16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第1章 星の巡礼から遠ざかって チェーザレ・ボルジア

サウダージ 1506年 メディナ・デル・カンポ(スペイン)

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<チェーザレ・ボルジア、アラゴン王フェルナンド、カスティーリャ女王ファナ、夫君フィリペ、ハヤブサ>

 1505年の秋までスペイン・アルバセテにいた囚われ人は、チンチーリャ城の城代の首を締め上げた後、しかるべき理由で居場所を移されることになった。人が十分にいないチンチーリャ城でこの危険な囚われ人を留めておくのが難しいと判断したこともあるだろう。彼はイベリア半島をさらに北上し、トレード(マドリッド)北方にあるメディナ・デル・カンポのモタ城に移された。
 メディナ・デル・カンポ、イザベラ女王が亡くなったのはこの地であった。

 この「危険な」囚われ人がここに移されたことには意味があった。
 さきにも書いたが、カスティーリャ女王となったファナは精神的に不安定なためという理由で、夫のフィリペ(フィリップ美公)が表向きは摂政として、実質は王と自称して治世をすすめていた。もっとも、この種の話は意図的に誇張される場合もあるので注意が必要である。実際はそれなりに夫をたしなめていたとも考えられる。なぜなら、ファナは生涯カスティーリャ女王であることに誇りを持ち、それに何の威光がなくなっても、堂々と名乗り続けたからである。
 トレードもメディナ・デル・カンポもカスティーリャの領内である。ファナの父であるフェルナンド王の領土アラゴンからはかなり離れている。





 チンチーリャ城でのトラブルがきっかけではあったが、チェーザレがこの地に移されたのは、カスティーリャの摂政であるフィリペの指示である。

 フィリペはチェーザレを自身の駒として利用できないかと考えていたのである。フィリペは神聖ローマ帝国やフランスに接近しながらも、自身がスペイン人でないデメリットを十分承知していた。フィリペに反感を持つ者がいることも分かっている。それが反乱を起こしたら、一巻の終わりである。フィリペ自身が追放の憂き目にあえば父フェルナンドが意気洋々とカスティーリャの摂政につくだろう。ファナとの間にできた子はみなまだ幼いのだ。

 その防止策としてフィリペが思い出したのがチェーザレ・ボルジアである。彼はアラゴンに根を持つスペイン人だ。彼を自軍の総司令官に登用してアラゴン人の支持を得れば、フェルナンド王もすぐに手出しはできまい。ボルハ(ボルジア)の嫡流はガンディア公として今もそこに在るのだから。それで反フィリペの空気を和らげることができるのではないか。
 そして、チェーザレの目覚しい進軍ぶりは皆が知っている。ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバも高く評価していると聞いた。
 それに彼は、フランスに領地を持っている。ナヴァーラ王とは義兄弟の関係だ。

 フィリペにとってチェーザレはどのようにも使えると感じられた。そこで、メディナ・デル・カンポの近くに彼を移したのである。

 モタ城は都市の郊外にある城なので、断崖絶壁の岩山に建ってはいない。しかし王の宮殿を守るための要害として築かれたので、堅牢さはチンチーリャ城に劣らない。特に四角の塔は40メートルほどもあり、窓も日光を入れるためのごく小さいものしかない。広かったとしても、ここから飛び降りて生きてはいられないだろう。人を閉じ込めておくには最適なものだった。そびえ立つ塔を真下から見上げると圧倒的な存在感である。これだけの高さがあれば、相当離れた敵も容易に発見できる。
 城内に入るには跳ね橋を使うしかない。城への出入りも厳しく制限されていたということである。この種の要塞を兼ねた城は多く存在するので2つの城が特別だったわけではない。イベリア半島においては800年に渡るイスラム勢力との戦いの跡が堅牢な城として残ったのである。

 ここでは城代としてカルデナス、加えてチェーザレが在城することもあって特別にタッピアという補佐役もつくことになった。用心を重ねたということである。

 チェーザレは拷問や訊問を受けることもない。ただ閉じ込められているだけである。従者はついているものの、髪も髭も伸び放題で、口を開くこともなくなった。外からの情報は一切入ってこない。チンチーリャ城のように世話女がつくこともなかった。

 彼は自身にこれほどの苦難を与えるスペインを憎むようになった。

 考えてみてほしい。自身がどうされるかもまったく知らされないまま、ずっと閉じ込められている状態を。もしかしたら、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドーバとナポリで語らったように、当初はチェーザレもスペインへの期待を抱いていたのかもしれない。しかし、それは失望のうちに潰えていった。このまま一生高塔に囚われて生涯を終えるのかと悲観的になっても無理はない。モンテクリスト伯だって一度は自殺をはかったのだ(ちなみにモンテクリスト伯はもっと後世の創作だが)。

 彼はスペインから冷酷な扱いを受けるスペイン人だった。

 初めて上陸した父祖の地から何一つ温かいもてなしを受けなかったのである。ただ一人、自身を愛してくれたモーラ以外は。そして彼女もスペインからひどい扱いを受けて、そのまま息絶えた。そのような国を愛することなどできようか。情報は何も与えられない。イザベラ女王が死んだことも、カスティーリャとアラゴンが対立していることも何も知らない。ルクレツィア、ミケロットがどうしているのか、それさえも分からない。希望の持ちようがないのだ。

 モーラ、その名前を頭の中で呼ぶたびにチェーザレは胸をかきむしるほどの悔恨を覚えた。
 鞭の傷跡が残る背中、サファイアのような青い眼、柔らかい唇、小さな手。
 自分のためだけにおずおずと開かれた脚、言葉にならない歓喜の吐息。

 自分を守るために握ったこともない剣を手に自身の盾になって命を亡くした娘。
 彼女はこれまでチェーザレが関わってきた女性とは異なっていた。美醜や肌の色ではない。支配する対象としての女ではない。守り守られるたったひとつの存在だったのである。

 チェーザレはスペインに来てから、地の果てに来たような感覚にずっと襲われていた。アルバセーテの乾いた土地がそのような印象だったのかもしれない。

 実際、そこは地の果てではない。イベリア半島の果てでもない。
 しかし、その寂寥は彼のような境遇に置かれなければ分からない種類のものだった。

 そこに温かな愛があった。寂寥と体温を分け合うような温かな愛があった。

 チェーザレはモーラのことを切なく思い出した。何とか一緒に出る方法があったのではないか。幸か不幸か、あの一件があってチェーザレはチンチーリャ城を出ることができた。しかし、それはただ場所が移ることにしかなっていない。そしてもうモーラが慰めてくれることはない。
 それでも、チェーザレはモーラが生命を振り絞って発した言葉を決して反故にしてはならないと考えていた。

「あなたは、どうか自由に……」

 彼女が命に代えて与えようとしたもの。それはチェーザレの自由だった。
 激しい寂寥と無力感に襲われても、それがチェーザレの精神をかろうじて支えていた。どんなにわずかでも、また希望の芽を探そうとしていた。
 まだ完全に諦めたわけではない。ナポリの港で見たミサゴのように、すべての軛(くびき)から自由になる方法を考えていた。

 その新たなきっかけになったのは、ハヤブサだった。

 近くの泉の方からやってくるらしい。潅木の間から飛翔する姿をチェーザレはよく眺めていた。ある時、彼は気まぐれに、小窓のさんに食事で出された干し肉を置いてみた。するとハヤブサがまっすぐこちらに向かって翼をはためかせた。あっという間にハヤブサはチェーザレの窓までやって来た。そして、干し肉を鋭い爪でひっかけると、来たときと同様あっという間に飛び去っていった。このささいな行為がチェーザレの心にちいさな灯をともしたようだった。

 翌日から、この小さな猛禽類のために食事を分けてやることがチェーザレの日課となった。ハヤブサもこの囚人のもとに足しげく通った。そのうちに餌の用意がなくてもこの友人はチェーザレに会いに来るようになった。チェーザレが何か食べ物を与えるとハヤブサは帰っていく。その飛翔する姿をチェーザレは憧憬のような気持ちを抱いて見送る。

 いつか、必ずここから出てみせる。

 チェーザレは切なくハヤブサを見送りながら、その言葉だけをつぶやいていた。そして、どこに活路を見出すべきか真剣に考え始めた。
 ただし、そこにスペインという選択肢はない。

 ハヤブサが友となってしばらく後、地元の老司祭がチェーザレの塔を訪れるようになった。罪の告白を聞くためではないようである(場合によってそれは死を前にした者になされる)。身体の調子はどうか、何か不足しているものはないか、読みたい本はないかなど、まるで御用聞きだった。チェーザレは当たり障りなく言葉を最小限にして答えている。老司祭がどのような役目を担っているか推し量っていたのだ。

 答えは限られていた。スペインの王がチェーザレ・ボルジアの様子を伺わせている。
 チェーザレにはその王、あるいは女王が誰なのかさえ知らないのだが。
 そしてそれは何のためか。
 答えがいくらでも考えられたが、どのようなものにせよ、チェーザレにはほんの少しだけ風向きが変わってきたように感じた。しかしこれまでスペインに抱いた期待は全て泡と消えているので期待することは厳に戒めなければならない。彼はハヤブサがやって来るのを眺めながら、また考え始めていた。

 ハヤブサはやって来て、チェーザレの腕に止まった。すでにこのふたつの生物には信頼関係が出来上がっているのである。

 そしてチェーザレは、現実を踏まえてもっとも適した再出発の地を定めるに至る。

 イベリア半島の北東部にあるナヴァーラ王国である。
 ナヴァーラ王ジャン・ダルブレはチェーザレの妻、シャルロット・ダルブレの兄である。
 重ねて、ダルブレは王の血筋にもつながるフランスの名家である。

 チェーザレの妻シャルロットはルイ12世によってフランスに留められたままで、もう7年近く会っていない。ともに過ごしたのは3ヶ月ほどしかない夫婦である。その間に妻は懐妊し、ルイーズという娘が生まれた。父は娘を見たことがない。
 それでもチェーザレはこのような身になる前は、妻に手紙を書き綴っていた。彼にとって妻という立場にある存在は彼女だけだったのである。
 そして、フランスとの縁をつなぐ、大切な存在でもあったのである。

 かつて、チェーザレがフランス王から与えられたヴァランスの領地はどうなったのか。スペインに来て以降、フランスとの糸は全て切れてしまったとチェーザレは感じていた。今となっては、ルイ12世との丁々発止の駆け引きも懐かしいばかりである。何よりも、初めて訪れたフランスの盛大な歓迎ぶりが彼の脳裏に焼きついている。その場にあっては淡々と受け流していた。あんな日々が再びやって来るだろうか……。一筋縄ではいかないいきさつがあったものの、チェーザレにとってフランスはいい印象しか残っていない。甘い砂糖菓子のような記憶であった。

 それは当然だろう。スペインでは囚人の扱いしかされていないのだから。

 チェーザレは、フランスとの糸をもう一度つなぎたいと考えるようになった。そして、そのためにナヴァーラ王国に亡命することを考えたのである。彼は何かの罪状で囚われているわけではないので、今でいえば政治囚ということになろう。したがって、逃亡や脱獄ではなく、亡命ということになる。

 ナヴァーラ王国についてもう少し補足を加えたい。ナヴァーラは現在のスペイン・フランス国境をまたぐバスク地方にあった。王国の歴史は古い。イスラム教勢力の侵攻によく耐えたのをはじめ、外部からの侵入を容易に許さず、独自の言語(バスク語)や文化を守り続けてきた。首都パンプローナのサン・フェルミン祭、いわゆる牛追い祭りは現代ではスペインを代表する祭りのひとつになっている。

 16世紀初頭の今、この山間(やまあい)の王国もスペイン王国とフランス、さらにその向こうの神聖ローマ帝国間の覇権争いに巻き込まれていた。ダルブレ王はフランス寄りの態度を取っていたが、スペインはこの狭間の王国をみすみすフランスに渡すわけにはいかないと考えていた。アラゴン王フェルナンドは近々ナヴァーラを制圧することを考えていた。

 反スペインの最も近い国、それはチェーザレにとっても好都合だった。そして、大切なことをひとつ付け加えておこう。彼はピサの学生時代、ナヴァーラの首都パンプローナの司祭だったのだ。当時のあだ名はそのまま「パンプローナ」だったという。ナヴァーラに親しみを覚えていたとしても不思議ではない。

 チェーザレのいるメディナ・デル・カンポからナヴァーラ王国の首都パンプローナまでは最短距離でも90レグア(450km)ある。堂々と街道を進むわけにはいかないので、実際にはそれよりずっと長い道を行かねばならない。馬でなければとても行ける距離ではない。一人で行くのか、勝手の分からないイベリアの大地を。道案内はどうしても必要になる。この囚われの身で、どのような算段をしたらよいのだ。

 チェーザレは思案を繰り返した。堂々巡りになる理由はひとつだ。
 この城をどう出るか。

 ハヤブサを友に無聊(ぶりょう)を慰めていたチェーザレ・ボルジアのもとに、また地元の老司祭がやってきた。ふと、チェーザレは尋ねた。
「パンプローナはどの方角だ? 」
 老司祭は一瞬、きょとんとしてから答えた。
「日が昇る方向より少し北になるでしょうか。街道を行けば、そうですな……馬なら4日、いや5日半ほどかかるでしょうか。馬も人も眠らなければなりませんから」
 それが冗談なのか分からず、チェーザレは黙り込んだ。

 しかし、その一言が大きな転機のきっかけとなる。逃亡を助けようと申し出た人間が現れるのだ。
 老司祭はチェーザレの貴重な一言を聞き漏らさなかった。パンプローナという言葉を聞いて、彼がスペインから出たがっていると解釈したのである。それは間違いではない。
 老司祭は次にチェーザレのもとを訪問した際、大仰に胸のロザリオを両手で握り締めて、そしてささやくようにこう言った。

「これこそ主のお導きです。あなたがこの城から出るのを助けたいという方が現れたのです」

 主のお導き。
 チェーザレはそのような台詞を人に言うことはあったが、人に言われるのは全く好まなかった。父教皇でさえも、私的な場で息子にそれを言うことはなかったと記憶している。それでは逆効果ではないかという向きもあるが、このいかにもお節介な風の田舎の老司祭にはぴったりの言い回しだった。そして、援助者からの手紙を手渡した。
 その援助者はベナヴェンテ伯という。

――公爵様の身を案じ一筆さしあげます。モタ城から出たいということであれば、ご助力いたします。日取りが決まればお知らせ願いたく。必要な従者や馬をご用意いたします。他にお言付けがございましたら司祭様にお知らせいただければ承ります――

 この種の囁きには何重もの罠を仕掛けてから応じていたのがチェーザレ・ボルジアであった。

 しかし、ベナヴェンテ伯の申し出にはすぐ応じる気になった。
 相手が何の見返りも求めずにただ城から出るのを助ける、と言っているのだ。
 この身を案じている者がスペインにもいる、チェーザレにとってその喜びは大きかった。誰からも忘れ去られてしまったかと思っていたからである。
 しかしそこはチェーザレである。じっくり考えてからお願いをしたい、とだけ司祭に言づてを預けた。

 1506年の秋になっていた。
 新たに、うれしい便りが届けられた。
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