16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第12章 スペードの女王と道化師

Proud Mary

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 1553年5月14日、カトリーヌの7度目の出産は無事に済んだ。生まれたのは女児でマルグリットと名付けられた。
 この頃王の一家はサン=ジェルマン=アン=レー城に暮らしており、生まれたのもそちらである。13世紀から建つ古城の隣に築かれた新しい城はセーヌ川岸に築かれており、フィルベール・ド・ロームの設計によるものだ。城は平地に建てるのが定石だが、斜面に居室や水辺のテラスを幾何学的に配置した豪奢な造りで、最新の建築技術が用いられたという。
 さて、新しい城で生を受けた女児は直後から目をぱっちりと見開いていた。30も半ばになろうかという母親は何か特別なものを感じる。それは、「この先の人生を生き抜いてやる」とでもいうような意志の強さを感じさせるものだった。これまで生んだ子は可愛らしいと思うばかりで、そのように感じさせることはなかった。
 カトリーヌは少し前に読んだ『1553年の暦と占い』の本のくだりを思い出している。この頃に生まれる子は人を統べる王になるという。男子なので王にはなれないが、何か特別なものを持っているのかもしれないと感じていた。そういえば、この本の著者を探すように命じていたけれど、どうなったのだろう。一度ぜひ会ってみたいとカトリーヌは思う。

 子どもたちは大喜びだ。どの時代であっても、きょうだいが生まれると先の子どもははしゃぎたい気持ちになるようだ。9歳になったフランソワ、8歳のエリザベート、6歳のクロードはこぞって可愛い妹の顔を覗きにやってくる。シャルルとアンリはまだ兄や姉とともに行動するには幼すぎるので別行動になる。こぞって、と表現したがいつでも好きなときに赤ちゃんに会いに来られるわけではないので、まとめて面会という方が正確かもしれない。
「お母さま、マリーも赤ちゃんを見たいというので、お許しをいただきたいの」とエリザベートが腰かけているカトリーヌにおずおずと言う。
「ええ、もちろんいいわよ」
 ぞろぞろと入ってくるきょうだいと侍女の後に一人の少女が入ってくる。
 波打つ明るい栗色の髪を下ろしてゆっくり入ってくる。そして丁寧にカトリーヌにあいさつを述べる。
「王妃さま、この度は無事にご出産を終えられ、姫ぎみもお元気とのこと、心よりお喜び申しあげます。私にもお目通りの機会をいただきましたこと、お礼申し上げます」
 フランソワ以下のきょうだいは、少女の大仰な挨拶にやや面食らっている。子どもたちも公の場では言葉に気をつけるよう教育されているが、普段はそうではない。
 カトリーヌも一瞬驚いたが、すぐに笑顔になる。
「ああ、完璧なあいさつね。それだけフランス語が使えれば立派だわ。よく学んでいますね、ありがとう」
 誉められた少女は優雅に微笑んでから子どもに釘を差した。
「あまり、申し上げたくないのですけれど、私の名前はメアリーでマリーではありません。確かに、フランス語でマリーと呼ぶ名であることは十分に承知しておりますわ。でも、私の場合は特別に考えていただかなければなりません。私はスコットランド女王なのです」
 指摘されたエリザベートは悪気があったわけではないので、メアリーのやや高圧的な態度にムッとしてぷうと口を尖らせた。フランソワとクロードはうつむいている。カトリーヌはなだめるようにメアリーに話しかける。
「メアリー、私もフィレンツェでカテリーナという名を授かりましたが今はカトリーヌになりました。名前を大事にする気持ちは理解しますし、あなたが女王であることには皆敬意を抱いています。ただ、高い位に付く者には他よりも寛容さが求められます。エリザベートはあなたをしばしばマリーと呼ぶようですが、それはあなたを軽く見ているからではありません。ともに暮らす姉のような親しみを感じているからだと思うのです。それは分かってくださいね。そしてここにいる赤ちゃん、マルグリットも妹と思って可愛がってあげてほしいわ、メアリー」
 メアリーはうつむいていたが、カトリーヌの言葉に顔を上げる。
「王妃さま、私が言い過ぎました。私もフランソワやエリザベート、クロード、シャルル、アンリ……マルグリットもきょうだいだと思っています。怒って悪しざまに言うようなことではありませんでした。ごめんね、エリザベート。もっと寛容な人になるように務めます」
 上手く理屈にはできないのだが、実に女王らしいまとめ方だとカトリーヌは感じた。

 まだ幼いスコットランド女王がフランスの王宮にいるいきさつを説明しなければならない。

 メアリーはスコットランド王ジェームズ5世の第3子である。兄二人は早くに亡くなっている。1542年12月14日、父もまた30歳で世を去った。彼女はわずか生後6日で王位を継承することになる。そのような場合、摂政が付いて女王の成人まで後見するのが通例である。摂政には第二代のアラン伯、ジェームズ・ハミルトンが就任した。

 ブリテン島はもともとイングランド・スコットランド・ウェールズの3つに分かれていたが、この頃ウェールズは実質的にイングランドが支配していた。イングランド国王ヘンリー8世は、ジェームス5世の死をスコットランド併合の好機ととらえ、王太子のエドワード6世とメアリーを婚約させる。しかしメアリーの母は婚約の履行を承諾しない。そうこうするうちにヘンリー8世が亡くなった(1547年)。
 王位を継いだのはエドワード6世である。
 今度は実力行使とばかり、エドワード6世の摂政エドワード・シーモアがジェームズ・ハミルトンに攻撃を仕掛けてきた。結果メアリーの摂政であるハミルトンが敗れてしまう。万事休す、メアリーの王位は風前の灯になった。メアリーはスコットランド王だけではない、イングランド国王だったヘンリー7世の曾孫で王位継承もかなう立場なのだ。それなのに、いつ命を奪われても仕方ないほどの状態に陥ってしまう。
 ここでメアリーの母が一計を案じた。彼女はフランスのギーズ公爵家の出だったので、実家を通じてアンリ2世にメアリーの保護を依頼したのだ。
 そのような事情があって1548年、メアリーはわずか6歳でドーバー海峡を渡ってフランスにやってきた。そして王宮の住人となったのだった。
 フランス王室にとっては大事な賓客であり、いずれなにがしかの政治の材料としても貴重な存在だと考えたのだろうが、わずか6歳である。早々に取って食えるはずもない。それに、国王のアンリ2世にせよ王妃のカトリーヌにせよ、幼少期に人質生活や軟禁生活を送ってきた身である。メアリーのことをまず「かわいそう」だと思う方が先に立つ。そして、この子は自身の子どもたちと分け隔てなく養育しようと考えたのである。
 幸い、このときの王宮には近い年頃の子どもが多かった。フランソワの2歳年長、エリザベートの3歳年長である。メアリーはエリザベートと同じ部屋で暮らすことになった。メアリーの母親はフランス人、片言のフランス語を話せたこともあって、王家の子女が学ぶ礼儀作法の教育も同じように受けられた。きょうだいも、これまでずっとともに過ごしてきたかのごとく、彼女を受け入れている。
 しかし、カトリーヌには少し気がかりなこともあった。
 彼女は確かにスコットランド女王であり、イングランド王の血筋でもある。近いとはいえ異国に移り住んでいるのだし、まだ年端もいかない子どもなので致し方ないが……彼女は我が強過ぎるように思える。一見するとおとなしく、さほど欲求や要望が多いわけでもない。子どもたちの中で喧嘩をすることもない。ただ、彼女の身分や名前を頑なに守ってしまうところがある。王にしろ、女王にしろ国を治めるというのは並たいていのことではない。王宮のすべてが学ぶべきものかと問われれば心許ない部分も多い。それでも、自身を王だ、女王だと言っていても務まるものではないのは確かである。成人して実際にいろいろな事件にぶつかって克服していって初めて、堂々とそう名乗れるのではないか。
 カトリーヌがもの思いに耽っていると、不意に赤ちゃんが泣き始めた。乳母がすぐに抱こうとするのをカトリーヌはいったん止める。
「どうも胸が張って痛いのよ。一度だけ吸わせてあげていいかしら」
 カトリーヌはドレスの片袖を外して胸を露わにする。乳母から赤ちゃんを受けとると、カトリーヌはマルグリットをその胸に導く。胸を少し絞ると液体が赤ちゃんの唇に触れる。それを合図に、赤ちゃんは胸を勢いよく吸い始めた。
「あらあら、よく吸うものね」とカトリーヌは感嘆の声を上げる。
 無心に吸い続けるマルグリットを見ていると、カトリーヌは心の底から温かい気分になる。

「このような幸せがいちばんだと思うのだけれど、あなたはどうかしら」
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