パスカルからの最後の宿題

尾方佐羽

文字の大きさ
12 / 20
5ソルの乗合馬車

車体も道も改善できるだろう

しおりを挟む
 ブレーズの発案はすぐに実行に移されたが、それは長い道のりの最初の一歩に過ぎなかった。

 まず、手続き上のさまざまな事柄を検討しなければならなかった。それがいちばん面倒なことかもしれない。パリの公共の場を使う事業になるのだから国王の勅許を取らなければならない。その申請の際、貴族身分の者が代表として事業を担う形にする必要がある。もちろん、ロアネーズ公爵アルテュスが筆頭ということになる。ブレーズは準騎士(エキュイエ)だが平民とさほど変わらない。代表という立場にすることはできなかった。発案もロアネーズ公爵との共同ということにしなければならない。ブレーズはその点について強いこだわりはない。逆にあまり表に出るべきではないという考えだった。

 アルテュスはまず、以前別の事業をともに興し、ブレーズのことを知っているクレナン侯爵に話を持ちかけた。もちろん、収益の話を前面に出して説明した。確かな収入を得られるというのはたいへん魅力的な話なのである。クレナン侯爵は事業計画も聞いたうえで快諾した。それから、もう一人、乗合馬車事業を潤滑に進めるのに必要な役割を担っている貴族にも依頼することとした。白羽の矢を立てたのが宮廷警備裁判所長官であるスルシュ侯爵である。アルテュスは彼に年間六千リーブルの収益金を優先的に支払うことを約束し、共同経営者として参画する旨の承諾を取った。また、貴族ではないが富裕なポンポンヌ氏からも同様の承諾を得た。これらの共同経営者が出資をして開業に必要な資金とする。ここからアルテュスが筆頭に出る。彼は公爵、一番身分の高い貴族である。他の貴族に親しく話ができること、何より国王に直接面会することができるというのメリットははかり知れないほど大きかった。
 下記にその際共同出資・経営者どうしで交わした書面を一部挙げてみよう。

<設権証書の一部、抜粋>
一六六一年十一月六日
 下記署名のロアネーズ公爵およびクレナン侯爵両名は以下のことを確認する。両三年以来、前記ロアネーズ公爵殿およびパスカル殿の着想により、駅馬車にならい、パリ市中心および周辺街区に、各人まことに低廉な座席料を支払うのみの、地区から地区へ絶えず運行しているような高級四輪馬車事業を設立することが創案されたこと、この創案をより有用なものとするために、彼らは多様な手段を考察し、この目的のために、ともに数多の方式を検討し、最後に最も完璧と判断されるものに到達したこと、前記ロアネーズ公爵殿は、この構想を宮廷警備裁判所長官スルシュ侯爵殿および前記クレナン侯爵殿に示し、御両所の参画を勧請、承諾を得たので、われわれ前記両名は、われわれと前記パスカル氏とのあいだに、以下のことを同意し協約したことを確認し協約したことを確認し、宣言する。
(以下本文略)
アルチュス・グフィエ・ロアネーズ公爵
ピエール・ド・ペリアン
パスカル

 このような証書を書き起こすのに、ブレーズはペリエ夫人の息子エティエンヌを引き入れた。ちょうどこの頃、エティエンヌはブレーズの家に寄宿していた。いわば行きがかり上ではあるが、証書作りは叔父と甥の共同作業ですることになった。下書きは公証人が確認し、清書される。この種の書類をえんえんと作成し続けるのである。これはなかなか骨の折れる作業だった。

 アルテュスが打ち合わせを兼ねて、ブレーズの居宅を訪ねるとふたりが静かに紙に向かっている。
「あまり根を詰めないでくれよ。エティエンヌ、眠くならないかい?」
「いいえ、もうすぐ今日は終わりますから」とブレーズの甥っ子は答える。
「この手の書類は僕もしょっちゅうしたためるけれど、もうサインをするだけで欠伸が出てしまうんだ」とアルテュスが笑う。
「まぁね、エティエンヌも退屈かもしれないな。ただ、こういうことに慣れておけば将来公証人役場に勤めるときに苦労がないだろう」とブレーズが笑いながら言う。エティエンヌはその横でさらさらと一通証書を仕上げる。
「終わりましたよ、叔父さん。今日はこれでお開きですね」とエティエンヌがペン先を拭いている。
「エティエンヌ、おつかれさま」とアルテュスが微笑む。エティエンヌは会釈を返すと、叔父の顔をまじまじと見て尋ねる。
「ところで叔父さん、なぜ今までにない乗合馬車を作ることにしたの?」

 ブレーズは面白そうな顔をして、甥と公爵の前で役者のように喋りだす。
「乗合馬車に使う予定のカロッス(八人乗りの馬車)の車輪は前輪が小さくて、後輪が大きいだろう?」
「はい」と甥は答える。
「あれはどうしてか分かるかい? 大きな車輪の円周は小さい車輪のそれより長い。それならば同じ距離を進むのに車輪が大きいほうが回転は少なくて済む。一回転あたりの進む距離は長くなる。それは分かるだろう」
 アルテュスもブレーズの話に聞き入る。
「それならば、どうして前の車輪は小さいのだろうか」
 エティエンヌはすぐに、「それは、方向を変えやすくするためですよ」と答える。ブレーズはうなずく。
「そう、だから大きいのと小さいのを併用するんだ。でも馬車によっては前も後ろも同じ大きさの車輪を使っている。比較的真っ直ぐな長い道を進むか、曲がり角の多い街を走るかという目的によって使い分けるということだよ。ただ、今ある形が最善かというと、僕には少し疑問が残る。
 これから僕たちが始める乗合馬車事業はいい実験になると思うんだ。僕たちが使うカロッスは乗合馬車に使うにはやや小ぶりだが、人がごった返している街中を走るのだからいたしかたない。それは現実的な話だ。ただ、実際に使っていく中で改良していくことができるだろう。車輪の大きさも太さもそうだし、車軸や車体もそうだ。あるいは車体の揺れを軽減する装置を着けたりすることも。馬の改良は難しいけれど。
 これだけ大掛かりな事業をした例は他にないから、その道具である馬車にもいろいろな不具合が出るだろう。そして改良ができると思う。そしてその実験の結果、改良したものを誰もが享受することができる。素敵だと思わないかい? それは馬車だけの話ではないよ。曲がり角で馬車どうしがぶつからないようにするとか、走る道の改良もできる」

 エティエンヌは、「ああ、それはいろいろなことができますね! 考えると楽しいな」と目を輝かせて言う。アルテュスもなるほど、という顔をする。

 他のものでもそうだが、たくさん使い込むことが前提ならば、それにできるだけ長く耐えうる方がよい。さらに品質であるとか、使用者がより快適に使えるならばなおいい。
 個人所有の馬車で一日中、一年中ずっと走り続けるものは少ないが、乗合馬車ならばかなり使い込むことになる。馬車というものの性能を向上させるのにも乗合馬車はいい実験になるだろう。

 ブレーズはそのようなことを言っていた。

 アルテュスは親友がずっと前に、自動計算機を自作していたことを思い出した。試作機を作ったのちに何台か製造して、そのうちの一台をスウェーデン女王に献上したのだった。
 そんな彼からすれば、馬車の改良というのは心躍るテーマだったのかもしれない。パリの街で継続的に展開するのだから、本当に壮大な実験だ。

 アルテュスはまた考える。そうすることで、新たな視点が記憶の中からほんの少しずつ見いだせるようだ。ブレーズ自身が語った言葉を、まだ何か思い出せるだろうか。

 これまで来た道をたどるように。

 そうやって思い返すことで、親友の姿が、声が、形跡が鮮やかに蘇りもするのだ。
 アルテュスにとっては、懐かしさと悲しさ、そして発見が混じるような作業だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

処理中です...