福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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余裕と焦りと許しのあいだ

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 元和六年(1620)の春になった。

 常興寺山の普請は縄張りが済み、それに沿った土地の地均し(じならし)が始まっていた。土砂を切り出す部分、盛る部分を曲輪(くるわ、区画のこと)ごとに細かく定め平らにしていくのである。土地を均らし後で崩れないよう入念に撞き固めなければならない。それでようやく礎石(城郭の基礎)を敷くことができる。また、堀になる部分を堀り下げる作業も並行し進められていた。万事縄張り通り進められている。それらが終了したら石垣積みに移っていくが、もう少し先になりそうだ。
 土木奉行の小場兵左衛門は連日現場に出てあちらこちらの進捗を確かめている。
 作業に要する人数は日々増えている。当初は普請場全体で千人ほどだったのが、今や倍になろうかという勢いである。それぞれ持ち場ごとに組を定めているが、人の差配だけでも大変な仕事だった。ただ、小場にとってこの種の普請は初めてではない。備後よりはるかに規模は小さかったが普請を手がけた経験があったのだ。

 大坂夏の陣のとき、大和郡山城は大坂方に焼き討ちされ損壊した。戦の後に転封した勝成らの最初の仕事が城の改修だった。

「あのときは材を集めるのが厄介だった」と小場は思い出して一人つぶやく。

 天守と石垣の一部も改修したのだが、普請は一筋縄ではいかなかった。大和(奈良)のある紀伊半島は山の多い土地ではあるものの、盆地の中の郡山周辺には良質な石の産地や石切り場がなかったのだ。盆地は山に囲まれているから盆地であって、重いものを大量に運ぶのは厳しい。海から遠く川も細く水運は望み薄である。
 とにかく、石がない。
 それは筒井順慶、豊臣秀長ら高名な歴代城主にとっても共通の悩みだった。
 筒井順慶は近隣の城から石材を調達している。
 かつて松永久秀が築いた多聞山城(たもんやまじょう)が廃城となったので、その石垣を崩して使用したのだ。
 豊臣秀吉の弟である秀長が城主になって改築した折には、廃城の石材でというわけにはいかなかった。礎石の下の根石の部分には石仏や石塔が使われた。特に天守台に垣間見える「逆さ地蔵」が有名だが、他に平城京羅城門の礎石だといわれるものや、梵字や模様が刻まれた石材などが堀の石垣からも発見されている。見るとギョッとするが、短い間で普請を済ませなければならないという事情があっただろうし、城を守護してくれるという考えがあったのかもしれない。ただ一般的には、使うのに躊躇う人もいただろう。
 このような転用石を利用している城は他にもあって、姫路城では石棺も転用されているほか、安土城、彦根城、福知山城、篠山城、有岡城、明石城などでも転用石が確認されている。

 小場も当時、石垣用に自然石を割った「割石」を必死にかき集めた記憶がある。石に難渋したが、万事がそうだったわけではない。例えば陶工の伝手を得て沢瀉紋(おもだかもん)入りの瓦は大量に製造、調達できた。
 瓦で石垣が積めればよかったのだが。
 資材を調達する苦労を小場はよく理解している。
「殿もあの苦労があったもんで、こたびは完璧に手配したのだろう」と小場はまたつぶやく。

 石垣の材料になる良質の石は北木島(きたぎじま)からどんどん運ばれてくる。ここの石材は大阪城の石垣にも使われていて、この時期にはまだ潤沢に採石できた。根石も賄えそうだ。
 木材は陸奥国から翌檜(あすなろ)の丸太がじきに海路で到着する見込みだ。何しろ遠方なので一日や二日では届かない。丸太を筏に組んでいくつも繋ぎ船に曳航されてくるのである。さらに紀州からも木材を手に入れられるようになった。そちらの方が運搬は早い。木材の搬入については商人の伊予屋善右衛門に一任しているが、どれも無事に到着する見込みとなっている。
 伏見城の櫓や門の破却・解体が始まっているとの知らせも入った。譲り受ける資材にはすべて番号が振られ、違いなく組み立てられるよう大工を派遣している。最後には神辺城の破却があり、廃材も有用に使うことにしている。

「まこと、てんてこまいじゃ。しかし、資材も人も金子も、十分なだけ与えられて、まことにこたびの普請は恵まれとるでな」と小場は賑やかな現場でしみじみと述懐するのだった。

 一方で天神山と松廻山(まつのおやま)の間を切り開く作業は順調に進み、城の背後から西側を通す区間の水路は夏には開通できるかと思われた。こちらも小場は見て回っている。
 ありとあらゆる普請が進められていたので、奉行職は専門を持ちつつも、相互に進捗を確認して気がついた点があれば総奉行の中山に報告するようにしている。中山や、最高責任者の勝成も現場を見て回っているので、皆が巡回しているような形になっていた。お偉方が頻繁にやってくるというのは往々にして現場の緊張を高めるが、巡回する者の態度によっては激励になる場合もある。

「なんじゃ、全く進んどらん。怠け呆けとるんではなかろうな。この組の日当はなしじゃ」などと何もせずに高所から文句ばかり言って、懲罰を加えるような態度は論外である。

「うむ、この岩が動かせぬのか。確かにこの人数では厳しい。近場の組に助力を呼び掛けよう。あとは梃子(てこ)になる分厚い板を見つくろっとくで、しばし待たれよ」などと言えれば上出来である。時には組を越えて皆で作業するのを促し、滞っている原因の解決を迅速にはかることも重要な役割なのだ。
 現場では多くの問題が起こる。
 怪我人や体調の悪くなる人も出てくるし、昼のちょっとした行き違いが夜に酒の力を借りて喧嘩に転じることもある。ときには持ち場を替えたりするような調整もしなければならない。そのすべてに関わることは不可能ながら、奉行たちはできる限り現場での人の様子を見て把握するように務めていた。

 一方で、水普請の責任者である神谷治部は焦りを感じ始めている。
 水普請はいくつもの段階に分かれていて、順番に進めなければならない。ひとつが終わらなければ次にてきめんに響くのだ。必須ではないと言われたが、「三年で目処を立てる」という期限がある。できるものならその間であらかた形を作りたいという強い気持ちが神谷にはあった。

 ここで大ざっぱになるが、水普請の工程を簡単に記しておく。

・城地の北から北東に流れる吉津川という小川を芦田川の本流とするため拡張する。
・城の北東にあるふたつの山の間を開削・拡張し吉津川を城の南西まで通す。
・内濠をすべて掘り終える。
・瀬戸内海から城下町へ直接船が入れる運河として、城の南に入川を設ける。
・芦田川を分流し吉津川に導く。
・干拓した土地に上水道を築く。

 普請工事の順番で書くと「なぜそうするのか」というのがわかりづらくなるので、補足したい。
 まず「利水」という理由である。
 城地の一帯は海水が陸の方まで入り込み「穴の海」と呼ばれている。そこで井戸を掘っても大半が真水ではない。城地・城下町に人が住むためには真水を、具体的には河川を用水として引いてくるしかないのだ。また干拓によって農地を増やすことも考えているので農業用水としての利用も見越している。
 続いて「治水」という理由である。
 芦田川は「暴れ川」で過去にたびたび氾濫を起こしてきた。鞆に近いのもあって流域の町は古くから栄えてきたのだが、ひとたび氾濫すれば洪水となり、流域は何度も壊滅的な被害をこうむってきた。吉津川に主流を流して、水量を減らそうと計画しているのだ。「川の付け替え」というのはそれを指している。
 「利水」と「治水」を兼ねた最善の方法として考えられたのがこの工程なのである。ただ、ざっと見ても一つひとつがかなり大規模な工事である。勝成もそれがすべて三年で済むとは考えていない。それは総奉行の中山も土木普請を進めている小場も同じである。神谷にもそれは十分伝わっているはずなのだが、どうも彼は間に合わせるのが自身の矜持だと思っているようだった。それが徐々に焦りに変化していたのだ。
 まだ三十前、若く意気軒昂な神谷には小場のように俯瞰して見る余裕がまだなかったのだ。


 一方、神辺城の方もじきに解体作業に入ることになった。この城の資材も新城に使用されるのだから自然な成り行きである。建物をうち壊す段になると、住人が移転を余儀なくされるのはいつの世でも変わらない。
 勝成の正室・お珊は昨年移ってきてまだ間もないにも関わらず、もうじきここを去ることを寂しく感じている。城には留守居の家臣も用人もいるのだが、藩主が城地の近くに引っ越してしまったのでそれに人が付いていく。結果、来たときより神辺城にいる人数は減っている。
 人の暮らしや行き来はあるものの、城内は静かになった。
「子どもがいれば賑やかでいいのだけれど」とお珊はつぶやく。
 彼女は正室になった頃、すでに子を産める年齢を過ぎていた。ここに自身の産んだ子はいない。しかし彼女は子どもがことのほか好きだった。お登久の産んだ長吉(勝重)に始まり、側室の産んだ子どもたちも分け隔てなく養育してきたのだ。
 先頃、江戸から戻ってきた勝重と入れ違いで、側室の子・成貞が江戸に小姓として上がっていった。将軍秀忠の子(のちの家光)に付けられた。
「あの子は長吉と違って利かん坊なので、小姓を無事に務められるといいのだけれど」とお珊は一人つぶやく。
 そこに「お方さま」と声が聞こえた。長吉、いや勝重の声である。お珊ははっと口を押さえてから、すうと深呼吸をして子を招き入れた。
 勝重はお珊に、じきに鞆へ移る旨を報せに来たのだ。父勝成から直々に命じられたこと、城館はこれまであったものを利用すること、藤井靱負と三村親良が勝重付となってともに移ることーーなどである。
 お珊は話を聞くと、ふうとひとつため息をつく。
「そうですか。じきに私も神辺を出ますけれど、どうにも寂しいものね」
「お方さまは郡山からこちらに真っ直ぐ入られましたから、短い間でもずいぶん慣れ親しんでおられたのでしょう」と勝重はおもんばかって応じる。
「そうね、それもあります。ただ、ご存じかしら……神辺の街道をゆくと成羽に通ずる往来に出られるのです」
「ああ、そうですね。さとに帰る道ですか」
 お珊はうなずく。思案顔をしてから勝重は言う。
「いったん、備中松山から成羽を訪問してみるというのもええかもしれませぬ。城と城下は小堀遠州(政一)さまがよく整備されたよし、三村の菩提寺・頼久寺(らいきゅうじ)の庭はまことに見事なようです。わしもお供しますけえ、もう少し落ち着いたらまいりましょう」


(小堀遠州が作庭した岡山・頼久寺の庭園)


 何ともいえない寂しさを勝重は紛らわせようとしている。
 この子は人の心をおもんばかれる優しい子だーーとお珊は感じている。
「ええ、素敵なお話です。ぜひお願いいたします。約束ですよ、もし破ったら……」
「吉備津の釜の下から鬼が生き返って暴れだしますかのう」
「ことによっては」とお珊は笑う。
 はははと勝重は笑い、「お方さま、さすがにもう怖くはありませんぞ。あ、忘れるところでした。実はひとつお伺いしたいことがございまして」と話題を替えた。
「はい、何でしょう」

 勝重が尋ねたいのは備中川部の豪族、中島大炊助と子の宇右衛門のことだった。もともと小早川隆景の家臣として活躍していたが、毛利家の所領が二転三転し減封された煽りも受け、結局牢人となったのである。
 子の中島宇右衛門はのちに大坂夏の陣で水野勢に加わって戦った。加わったのは最終決戦である天王寺の戦いとされる。実のところ、中島の郎党は豊臣秀頼からじきじきに大坂方に付くように依頼を受けていたのだが、宇右衛門は突っぱねた。過去のいきさつもあって豊臣家に従うのを潔しとしなかったからである。
 水野隊は初め、本意を図りかねたので中島の加勢を固辞した。しかし彼らは実戦になると水野隊に混じってめざましい働きをした。その功を見て勝重と勝成は大いに溜飲を下げ、宇右衛門に出仕しないかと呼び掛けた。しかし今度は彼の方でそれを固辞して、また備中に戻っていった。勝成の藩の規模では小禄しか得られないと考えたようだ。

「そのときは固辞されたのですが、こたびはわれら加増も受けましたので、再び呼んでみたいと思うとります。ただ、経歴を聞くとかつて三村と敵対しておったこともあると知り申した。じゃけえお方さまがいかように思われるか、お尋ねしたいのですんじゃ」と勝重は言う。

 お珊はどう答えたらよいか思案している。しばらくするとゆっくり語り始めた。
「私にわざわざ問わずともよろしいのに。確かに中島大炊助はわれら三村一族を滅ぼす側にいた人です。ただその後、結縁していた備中高松城主の清水宗治さまが追い詰められ、自害されるのを目の当たりにして豊臣方に付くのをやめました。毛利一族か太閤秀吉かという違いはあれど、いいように振り回されたということでは、私や親良と同じなのですよ。もちろん、当時のことを思い返すと苦しい気持ちにもなりますが、それは戦世の過去。大切なのはこれからなのです。親良も私と同じように申すでしょう。何も気にすることはありません」
 勝重は黙って何度もうなづいていたが、ふうとひとつ息を吐く。
「お方さまはかつて、攻め入られる寸前の備中松山城から命からがら逃げおちて、残党狩りに怯えながら匿われておったと聞いております。さぞかし辛い思いをなさったことでしょう。気にするなと仰せになるのは分かっておりましたが、やはり、おことわりを入れておきたかったのでございます」
 お珊は微笑んだ。
「美作どのはまことに優しい。お心遣いをいただき、心からお礼を申し上げます。先ほども申しましたが、あなたさまがなすべきことはあのような戦の世に逆戻りをさせないことです」

 過去など気にする必要はない。
 未来が大切だ。
 それは正論なのだが、ひどい目に遭ったり身内を亡くした当事者の受けた傷が簡単に消せるはずはなく、すぐに癒えるわけでもない。傷を癒すのには長い時間が必要だし、その後どう生きてきたかも大きく影響するだろう。
 お珊が過ごしてきたのは癒し、癒され、すべてをゆるすための時間であった。

 通常、した側がすぐに忘れてもされた側はそうではない。そして多くはないかもしれないが、された側が許してもした方が遠慮するという場合もあるかと思われる。中島大炊助・宇右衛門の場合は禄の問題もあるのだろうが、過去の出来事もあって気が進まなかったのかもしれない。
 勝重は再度働きかけようと考えている。

 ふと、お珊が立ち上がって外の様子を見る。
 雨の音がザーッと広がっている。
「本降りになるのかしら」とお珊はつぶやいた。
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