となりますと手加減という言葉がどこかへ行ってしまいまして」と苦笑する。
 中山は口を尖らせて「まったく、人の隙を盗みおって」とぶつぶつ繰り返した。
 
 静かな夜である。
 江戸城の外濠には鷺が集い、虎視眈々と魚を狙っていた。
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