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5ソルの乗合馬車
走行距離や時間がわかればなおいい
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パリ市内を走る乗合馬車事業は一六六二年一月に、国王ルイ十四世の勅許を受けることになった。長くなるが、国王ルイ14世が発給した勅許状を下記に紹介しよう。
《(フランス国王ルイ14世による)公開状》(抜粋)
<1662年1月19日木曜日
パリ市中における乗合馬車事業開設 ロアネーズ公爵殿、スルシュ侯爵殿、およびクレナン侯爵殿のために
聖寵によりフランスおよびナヴァールの王たるルイは現在未来の民すべてに挨拶を送る。わがきわめて親愛なる従兄弟フランス重臣(ペール・ド・フランス)ポワトゥー州総督兼わが総代理官ロアネーズ公爵、わがきわめて親愛なるわが直属の騎士わが宮廷大審理官スルシュ侯爵、フランス王室司酒長騎士クレナン侯爵がきわめて恭謙に認可を願い出ている事業は、パリ市内および周辺街区において、訴訟関係者、病弱者その他のごとき多数の富裕ならざる者の安楽を図るもので、一日に一ピストルないし二エキュの費用を要するがゆえに輿や馬車で行くことができないこれらの者も、パリの地区から地区へ常に同一経路を通る馬車の事業により、まことに低廉な料金で高級四輪馬車で輸送されることになる、すなわち最大経路でも五パリ=ソルで、その他はそれ以下で、市周辺街区へは距離に応じて、そして、その時刻に其処にいる者がいかに少数でも、誰も現れないときには空でも、常に所定の時刻に出発し、しかもこの利便を利用する者たちは自分の席料以上を支払う必要はない。(中略)前記わが従兄弟ロアネーズ公爵およびスルシュ、クレナン両侯爵に対し、パリ市内およびその周辺街区、ないしはわが統治下の他の都市において、常に所定の時刻に出発し地区から地区へ運行し、当該時刻にその場所に居る者は前述のごとき低廉な席料を支払うのみの高級四輪馬車(カロッス)を適当と判断される台数だけ、最適と判断される台数だけ、最適と思う場所に設置する機能を、わが署名入りの本公開状により授与する。(以下本文略)
パリにて、紀元一六六二年わが治世第十九年一月発給。署名 ルイ>
勅許が出る前後から、ブレーズとアルテュスは馬車の試運転をはじめていた。すでに、乗合馬車に使用する馬、馬車、御者も含めて専門の業者と委託契約も交わし、手付金も払っている。二人は路線に定めた通りに問題がないか確かめる。
通りの一部が悪路であるなど、何か問題が出るようなら逐一書き込み、業者と打ち合わせをし、必要ならば計画を変更する。当面、開通する予定の五路線について試運転を繰り返し、おおむね順調に運行できると判断すると今度は所要時間を計る。何しろ乗合馬車は定時に停車場にいなければいけないのだから、それがもっとも重要なことだった。ブレーズは時間を紙に書き込みながら、客の乗降にかかると見込まれる時間を書き添えている。
「だいたい計画通りになっているんだけど、もう少し時間と距離を正確に測れるといいな」
ブレーズのつぶやきをロアネーズ公爵は苦笑しながら聞く。
この頃ゼンマイ式の携帯用時計はすでにあったが、必ず正確に一定の時を刻むまでには至っていなかった。したがって、この仕事の場合は、教会の鐘と砂時計を併用するようにしている。砂時計は単純な作りだが、正確に一定の時間を測ることができた。
「ああ、時間は教会の鐘の音を基準にするほかない。乗る人も鐘の音で乗り場にやってくるだろう。距離は測量の値を参考にしているが、僕たちで正確に測るのは難しいかもしれない。
ああ、教会の鐘が一分おきに鳴ればいいのだが」
「そうしたら、うるさくて仕方ないだろうね。距離を正確に測る機械を実作する必要があるのだけれど、まだ少し時間がかかりそうなんだ」とブレーズはつぶやく。
「そこまで考えているのか!」とアルテュスは驚く。
地面の長さ(距離)を計測する技術は紀元前の昔から存在している。二地点における太陽の位置で距離を計算したエラストテネスをご存じのかたも多いだろう。十七世紀には三角測量の技術が確立し、フランスでは地図の作成に着手していた。技術では世界で最も進んでいる部類に入るだろう。しかし、ブレーズが求めているのは、馬車の走行距離とそれに要する時間を知る手段だった。今日では自動車などで普通に見られる機能である。
「ああ、きみなら分かると思うけれど、馬車の車輪が何回転したかで距離はほぼ正確に測れるだろう。もちろん逆に回転しないことが前提だけれど。たとえば、車輪の一ヶ所、外周の1点に目盛りなり小さい突起を着けて音が鳴るようにする。車輪が360度回ると音が出る仕組みだ。その音の数で、車輪の回転数がわかる。車輪の周の長さをあらかじめ測っておけば、それに回転数を乗じたものが走った距離ということになる。何の条件も加えずに単純に考えれば、そういうことだ」
ブレーズが説明しているその間、アルテュスはそのような距離計のアイデアをかつて聞いたことがあったと思い出していた。ルーレットの懸賞問題(サイクロイド)が広く公開されたときのことだった。
ふとアルテュスがブレーズを見ると、その顔は異様に青白かった。
口調は元気なのだが、また調子がよくないのだろうか。アルテュスは少し不安を覚えた。
その不安はじきに現実となる。彼の時間はもう残り少なくなっていたのだ。
《(フランス国王ルイ14世による)公開状》(抜粋)
<1662年1月19日木曜日
パリ市中における乗合馬車事業開設 ロアネーズ公爵殿、スルシュ侯爵殿、およびクレナン侯爵殿のために
聖寵によりフランスおよびナヴァールの王たるルイは現在未来の民すべてに挨拶を送る。わがきわめて親愛なる従兄弟フランス重臣(ペール・ド・フランス)ポワトゥー州総督兼わが総代理官ロアネーズ公爵、わがきわめて親愛なるわが直属の騎士わが宮廷大審理官スルシュ侯爵、フランス王室司酒長騎士クレナン侯爵がきわめて恭謙に認可を願い出ている事業は、パリ市内および周辺街区において、訴訟関係者、病弱者その他のごとき多数の富裕ならざる者の安楽を図るもので、一日に一ピストルないし二エキュの費用を要するがゆえに輿や馬車で行くことができないこれらの者も、パリの地区から地区へ常に同一経路を通る馬車の事業により、まことに低廉な料金で高級四輪馬車で輸送されることになる、すなわち最大経路でも五パリ=ソルで、その他はそれ以下で、市周辺街区へは距離に応じて、そして、その時刻に其処にいる者がいかに少数でも、誰も現れないときには空でも、常に所定の時刻に出発し、しかもこの利便を利用する者たちは自分の席料以上を支払う必要はない。(中略)前記わが従兄弟ロアネーズ公爵およびスルシュ、クレナン両侯爵に対し、パリ市内およびその周辺街区、ないしはわが統治下の他の都市において、常に所定の時刻に出発し地区から地区へ運行し、当該時刻にその場所に居る者は前述のごとき低廉な席料を支払うのみの高級四輪馬車(カロッス)を適当と判断される台数だけ、最適と判断される台数だけ、最適と思う場所に設置する機能を、わが署名入りの本公開状により授与する。(以下本文略)
パリにて、紀元一六六二年わが治世第十九年一月発給。署名 ルイ>
勅許が出る前後から、ブレーズとアルテュスは馬車の試運転をはじめていた。すでに、乗合馬車に使用する馬、馬車、御者も含めて専門の業者と委託契約も交わし、手付金も払っている。二人は路線に定めた通りに問題がないか確かめる。
通りの一部が悪路であるなど、何か問題が出るようなら逐一書き込み、業者と打ち合わせをし、必要ならば計画を変更する。当面、開通する予定の五路線について試運転を繰り返し、おおむね順調に運行できると判断すると今度は所要時間を計る。何しろ乗合馬車は定時に停車場にいなければいけないのだから、それがもっとも重要なことだった。ブレーズは時間を紙に書き込みながら、客の乗降にかかると見込まれる時間を書き添えている。
「だいたい計画通りになっているんだけど、もう少し時間と距離を正確に測れるといいな」
ブレーズのつぶやきをロアネーズ公爵は苦笑しながら聞く。
この頃ゼンマイ式の携帯用時計はすでにあったが、必ず正確に一定の時を刻むまでには至っていなかった。したがって、この仕事の場合は、教会の鐘と砂時計を併用するようにしている。砂時計は単純な作りだが、正確に一定の時間を測ることができた。
「ああ、時間は教会の鐘の音を基準にするほかない。乗る人も鐘の音で乗り場にやってくるだろう。距離は測量の値を参考にしているが、僕たちで正確に測るのは難しいかもしれない。
ああ、教会の鐘が一分おきに鳴ればいいのだが」
「そうしたら、うるさくて仕方ないだろうね。距離を正確に測る機械を実作する必要があるのだけれど、まだ少し時間がかかりそうなんだ」とブレーズはつぶやく。
「そこまで考えているのか!」とアルテュスは驚く。
地面の長さ(距離)を計測する技術は紀元前の昔から存在している。二地点における太陽の位置で距離を計算したエラストテネスをご存じのかたも多いだろう。十七世紀には三角測量の技術が確立し、フランスでは地図の作成に着手していた。技術では世界で最も進んでいる部類に入るだろう。しかし、ブレーズが求めているのは、馬車の走行距離とそれに要する時間を知る手段だった。今日では自動車などで普通に見られる機能である。
「ああ、きみなら分かると思うけれど、馬車の車輪が何回転したかで距離はほぼ正確に測れるだろう。もちろん逆に回転しないことが前提だけれど。たとえば、車輪の一ヶ所、外周の1点に目盛りなり小さい突起を着けて音が鳴るようにする。車輪が360度回ると音が出る仕組みだ。その音の数で、車輪の回転数がわかる。車輪の周の長さをあらかじめ測っておけば、それに回転数を乗じたものが走った距離ということになる。何の条件も加えずに単純に考えれば、そういうことだ」
ブレーズが説明しているその間、アルテュスはそのような距離計のアイデアをかつて聞いたことがあったと思い出していた。ルーレットの懸賞問題(サイクロイド)が広く公開されたときのことだった。
ふとアルテュスがブレーズを見ると、その顔は異様に青白かった。
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