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和仁一族の凄絶な最期 一揆の憂愁
城村城開城 親永と親泰の決断
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田中城が落ちた。和仁一族は滅びた。
その知らせは山鹿の城村城にもすぐさま伝わった。
「そろそろ潮時かもしれんばい」と隈部親永が悲痛な表情になる。
「父上は申されたとです。粘るだけ粘って譲歩を得る手もまだありましょう」と親泰がいう。
「いや、田中城では辺春が寝返って大将首ば取ってしもうたとよ。おまえがわしの首ば取っていけば、何とかなる」と親永がつぶやく。
親泰は眼を見開いたままうつむいた。
膝に乗せられ固く握りしめられた拳はぶるぶると震えている。
「そげんばかなこつ言わんでほしか! はなから父上を裏切るつもりやったら、隈府城(わいふじょう)でもう見捨てとるばい。わしは父上と同じ道を行くと決めたばい。籠城するち決めたばってん、最後まで付き合うとね」
親永は目を見張った。
これまであまり強い主張をせず、家臣の有働にも押されているように見えた息子だった。それが、これほど強く父親に訴えるとは。親永は自身が猛烈に小さく見えた。
この一揆を、いや反乱を起こしたのはわしなのだ。はじめは佐々に従うべきだと言う息子を叱り飛ばしていたのだ。間違っていたのはわしだったのか。息子は自身できちんと肥後の国衆が生き残る途を考えていたのではなかったのか。それを捻じ曲げてまで、父を助けたい一心で、ここまで付き合ってくれた。その真心を、弱気なのだと取り違えていた。
わしは間違っていた。
「式部太輔殿、開城したらよか」
親泰は父を見た。その目には涙が光っていた。
その脇で有働兼元も肩を震わせて泣いていた。
親泰は真心から感謝の言葉をかれに伝えた。
「有働大隈守、本当にようやってくれた。おぬしがおらんかったら、肥後全体がここまで一丸となって戦うこつもなかち思うけん。こん反乱はおぬしの知略なしでは戦えんかったとたい。結果このような仕儀となり申したが、心から感謝いたす。一番の功はおぬしに相違なかよ。これはわしからの褒美じゃ」
親永は自身愛用の刀を有働に手渡した。有働は涙にくれながらそれを受けた。
「感状を書く間がないけん、許してほしか」
「いいえ、お屋形さま……まことに有難きしあわせ」
有働は嗚咽を止めることができなかった。
あとは城村城を開城させるだけだった。
安国寺恵瓊はここでも田中城と同じ手法を使おうとしていた。
一揆の主謀者は隈部但馬守親永である。親子の情により嫡子親泰はともに籠城していたが、主謀者の首さえ取ればあとの者は所領を安堵し、さらなる加増を願い出ることとする。
「よろしいですな、陸奥守殿」
城村城を見渡す附城、平山城で佐々成政は安国寺恵瓊の言うことを黙って聞いていた。
このようなやり方は嫌いだ、と心の中で叫んでいた。
聞けば田中城のときも内通者に城主を殺害させて、城を焼き払ったというではないか。敵方ながら和仁の戦いぶりとその最期は武士の名に恥じぬ立派なものであった、と成政は感服すらしていた。それに比べて安国寺恵瓊のやり口は変わらない。調略という名のたばかりだ。しかも、和仁の勢の十倍も軍勢を出して結局そのような卑怯な手段しか使えなかったのか。何と情けないことだ。
ここに来てから大なり小なり受けてきた城攻めにしても、どこに潜んでいるか分からない待ち伏せにもたいそう難儀したが、このような卑怯な手口に比べれば、少ない人数で戦うための真っ当な戦法ではないか。
しかし安国寺恵瓊のやり方は間違いではない。
大軍勢で敵を威圧し、最小限の犠牲で済ませる。それは真っ向から戦うことを避ける器用なやり方だ。実際、今回の反乱にしても、恵瓊のやり方は賞賛されるばかりだろう。いたずらに混乱を長引かせたと責めを負うべきはこの佐々成政なのだ。
成政はこの数ヶ月間の、肥後の反乱が近く終息しようとしているのを感じた。一揆反乱の動きは、肥前や筑前にも波及していたが、肥後においてはすでに鎮まったといえる。城村城の隈部親子も、もうこれ以上籠城しても無駄なことをよく分かっているはずだ。
やっと終わる。
成政は安堵した。そして不思議なことに、肥後の国衆たちに対して、言葉では表すことができない親近感を感じていることに気が付いた。甥も討たれた、自身の手の者も多数討たれた、一国の領主として受け入れてはもらえなかった。恭順させることもできなかった。
全面的に拒絶された。
恨む気持ちがないわけではない。いや、恨みよりも叩きのめしてやるという怒りばかりがあった。しかし、終わる段になってみると何と空しいことか。国衆の犠牲も甚大である。いや、討伐の軍勢が出れば今の程度では済まないだろう。
かれらはなぜ抵抗したのか。
叛旗を翻したのか。
島津を討伐するために現れた大軍勢を見ているのだから、まともに戦えば身の破滅であることはよく分かっていたはずだ。実際、島津は大軍勢を見て講和の道を選んだ。それはあとあとまで考えれば賢いやり方ではないか。それにも関わらず、かれらはなぜ戦いを挑んだのか。わしの話の仕方が悪かったのか。かれらはそうだと言っているが、わしのやり方がひどいかどうかは他国の例を見れば一目瞭然ではないか。誰が国主に任命されても、同じことなのだ。それにも関わらず、暴政を為した佐々成政を旗印にしてまでも、なぜかれらは反乱を起こしたのか。
わしには、自身らの立場がないがしろにされ、住む土地を取り上げられるという本能的な危機感から止むに止まれずした抵抗だったとしか思えない。
かれらはよく戦った。
そこらに仕掛けられた待ち伏せをはじめ、奇襲戦が多かったが、その中には勇猛な将も多くいたのだ。あの将らが皆佐々の手に加わってくれたならば、さぞかし心強かったろうに。
しかし、もう終わりだ。
和仁一族が滅ぼされた田中城の戦いから九日後、城村城は安国寺恵瓊のすすめに従う形で開城した。
しかし、恵瓊が当初目論んだ通りではなかった。親泰は親永を討つことはしなかった。全面的に降伏したのである。有働兼元らに守られながら城から出てきた隈部親永、親泰親子に恵瓊はにこやかに近づいた。
「よう決心してくれました。隈部殿がここまで激しく抵抗されたのは、佐々陸奥守成政が暴政の故であること、関白殿下はよくよく承知しておりますぞ。誅されるべきは陸奥守、この恵瓊が間に立たせていただくからには、朱印状の通りの知行を認めていただけるよう力を尽くしますぞ」
いつのまにか、諸悪の根源は佐々陸奥守成政になっていた。
隈部親永に安国寺恵瓊のけたたましい話し声は届いていなかった。
田中城が落ちた直後からひどい熱を出していたのである。親永に付き添っていたのは隈部善良という僧形の近習であった。かれは親永の肩を支えながら進んでいたが、同じ僧形の恵瓊を澄んだ目で凝視していた。その目は相手の心をそのまま映すかのように静かで濁りなく、またその表情のうちに怒りや悲しみ、憎しみ、あるいは喜びの感情はまったく認められなかった。恵瓊はその視線に射すくめられるように一瞬身を縮めると、ふっと目を逸らした。
隈部親泰も恵瓊の言葉をまともには聞いていなかった。投降の呼びかけにすぐに応じたのは、何よりも父親の具合がたいへん悪くなったからである。籠城が潮時だろうと父子で結論を出していたが、熱にうなされる父を見て完全に踏ん切りがついたのである。
みな所領云々については全く期待していなかった。
それより、佐々成政が誅するべき人間になってしまっていることに親泰は驚いた。恵瓊も成政も同じように関白に仕える身であるのに、この態度の冷酷さは何だろうか。
「巧言令色(こうげんれいしょく)少なし仁、か」
親泰は小さな声でつぶやいた。
城村城には佐々成政勢のほか、筑後久留米の小早川秀包勢、筑後柳河の立花統虎勢、肥前の鍋島直茂勢がぐるりと取り囲んでいた。またこのときには中国の毛利輝元、吉川経言に軍勢を要請し九州に上陸させていた。そればかりか秀吉の血縁である豊臣秀長、秀次や宇喜多秀家にも十万の兵を用意させていた。
それだけの軍勢に囲まれ総攻撃を受けることを考えれば、籠城をこの時点で止めたのは適切な判断だった。
投降した隈部親子と重臣そして近習が次々と城から出てくるのを、大軍勢は静かに見守っていた。
隈部親泰、有働兼元らは小早川秀包に率いられて、預かりとなる豊前小倉城に発っていく。
親泰は善良に父のことをよくよく頼んだものの、心配そうに何度も振り返りつつ去っていった。これが親子の今生の別れになる。
隈部親永、隈部親房(犬房丸)、隈部善良らが一カ所で待っていると、体躯の立派な猪首の若き武将がすっくと現れた。これまた体躯の立派な一頭の馬を引いている。
「おかげんはいかがか。この馬ならば二人乗っていくことができる。道中不便をかけることと思いますが、どうぞお使いくだされ。お手伝いいたします」と肩を差し出した。
水野六左衛門はその様子を少し離れた場所で見ていた。
「そうか、隈部の大将は立花左近殿のところに行くのか。しかし、敗軍の将に対してなんと立派な態度だでや。わし涙もろくていかんがやいかんがや」
拭く布もないのに涙と鼻水を流している水野六左衛門であった。
その知らせは山鹿の城村城にもすぐさま伝わった。
「そろそろ潮時かもしれんばい」と隈部親永が悲痛な表情になる。
「父上は申されたとです。粘るだけ粘って譲歩を得る手もまだありましょう」と親泰がいう。
「いや、田中城では辺春が寝返って大将首ば取ってしもうたとよ。おまえがわしの首ば取っていけば、何とかなる」と親永がつぶやく。
親泰は眼を見開いたままうつむいた。
膝に乗せられ固く握りしめられた拳はぶるぶると震えている。
「そげんばかなこつ言わんでほしか! はなから父上を裏切るつもりやったら、隈府城(わいふじょう)でもう見捨てとるばい。わしは父上と同じ道を行くと決めたばい。籠城するち決めたばってん、最後まで付き合うとね」
親永は目を見張った。
これまであまり強い主張をせず、家臣の有働にも押されているように見えた息子だった。それが、これほど強く父親に訴えるとは。親永は自身が猛烈に小さく見えた。
この一揆を、いや反乱を起こしたのはわしなのだ。はじめは佐々に従うべきだと言う息子を叱り飛ばしていたのだ。間違っていたのはわしだったのか。息子は自身できちんと肥後の国衆が生き残る途を考えていたのではなかったのか。それを捻じ曲げてまで、父を助けたい一心で、ここまで付き合ってくれた。その真心を、弱気なのだと取り違えていた。
わしは間違っていた。
「式部太輔殿、開城したらよか」
親泰は父を見た。その目には涙が光っていた。
その脇で有働兼元も肩を震わせて泣いていた。
親泰は真心から感謝の言葉をかれに伝えた。
「有働大隈守、本当にようやってくれた。おぬしがおらんかったら、肥後全体がここまで一丸となって戦うこつもなかち思うけん。こん反乱はおぬしの知略なしでは戦えんかったとたい。結果このような仕儀となり申したが、心から感謝いたす。一番の功はおぬしに相違なかよ。これはわしからの褒美じゃ」
親永は自身愛用の刀を有働に手渡した。有働は涙にくれながらそれを受けた。
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「いいえ、お屋形さま……まことに有難きしあわせ」
有働は嗚咽を止めることができなかった。
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安国寺恵瓊はここでも田中城と同じ手法を使おうとしていた。
一揆の主謀者は隈部但馬守親永である。親子の情により嫡子親泰はともに籠城していたが、主謀者の首さえ取ればあとの者は所領を安堵し、さらなる加増を願い出ることとする。
「よろしいですな、陸奥守殿」
城村城を見渡す附城、平山城で佐々成政は安国寺恵瓊の言うことを黙って聞いていた。
このようなやり方は嫌いだ、と心の中で叫んでいた。
聞けば田中城のときも内通者に城主を殺害させて、城を焼き払ったというではないか。敵方ながら和仁の戦いぶりとその最期は武士の名に恥じぬ立派なものであった、と成政は感服すらしていた。それに比べて安国寺恵瓊のやり口は変わらない。調略という名のたばかりだ。しかも、和仁の勢の十倍も軍勢を出して結局そのような卑怯な手段しか使えなかったのか。何と情けないことだ。
ここに来てから大なり小なり受けてきた城攻めにしても、どこに潜んでいるか分からない待ち伏せにもたいそう難儀したが、このような卑怯な手口に比べれば、少ない人数で戦うための真っ当な戦法ではないか。
しかし安国寺恵瓊のやり方は間違いではない。
大軍勢で敵を威圧し、最小限の犠牲で済ませる。それは真っ向から戦うことを避ける器用なやり方だ。実際、今回の反乱にしても、恵瓊のやり方は賞賛されるばかりだろう。いたずらに混乱を長引かせたと責めを負うべきはこの佐々成政なのだ。
成政はこの数ヶ月間の、肥後の反乱が近く終息しようとしているのを感じた。一揆反乱の動きは、肥前や筑前にも波及していたが、肥後においてはすでに鎮まったといえる。城村城の隈部親子も、もうこれ以上籠城しても無駄なことをよく分かっているはずだ。
やっと終わる。
成政は安堵した。そして不思議なことに、肥後の国衆たちに対して、言葉では表すことができない親近感を感じていることに気が付いた。甥も討たれた、自身の手の者も多数討たれた、一国の領主として受け入れてはもらえなかった。恭順させることもできなかった。
全面的に拒絶された。
恨む気持ちがないわけではない。いや、恨みよりも叩きのめしてやるという怒りばかりがあった。しかし、終わる段になってみると何と空しいことか。国衆の犠牲も甚大である。いや、討伐の軍勢が出れば今の程度では済まないだろう。
かれらはなぜ抵抗したのか。
叛旗を翻したのか。
島津を討伐するために現れた大軍勢を見ているのだから、まともに戦えば身の破滅であることはよく分かっていたはずだ。実際、島津は大軍勢を見て講和の道を選んだ。それはあとあとまで考えれば賢いやり方ではないか。それにも関わらず、かれらはなぜ戦いを挑んだのか。わしの話の仕方が悪かったのか。かれらはそうだと言っているが、わしのやり方がひどいかどうかは他国の例を見れば一目瞭然ではないか。誰が国主に任命されても、同じことなのだ。それにも関わらず、暴政を為した佐々成政を旗印にしてまでも、なぜかれらは反乱を起こしたのか。
わしには、自身らの立場がないがしろにされ、住む土地を取り上げられるという本能的な危機感から止むに止まれずした抵抗だったとしか思えない。
かれらはよく戦った。
そこらに仕掛けられた待ち伏せをはじめ、奇襲戦が多かったが、その中には勇猛な将も多くいたのだ。あの将らが皆佐々の手に加わってくれたならば、さぞかし心強かったろうに。
しかし、もう終わりだ。
和仁一族が滅ぼされた田中城の戦いから九日後、城村城は安国寺恵瓊のすすめに従う形で開城した。
しかし、恵瓊が当初目論んだ通りではなかった。親泰は親永を討つことはしなかった。全面的に降伏したのである。有働兼元らに守られながら城から出てきた隈部親永、親泰親子に恵瓊はにこやかに近づいた。
「よう決心してくれました。隈部殿がここまで激しく抵抗されたのは、佐々陸奥守成政が暴政の故であること、関白殿下はよくよく承知しておりますぞ。誅されるべきは陸奥守、この恵瓊が間に立たせていただくからには、朱印状の通りの知行を認めていただけるよう力を尽くしますぞ」
いつのまにか、諸悪の根源は佐々陸奥守成政になっていた。
隈部親永に安国寺恵瓊のけたたましい話し声は届いていなかった。
田中城が落ちた直後からひどい熱を出していたのである。親永に付き添っていたのは隈部善良という僧形の近習であった。かれは親永の肩を支えながら進んでいたが、同じ僧形の恵瓊を澄んだ目で凝視していた。その目は相手の心をそのまま映すかのように静かで濁りなく、またその表情のうちに怒りや悲しみ、憎しみ、あるいは喜びの感情はまったく認められなかった。恵瓊はその視線に射すくめられるように一瞬身を縮めると、ふっと目を逸らした。
隈部親泰も恵瓊の言葉をまともには聞いていなかった。投降の呼びかけにすぐに応じたのは、何よりも父親の具合がたいへん悪くなったからである。籠城が潮時だろうと父子で結論を出していたが、熱にうなされる父を見て完全に踏ん切りがついたのである。
みな所領云々については全く期待していなかった。
それより、佐々成政が誅するべき人間になってしまっていることに親泰は驚いた。恵瓊も成政も同じように関白に仕える身であるのに、この態度の冷酷さは何だろうか。
「巧言令色(こうげんれいしょく)少なし仁、か」
親泰は小さな声でつぶやいた。
城村城には佐々成政勢のほか、筑後久留米の小早川秀包勢、筑後柳河の立花統虎勢、肥前の鍋島直茂勢がぐるりと取り囲んでいた。またこのときには中国の毛利輝元、吉川経言に軍勢を要請し九州に上陸させていた。そればかりか秀吉の血縁である豊臣秀長、秀次や宇喜多秀家にも十万の兵を用意させていた。
それだけの軍勢に囲まれ総攻撃を受けることを考えれば、籠城をこの時点で止めたのは適切な判断だった。
投降した隈部親子と重臣そして近習が次々と城から出てくるのを、大軍勢は静かに見守っていた。
隈部親泰、有働兼元らは小早川秀包に率いられて、預かりとなる豊前小倉城に発っていく。
親泰は善良に父のことをよくよく頼んだものの、心配そうに何度も振り返りつつ去っていった。これが親子の今生の別れになる。
隈部親永、隈部親房(犬房丸)、隈部善良らが一カ所で待っていると、体躯の立派な猪首の若き武将がすっくと現れた。これまた体躯の立派な一頭の馬を引いている。
「おかげんはいかがか。この馬ならば二人乗っていくことができる。道中不便をかけることと思いますが、どうぞお使いくだされ。お手伝いいたします」と肩を差し出した。
水野六左衛門はその様子を少し離れた場所で見ていた。
「そうか、隈部の大将は立花左近殿のところに行くのか。しかし、敗軍の将に対してなんと立派な態度だでや。わし涙もろくていかんがやいかんがや」
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