16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第4章 フィガロは広場に行く2 ニコラス・コレーリャ

新しい教皇 1521年 ローマ

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〈ニコラス・コレーリャ、ミケランジェロ・ブォナローティ、フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ、教皇レオ10世、ハドリアヌス6世、神聖ローマ皇帝カール5世〉

 フランスに移ったレオナルド・ダ・ヴィンチも、ローマで活躍したラファエロ・サンティもこの世から旅立っていった。

 ミケランジェロ・ブォナローティはかけがえのない仲間を続けて失ったショックからなかなか立ち直れない。しかし、それを表に出すことなく、自分の仕事を淡々と続けていた。

 ずっと話に出ている、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂のファサードについては、一向に制作に入れなかった。石材の調達が困難を極めたからである。縮小模型も完成しているのに、実物に手を付けられないのはストレスがたまるばかりである。

 かの有名な、ニコラスも熱中して描いていた『ダヴィデ』像は5mもの高さがある。完成品の重さは約5・5トンだが、もちろん材料にはそれ以上の大理石が必要だ。
 大理石とは石灰岩のうち変成したものの呼称である。その特質によって、多くの種類がある。ダイヤモンドの鉱床ほど限定されるものではないが、どこでも採掘できるというわけではない。フィレンツェの近郊には良質の大理石採掘地があり、それがミケランジェロの仕事を大いに助けていたのだ。

 ただ石があればそれで万事上手くいくというわけではない。いちばん問題になるのは、大変な重量のある石材の運搬である。クレーンもなければフォークリフトもトレーラーもない。必要な量(ダヴィデ像の何倍要るのだろうか)の石材を切り出して運ぶのに膨大な数の作業者が必要だし、その運搬のために道路を整備しなければならなかった。でこぼこ道では台車がつっかえて止まってしまうからだ。
 ブルドーザーもない。

 依頼者のレオ10世はこの費用を調達するのが難しいと考えるようになっていた。
 ルターの贖宥状弾劾(しょくゆうじょう だんがい)に端を発するローマカトリック批判も広がりを見せている。おおもとの理由であるサン・ピエトロ大聖堂の再建案もすすんではいない。ラファエロに設計案を描かせるところまで行ったのだが、現実に着手されるに至らず、設計者も世を去った。
 教皇も安穏とはしていられなくなったのだ。内部では教皇の毒殺を謀ったとして、数人が処刑されている。


 その他にもうひとつ、ミケランジェロを悩ませている問題があった。前の教皇、ユリウス2世の廟所制作である。
 この件はユリウス2世の存命中から話をすすめて、大まかな設計案もできていた。
 そこに配置するモーゼの像に何を持たせるかという話になったときのことである。本を持たせようかと提案したミケランジェロに、生前のユリウス2世はこう言った。

「剣にせよ! 文字など読まん」

 モーゼが剣を持って戦ったという記録はない。あったとしても、それではモーゼと判別できない。自身の勇猛さを重ねているのだろうが、困った依頼主ではあった。

 そのようなやりとりまでしていたのに、途中でサン・ロレンツォ聖堂のファサード制作依頼が入ったために廟所は保留状態になっていた。これにはユリウス2世の遺族、もっと言えば出身のローヴェレ家がたいへんな不満を抱いていた。ミケランジェロがつねづねぼやいている、「大人の事情」の最たるものである。前の教皇と現教皇の因縁とでも言おうか。ミケランジェロにしてみれば、現教皇の、命令に近い依頼に従わないわけにはいかない。遺族も教皇に訴えればいいのに、それができずミケランジェロに当たる。
 このミケランジェロ攻撃に関して、ローヴェレ家の最先鋒はウルビーノ公フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレである。ユリウス2世の甥である。先頃の話にも登場したが、今は亡きラファエロ・サンティの友人である。彼はラファエロには好意的だったが、ミケランジェロに対してはそうではなかった。2代の教皇に重用されたことは同じなので……ラファエロが生きていれば、間に入ってうまくまとめられたのかもしれない。
 フランチェスコ・マリーアにしてみれば、現教皇は自分を追い詰めて一度はウルビーノから追い出した張本人である。
「坊主憎ければ袈裟(けさ)まで憎い」という気持ちがあっただろう。
 いずれにしても、訴訟にまで発展しそうなこの問題をどう解決するか、「袈裟」になった芸術家にとっては頭の痛い日々でもあった。

 それでもフィレンツェでは他の依頼もあったので、相変わらず作業に没頭する日々が続いていた。ニコラスはこの頃ミケランジェロに随伴してメディチ家の屋敷を訪れ、そこに当たり前のように置かれている、古代ギリシア・ローマ時代の数々の彫刻を見た。どれも非の打ちどころのない造形ばかりだ。とても1500年も昔の人間が作ったとは思えない。ニコラスはこれらを見て、ミケランジェロが彫刻で為そうとしていることがよく理解できたし、彼はそれに比肩する芸術家であると改めて確信を持てた。

 ミケランジェロはニコラスの他にも何人か弟子を取るようになっている。アトリエは工房の体を成してきたのである。建築の仕事が本格的に始まったら、たくさんの人間を使わなければいけなくなる。その仕事をきちんと監督できて高い技量を持つ者を置かなければならない。その職務をこなせるだけの才能を持つ職人・弟子を多く取る必要があった。

 しかし、そのような配慮に冷や水を浴びせるような事態が起きた。

 教皇レオ10世はミケランジェロとの契約を破棄し、サン・ロレンツォ聖堂のファサード制作を打ち切ることに決めたのである。数年を費やして進めてきた設計図も、木で丁寧に作られたファサード全体の縮小模型も、粘土で精巧に作った数々の彫像の縮小模型も、すべてがご破算になった。


 21世紀の今日に至るまで、フィレンツェを訪れれば、サン・ロレンツォ聖堂を拝観することができる。その巨大な聖堂の外観には何の装飾もない。石積みのままの姿で500年の時を過ごしているのである。


 そして1521年、盛んな著述活動で神聖ローマ帝国内外に波紋を巻き起こしたマルティン・ルターを破門する内容の教書がレオ10世から発せられたのである。これは、単にカトリック教会と一学者の対立を越えて、ヨーロッパ全体を二分する大異変へとつながっていく。

 教皇レオ10世にとっても、それが最後の大仕事になった。1521年の暮れに病に倒れ、帰らぬ人となったからである。享年45歳だった。

 強大なメディチ家から出たレオ10世の後釜を誰にするか、それは残された枢機卿団にとってはたいへん悩ましい問題だった。そのような場合いつの世でも同じ傾向が見られるが、穏健で前の派閥にも寄らない人間が選ばれるものである。このときのコンクラーベ(教皇を選出する枢機卿会議)でも同じような流れで次の教皇を選出したようだ。



 神聖ローマ帝国領オランダ・ユトレヒト出身のアドリアン・フロレス枢機卿がその人である。前の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の庇護を受け、次の皇帝カール5世の家庭教師を努めていた、いわば帝国の中枢を知っている人物である。ほんの数年前(1517年)に枢機卿になったばかりのこの人物が教皇ハドリアヌス6世として、ローマの長になる。

 その背景について少し説明しよう。

 これに神聖ローマ帝国の意向が強く反映していたことは間違いない。反ローマ、反カトリックの気運が自国で高まっていることは若き皇帝カール5世にとっても悩みの種だった。彼自身はローマと袂(たもと)を分かつ気がない。なぜなら、カール5世は敬虔(けいけん)なカトリック国であるスペインの王カルロス1世も兼ねているからである。もし、王が反カトリックに鞍替えしたらスペインの貴族がこぞって王に反旗を翻すだろう。

 実際に反乱は起こっていた。

 生まれも育ちもスペインではない、フランドルの宮廷で優雅に暮らしてきた青年を血筋だからというだけで王に迎えることには、はじめから反発する者も多かった。
 王はスペイン語も話せなかったのだ。

 ここに付けこんだのが、フランス王フランソワ1世である。地図を見てみればすぐに分かるが、スペインと神聖ローマ帝国の間にはフランスがある。海路をとらない限り、両国(ひとつの国のようになっているが)の行き来はできない。スペインの至るところで巻き上がる貴族の反感を自国の利益に誘導しようとしたのだ。反乱の動きがあればそれに乗じて援軍を出すと耳元に囁く。

 フランソワ1世が好戦的な態度を取るのには、神聖ローマ皇帝の座をカルロス1世と争って敗れたことも影響しているだろう。

 その中でピレネー山脈の麓にあるナヴァーラ王国は兵を挙げてフランスの援軍と共に戦ったが、敗北の憂き目にあった。結局それまでかろうじて独立国として存続してきた王国はスペインに併合される形となった。第2章でフランシスコ・ザビエルの兄たちと、イグナティウス・ロヨラが対峙することになった戦いである。そこでザビエルの兄たちは捕虜として連れ去られ、ロヨラは瀕死の重傷を負うのである。



 カルロス1世在位初期に起こった最も大きな反乱は、1520年に都市の代表らが起こしたコムローネスの乱である。カルロス1世(カール5世)が都市の代表(貴族)らを集めてコルテス(身分制議会、従前からあるもの)を開き、40万デュカートにものぼる附加金の供出を求め、国王の権限を拡大することを宣言した。これに参加した都市の代表は猛反発した。しかし、コルテスは王の下準備もあって収められた。

 コムローネスはコムーネ(イタリア)やコミューンから派生している。都市市民という意味である。

 以降、都市の自治を求める運動がカスティーリャ、レオン、アンダルシアに及び、1520年8月に開催された都市代表者会議(サンタ・フンタ)には15の都市が参加した。その決議を持って王に都市の自治権を担保するよう陳情したが、にべもなく拒否された。都市連合はカルロス1世に宣戦布告、約半年間王軍と戦闘状態となった。1521年4月、ビリャラールの決戦において、ついに都市連合軍は王軍に撃破され、自治都市の運動が鎮圧された。

 神聖ローマ帝国で選帝侯たちが大きな自治権を持っていることをカルロス1世はよく分かっている。それをスペインでなされたら、統治に大きな困難を伴うことは必定である。ここでカルロス1世は後世「絶対主義王政」と呼ばれる最初の見本を示したのだ。
 神聖ローマ帝国とスペイン、ふたつの国の支配者の血を継ぐ一人の男は、腰を落ち着ける間もなくふたつの国に生じる問題を解決するために奔走し続けなければならない。

 説明が長くなった。
 そのような背景があって、フロレス枢機卿は教皇となった。彼の役割はこれまでにない種類のものとなるだろう。皇帝の意向を生かしつつ他の王と駆け引きをしなければならない。教皇庁は先代までの浪費がたたって財政難に陥っている。その建て直しが急務である。そして、最も大きな役割だと誰もが考えていたのは、反ローマ、反カトリックの流れを止めることである。
 かの国の情勢をよく知っている人間が教皇になることは自然なことだった。


 フィレンツェ、ミケランジェロの工房ではニコラスが作業の手を休めて、ソッラからの手紙を読んでいる。サン・ロレンツォ聖堂のファサードの仕事がなくなったので、ミケランジェロはユリウス2世廟の作業を少しずつ再開している。とはいえ、デザインや模型を作るだけだ。すでにモーゼ像などいくつかのものは仕上げてローマに保管しているので、奇妙な段取りではある。
 そんなミケランジェロが手を拭きながら、ニコラスの脇に寄ってくる。
「おっ母さん、何だって?」
 ニコラスはミケランジェロを見上げて頭をかく。
「ノヴェルダさんが拠点を本国のスペインに移すらしいです」
「ああ、じゃおっ母さんもスペインに行くのか」とミケランジェロが尋ねる。ニコラスはこくりとうなずいている。
「それじゃ、おいそれと会いにいけなくなるな……その前にナポリに行ってきたらどうだ? おまえは給金を貯め込んでいるから、すぐ行けるだろう」とミケランジェロは助言するが、ニコラスは首を横に振る。

 まったく……俺も頑固者だが、この子どももときどきかなり強情っぱりだーーとミケランジェロは首をすくめる。それを見越したように、ニコラスが師匠に告げる。

「トラスティヴェレの修道院に入ったマルガリータさんとも、母さんはよく手紙をやりとりしているみたいです」
「そうか……パン屋には戻らなかったんだな」

 ラファエロ・サンティの没後、マルガリータは自宅にほど近い、地区の修道院に入った。

 生身の彼女にとって、ラファエロ・サンティは最後の男だった。
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