230 / 480
第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ
僕がきみを守るよ 1526年 フィレンツェ
しおりを挟む〈教皇クレメンス7世、カテリーナ・ディ・メディチ、アレッサンドロ、イッポーリト、ルクレツィア・サルヴィアーティ〉
1526年5月に教皇クレメンス7世の主導で「コニャック同盟」が結成された。
イタリア半島の防衛のためにクレメンス7世が考えた結果といえる。彼は神聖ローマ帝国と真っ向から立ち向かうこととした。そのための臨戦体制を組むこととしたのだ。
5月に同盟が結成された後、7月にはピアチェンツァに各地から軍勢が集結する。
・教皇直属軍 歩兵8000、騎兵400、傭兵隊長(コンドッティアーレ)としてメディチ家の庶流、黒隊のジョヴァンニ(ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ)が司令官を務める(便宜上フランスの所属)。彼の母親はイーモラの女丈夫、女伯爵のカテリーナ・スフォルツァである。
・参謀長(名称は教皇代理) フランチェスコ・グイッチャルディーニ
・フランス この時点では参加していない。
・ヴェネツィア 歩兵1万、騎兵600、司令官はウルビーノ公フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ。彼はこの時点での正統なウルビーノ公爵である。カテリーナ・ディ・メディチは正式には元ウルビーノ公爵令嬢ということになる。
・フィレンツェ 歩兵4000、騎兵300、司令官は傭兵隊長ヴィテッリ。
・イギリス 参加していない。
・教皇の海軍司令官 アンドレア・ドーリア
この布陣を見てお気づきになられたかと思うが、同盟に加わることになったフランスとイギリスは軍勢を出していない。イタリア半島の北部から中部にかけての諸侯を総動員しようとした形である。フランスとイギリスが参加しているというのは、神聖ローマ帝国に対する示威的なものに過ぎない。これまでに何度か名前を出したことのある海将アンドレア・ドーリアの名前もあるが、海戦ならばともかく陸上の戦いでは大きな成果は見込めない。
布陣のそうそうたる面子の内訳を見ると、そのような事情を垣間見ることができる。
それでも、黒隊のジョヴァンニ率いる一団や、スイス傭兵隊など精鋭は来るべき敵への備えを着々と進めていた。
ローマへの通り道であり、教皇のお膝元であるフィレンツェでも戦争に向けての防備を整えていた。最大の防御はフィレンツェ市街をぐるりと取り囲む防御壁である。フィレンツェはもともと、中世以降に見られた城塞都市ではなく、自由都市であり行き来が容易にできる。それを非常時に封鎖できるようにしようということである。この案はマキアヴェッリがクレメンス7世に提案したものである。工事が急ピッチで進められる。
フィレンツェのメディチ邸でももちろんその話がされている。ランツクネヒトが攻めてきたらどうするかということである。邸宅にカテリーナの保護者として暮らしているルクレツィア・サルヴィアーティが真剣な顔をして、3人のメディチの子どもたちに説いている。
「これは今までに経験したことのない危機だと思います。ミラノでの出来事を見れば、ランツクネヒトが私たちを保護することはないでしょう。そして、私たちはフィレンツェの人びとの中で、最も狙われる存在なのです。黒隊のジョヴァンニや同盟のコンドッティアーレたち、そしてフィレンツェの市民軍も戦います」
アレッサンドロは少し興奮しているようで、真っ先に叔母に質問する。
「僕たちはどうしたらいいのですか。もし、ランツクネヒトがこのメディチ邸を目指して来たら、ひとたまりもないと思います」
「そうならないように、防御壁を急いで築いて、軍備を整えているのですよ」とルクレツィアがたしなめるように言う。
「それがどれほど対抗しうる勢力になるのか、僕にははなはだ疑問ですね。それならば今すぐ、フィレンツェからは出て、避難する方がいいのではないですか」とアレッサンドロはやり返す。
三つ編みの髪を左右で小さくまとめた7歳のカテリーナはきょとんとしている。ただ、これまでになく深刻な様子に口をはさむことができない。それなので、ちら、ちらとイッポーリトを見て、彼の上着の裾を引っ張る。イッポーリトはカテリーナが不安そうにしているのを見て、ゆっくりと言葉を発する。
「僕たちはジュリオ叔父さま(教皇クレメンス7世)から後見を受けているとは言っても、フィレンツェを任されているのです。フィレンツェを捨てて出ていくのは、当然考えなければいけないことだと思いますが、真っ先に逃げ出してしまったら、それはメディチ家の名折れでしょうし、戦いの準備を進めているこの自由都市の民の士気にも影響します」
アレッサンドロは少しムッとして、まくし立てるようにイッポーリトに反駁(はんばく)する。
「それで、僕たちはランツクネヒトの捕虜になれというわけか! フランソワ1世のように捕虜になるだけならまだいい! シニョーリア広場で首をくくらされるかもしれないんだ。メディチ家の名折れだって? 死んでしまっては元も子もないだろう!」
アレッサンドロの言葉の激しさに、カテリーナは怯えたような顔をする。イッポーリトはカテリーナの顔を見て、さらに続ける。
「アレッサンドロ、確かにきみの言うことにも一理あるよ。ただ、僕たちは黙って捕虜になるべきだと言っているわけではないんだ。フィレンツェがどうなるのか、十分によく事態をみた上で、最終的に逃げられる場所を近くに確保しておくのがいい。みんなが防御壁を築いているように、僕たちもきちんと備えるべきだということだ」
「ランツクネヒトの様子を聞いただろう? あいつらは戦争をするだけではない。乱暴の限りを尽くすんだぞ!」
カテリーナはもう泣きそうな顔になって、イッポーリトの上着の裾をぎゅっと握りしめている。
見るに見かねたルクレツィアが間に入る。
「アレッサンドロ、あなたの言うことはよくわかるわ。でもね、私たちはメディチの家に生まれたという責任があるのよ。戦争が始まったからといって、王さまが真っ先に逃げ出すかしら。それでは国を治めるのにふさわしくないと言わざるをえない。イッポーリトの言うことがあなたにはのんびりしているように感じられるかもしれないけれど、私もイッポーリトの意見に賛成よ。メディチ家はこれまでも、家を追われるような危機を何度も経験してきた。それは、この邸宅の構造にも生かされているの。この邸宅には隠し部屋や、秘密の通路がいくつかあることを知っている?」
3人は首を横に振る。
「じゃあ、まずはそれを知ることから始めましょう。私たちは知恵で戦うべきだと思うの。逃げるのはそれを検討してからでも遅くないと思うのだけれど、どうかしら、アレッサンドロ?」
アレッサンドロはしぶしぶうなずいた。
イッポーリトはうつむいているカテリーナに小声で話しかける。
「カテリーナ、これはちょっとした探検だよ。隠し部屋に秘密の通路なんて、ドキドキしない?」
カテリーナの表情がパッと変わる。
「うん、とっても面白そう!」
「それに……」
「それに?」
イッポーリトが少し赤い顔をして、カテリーナにそっとささやく。
「僕がカテリーナを守るよ」
カテリーナの頬はバラ色に染まり、この上なく幸せな笑顔になった。
この時点で、総員2万を優に越えるコニャック同盟軍に対する神聖ローマ帝国の軍勢はミラノを包囲するスペイン勢(神聖ローマ帝国と同義である)の1万2000ほどである。この時点で神聖ローマ帝国は本格的にイタリアに進攻するか、まだ見えない状態であった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる