福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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神辺の紅葉

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 新藩の城地や普請について幕府の許可を得ただけでなく、城の建造に使う木材の調達も思わぬところから伝手を得て、勝成の一行は江戸を出立した。
 勝成の頭は移動中もくるくると回転している。木材の話にしても廻船(運搬)の問題がある。陸奥から備後の距離はかなりなものだ。神辺に出向いてきた商人からあたっていかねばならない。
 しかし資材調達は取り組まなければならない事柄の内のほんのひとつでもある。
 先へ、先へと思考が働く。
 この時点においてもそうなのだが、城を築くだけではない。川を導き、湿地を埋め立てて町を創るのだ。資材も人もまだまだ必要だ。正直なところ移動している間ももどかしい。半日ほどで江戸と行き来できたらどれほどいいだろう。慌ててはいないが時間は有効に使いたい。移動している間もできる限り先まで考えずにはいられなかった。

「殿、木の方については伝手を得ましたが、石垣の石はいかがされるのでしょうや。神辺城の石垣を転用されると思いますがか」と中山将監が新たな問いを発する。神谷治部もそれに付け加えて、
「さようです。何しろ石垣を積まねば天守も建てること能いませぬ……見たところ神辺の分だけでは賄えませぬと存じますが」
 勝成はふっと笑った。
「治部、なにゆえわしが尾道ではなく、笠岡を拝領したと思うか」
「はて、謎かけでしょうか。備中と伯耆を結ぶ街道の要所を押さえるのかと」と神谷は答える。
 勝成は大きくうなずいてから言う。
「それは大きな理由じゃ。相違ない。ただそれだけではないぞ。笠岡の少し沖に北木島(きたぎじま)というのがあるのを見たか」
「島はようけございますが……どれがどれやらまだよう分かっておりませぬ」
「まあ、帰途通りかかると思うでまた教えようか。北木島はのう、質よく大きな石を多く産するんじゃ。あの辺りで随一ではないかのう。戻ったらすぐに手配せんとなあ」
 中山が驚いた顔をする。そして、
「殿はそこまでお考えでしたか!拙者はてっきり、殿が備中で放浪暮らしを長くされとったので、懐かしさゆえかと思うとりました」とつい口に出してしまう。

 勝成は備中備後を放浪していた昔の話を家臣には一切していない。常に折々の領地の統治に注力していた。藤井靱負、三村親良ら備中出身の家臣もいるにはいるが、まだごくわずかである。彼らも勝成放浪の昔話をすることはない。主が土地に肩入れすることはないのを知っているからである。
 それゆえ、中山は言った後で「しまった」という顔をする。主に「わしがどこかを贔屓するようなことをすると思うとるんか!」と叱られるのではないかと身構えた。
 勝成は頭をポリポリ掻きながら、中山を見た。
「ああ、若き日に備中で受けた恩は忘れとらんよ。無論懐かしくもある。しかしのう、北木島の話も当時世話になったお屋形から教えてもろうたんじゃ。贔屓などではないが、人を大事にするんもそうじゃし、過去学んだことをきちんと未来に生かすのが何より肝要と思うが」

 神谷が中山にチラリと視線を投げる。中山は身をすくめつつ主を見上げた。
「万事これからじゃ」と言って勝成は歩き始めた。

 そのような話をしたせいだろうか。
 勝成の頭の中、不意に備中笠岡の風景が浮かんだ。かつて備中で数年世話になった地の領主、三村親成と彼は馬で遠乗りに出かけ、浜辺に立っていた。
 〈ここは八島の浦づたい、
  蟹の家居も数々に。
  釣のいとまも波の上、
  霞渡りて沖行くや、
  蟹の小舟のほのぼのと
  見えて残る夕暮れ〉
     (謡曲『八島』)
 浜辺に立つと、親成が謡い始めた。
「仕舞でございますか」
「八島じゃ。この津の向こう左奥の陸地が讃岐となり屋島があるが……まぁ見えぬな」
 屋島は見えない。
 笠岡沖にはいくつもの島が連なっている。それを船で伝っていけば讃岐国にたどり着くがそこまでは見渡せない。風はさわやかに二人の頬をなでている。
 静かな海、静かな昼下がりだった。
 親成の朗々とした声が勝成の奥に響く。
 北木島が石の産地であるという話もその時に聞いたのだったと勝成は思い出す。
 まことに、素晴らしい日々じゃった。
 あの頃とは万事変わったが、
変わらぬものは確かに自身の裡にある。

 一行は西を目指す。

 後日の話になるが木材については、陸奥国の翌檜の他に紀州のものも調達する手筈が整う。
 紀伊国には家康の第十男で現将軍の弟である徳川頼宣が五十五万五千石に加増の上転封となっている。御三家と呼ばれる紀伊徳川家がこのとき誕生したわけだが、言うまでもなく紀伊は深い山が連なり、木材を潤沢に産する土地だ。
 転封を命ぜられたのは勝成と同時期なので、こちらも羽柴秀長、浅野幸長が築いてきた和歌山城の拡張工事に取りかかっている。そのため木材は大量に伐り出すようになる。
 頼宣は勝成から見ればいとこの子という縁であるが、それ以上のつながりもあった。頼宣の正室・八十姫(やそひめ)がその人で、加藤清正と継室清浄院(しょうじょういん)の子である。清浄院は家康の養女として清正に嫁いだが、実の父親は水野忠重で勝成の実妹だ。
 加藤清正はここから遡ること九年前、旅の途上で倒れ世を去っている。なので、八十姫は勝成の養女として頼宣に輿入れしたのである。
 そのような縁があるので、紀州から木材を得る伝手ができたと想定することもできる。

「まことに、人のつながりちゅうんは何よりの宝じゃのう」と勝成は馬の手綱を握りながら思う。




 片や備後の国、主の帰りを待つ神辺城も安穏としてはいられなかった。

「ずいぶんと人の出入りが多くなりましたね」
 自室から出て広間に入ったお珊はきょろきょろと室内を見回している。皆あちらこちらと動いている。誰かが出ていくと、また人が現れて話をして去っていく。その繰り返しである。
 筆頭家老・上田掃部(かもん)が苦笑しながらいう。彼は譜代の臣で祖父の代から水野家に仕えている。
「殿は、不在のときでもわれらを暇にはしてくれませぬ。年寄りにはいささか堪えますな」
 お珊はほほほと軽く笑う。
「まあ、若くないのは私も同じです。なので、ただ見ているだけ。ですが掃部どのはてきぱきと差配しておられるではないですか」
 上田掃部は頭を掻きながら、「いや、ずいぶん楽なお役目ですので、留守中はしかと勤めなければ。さてお方さま、お身体のお加減はいかがでしょう」と尋ねる。
「ええ、このところ落ち着いています。良いお薬を頂戴しましたし、何やら皆を見ているだけで力をいただいていますわ。ひとり寝込んでいるわけにもまいりません」
 上田は安堵する。
 新藩の大事もさることながら、勝成の不在中にお珊の体調が悪化したら一大事である。ただ、こちらに来てしばらく体調が芳しくなかったのに較べれば、だいぶ頬の血色もよい。最近は城の外を散策して、身体の回復に努めているようだ。
「こちらはお方さまのお里にほど近いですので、気が安らぐこともおありでしょうな」
 お珊はうなずく。
「ええ、やはり落ち着きます。刈屋に嫁いだときは、もう吉備の国には帰ってこられないだろうと思っていましたから。今なら、親良(ちから)の馬にでも乗せてもらえばすぐに行けますね」
 親良はお珊の従兄弟で刈屋から水野家に仕えている。

 お珊はそこで話題を変えて今上田が中心になって取りかかっている「人集め」の様子を上田に尋ねる。「人集め」は土地の有力者に顔繋ぎをして、藩への出仕を依頼するのがとっぱじめの仕事だ。山や川の地理ももちろんだが、人の居場所をあたるというのはなかなかの難事だった。全国的に言えることだが、関ヶ原以降の武士は帰農して場所を移った者も多い。それを追うのも一苦労で、人づてのまた人づてでやっと行き当たるのもしょっちゅうだった。
 お珊が住んでいたのは神辺から十里ほどの備中成羽(びっちゅうなりわ)であるし、養父の三村親成は備中全域に通じていた。近隣の土豪ならば知った名前も多くあるのだ。上田に様子を尋ねたのは、自分の知見で何か役に立つことがあるかもしれないと考えたからである。
 彼は手元の帳面をめくりいくつか名前を挙げる。お珊が知っている家の名もあるので、「ああ、この方は存じています。お顔繋ぎできるかも」などと言う。上田はそれを面白そうに聞いている。
「昔どこに付いていたなどは、まったく問題にはされないのですね」とお珊がふと顔を上げる。
 上田はうなずく。
「殿のお達しにございますが、私もそれがよいと思っております。そもそもご存じの通り、家中には三河の者が多く、備後の土地はさっぱり分かりませぬ。それで昔のことをほじくり返しますと、あれがいるならいやだ、これを引いてこい、ああだった、こうだった云々……ということにもなりましょう。所縁ではなく人を見る方が私どもにとっても益になると存じます。また、お方さまも殿もこの一帯によう通じておられます。その上でどこかに肩入れすることもなく、広くあまねく新藩の力となってほしいというのですから、頷く者も多いでしょう。お方さまのご見識やお知恵も存分にお使いいただきたく存じます。何しろ、もう二度と戦世に戻りたくないという思いだけは、皆同じと思うとりますで」

「ええ、ええ、その通りです。私にもお役目をいただいたようで、とても嬉しい」とお珊は微笑んで、帳面を丁寧に辿っていく。


 最近体調が落ち着いているので、お珊は時おり侍女とともに神辺城の麓にある甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん、神辺とも)に参拝する。
 この社は室町期の築城のはるか以前からここに在り、世の移り変わりを見てきている。城主は次々と変わり、お登久の祖父、藤井皓玄(こうげん)が毛利勢と戦い敗れた神辺城の争奪戦も見ていたのである。
 しかし、由緒正しい社はいつしか寂れて修繕が必要なほど傷んでいる。

 お珊は色づいてきた木々の葉をまぶしく見上げる。
 何と美しい色だろう。
 長く過ごした成羽でも、いっとき滞在した児島でも、嫁いでからの刈屋、大和郡山……どこでも紅葉が見られるが、こちらの景色はまた格別だ。土地の人だけではなく側の街道を通る人々もふらりと立ち寄るほどの美しさ。皆しばし時を忘れてこの景色を愛でている。
 城はもっと海寄りに築かれると殿はおっしゃった。早晩神辺の城は壊されていくだろう。しかし社はどうなるのか。この黄葉山にずっとあり周辺の民の崇敬を集めている寂れた社は……。

「お社を立派に修繕して、ここに残してもらうように殿にお願いしてみよう」とお珊は思い立つ。


(社から神辺城への道)

 そして彼女は、みずからの来し方を振り返る。

 私は一生備中で暮らすのだと思っていた。
 かつて、私の一族郎党は毛利の大攻勢の前に次々と討たれていった。あちらの城も、こちらの城も、皆殺しになった城もあったし、皆自害した城もあった。子どもだった私は密かに城を出て匿われたけれど、身の毛もよだつほど恐ろしく、身を捩りきるほど悲しく、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えた。それは長く長く、毛利に恭順した叔父に引き取られたあともずっと消えなかった。
 それでも、からだの不調が続く私は備中から出ることがあるなど夢にも思わなかった。
 後年、慣れ親しんだ成羽も追われ、叔父とともに備前児島に世話になるにいたって、叔父の深い悲しみと自責の念を十分に知ることができた。そして、私をどれほど大事に思ってくれていたのかということを。
 恨みつらみ……私の心の奥でとぐろを巻いていた化物はもうとっくにいなくなっていた。心は晴れていた。叔父亡き後は落飾し生涯その菩提を弔いつつ生きるつもりだった。
 そのように余生を送るつもりでいた私が殿の正室として招かれ、三河に大和にと移ることになった。それはそれは想像もしていなかった大きな変化で、心静かにはいられなかったけれど、殿は叔父と同じように私を大切にしてくれている。
 そして私はここへ帰ってきた。
 殿とともに帰ってきた。
 「福山」と名付けられるこの土地が自分の終の棲み家となるのだろう。
 それはとても幸せなこと。

 お珊は城への石段を再びゆっくりと上っていく。落葉がおさんの草履の下でカサカサと乾いた音を立てている。


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