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美作勝重が備後に入る
しおりを挟む勝成の息子・水野勝重らの乗る船が鞆の津に入港したのは元和六年(一六二〇)の年が明けてしばらく経った頃だった。
再嫁して大坂に住む母のお登久と久しぶりに親子水入らずで過ごし、二~三あいさつ回りをした後で船に乗り込んだのだ。船が瀬戸内海に入ると、供をしている家臣の藤井靱負(ゆきえ)は「懐かしい」と繰り返しつぶやいている。
「そうじゃのう、靱負はまだ記憶が残っとるけえ、備中は懐かしいばかりじゃろう」と勝重はいう。彼の故郷は備中芳井なのだ。
「いや、海際の記憶はさほど鮮明ではございませんが、それでも領地じゃった備中の景色を見ると、こう胸に迫るものがございます」
勝重は靱負の様子を見て微笑む。
「まだ、明石浦ほどじゃ」
「そうでございますな、感じ入るのはもう少し先でした」と靱負が頭をかく。
勝成やお珊と同様に、彼らにとって備後福山に入ることは「帰還する」ことでもあった。
船は間で二度ほど寄港し順調に帆を進め、鞆の津に入った。勝重と靱負は鞆に上陸すると辺りをぐるりと眺めた。
海はごくごく静かで、わずかなさざ波の音が心地よい。潮待ちの港として中世から栄えただけあって、大小問わず船の往来が頻繁である。途中、勝重も幕府の目付役と同様に石材運搬船を幾つも見つけていた。石垣にするものだろうと容易に想像はついた。
江戸から上方を回っている間にことが進んでいる。
普請はどこまで進んどるのじゃろう。
もう石垣の石を運んどる。
「いかがされました」と靱負が勝重に尋ねる。
勝重はしばし思案してから答える。
「うむ、何と言うたらええんか、よう分からんのじゃ。少し気が遠くなるいうんか、江戸で暮らしとったんが瀬戸内の海を今見とる。新しい領地なんは聞いとるが、どうも糸の切れた凧のような心持ちになってしまうんじゃ。大坂で母上に会うてきたからかのう、はて、おのれが今どこにおるのか……」
靱負は勝重の言葉を聞いて何度もうなずいている。
「若、それは移ってきた者の多くが同じように感じとるはずと存じます。刈屋から大和郡山と移ってここに来た皆さまはなおさらでしょう。わしや親良(三村)どのとはいささか違うはず」
「そうじゃのう。わしも四つで備中を出てしもうたからのう」と勝重はつぶやく。
「いいえ、美作(勝重)さま。わしゃ、今でもはっきりと覚えとります。備中成羽からお登久さまと幼き美作さまを刈屋までお送りし、そのまま仕官したのです。親良どのと四人、道中てんやわんやしながら旅をいたしました。新しい土地に行くのは心もとなくもございましたが、お二人を無事にお連れすることしか考えとりゃあせんでした」
勝重はまじまじと靱負を見る。
「そうじゃな、靱負と親良は最初(はな)からわしに付いてくれとった」
「それに若は江戸からここまでで、ずいぶん備中の言葉を思い出されたようです。大丈夫です。わしらがこれからも付いとりますけえな」
そう言うと、勝重と靱負は馬にまたがる。迎えに出た者たちの案内を受け、四里ほど先の常興寺山への道を進んだ。
久しぶりに会う父親は江戸で会ったときよりさらに日に灼けていた。冬のさなかであるのに。一国の藩主らしく裃の袴姿ではあったが、その下の肌色は見事に褐色だった。
「父上、日灼けのせいでしょうか、御からだが引き締まったように見受けられます」
勝成はカカカと笑う。
「そりゃまあ、この場に在って生っ白く肥えとったら、何をしとるんじゃっちゅう話になろう。さて、おぬしはどうじゃった? 大坂ではゆるりと過ごせたか」
「はい、逗留のお許しをいただき真にありがとうございます。靱負も叔母に会えて話がよう弾んでおりました。そうじゃ、離散しとった藤井の一族郎党がこぞって備中の故地に戻るよし、父上の口添えがあったやに聞き申した、私からもお礼を……」
勝成はただ、「おぬしの母のさと(実家)じゃ、至極当然」とだけ言ってあとはうなずいていたが、にかっと笑って続ける。
「美作、しばらくは神辺に逗留してもらうけえ、掃部に進捗を知らせてもらったらええ。お珊や親良もおる。今宵はゆるりと過ごせ」
あっさりとした再会だった。
そこから神辺に移動し、家臣らとの顔合わせとなった。家老の上田掃部も勝重が疲れているだろうと案じ概略の説明で済ませて、後日各奉行から詳しい説明をさせることにしている。とはいえ、概略だけでも実に多岐に渡る内容だった。勝重は想像していたよりもかなり大がかりな普請であることに改めて驚くばかりだった。
山に城を築くのは想定できる。
しかし、水流を導くために山を切り崩す。
さらった土砂で芦原を埋め立てる。
その上で上水を築くというのだ。
いったいどうしたら、それほど壮大な話になるのだろうか。父の考えは際限がない。勝重はダイダラボッチのおとぎ話を聞いているような気分になった。
話が一段落すると、お珊と三村親良が部屋に入ってきた。上田は二人に座を譲ると「それでは私はここで」と告げて去っていった。勝重はお珊の姿を見てしばらくまばたきもせずじっと見つめた。白地に朱色の刺繍が施された色打掛を身につけて現れたお珊は一種妖艶な美しさを湛えている。彼女の中で時は止まってしまっているようだった。幼児の頃に備中で別れたときとまったく変わっていない。
「伯母上、あ、いや、お方さま……お久しゅうございます。戻ってまいりました」と勝重はハッと我に返って平伏する。
お珊は目に涙を滲ませて、勝重を側で見ようと顔を寄せる。
「伯母上と呼ばれたのですから、お返しします。長吉、本当に長吉なの? ああ、面影があるけれど、ずいぶん大きくなってしまったわ。ようやく、ようやくお会いできて嬉しい。お帰りなさい、美作どの」
脇に付く親良はこみ上げてくる感情を隠そうとうつむいていたが、ようやく顔を上げる。
「まこと懐かしい……成羽の頃に戻ったようです」
「親良は少しどっしりしておりますけれど」とお珊は悪戯っぽく笑いながら言う。
言われた親良は少年の頃のようにふてくされた顔をするが、すぐに笑顔に戻った。
その晩、勝重はなかなか寝付けなかった。
神辺城の広い部屋に慣れないのもあったが、一度に新しいもの、懐かしい顔が怒濤のように雪崩れ込んできて頭の中で処理しきれなかった。
上田掃部が話していた役のうち、自身は何を任されるのかが気になった。
総奉行は中山将監、水奉行は神谷治部、土木普請は小場兵左衛門が任ぜられ、すでにおのおのが作業を取り仕切っている。幕府の目付役とともに縄張りを進めていると聞いたが、それはあまり時間がかからずに終わるだろう。そうしたら一斉に城の土台や石垣普請になる……と勝重は作業を順序立てて考えてみる。考えれば考えるほど、自身はもうそれらに乗り遅れてしまったのではないかと思えてくる。父の勝成は総大将なので、自らどれかに専念することはないと思うが……。
勝重はそこまで考えると、思わず吹き出した。
大坂夏の陣のときと同じだと感じたのである。
勝成が大和方面大将を命じられたとき、家康に一本太い釘を刺された。家康いわく「くれぐれも昔のように一番鑓、先駆けなどと功名にはやるのは曲事につき、心しておけ」と厳命されたのだ。しかし、結果的に先頭に立ってしまう場面がいくつもあった。あれは家康に後で叱られたのではないだろうか。敵味方入り乱れる激戦だったので仕方ないが、結局功名云々ではなくて、自ら動かずにはいられない人なのだ……と勝重は思う。
それが今回の大がかりな普請にも現れている。城地の麓に急ごしらえの館を建てて移ってしまった。神辺にいてあれこれ指図するだけでよい立場なのに。そこで万事を見るつもりなのだ。監督したいというのではない。
自身も、創りたいのだ。
「なれば、父はわしに何をさせたいんかのう」と勝重はつぶやく。そして、ごろりと寝返りを打つ。
先ほど話したお珊と親良の姿が浮かんでくる。そこに勝重は大坂で再会した母のお登久の姿を重ねてみる。
「ここに母上がおってくれたらどんなにええじゃろう……」
そうつぶやいて、ようやく眠りに入った。
翌日からしばらく勝重は神辺の近辺や天神山の開削現場、常興寺山の縄張りなどを見て回った。話を聞くだけでは知ったことにはならないと勝重は痛感する。それぞれの現場には彼が想像するよりはるかに多くの人が働いていた。
米を一日あたり二升五合支給するというのは実に効果絶大だった。
どこからこんなに人が集まるのかと思ったが、地元の人のみならず備前・備中・伊予・伯耆・安芸など近隣諸国からも人が来ているのだった。人が不足している箇所があれば適宜割り振っている。日に千人以上集まることもあると小場兵左衛門はいう。この几帳面な土木奉行は日ごとの人数と支給米をきっちり管理している。端から見ても実にてきぱきしており頼もしい限りだ。
勝重は方々に建てられている四つ堂に目を留める。
「あのようなお堂はあまり見たことがないが、人が休むのに塩梅がええのう。誰が思いついたんじゃ」
小場はにこやかに答える。
「殿が発案されて、中山どのが造りを考えたのでございます。今はまだ寒うございますが、飯を食ったり、雨を避けたり、ちょっと横になるのにもよいかと存じます」
「夜を明かすこともできるんじゃな」
「うむ、放浪の日々を過ごされた殿ならば大丈夫かもしれませぬが、藪蚊や虻は避けられないと思います」と小場は苦笑する。
「そうじゃな、殿にもそんな時があったんじゃのう」と勝重は笑う。
笑う頭の片隅で、「はて、自分はこの後で何を任されるんか」とも考えていた。
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