勝安房守の或る一日

尾方佐羽

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最後の日に見た風景

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 津田は本題に入る。
「ひとしきり話した後で、店主が土地を買わないかというんですよ。池のほとりにある草ぼうぼうの土地なのですが、広くて農場にするにはいいのではないかという。団子も平らげてしまったので、店主と見に行くことにしました。元はね、店主が先祖の代から持っていたそうだが、もう農業には関わらないという。見ると確かにそこそこの程度の畑が作れるほどの広さはある。ただね、池に集まる鳥がやたらと多くて、どうにも収穫が荒らされそうだ。ですのであまり水辺は好まないと店主に伝えたのですが、ふっと勝先生にどうだろうと思ったのです。先生はずっとここ氷川におられて、尋ねてくる人もひっきりなしだ。気の休まる間がないでしょう。別荘でも建てて隠れるにはいい場所ではないかと」
「実際に隠れた場所だよ」と勝は笑う。
「先生、もしよろしければ騙されたと思って一緒に行ってみませんか。おっしゃって下されば辻馬車を寄越しますから」
「辻馬車か。ご時世だねえ」と勝は苦笑した。
 津田の口調には裏がなく心遣いが感じられたので、勝は見に行ってみようという気になった。

 数日後、よく晴れた日の朝に約束通り津田が勝家の脇に辻馬車を寄越してきた。連れだって乗り込むと中の作りはしっかりしているし、意外に余裕がある。勝が小柄なので傾きが生じるのだけが玉にキズだった。御者はドアを閉めると馬に掛け声を放つ。
「はいっ、どうどう」
 赤坂から洗足池に向かう道を勝はじっと眺めている。

「ああ、決めた。決めた。この土地を買うよ」
「本当でございますか」と付いてきた茶屋の主人が驚く。
「弁天様や寺なんかはあちら岸にあるがね、ここは更地で、どちらかの寺社でもお屋敷の跡でもない。とにかくしがらみのないない尽くしでいいじゃないか」
「まあ、野っ原でしたからな」と津田が髭をさすりながらいう。
 海舟は池のほとりに立ってぽつりと思うところをため息のように吐き出した。
「……あの池に遊ぶありきたりの鴨にもお役目があると思うよ。それをまっとうするために生きているんだ。おれはね、津田さん、自分のお役目はきっちり果たしたと思う。前にこの道を辿ったのは、その総仕上げだったというわけさ。あとはまあ、のんびりものでも書いて、訪ねてくる人と時節柄の話でもして、知った風の好好爺でいりゃあいいのさ。ただ……」
「ただ、何でしょうか」と津田が即座に聞き返す。
「みんながあの鴨ほどにそれを判っているとも限らないね。かつての一翁にしても鉄舟にしても気性が万事通じるわけもなかったが、みずからの役目が何か、それだけは判っていた。もちろんおれもだ」
「勝先生……」
 青い空と白い雲は鏡面のような水面に映って美しい対称を描いている。
「ここはいい。鳥や木々、風や水にもみんな意味があるんだよ。おまえさんは土と仲良しだから解るだろうが、俺も今はそれがよぉく判る。だから、買うよ」
 その言葉通りに勝は洗足池のほとりの土地を買い一軒の別荘を建てた。土地の売主である茶屋の主人はその別荘の管理人になった。別荘は『洗足軒』と名付けられる。海舟は氷川の屋敷から辻馬車ではなく人力車でしばしばそこを訪れた。その際は池の周りをぐるりと回って散策することを好んだ。そして四季折々に木々で啼き、水に遊ぶ鳥の姿に目を細めるのだった。

 それから八年後の明治三十一年(一八九九)、凍えるほどの寒い日に勝海舟はこの世を去った。葬儀は青山斎場で行なわれ、二千の人が参列したと伝えられる。雪の積もる街道を長蛇の葬列がゆっくり進んでいく。彼は遺言通り寺などではなく、洗足池のほとりに建てた墓に葬られた。



 四季は池のほとりに色を重ねていく。乳白、紅梅、薄桜、鮮緑、瑠璃、潤色、鳥が跳ねる。時には空から爆弾が霰のように落ちてきて、一帯を紅蓮に、真っ黒焦げに変えもした。

 歳月は過ぎ、誰も探すものはなくなったが、踊るつがいの鶴の姿はもう二度と見られなかった。


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