柿ノ木川話譚3・栄吉の巻

如月芳美

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第2話 馘2

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 二人は並んで土手に腰を下ろした。栄吉には普段の光景だが、呉服屋の番頭としての彦左衛門が土手に腰を下ろすのは只事ではない。自分の着ているものが汚れていたのでは呉服屋の名折れだと、いつも人一倍気にしていた彦左衛門だ。その彼の変わりように、栄吉は少々面食らった。
「一体何があったんだい」
「それが私にもさっぱりわからんのです」
 事の起こりは先月のことだ。天神屋の主人とお内儀かみが揃って出かけたのだが、その時にたちの悪いゴロツキが店にやって来て因縁をつけたのだ。
 ゴロツキは二人組で、曰く「店の前を掃いていた丁稚が、足に砂埃を掃きかけた」ということらしい。
 彦左衛門は奉公人を厳しく躾けており、店の前に誰もいないことを確認してから掃除をするようにと言い含めているので、丁稚がそんな失態を犯すはずがない。ちらりと丁稚を見ると、彼は「やっていません」とばかりに小さく首を横に振る。周りを見ると女中たちも首を横に振っている。これは因縁をつけて金品を騙し取ろうとする手口だ。大店にはこういう手合いがいくらでもやって来るので彦左衛門は「またいつものか」くらいで慣れている。
 彦左衛門は「当店では奉公人の躾けはどこよりも厳しいと自負致しております。番頭、彦左衛門の名に懸けて、そのようなことはあり得ません。お引き取りください」と強気の姿勢に出た。
 だが、この二人は引かなかったのだ。しつこく絡んできて、しまいには怒鳴り散らして客を追い出し、店で暴れて帳面や文机や見本帳などひっくり返して行ったのだ。
 幸い棚の中に仕舞ってある反物などにまで手を出すことはなかったが、お客さんはみんな帰ってしまうし、文机は道に投げ出されて壊れてしまった。
 しかも間の悪いことに、彼らが去って行った直後に主人とお内儀が帰って来たのだ。片づける暇もなく、通りの真ん中に投げ出された文机を見た主人に説明を求められた。
 店の片付けを奉公人に任せ、今起こった出来事を主人に話すと、ねぎらいの言葉もなく「彦左がついていながら」と叱られた。そして「お前を信頼して店を任せていたというのに、なんというざまだ。もうお前はくびだ、明日からは来なくていい」と。
「あの天神屋のご主人がですかい」
 栄吉が訝るように言うと彦左衛門も首を傾げた。
「そうなんです。何のねぎらいも無かった時点で、旦那様らしくないと思ったのです。旦那様はとびきり人目を気になさいます。中に入ってしまえば弁慶ですが、お店に出てお客様が見ているところでは奉公人に優しい主人をきっちり演じる方で、新入りの小僧にでさえいつもねぎらいの言葉をおかけになる。それがまるで人が変わったように。それでも主人の言うことは絶対ですから、仕方なく家に帰り、それからは天神屋に顔を出さずにいました」
「それでどうした」
「しばらくして弥市やいちが家にやって来ました。それまでのお給金を持って来たんです」
「弥市ってのは?」
「手代でございます」
 手代も気の毒だ、そんな役回りは嫌だっただろう。彦左衛門は栄吉の心を読んだように付け足した。
「弥市も旦那様には逆らえなかったのでしょう。こんなもの持って来たくなかった、帰って来て欲しいと泣きました。ですが無理なことは二人とも承知していました。せめて、何故あんなふうに心変わりしてしまったのか、それだけでも知りたい。それで、また日を置いて天神屋に顔を出した、それが今日です」
 桜の花びらが何枚か風に乗って落ちてきた。命の始まりの季節だというのにこの男は一つの終わりを見ようとしている。
「天神屋に顔を出す前に近所の人に声をかけられました。この間の事件で馘になったんだってね、あんたも災難だったね、と。それだけならまだしも、私のいなくなった後、手代の弥市が番頭になったとも聞きました。なんでも弥市は近々祝言を上げることが決まったらしく、旦那様が弥市を番頭にする事に決めたとかで」
「ほう」
「弥市はしっかり者です。まだ二十五ですが、あれになら天神屋を任せられる。それで私は弥市にお祝いを言おうと天神屋に近付いたのですが、合わせる顔が無いとでも思ったのか弥市は私を見るなり逃げるように奥に入ってしまい、代わりに旦那様が出て来て、何の用だ、と。お前にはここの敷居は二度と跨がせないと言ってけんもほろろに追い出されてしまったわけです」
「客のいるところでか?」
「ええ。もうお前の顔など見たくない、柏原を出て、漆谷でも木槿山でも行ってくれ、とおっしゃいまして」
 天神屋らしくないな、と栄吉は思った。あの主人なら、客の前ではとても良い主人を装うはずだ。
「それで、仕方なくこうして椎ノ木川沿いを散歩していたら、あの時に因縁をつけてきた二人組がいるじゃないですか。つい頭に来て『お前たちのせいで馘になった』と文句を言ってしまったのです。それであのようなことに」
「なんだ、今日は因縁付けたのはあんたの方かい」
 彦左衛門はがっくりと肩を落とし、ますます情けない声になった。
「ええ、馬鹿な事をしましたが、それでも文句の一つも言わずにはおれませんでした」
「あんなにまじめに働いてたのにな。ご主人、何かあったんじゃねえのか?」
「さあ」
「お内儀はどうしてる」
 彦左衛門は肩に舞い落ちてきた桜の花びらをつまむと、花びらに話しかけるように言った。
「旦那様と一緒になって私を責めるので、お店に私の味方はおりません。九つの頃からご奉公して参りましたのに」
「何年だ」
「今年五十一ですから四十二年になりましょうか」
 栄吉が二歳の頃からこの男は天神屋に奉公しているわけだ。それをこんなにあっさり切り捨てられるものだろうか。
「つまらない話を聞かせてしまいました。私はこれから仕事を探さねばなりません。口入屋で仕事を見繕ってもらいます」
 彦左衛門は立ち上がると丁寧にお辞儀をして去って行った。
 栄吉は何か釈然としないまま峠のねぐらへと向かった。
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