柿ノ木川話譚3・栄吉の巻

如月芳美

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第6話 ゴロツキ4

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 お藤が天神屋を訪ねている間に、栄吉は天神屋近くの蕎麦屋に入っていた。店主の弐斗壱にといちは子供の頃に椎ノ木川で河童から蕎麦の作り方を教えて貰ったという変わり種だ。
 河童は川から出て来て悪戯をしたり、人の役に立ったりと、いろいろな噂がある。だが、どれも信憑性に欠け、結局のところは「夢でも見たのだろう」ということで片づけられることが多い。
 弐斗壱のそれも夢で片づけられるところだったが、誰にも教わったことのない蕎麦打ちを完璧にやって見せ、それがまたなかなかに旨いと来たもんだ。
 弐斗壱は人が信じる信じないにかかわらず『河童に教えて貰った蕎麦』として暖簾や手拭いを河童の柄に染め抜き、弐斗壱蕎麦の意匠として使っている。もちろん店のいたるところに河童の置物が飾られ、弐斗壱がどれだけ河童を崇拝しているかがよくわかる。
 栄吉はこの弐斗壱と親しくしており、以前この店ならではの蕎麦の打ち方を伝授してもらったことがある。つまり、栄吉も河童の蕎麦の継承者であるということだ。
「今日も弐斗壱師匠の蕎麦は旨めえな、一日三食食っても飽きるってことがねえ」
「あったりめーよ。河童様の蕎麦だ。この世で一番うめえに決まってる」
「ところで、天神屋さん、番頭さん代わったようだな」
 栄吉が探りを入れると、弐斗壱は手ぬぐいで額の汗を拭きながら首を傾げた。
「天神屋さん、ここんとこうまく行ってないみたいでね」
「ほう、どんなふうに?」
 栄吉がさりげなく先を促す。
「この前の騒ぎは知ってるか? 主人の留守中にゴロツキが店で暴れて大変だったんだ。うちの前まで天神屋さんの文机と大福帳が吹っ飛んできたんだ。でもまぁ、不幸中の幸いさ。文机が飛んできても、柄杓や箒が吹っ飛んでも、お店の商品は一つ残らず無事だったらしいからな」
「そりゃ良かった」
 商品が一つ残らず無事というのは些か不自然ではないだろうか。
「それで彦左衛門さんが暇乞いしたって話だけど、実際のところご主人が彦左衛門さんを追い出したって噂だよ」
 噂を知らないのは当事者である主人だけか。 
「それで今まで手代だった弥市が新しい番頭になったらしいんだが、その弥市が女中を孕ませちまって二人は所帯を持つことになったんだが、その女中ってのがまたいわくつきで」
 栄吉の箸が止まる。
「いわくつき?」
「なんでもお内儀さんに意地悪されてたとかなんとか」
「ん? 手代の子を孕んだから虐められたのかい?」
「いや、逆だね。もともとお内儀さんに虐められていたところに、孕んじまった。それで所帯を持つことになって、その女中は新番頭の嫁さんになったってんで、お内儀からは虐められなくなった」
 ますますわからない。
「そもそもなんでその女中はお内儀に虐められてたんだ?」
「さあねぇ? 何か気に入らなかったんじゃないのかね。仕事ができないとか。たまにいるだろ、びっくりするほど仕事の出来ない奴」
 まあ、いるかもしれない。それでチクチクと嫌味を言っていたのだろうか。
「その女中ってのがまた可愛い子でさ。器量良しってわけじゃあねえんだ、性格が可愛らしい。お内儀の悋気は相当なもんだったから、それも手伝ってたんじゃないかね。その娘は住み込み女中で一日中顔を合わせるから、お内儀も気に入らなかったんだろうねぇ。その女中が新番頭と所帯を持っちまったら、お内儀も悋気の起こしようが無いからね。虐めなくなったのかもしれない」
「なるほどな。それは一理ある」
 一理あるが、どうやっても彦左衛門の更迭とは結び付かない。もう少し調べる必要がある。これは彦左衛門にもう一度話を聞いた方がいいだろう。
「ごちそうさん。旨かった。また来るよ」
「おめえさんも蕎麦屋やらねえかい? せっかく河童の蕎麦打ち教えたんだ、夜鳴蕎麦なんかどうだ、暖簾分けするぜ?」
「そいつはありがてえ。そん時が来たら頼むよ」
 栄吉は弐斗壱蕎麦の河童の暖簾をくぐって出て行った。
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