312 / 480
第10章 ふたりのルイスと魔王1
博士は青年に会いに行く 1554年 コインブラ(ポルトガル)
しおりを挟む〈マルティン・アスピルクエタ(ナワロ博士)、薩摩のベルナルド、フランシスコ・ザビエル、セサル・アスピルクエタ、チェーザレ・ボルジア、フランシスコ・ボルハ〉
1554年の春、ところは離れてポルトガルのコインブラに移る。
ここはポルトガルでも五指に入る大きな街であるが、コインブラ大学というポルトガルきっての大学があることで有名だ。イタリア半島のボローニャ大学やイギリスのオックスフォード大学に先頭を譲るものの、創立は13世紀、この国の由緒正しい最高学府である。この時期には国王の庇護も受けて学ぶ学生も以前より増えている。この十数年前にはアルカソヴァという宮殿を学舎に転用させ、より華やかな場所となっていた。
この学舎の跡は今日、世界遺産になっている。
コインブラ大学の初老の総長はこのところ、近隣の修練院に足しげく通っていた。ギリシア時代を模したような大きな柱がそびえる建物からゆっくり出て、石段を下りてくる。衣装こそ異なるが、どことなくアリストテレスを思わせなくもない。実は影響を受けている、と考えてみるのも興味深い。真っ白だがよく整えられたひげをたたえ、ゆっくりと石畳を歩くその姿は街の住人や学生たちにとってひとつの目印になっている。
いつも決まった時間に通るので、時計代わりになっているのだ。
「ナワロ博士、おはようございます」
あいさつされた初老の男は会釈を返す。
ナワロ博士のナワロというのは出身地、ナヴァーラのことである。名前に出身地が加えられるのはこの頃の通例なのだ。マルティン・アスピルクエタというのがより正確である。教会法の権威であり、経済にも明るい学者である。この頃すでに貨幣経済に関する考察を著している。
今はスペインとなったナヴァーラ出身の彼がコインブラ大学の総長になるまでのいきさつはここでは述べないが、彼はその肩書きの他にもいくつかの「鍵」を持っていた。その鍵で開くドアのひとつが修練院にある。彼はここで修練を積んでいるひとりの青年に会うためにここに来ているのだ。
彼はしばらくここにいるのだが、時折体調を崩しているようだった。痩せこけて体力も落ちていたので、この冬の寒さが悪く影響したのだろう。春になってそこからは快復しつつあり、今では修練院の仲間たちとも打ち解け、積極的に学んでいる。
「アスピルクエタ博士、お越しくださってありがとうございます」
青年、ベルナルドは博士を微笑みで出迎えた。
「院長が教えてくれたのだが、ローマに行くことがいよいよ決まったのだね。身体はまだ本調子でないようだから、くれぐれも養生して備えてほしい」と博士はベルナルドに告げる。
このふたりはひとりの忘れ難い人物でつながっている。
1552年12月3日に三洲島で亡くなった、フランシスコ・ザビエルである。
博士はフランシスコ・ザビエルの母、マリア・アスピルクエタのいとこである。フランシスコの父が失意のうちに亡くなった後、いとこのマリアとフランシスコのことをずっと気にかけてきたのだ。学業に秀でたフランシスコには、「自分の勤める大学に来なさい」と始終言ってもいた。しかしフランシスコはパリ大学に進学し、イグナティウス・ロヨラらとイエズス会という修道会を創立することになった。
博士は当初、フランシスコの転身に異をとなえていた。パリ大学で神学を修めて故郷に近いパンプローナで聖職に就いてほしい。それが博士のみならず家族一同の願いでもあった。それが、突然修道会を作ってイェルサレムへの巡礼を目指すと言い出した。神に仕えるという趣旨から外れてはいないが、職業的安定という意味では失望させられるものであった。博士とフランシスコはいっときそれで没交渉にもなったのだが、イエズス会が教皇庁の認可を受けて大いに評判になった。それを受けてローマから宣教師が各国に派遣されるようになると博士の心もしだいに変わってきた。
フランシスコ・ザビエルは東洋宣教の旅に出る直前、博士と久しぶりの再会を果たしていた。
博士はイエズス会の前進を喜んではいた。
しかしフランシスコがはるか東洋に赴くことについては懐疑的だった。
「会を創立した人の一人なのだから、みずから異国に飛び出していくことはないのではないか」
そう思うのは血縁者として自然な感情である。
しかしフランシスコは情熱に燃えて新しい道を進もうとしていた。
それを目の当たりにした博士は「旅を止めなさい」という言葉を飲み込んで、イエズス会を支援すると約束したのだ。
しかし、フランシスコは志半ばにして中国沿岸の島で倒れた。聞けば、そこは寒風吹きすさぶ小さな島で臨終に付いたのはほんのわずかな人だったという。
その知らせを聞いた博士は、悲しむのと同時にやるかたない憤懣を覚えた。
しばらく前に、フランシスコが国王ジョアン3世に送ってきた書簡では、危険は往々にしてあるものの、精力的に宣教の旅を重ねインドで聖職者の育成につとめている様子が事細かに書かれていた。
その書簡と孤島での最期の姿をどうしても結びつけることができない。
博士は激しく後悔した。
あれほど私がサラマンカ(大学)に来いと行ったのに。パリに行かなければこのようなことにはならなかった。今ごろはパンプローナで聖職に就き、離れてはいてもたまに会うことも叶ったはずなのだ。何より、東洋に発つ前にもっと私の危惧を率直に伝えるべきだった。もっと、もっと強く私が引き留めていれば、こんなことにはならなかった。
しかし、どれほど後悔しても過ぎた日々を取り戻すことはかなわない。
そのように博士が悲嘆と憤懣にさいなまれていた頃、リスボンからコインブラに到着した一団の中に、東洋人が一人いた。東の果ての国・日本で最初にフランシスコの導きを受け信徒になった人だという。
矢も盾もたまらず、博士は彼に会いに修練院に出かけていった。
「あなたが東洋の国から来たという、ベルナルドか」
ベルナルドは痩せ細って、顔も青白かった。
ただその瞳だけは黒々と輝き強い光を宿していた。
彼は博士の問いに「Ados.」と答えた。
その一言で博士の感情は溢れ出し、涙となって次から次へと頬をつたった。そして堪えきれず漏れた声は、とどまることのない嗚咽となった。
Ados.はポルトガル語でもスペイン語でも、もちろん日本語でもない。
フランシスコの母語、バスク語であった。
もしアスピルクエタ博士に神の慰謝が与えられたとするならば、それはベルナルドの姿を取っていただろう。
ようやく気持ちがおさまった博士は尋ねる。
「フランシスコは……バスク語で話していたのか」
ベルナルドは流暢なポルトガル語で答える。
「いえ、普段はスペイン語が多かったと思います。司祭さまと修士さまがスペインの方でしたので。ポルトガル人と話すときはポルトガル語です。日本語も使われていましたが、フェルナンデス修士ほどにはお上手ではなかったですね。
ナヴァーラのお国の言葉(バスク語)は……セサルさまとお話されるときに。
私はそれを聞いて覚えました」
すらすらとポルトガル語で話す東洋の青年に、博士は目を見張った。
そして、還らぬフランシスコの旅の景色を自分も知りたいと激しく願った。
それから博士の修練院通いがはじまったのだ。
ベルナルドは体調を崩していたので、そうそう連日話が聞けるわけではなかったが、それでも博士は修練院に通い続けた。
ベルナルドの国の話も興味深かった。
ヨーロッパの騎士とはまた違う、武士という階級のこと。ベルナルドはその国の南方にある「薩摩」で武士「河邊氏」の家に生まれた。元服して間もないある日、城下で僧侶のような黒衣の異人たちが人々に説法をしているのに出くわした。脇には薩摩のことばを話す人が通訳として付いている。
人々は物珍しさもあって最初は遠巻きに見ていたが、段々近くに寄っていった。ベルナルドもそんな民衆のひとりだった。
しかし、珍しいものに対してしばしば取られる態度ではあるが、からかいや揚げ足取りや嘲笑が彼らの話す声を書き消すほどになった。
それは洋の東西を問わないらしい。
それでもベルナルドは彼らの話をずっと聞いていた。
それはキリスト教の『使徒信条』とその説明であった。
〈全能であり、天地万物の創造主である父なる神を信じます。神のひとりの御子であり、私たちの主なるイエズス・キリストを信じます。聖霊によりてみごもり、おとめマリアよりお生まれになられたことを信じます。ポンシオ・ピラトの権力の下で苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られたことを信じます。古聖所にくだって、三日目に復活されたことを信じます。天に昇って全能の父である神の右に座し給うことを信じます。生ける人と死せる人を裁くために天より来られることを信じます。聖霊を信じます。聖なるカトリック教会を信じます。諸聖人の通功、罪の許しを信じます。肉身のよみがえりを信じます。永遠の生命を信じます。アーメン〉※1
「神の子であるイエス・キリストが迫害され、死を与えられたのちに復活し、永遠の命を得た」という簡潔な要約である信条の内容を聞いて、ベルナルドは何か心に残るものを感じたという。
神の子ならば王になり、民を統べていくものではないのか。みずから死の苦しみを得て、永遠の命を示す。それはどのようなことなのだろうと、ベルナルドは考え続け、連日異人の説教を聴きに行った。
そんなある日、民衆の嘲りの声がいつもにましてひどかったので、ベルナルドは耐えかねて叫んだ。
「おまえたっ、こん人らぁはおいたちん、てしな話しもんそ。じゃっでまめい聞いてくいやい!」
フランシスコの一行はその善意にいたく感謝した。そこから交流がはじまり、ついにベルナルドは洗礼を受けて一行とともに旅をすることになる。
博士は思う。
もとの宗教が何であれ、この人は真に善意の人であり、それがフランシスコの心にも響いたのに違いない。遠い東洋の果ての地で、ベルナルドがフランシスコの話を聞いてくれたことはどんなに大きな感動だったことだろう。
おかげで私もフランシスコの厳しい宣教の日々が意味のあるものだと知ることができたのだから。
アスピルクエタ博士はベルナルドと話をすることで、それまでの悲嘆や憤怒を捨て去ることができたようだった。
1554年の冬から春にかけて、ベルナルドをローマへ出発させるか否か、イエズス会の秘書局と教皇庁、ポルトガル支部の間で書簡が何通もやりとりされていた。
もともと、フランシスコ・ザビエルはローマへベルナルドを派遣することを求めていて、それをイニゴーーイエズス会総長のイグナティウス・ロヨラーーにも伝えていた。ただし、今日のように通信手段が豊富な時代ではないので、その了解を得るにはいたっていない。ゴア(インド)とローマ間でそのやりとりをするには1年半から2年の月日が必要になるだろう。もっというならば、不慮の事態によって手紙が船ごと届かない場合もあるのである。
ローマとリスボン、あるいはコインブラ間のやりとりはさすがにそこまではかからない。そこで、ベルナルドが待機するような形で修練院にいるのである。
彼のローマ行きは1554年の春先までに正式に決まった。
旅にはポルトガルのイエズス会士が同伴する。また、スペインにいる会士のナダル司祭も途中から合流するーーなど詳細な行程も組まれていく。もちろん、ベルナルドはイベリア半島の地理が皆目わからないからである。
リスボンやコインブラでベルナルドと居をともにした者はおしなべて、彼が誰よりも謙虚で篤い信仰を持っていると太鼓判を押している。
イエズス会への入会も早々に認められた。
もちろん、亡きフランシスコ・ザビエルが認めて派遣した人だということは十分に配慮されただろう。
そして彼は、この時代にローマに公式に迎えられて旅をする初めての日本人だった。
実家の河邊家はそれを知っていただろうか。
バチカンやイエズス会には彼の記録があるが、日本の記録には残っていないようである。
ただ、「失踪した人」と受け止められていたのかもしれない。
ベルナルドがローマに出発するのは7月、ルイス・クワレスマという若いイエズス会士が同行する。ルイスはベルナルドとも歳が近いので気兼ねも要らないだろう。
ここまで述べていなかったが、彼はこのとき21歳である。
夏の陽が照りつけている。
アスピルクエタ博士はまた修練院への道を歩いていた。ベルナルドに会うため、彼にあることを伝えるためである。
このとき、珍しいことではあるが博士はベルナルドを修練院の脇にある小さな畑のほうへ散歩に連れ出した。
ゆっくりと歩く青年を博士は眺めている。
だいぶ身体はよくなったようだが、長旅はまだきついのではないかと思う。
それでもベルナルドは、「ザビエル師から聞いたイグナティウス・ロヨラ師に会うことができる」と嬉々としている。
博士は少し淋しさを感じたが、「またここに戻ってくるといい」とだけ告げた。
しばらく沈黙に身を任せながら、二人は畑の緑を眺めている。
そして、意を決したように、畑の隅で博士はぼそっとつぶやくように切り出す。
「セサル・アスピルクエタのことなのだが……」
「ほんとうのお名前はチェーザレ・ボルジアとおっしゃるのでしたね」とベルナルドは落ち着いた様子で応じた。
「そう、そうだ……」と博士は深くうなずく。
「ご安心ください。彼のことは一切どなたにも口外しておりません。そういえば、博士と同じご名字でしたね。きっとご縁が……」
「それがさほどないのだよ。それなのにフランシスコも私もずいぶんと関わることになった」
すべてを了解しているベルナルドの様子に安堵して、博士は少し砕けた口調になった。
「セサルさまにとってかけがえのない恩人だということなのでしょう。あの方には高潔な雰囲気があって、人がお世話をしたくなるのかもしれませんね。きっと今も、滞在している商人の家で元気に過ごしておられるでしょう。あの方はお歳からは信じられないほど、強靭な心と身体をお持ちです。今の私からしますと、うらやましいばかりです」
ベルナルドはそう言うと太陽の方を見て眩しそうに目を細めた。
「……もう分かっていると思うのであまり言う必要はないと思うが、特にローマではセサルの話は絶対に伏せてほしいのだ。ローマにはまだ彼を知っている人が何人もいる」と博士はおずおずと告げる。
「承知しています」とベルナルドはうなずく。
「ああ、そしてもうひとつだけ」と博士がことばをつなぐ。
「はい、何でしょう」
「バレンシアに寄ったら、おそらくイエズス会の管区長に会う機会があると思う。彼にだけは、乞われたならば、セサルの話をしてもいいのかもしれない。
彼は、セサルの……チェーザレ・ボルジアの弟の孫なのだ。おそらく、チェーザレのことをわずかでも知る血縁者は彼の一族だけだろう」
その話はベルナルドにとって初耳だった。
彼は驚いたように博士に問う。
「その管区長のお名前は、何とおっしゃるのですか」
「フランシスコ、フランシスコ・ボルハという」
「フランシスコ……ボルハ……」
ベルナルドはゆっくりとその名前を覚えるように繰り返した。
※1 『使徒信条』引用
『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』河野純徳訳(東洋文庫)
※ベルナルドがフランシスコ・ザビエルに出会うエピソードは『海の巡礼路(日本編)』に出てきます
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
