福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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高田屋が備後への移転を決める

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 「よいせっ、よいせっ、よいせっ」
 威勢のいい掛け声が幾重にも重なって響いている。掛け声に従って縄でくくられた石がずりずりとゆっくり動いていく。後ろにも板敷の線路を次々と進む石が見える。この道を来るのは一人で運ぶのが厳しいほどのしっかりした大きめの石である。運べる石は背負子で人がひとつずつ運んでくる。それが芦田川の岸に次々と積まれていく。また直径20cm以下のゴロタ石も船が運んできて、少し離れた置き場に積まれていく。こちらは川底に敷くのが主で、あとは間に詰める石になる。
 去年の夏から芦田川・高屋川岸ではずっとこの光景が見られる。
 川となる地面を掘り進め、掘った三方を石で撞き固め積んでいく。掘ったことで生じた土は中洲になる部分に盛っていき、堤を築くのだ。堤の「のり面」もところどころ石積みにしている。土は掘った分である程度まかなえるが、石はいくらでも必要だった。小場兵左衛門は石垣普請に目処が立った昨秋の段階で直ちに、水普請に充当させるための石を芦田川に運ばせた。移転が済んだ神嶋の商人も石運搬の船を出したし、作業にあたる人も多く割り当てられている。
 その甲斐あって、芦田川と高屋川の分流工事も先が見えてきたのだ。秋口に大雨が来なかったのも幸いだった。
 山奥は凍てつく冬、平地は晴天が続き乾燥する。そのような川の水量が少ない季節に水門を開けるようにした方がいい。分流が済んだら次は城下への取水口の設置、水路の開削、上水道の設置となる。
 まだ最初のひとつに目処がついただけという見方もできるが、高屋川の付け替えと築堤は大きな作業だった。責任者の神谷治部長次には「山をひとつ越えた」という確かな手応えがある。
「まだ先は長いが、皆みなのおかげでここまで来れたのでや」とつぶやいているところに、小場がやってきた。水普請の様子を見に来て、今後の進行を相談しようというのだ。
 まだ水のない川の淵に立って二人は奥にある芦田川を眺める。
「ほう、夏から始めてこれほどまで進んだとは上出来。皆頑張っとるでなあ」
「いや、まことに皆さまのおかげにございます。小場どのには石垣積みに長けた者を幾人もこちらに出していただきました。お礼申し上げます。そこから作業が驚くほど早くなりましたで」
 小場は「皆でやらねばできぬことだでなあ」とうなずいて相談の方に移る。彼は次の作業に入る前に確かめておきたいことがあった。
「ところで、城下に芦田川から取る水路についてだが、ちょっと心配がある」
「はい、どのような」
「じかに水を引いて来るのでは、水量の多寡によって干からびたり、溢れたりする危険が高いように思えてならぬ。さきの洪水の件があったで、何かひとつ間にあった方がええと思うてならんのじゃ」
 神谷は何度もうなずいている。
「確かに、いくら分流して勢いを弱めたとしても危険がまったくなくなるわけではありませぬな。逆に干からびてしまっても困る。間というと、貯水池でしょうか。どこかに大きな貯水池を作り、そこで水量の調整ができるようにすると……」
「そう、貯水池ならば具合がええと思う」
 神谷は明るい声で言う。
「小場どの、よいお考えです。さっそく池のこと、どこがよいか検分して皆さまにお諮りいたしまする。ちょうど、取水地をどこにするかも図をお示ししつつ知らせねばなりませぬし」
 小場は神谷の溌剌とした様子に目を見張った。去年の洪水の後うなだれて意気消沈していた人とは別人のようである。そして、彼が以前よりも柔らかい考え方をするようになったことに気づく。経験は人を育てるのだ、と小場はただただ感じ入っていた。
「私は神谷どのに重たい仕事が行ってしまったと、かつては心配しておった。だがそれは杞憂だったで、これは神谷どのにしか取り回せぬ仕事じゃ」
 神谷はそれを聞いて驚いた顔になる。
「いえ、皆さまあっての仕事にございますで何も。しかし、お褒めいただいてどえりゃあ嬉しゅうございます」
 芦田川を遠くに眺める二人に声がかかる。
「神谷さま、もう昼ですぞう!にぎりめしがございますけえ、一緒にいかがですかあ?」
 空っぽの川の縁の石に腰かけている人の輪が見える。神谷は「それはそれは、ご相伴に預かろうか」と返して、小場とともに輪の方に向かっていった。


 その頃、城前に位置する湾に三艘の弁才船が入港する。陸の誘導に従って、船は城の南東にある入川の見える辺りまで進んだところで停まった。すぐに船から人が複数下りて係留の支度をする。
 甲板で人の声がする。
「おお、えろうだだっ広いところやなあ、あの石垣の上に城ができるんか。右手にはもう家がいくつも建って、町になっとるわ。見事なこっちゃ。わしこんなん見たん始めてや」
「ああ、この藩は城も城下町も同時に作っておる。明石と同じだが、規模はこちらの方が大きいやもしれぬ」
 伏見から来た廻船問屋の高田宗樹と幕府の長谷川式部少輔と水野河内守が陸を見て感嘆の声を上げている。船の回りにはみるみるうちに人が集まってくる。商人や町人がまず出てきて、続いて藩士らしい装束の人々も多く現れる。その中には勝成や普請総奉行の中山将監、筆頭家老の上田掃部の姿もあるが、面識のない高田屋にはどれが誰かはまだはっきりと分からない。それでも、これだけの人々が船を出迎えてくれると思っていなかった高田屋は軽い興奮を覚える。
 一方、幕府の役人は勝成の姿を認めたようで、深々と礼をしている。高田屋もそれに倣いながら、役人に声をかける。
「さあ、積み下ろしをして引き渡すまでが仕事にございますぞ。下りましょう」


「ああ、ようやく来てくれた」と中山は感無量になっている。
「おい、きちんと荷を改めて受け取るのが仕事じゃ。あまり舞い上がるな」と勝成は中山に言うが、その実彼自身も興奮していることに気づいている。何度も書いているが伏見城の破却材は櫓を始めいくつもの建造物のものである。どれかを取り違えてはならないので、荷下ろしと受け渡しには細心の注意が必要だ。
 下船してきた高田屋と幕府の役人に、出迎えの先頭に立つ勝成は深く頭を下げる。
「こたびは、東照大権現さまの築城された伏見城の材を遠路お運び下さり、さぞご苦労だったことと存じます。一同を代表し篤く感謝申し上げます。材はいくつもの建物分になっておるでしょうから、荷下ろしは慎重にせねばなりませぬ。こちらの衆には廻船問屋も複数おり、荷の扱いにも慣れておりまする。藩士も皆、指示いただければ仰せの通り働きますゆえ、どうぞ使うてくだされ」

 藩主みずから丁寧にあいさつする姿に高田屋は驚いた。伏見城といえばそれだけの重みがある城なのだろうが、仕事を依頼してきた役人の態度とは天と地ほども違うではないか。
 その感慨は荷下ろしの作業で一時脇に置いておかねばならなかったが、高田屋には特に強烈な印象の残る出会いだった。

 荷の改めは幕府の役人衆と中山将監で綿密に行われる。建物ごとに受け持ち組が受け渡しをする。すべて揃ったら小さめの船に積み、入川を船で上がって城まで運んでいく。積んだ時より万事すんなりと進んでいる。何しろ働ける人をすべて集めたと思うほど人がいたし、組単位で働くことに慣れているので戦場ではないがたいへん機動的だった。短時間で積み下ろしはつつがなく終了し、船に乗ってきた人々にはねぎらいの宴が持たれた。まだ本丸・二之丸・三之丸はできていないし、神辺城も一部解体にかかっている。したがって、城の麓の館が今宵の宴の場と宿所になるのだった。宴にはもちろん勝成も参加し酒を伏見の一行の盃に注いでいる。高田屋はほろ酔いになって、回ってきた勝成に告げる。
「まこと、城と城下町を一度に築くなど、なかなかできぬことにございます。あのご城地にわしらの運んできた櫓などが置かれるのですな……運んだ者にとってまことに冥利に尽きるものにございます」
 勝成は空になった高田屋の盃に酒を再び注ぐ。
「確か、高田屋は染物も扱っとるんじゃったな」
「はい、ですが廻船の方が儲けになりますので、染物の方は小さな商いですのんや。生業なのですが、ちまちまやっとります」と高田屋は答える。
「さようか……」と勝成はつぶやく。

 よくよく飲んだ翌朝、伏見から来た一行は勝成の前に出て暇乞いの挨拶をする。幕府の役人には受領の証書と褒美の品が与えられる。そして不意に「高田屋」という声が聞こえて高田宗樹ははっと顔を上げた。
「高田宗樹、そなたにはこの藩の土地を褒美として授けよう」と勝成が言う。
 高田は言われたことばの意味がよく解せず、思わず聞き返す。狐に化かされたような気分だ。
「殿さま、土地と仰せになられましたか。この備後の土地を私に賜るということでしょうか。何か私が聞き違えているのやろうか」
 勝成は丁寧に説明する。
「聞き間違えてはおらぬ。備後の土地をやると申した。わしはのう、高田屋、備後を商いが盛んな国にしたいんじゃ。高田屋は染物が本来の生業じゃと昨晩言うておったが、何より荷の積み下ろしの差配も見事でわしゃ感心して見とった。間違いなく伏見城の材を届けてくれた感謝も込めて、もしよければじゃが、新規一転こちらに移ってこんか。染物商であれば新藩につき扱いも多くある。これまでの経験が十分生かせるはずじゃ。廻船問屋ももちろん続けてもらって構わぬ。じゃけえ、一端兵庫に戻ってようよう考えてくれんかのう」
 高田屋は内心ひっくり返るほど驚いていた。
 そして次の瞬間には、感動の念が尽きぬほど沸き上がってくるのを覚えた。
 この仕事をつつがなく終えたことに、殿さまは大きな信頼を寄せてくれたのだ。何より染物屋としての高田屋を大きくしてくれるという。商いをする者として、これ以上嬉しい言葉があろうか。
 高田宗樹は深々と伏して勝成に言上する。
「殿さま、これほど喜ばしいお誘いを私はこれまで頂いたことはございませぬ。お待たせすることはございませぬ、今ここでお答え申し上げます。ぜひそのお話お受けさせて下さいませ」
 勝成はにっこり微笑むが、念押しして尋ねる。
「まことか、今決めてしまってよいのか。兵庫に戻ってゆっくり考えてもええんじゃぞ」
「いえ、これから兵庫に戻り店を畳んで一同を連れて参ります」
 大きな岐路にあったが、彼に迷いはなかった。

 伏見城の材は城地に届き、同時にまた一人新たな藩に召し抱えられる商人が生まれたのである。
 
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