NINE inch stories

尾方佐羽

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カメラカメラカメラ〈2〉

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 翌日、ひかりが出社してドアを開けようとすると、ワイヤの入った不透明なガラスの向こうに中年の女性の顔がうっすらと透けて見えた。
 ひかりはドアをノックする。
 するとドアが思い切り開く。
 向こう側には経理の萩元葉子が立っていた。手には化学ぞうきんが握られている。
「おはよう、ひかりさん。きのうは午後も天気がよくてよかったわね」と萩元がにこやかに言う。
「はい、ありがとうございました。お掃除、替わりましょうか」とひかりが尋ねる。
「いいのよ~、これは気分転換だから」と萩元はまた掃除にいそしむ。その動きはテキパキとしており、まったく無駄がない。冗談まじりで、「もう還暦よぉ~」と言っているが小柄でスリムで肌艶もよく、とてもそこまでの年齢には見えない。


 月締や四半期決算の追い込み時に煮詰まると、萩元は突然掃除を始める習慣がある。それはひかりも承知している。でも、掃除をするからきれいな状態が保たれるので、大いに会社に貢献しているのである。このときばかりは、社長も居心地悪そうに自分のデスクに座ってパソコンに向かっているしかない。
 そんな状態の社長がひかりに声をかける。

「どうだった? お友達とゆっくり話せたかい?」
 ひかりは複雑な顔をして、「お友達じゃない人とゆっくり話してきました」と答える。
 社長はキョトンとした顔をする。

 ひかりはそれ以上のことを社長に告げるか一瞬迷った。しばらく、うーんと考えてから言った。
「何か、カメラに詳しい怪しい人で。FE2は王道だとか、ライカを持っていたとか、社長はマグナムと懇意だとか……マグナムって何ですか」

 カメラに関することならば、問題ないかと思ったのだ。

 社長はああ、と言って簡潔に説明した。マグナム・フォト、1947年にロバート・キャパやアンリ・カルティエ・ブレッソンらによって設立された写真家の集まりで、現在まで続いている、云々。
「あ、キャパって、ライカを持っていた人ですね」とひかりが大きな声で言う。自分に分かる情報があったので、嬉しいようだ。

「ひかりさんには、カメラから教えちゃったからねえ。でも、有名なカメラマンから入る人も多いんだよ。聞いただけの情報で判断するに、その相手は40代半ばか少し上ぐらいの男性で、うーん、今はカメラをやっていなくて、普通のサラリーマンではない感じかな」

 社長の推理にひかりは目を丸くする。結構いい線いってる。社長はひかりの様子をちらっと見て謎解きのように言う。

「ライカを買おうというのは報道志望の人に多かったよ。それを持つカメラマンに憧れてね。1980年代から90年代にかけて、キャパの本が訳出されて以降だね。キャパに限らず、写真家個人にずいぶんスポットライトがあたっていた。その頃を知っている世代の人かな。それに、デジカメに興味を持っていないのはそれが普及する前にカメラ趣味を止めたってことだろう。あと、うちのことを知っている。ただライカを手に入れるにとどまらなかったわけだから、結構凝り性だった。すると他にも凝っているものがあるだろう。怪しい人ならば普通のサラリーマンではないだろうと」

 怪しい人、だけは大ヒントだったかもしれない。ひかりは社長の種明かしを聞いて思う。社長はパソコンを斜めに見ながら、首をかしげて続けた。

「いや、聞いたのは相手の情報というわけではなくて、その人がお友だちの知り合いだったのかということだよ。まさか、墓参に行ってナンパされたって話でもないだろうし」

「ああ、ちょっとそこも訳ありで……結局また会うことになりました」とひかりはぼかして言う。

「お掃除、終わりましたよ」と萩元が社長に報告する。社長は腰を上げる。
「まぁ、ひかりさん、また何か困ったことがあったら言いなさい。あなたは孫みたいなものだから」
 萩元がクスクス笑いながら言う。
「社長、あんまり、若い娘のプライベートに入り込んじゃいけませんよ。ひかりさんが孫なら、私は何かしら?」
「糟糠(そうこう)の妻かな」と社長はさらりと言う。
 一同は苦笑した。

 ひかりにとって、社長はいつも気兼ねなく話ができる人だった。本当の祖父のように思えることもある。ただ、今回のことに関しては、社長に限らず誰に対してもあまりペラペラ喋ってはいけないような気がした。
 人の死と、もう一人の失踪に関わることなのだ。



 1週間後の夕方、ひかりは十河(そごう)岳人に再び会った。場所は銀座のシティホテルの1Fにある中国料理店だった。賑やかな通りから少し奥にあるので、落ち着いた雰囲気である。
 大人の人って、こういう場所をよく知っているものなんだーーとひかりは感心する。社長がたまに連れていっていくれるのは、もっと昔ながらの渋い店ばかりである。
 ひかりにとっての大人、というのはそのようなニュアンスである。

 約束の時間の5分前にひかりが到着すると、十河はもう着いていて、立ち上がって彼女を出迎えた。

「浦添さん、お忙しいところ、またお時間をとって下さって恐縮です。正直、キャンセルされるかと思っていました」と十河が微笑む。
「ええ、下心をお持ちの方ならすぐに却下したかもしれませんね。でも、墓地にカサブランカを持ってお参りする方を見たのは初めてでしたし、ちょっと面白いかなって」
「興味を持っていただけて光栄ですね」と言って十河は腰かける。

 前菜の腸詰やらクラゲの冷菜がテーブルに並べられていくのを二人が眺めていると、生ビールのグラスが二つトン、と置かれた。ひかりは自分のスマートフォンをタップし続けていたが、一端その手を止めた。

「そうですね、まず乾杯しましょうか」と十河がグラスを持つ。ひかりも同じようにした。ごくりと冷たく苦い刺激がのどを通り抜ける。

「それで、浦添さんは僕に何を見せてくれようとしたのかな」と十河が尋ねる。

「あ、そうそう、えーと……あ、まだ残ってる」

 ひかりは携帯(スマホ)を十河に手渡す。そこには萌世のツイッターの画面があった。ひかりは手短に説明する。このツイッターのアカウントは承認された人しか入れない「鍵アカ」であること。伊豆であろうと思われる海岸の写真だけがアップされていたこと。それが萌世の最後のメッセージだということ。そのアカウントは家族や他の、ひかりが知っている範囲の友人は知らなかったこと、などである。

 十河はその画面をじっくり見たあと、ひかりに携帯を返した。ひかりはまた携帯をタップして、LINEの履歴を出すと、十河にまた渡す。萌世からひかりに届いた最後のメッセージだ。

《伊豆なう。花がたくさんあって微妙》

「……メッセージとしては、本当に欠片(かけら)という感じだ。これで何かを類推することは難しい。でも、全体がパズルのようなものだとしたら、これはきちんとはまるピースなのかもしれない」
 十河の発した「パズル」という言葉に、ひかりは大きくうなずいた。
「そうなんです。私、萌世の通夜で、このLINEのメッセージをハッと思い出して、それで彼女の家族に知らせたんです」
「何をですか?」と十河が聞く。
「あ、正確にはカサブランカの強烈な香りとLINEのメッセージと……中学生の彼女の姿が合わさったからです。彼女は花アレルギーでしたが、家族はそれに気がついていなかった……葬儀は本当に、これでもかというぐらい花で埋まっていたので……」

 十河はひかりと自分にフカヒレのスープをよそっている。そして、静かに話しはじめる。

「そうでしたか。あなたはそこでパズルの一部を解いたというわけですね。そう、一部でしょう。このパズルは意外に大きいものじゃないかと僕は踏んでいます」

 十河は弟の寿人の話に移る。その間にテーブルに海老のチリソース煮や牛肉と野菜の炒め物が並べられていく。ひかりはグラスが空になった十河のためにビールをもうひとつ注文する。ひかりは十河に料理を取り分けようとするが、十河は遠慮する。仕方がないので自分の分を皿に取り分けて、ひかりはもぐもぐと食べ始める。

 寿人の部屋を十河は何度も訪れた。家賃の支払いもしなければいけないし、これ以上居住者が戻って来ないのならば解約の手続きをしなければならない。マンションの管理会社の社員がその都度鍵を手に随行するのだが、それが回を重ねると少し面倒臭い様子になり、もうそろそろ解約してほしいと暗に告げてくるようになる。十河はそれを意に介さずに弟の部屋を念入りに確認していた。いっそ越してこようか、とも考えたが、十河ではこのマンションには入居を許可されないようだった。

 風体のせいである。

 だから十河は何度も足を運ばざるを得なかったのである。寿人が行方不明になった直後に見たノート型パソコンはまっさらな状態でネットも繋がれていない。携帯は本人が持って行ったようだが、追跡ができない状態だ。それ以降も十河は部屋の痕跡を熱心に確認していた。
 電気・ガス・水道のメーターは毎月同様に消費されている。シャンプーや歯磨き、台所用洗剤、トイレットペーパーなども使用した形跡がある。新聞は購読していなかった。
 パソコンの置いてあった、脚がスチール製の作業用デスクはきれいに片付いており、メモやノート、手帳などの類いは見当たらない。本棚も見た。最近話題になった文芸本、理系の人間の職業柄かコンピュータ関連、脳科学の本などが並んでいる。

「本当に、大事な痕跡は残っていないんですね。生活していたことは確かだけれど」とひかりがためいきをつく。十河はひかりを複雑な顔で見つめる。

「浦添さん、あの部屋に弟は本当に住んでいたんだろうか、僕はずっと違和感を持ったままなんですよ」

「え? それはどういうことでしょうか」とひかりは狐につままれたような顔で十河に聞き返した。

「それは、浦添さんが萌世さんの葬儀で感じた違和感とは少し違うかもしれないが……寿人はカメラが好きだった。僕の影響だったと思うけど。あの部屋にはカメラや写真の形跡がかけらもなかった。それと、本棚の本だが、寿人が持っていた本はもっと違うものだったように思う。それらしい本ではあるのだが……」

 またカメラだ、とひかりは驚く。
 もっとも、兄が好きなら弟も好きなのはうなずける話だった。十河によれば、寿人は兄(十河のことである)の影響で写真を撮るようになったということだ。ただ、十河のようにカメラマンから影響を受けはしなかった。寿人はいつでもカメラを持ち歩いて、日常を切り取るような写真を撮っていた。

「じゃ、私みたいな感じですね」とひかりが言う。あんまり専門的な話だったらどうしようか。カメラ雑誌で働いているのに……と少し臆していたので、ホッとしたのだ。

「ああ、浦添さんがどんな写真を撮るのか分かりませんから何とも言えませんが、弟の写真は変わっていましたよ。何て言ったらいいのか、幾何学的というか……」
「幾何学的、ですか?」とひかりがさらにきょとんとした顔をする。



「ああ、今日持ってくればよかった。実家には寿人の写真がたくさん残っています。よろしければ、今度いらっしゃいませんか。親には言っておきます」と十河が微笑む。
「それなら、私も萌世のお母さんに、彼女の部屋を見せてもらえないか、聞いてみます」とひかりが身を乗り出して言う。そこにカニチャーハンが運ばれてきた。

「そうですね、まだパズルを解くには時間がかかりそうですし、食べましょう」と十河がカニチャーハンを見る。
「早く食べないと、デザートも来ちゃいますね」とひかりは笑う。

 結局、この日萌世と寿人をつなぐ糸は見つからなかった。
 ただ、ひかりには、両者の間に何か深い関わりがあるような気がしていた。不自然なことが二人の回りには多いように思えたからだ。部署が違っても、同じ会社の社員でそんなに不自然なことがほぼ同時に起こるものだろうか。

 きれいに平らげられた料理の皿を残して、二人は店を出た。
 街の喧騒(けんそう)を前にして、ひかりは不意に十河に尋ねた。
「寿人さんはどんなカメラを使っていたんですか? やっぱりライカ?」
 十河はああ、という顔をしてすぐに答えた。
「オリンパスのμ(ミュー)ですよ。フィルムのコンパクトカメラですね。デジタルも出ていたけれど、寿人はそれしか使っていませんでした」

 またもやひかりには初めての単語である。会社で雑誌のバックナンバーを見なければ。これじゃカメラ雑誌作ってるなんて恥ずかしくって言えない……と考えながら、ひかりは銀座を後にした。

(続く)
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