柿ノ木川話譚3・栄吉の巻

如月芳美

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第32話 おりんの出産4

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「で、どうするんでぇ」
 茂助に問われて、栄吉とお藤は口ごもった。まだ何も考えていない。自分たちがついていながら殺されてしまったのだ。二人の受けた衝撃は大きかった。
「あの男の死体、見たか」
「見たさ。二の腕に松の彫り物があった。あれは松毬一家だ。天神屋、うちに断られたんで松毬一家に頼んだって事さ」
「こう言っちゃなんだが、あっしは天神屋を許す気はねぇ」
「奇遇だね。あたしもさ」
 茂助は二人の話を黙って聞いていたが、不意に火鉢の縁に煙管をコンと叩きつけた。
「殺し屋は自分の私怨で動いちゃなんねえ」
「ああ、わかってる。依頼人がいねえんだ、どうしようもねえ」
 栄吉が苦虫を噛み潰したような顔になる。漬け物石が苦虫を噛み潰したのだから、控えめに言っても酷い様相だ。
 だが、お藤が凄みのある顔で笑って袂から小さな巾着を出した。
「これ」
「なんだそりゃ」
「おりんちゃんから預かったのさ。この金で殺し屋に頼んで欲しいって。標的は天神屋の御主人とお内儀だ。正式な依頼だよ」
 栄吉は茂助と顔を見合わせて肩を竦めた。
「どうするお頭」
「おめえが決めろ」
 茂助は煙管に刻み煙草を詰め始めた。
「中身は?」
「二貫文」
 栄吉はそれを聞いて笑った。単位が違い過ぎる。だがそんなことはどうでも良かった。
「それがあの二人の全財産だったんだろうなぁ」
「そうだろうね」
 栄吉はおもむろに立ち上がった。
「この仕事、あっしが引き受けた」
「あたしも連れてってくれるんだろ?」
 栄吉はチラリとお藤を見た
「松毬一家も来るかもしれねえぜ」
「だからあんた一人じゃ心配なんじゃないのさ。背中を預ける仲間が必要だろ」
 そう言ってお藤は問答無用で草履を履いた。
「行ってこい」
 二人は茂助の声を背に、団子屋を出た。


「まずは鬼灯長屋へ行こう。赤子をお芳が預かってるかもしれねえ」
「そうだね。あの長屋にはおかみさんが大勢いたから、貰い乳するにも便利だろうよ」
 栄吉は歩きながらもハッとしたようにお藤を振り返った。
「そうか。おりんが死んじまったから、あの子は母親の乳が飲めねえのか」
「そうさ……可哀想にね」
 また二人は無言で歩いた。お産は昼前のことだったから、茂助に報告してまた出て来ても陽は高い。柿ノ木川沿いは特に遮るものもないので、初夏から夏にかけては日差しがきつく感じるときがある。
「そういえば三郎太はどうした」
「大八車を返しに行って貰った。新居の方も断りに言ってくれるって言ってたから、今頃漆谷だろうね」
「漆谷か」
「三郎太さんには気の毒な事をしたよ。わざわざ漆谷に家を見つけて来てくれて、大八車まで借りて来てくれたってのに」
「出来る男なんだろ。出来るやつはそんなことを気にしねえ」
「出来るけど、人一倍優しいんだ。きっとしばらくはふさぎ込むだろうよ」
 お藤はあの青鷺のような、それでいて人懐っこい笑顔を思い出して溜息をついた。
「おめえは三郎太のような奴と所帯を持ったら幸せになるんだろうなぁ」
「よしとくれ。三郎太さんみたいな善人にあたしのような人間は勿体ないよ。あの人には幸せになって欲しいからね」
 善人ほど「いい人」で終わってしまい、異性として認識されないのは、いつの時代も一緒なのかもしれない。
「あの赤子はどうなっちまうんだろうな」
「天神屋は引き取らないだろうね」
「ああ、女の子だったからな」
 お藤は栄吉と歩くとき、いつも無口な栄吉に居心地の悪さを感じたことはなかった。話すことが無ければ二人とも黙って歩くことなど日常だった。
 だが、今は栄吉がなぜか話したがっている。いつもと違う栄吉に、お藤は妙な居心地の悪さを感じていた。
「おめえ、その簪、お芳婆さんから貰ったって言ってたな」
「そうだよ。琥珀が綺麗だろ。さっきちょっと細工したけどね」
「何したんだ」
 お藤はちょっと笑った。
「なあに、先端をちょいと研いだだけさ」
「とんでもねえ女だな」
 栄吉も一緒に笑った。そして言った。
「おめえ、それ似合うな」
 二回目だ。一回目はお昼前、彦左衛門と一緒の時だった。
「そうかい?」
「ああ、綺麗だ」
 栄吉とは思えない発言に、お藤は面食らった。これはいよいよおかしい。
「あたしが? 簪が?」
「おめえの都合のいいように解釈しろ」
「あんた、この家業から足洗う気だろ」
 一瞬、栄吉の脚が止まった。が、何事もなかったようにすぐに歩き始めた。
「まあ、それも悪くねえな」
「あんた蕎麦屋なんかどうだい。弐斗壱の旦那が暖簾分けしてくれるんだろ」
「あっしが殺し屋を辞めると言っても、おめえは止めねえんだな」
「引き留める意味が無いからね。あんたがもう殺しをしたくないならしなきゃいい」
 無言。また二人はしばらく黙って歩く。
 椎ノ木川が見えてきた。この川に沿って上流に向かえば柏原の町だ。椎ノ木川沿いには胡桃や桐がたくさん生えている。
「あっしは殺し屋には向いてねえな」
「そんなことないさ。技術はあたしやお頭よりずっと高い。ただ……」
「ただ?」
「あんた、優しすぎるんだ。だから何も聞かずに何も考えずに『総受け』でここまできたんだろ。だけど、今回はたまたま彦左衛門さんの話を先に聞いちまったもんだから、何も聞かずに総受けってわけにいかなかったんだ。つまりさ、事情を知っちまったら今回みたいに仕事にならないんだよ」
「致命的だな」
「殺し屋としてはね。でも普通のオヤジとしてなら魅力的だよ」
「そうか。ありがとよ」
 二人はまた無言で歩いた。その無言がお藤には心地良かった。
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