16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

文字の大きさ
473 / 480
第12章 スペードの女王と道化師

ノストラダムスの家

しおりを挟む

 サロン・ド・プロヴァンスのミシェル・ノストラダムスの家にはひっきりなしに人が訪れている。
 とはいえ、明るいサンドベージュの家の中に入る人はそれほど多くない。どこかからの使者ばかりがやってくる。そしてドアのところで手紙を渡すとすぐに去っていく。中には受け取りの使者というのもいて、しばらく待たされるような場合には、家の中に招かれる。

 ここのところ、ミシェルは本業の医師の仕事をする余裕がまったくない。彼が医者だということを地元サロン(ド・プロヴァンス)の人々も忘れているかもしれない。患者としてやって来る人もめっきり減った。彼はフランス全土および近隣諸国に名を轟かす著述家で、サロンの名士であった。畏れ多くてドアをノックできないのだろう。
 彼のアルマナック(星暦)が変わらず毎年刊行されるのに加えて、予言書が爆発的に売れていたのである。なぜかは明白だ。その中のひとつの詩篇が前々国王アンリ2世の最期と重なっていたからである。

〈若き獅子は老人に打ち勝たん
 いくさの庭にて 一騎討ちのはてに
 黄金の檻の中なる双眼をえぐり抜かん
 酷き死を死ぬため二の傷は一とならん〉

 どうだろうか。
 正確にはいくさの庭ではなく、いくさが終わった庭である。一騎討ちは三度あった。目の付近に致命傷を負ったのは事実だが、双眼をえぐり抜かれたわけではない。正確に合っていると思われるのは「酷き死」だったということである。ただ、それをいったら「酷き死」は至るところに存在するともいえる。ただ、人々が受ける印象はこの詩篇で決定づけられてしまったかもしれない。アンリ2世の妻、カトリーヌ・ド・メディシスにとっても同様である。
 カトリーヌは占星術師ノストラダムスに心酔していた。
 普通に考えれば、愛する夫の死を予言した(と想定しうる)人間に心酔することなどありえないかもしれない。そこには何か超自然的なもの、神であるとか、天体の運行が示す定めであるとか、あるいは特殊な能力を持つ人を頼りたい、すがりたい気持ちがとても強かったと考えられる。
 ここで例を出すなら、マクベスがわかりやすい。魔女の予言にそそのかされてとんでもないことをしでかしたマクベスとカトリーヌの行為が同じとはいわないが、基本的な「型」は通じている。

 ちなみに、マクベスを書いたシェイクスピアが生まれるのはこの4年後のこと。彼が長じてフランスの予言者の話を聞きつけて『マクベス』をテーマにすることを思いついたのかもしれない。

 さて、騒ぎの渦中にいる本人は王の交代がパタパタと続くなかどうしていたのだろうか。

「お父さま、また母后さまからお便りだそうよ。まるで恋文のようね」
 手紙の束を持って、ミシェルのいちばん年長の娘マドレーヌが父の部屋に現れる。父親は書物をくくって考えごとをしていたようだが、娘の登場に気がつくやいなやニッコリと相好をくずす。
「ああ、マドレーヌ、おはよう。きみは立派な秘書さんだね」
 9歳の娘は自慢げにすまして答える。
「だって、お母さまはもうすぐ赤ちゃんが生まれるし、少しは役に立たないといけないわ。まだセザールは秘書の役目をするのには小さすぎるし、もっと小さなきょうだいが2人もいるのですから」
「本当にお利口さんだ」とミシェルは娘の頭を撫でる。
 ミシェルは二度目で晩婚だが、20代で同じく彼と再婚したアンヌは次々と子どもを産んだ。1561年のこのときには6人目の子を妊娠している。もうじき臨月だ。フランスの王母カトリーヌは10人の子どもを産み7人が成人したが、それと負けず劣らずである。
 ミシェルがサロンから出ずにいるのは、通風やらで身体の調子がよくないのもあるが、まずは家族を大事にしていたからだといえる。この頃には疎遠になっていたサン・レミの実家とも交流を復活させていて、家を継いだ弟とも頻繁にやり取りをしている。彼のこのような暮らしぶりは、地球がいついつ破滅するだとか、王がいつ死ぬだとか、そのような超自然的な事項からはかけ離れている。
 ごくごく自然である。

「お父さまは母后さまや貴族の皆さまからとても頼りにされているけれど、本当に未来が見えていらっしゃるの?」と娘が素直な質問をする。
 ミシェルは……少し考えてから答える。
「未来が見えるのは神さまだけだと思うよ。父さんはね、まず夜空を見るのが好きだろう」
「うん、晴れた夜には帳面を持って梯子を登っていらっしゃるわ。だからね、私は雨の夜が好きなの。お父さまとたくさんお話ができるから」
 ミシェルは再度娘を撫でる。
「人はね、太古の昔から天体の運行を計算して収穫が十分得られるように勤めてきた。占星術はその子どものようなものだ。そして彼らの神に祈ってきたのだ。父さんのしていることは、先人の知恵を現在から未来に伝えて生かしてもらうことなのだよ」
 娘は不思議そうな顔をして尋ねる。
「その、先人の知恵で詩を書いているの?それで王さまの死を予言できたりするの?」
 ミシェルはさらに考え込む。子どもにどう答えるのが最善なのか。マドレーヌがどうしたら納得できるのか考えていたのだ。
「詩にしたのは……それも先人が多々生んできた素晴らしい遺産だからだ。ホメーロスもそうだし、聖書にも美しい詩篇がある。ただそれはギリシア語やラテン語、ヘブライ語でしか伝わってこなかった。
 そうだな、お父さんの大学時代の先輩にラブレーという人がいたが、あの人はギリシア語を習得していて、大昔の本をたくさん読んだ上でフランス語で書いてみることを選んだのだ。まあ、中身は子ども向きではないかもしれないが。お父さんはそれにとても感銘を受けたのだ。それで、フランス語で詩篇を書くことにしたのだよ。そこには天体の運行や歴史上の人物の故事も加えて書いている。『予言』というのは……歴史として繰り返されるだろうことを入れているので、結果として予言にあたるかもしれない程度のものだ。それらが必ず起こるという保証をしているわけではないよ。今は方々からそのような求めがあって、実のところ少々うんざりしているのだがね」
 本当はもうひとつ、ミシェルには創造の源があった。
 夢である。
 ミシェルはラブレーが亡くなった頃から頻繁に夢を見るようになっていた。色彩鮮やかで事象のはっきりしたものである。ミシェルは起きてすぐ書き留める癖をつけていたが、その帳面も10冊をゆうに超えていた。
 それについては、家族にも秘密にしていたのでこのときもあえて語りはしなかった。

 マドレーヌは黙って聞いていたが、ふっと、「でも、母后さまはお父さまをとても頼っていらっしゃるように思うわ。パリから遠いこのサロンまで頻繁にお手紙をくださるのですもの」とつぶやいた。
「そうだね、今は王家がとてもたいへんなときで、中心になっている母后さまは心配がとても多いのだ。大臣も仲間割れしているようだから、心から腹を割って話せるかたがいないのだろう。こんなプロヴァンスの片田舎の文筆家を頼るのは、そういうことだろうと思うよ」
 マドレーヌを母親が呼ぶ。
「ねえマドレーヌ、お父さまも一緒に早く食卓に付いてちょうだい。スープが冷めてしまうわ」

 父親は席から立って、娘の肩をやさしく叩いて促す。
「ほら、うちの女王陛下がお呼びだ。早く行こう」
 娘はうなずいて食卓に向かおうとするが、ふっと振り向いて父親を見る。
「ん?どうした」
 マドレーヌは小さい声で聞く。
「お父さまはどこかに行ってしまったりしない?またパリに呼ばれていったりするのかしら。そうしたら、もう、帰ってこられないかもしれないわ」
 ミシェルは笑って否定する。
「神さまに呼ばれるまで、父さんはおうちにいるよ。安心なさい」
 マドレーヌはほっとして、食卓に駆けていく。そして弟のセザールの椅子を引いてやる。
 その様子を見ながら、ミシェルは思う。

 この家族を守るために自分は書いている。
 農夫が畑を耕すように。
 王が国を統べるのもあるいはそうかもしれない。
 家庭というものは人が生きる基盤なのだ。
 それが安寧なものでないとしたら、それはとても不幸なことだ……。
 机に置かれたカトリーヌの手紙を見ながらミシェルは首をゆっくり横に振るのだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

処理中です...