36 / 41
第36話 仕事3
しおりを挟む
お藤が静かに言う。
「つまり、あんたたち二人の殺しの依頼が来たんだ。普段は標的に向かって『あんたたちが標的です』とは言わない。依頼人のことも言わない。だけど今回は特別だ。知りたきゃ依頼人を教えてもいいよ」
主人とお内儀が顔を見合わせる。
「興味ないね、そんなこと」
「お内儀さん、柚香が悠一郎の子を身籠った時、羨ましかったかい?」
お藤は極力さりげなく言ったつもりだったが、明らかにお内儀の顔が変わった。
「おりんが亭主の子を孕んだ時、嫉妬したかい?」
お内儀はさっき真っ赤になった顔を真っ青にしてわなわなと震え出した。
「あんたは天神屋の跡取りが欲しかったわけじゃない。自分が惚れた男の子供を産みたかった。そうだろ?」
「お黙り」
地の底から湧き上がるような声だった。
「あんたは柏華楼で全く売れない遊女で、悠一郎のことが好きだった。だけど柚香に持っていかれた。あんたは別の男の子供を孕んじまって、仕方なく酸漿を使った。あんたは二度と子供を産めない体になったというのに、柚香は悠一郎の子を腹に宿し、あんたと違って酸漿は使わずにそのまま子供を産んだ。悠一郎が死んじまっても彼の忘れ形見がそこに居る。あんたはと言えば、散々な思いをしたのに全く売れない。そこに来たのが天神屋の若旦那だ。あんたはこの若旦那を独り占めしたい、絶対に逃がさない、というつもりでいた。そうだね」
お内儀は唇を震わせながらお藤を睨みつけたまま黙っていた。
「あんたは別にこの若旦那に惚れてたわけじゃない。柏華楼であんたを売れ残りと馬鹿にしていた女たち――少なくともあんた自身がそう思っていた女たちに復讐したかった。『ほれ見たことか、あたしはこんな大店の若旦那をつかまえたんだ、あたしを甘く見るんじゃないよ』と見せびらかしたかった。そう、あんたは大輪の花を咲かせたつもりでいたんだ。なのにこの馬鹿旦那はあんたの古巣である柏華楼に出入りしていた。あまつさえ、お店の女中に手を出して、子供を孕ませた。馬鹿なのかね、この旦那は」
お藤の容赦ない言い方に若旦那は目を剥いた。だが、やったことはすべて事実なので何も言えない。
「だけど、あんたには子供が産めない。子供がいないということになると、天神屋の跡取りがいなくなるってことだ。それは御主人よりむしろお内儀の方が死活問題だったんじゃないのかい?」
これには主人の方が驚いた。なぜお内儀の方が問題になるのか。
「分かんないって顔だね、ご主人は。あんた本当にお内儀のことこれっぽっちも見てなかったのかい。嫁に来たとき無花果の木を切ろうと言い出したのはなぜなのか、ほんのちょっとも想像しなかったのかい。華だよ。いいかい、女ってのは華が無いと生きていけないんだ、お内儀は華って名前が示すように、人一倍華を欲してる」
「それとこれとどういう関係が?」
ここまで言ってわからないというのは、よほどお内儀をどうでもいい人間として扱っていたのだろう。そうでなければこの主人はそもそもが馬鹿だ。
「悠一郎に見向きもされず、柏華楼では相手にされなかったお華が唯一花を咲かせたのは、あんたと所帯を持ったときさ。それも柏原で一番の呉服屋である天神屋の若旦那であるあんたとね。あんたが棒手振りなら花なんか咲かなかっただろうよ」
主人は呆然とお藤を見つめていたが、ゆっくりとお内儀に視線を移した。
「そうなのか? お前が欲しかったのは私ではなくて天神屋のお内儀という肩書だったのか?」
お内儀は黙ったまま、目の前の畳の縁をじっと見つめていた。それが答えでもあった。
「華絵」
「触らないで!」
主人が彼女の肩に手を置こうとするのを、彼女は思い切り振り払った。
「ああ、そうですよ。そうに決まってるじゃありませんか。あんたなんか天神屋の若旦那ということ以外にどんな取り柄があるって言うんです? 商売のことなんか何もわからない。彦左がいなけりゃ何もできない。朝から晩まで若い娘の尻を追い回して、柏華楼に出入りして、昼間っから湯屋の二階で酒飲んで、あたしには見向きもしないで女中に手を出して。あんたがこのお店のために一体何をしたって言うんです? 言えるものなら言ってごらんなさいよ!」
主人は彼女にかける言葉もなく、口を半開きにしたまま悲し気な目を向けている。
「あたしには悠一郎しかいなかった。そりゃあいい男だったよ。あたしの全てだった。あの人の為なら何でもできると思ったよ。だけどあの人は柚香に首ったけだったのさ。憎ったらしいあの女。あの女はわざと孕んだんだ。悠一郎を自分のものにするために。結局あの女は死んじまったけどね。悠一郎も迎えになんか来なかった。ざまあみろだ。花柳病だろうよ。遊女の宿命さ」
お内儀はふんと鼻で笑うと、また主人をぎろりと睨みつけた。
「あたしは柚香に負けた。柏華楼の女たちみんなの笑いものさ。惨めだったよ」
「つまり、あんたたち二人の殺しの依頼が来たんだ。普段は標的に向かって『あんたたちが標的です』とは言わない。依頼人のことも言わない。だけど今回は特別だ。知りたきゃ依頼人を教えてもいいよ」
主人とお内儀が顔を見合わせる。
「興味ないね、そんなこと」
「お内儀さん、柚香が悠一郎の子を身籠った時、羨ましかったかい?」
お藤は極力さりげなく言ったつもりだったが、明らかにお内儀の顔が変わった。
「おりんが亭主の子を孕んだ時、嫉妬したかい?」
お内儀はさっき真っ赤になった顔を真っ青にしてわなわなと震え出した。
「あんたは天神屋の跡取りが欲しかったわけじゃない。自分が惚れた男の子供を産みたかった。そうだろ?」
「お黙り」
地の底から湧き上がるような声だった。
「あんたは柏華楼で全く売れない遊女で、悠一郎のことが好きだった。だけど柚香に持っていかれた。あんたは別の男の子供を孕んじまって、仕方なく酸漿を使った。あんたは二度と子供を産めない体になったというのに、柚香は悠一郎の子を腹に宿し、あんたと違って酸漿は使わずにそのまま子供を産んだ。悠一郎が死んじまっても彼の忘れ形見がそこに居る。あんたはと言えば、散々な思いをしたのに全く売れない。そこに来たのが天神屋の若旦那だ。あんたはこの若旦那を独り占めしたい、絶対に逃がさない、というつもりでいた。そうだね」
お内儀は唇を震わせながらお藤を睨みつけたまま黙っていた。
「あんたは別にこの若旦那に惚れてたわけじゃない。柏華楼であんたを売れ残りと馬鹿にしていた女たち――少なくともあんた自身がそう思っていた女たちに復讐したかった。『ほれ見たことか、あたしはこんな大店の若旦那をつかまえたんだ、あたしを甘く見るんじゃないよ』と見せびらかしたかった。そう、あんたは大輪の花を咲かせたつもりでいたんだ。なのにこの馬鹿旦那はあんたの古巣である柏華楼に出入りしていた。あまつさえ、お店の女中に手を出して、子供を孕ませた。馬鹿なのかね、この旦那は」
お藤の容赦ない言い方に若旦那は目を剥いた。だが、やったことはすべて事実なので何も言えない。
「だけど、あんたには子供が産めない。子供がいないということになると、天神屋の跡取りがいなくなるってことだ。それは御主人よりむしろお内儀の方が死活問題だったんじゃないのかい?」
これには主人の方が驚いた。なぜお内儀の方が問題になるのか。
「分かんないって顔だね、ご主人は。あんた本当にお内儀のことこれっぽっちも見てなかったのかい。嫁に来たとき無花果の木を切ろうと言い出したのはなぜなのか、ほんのちょっとも想像しなかったのかい。華だよ。いいかい、女ってのは華が無いと生きていけないんだ、お内儀は華って名前が示すように、人一倍華を欲してる」
「それとこれとどういう関係が?」
ここまで言ってわからないというのは、よほどお内儀をどうでもいい人間として扱っていたのだろう。そうでなければこの主人はそもそもが馬鹿だ。
「悠一郎に見向きもされず、柏華楼では相手にされなかったお華が唯一花を咲かせたのは、あんたと所帯を持ったときさ。それも柏原で一番の呉服屋である天神屋の若旦那であるあんたとね。あんたが棒手振りなら花なんか咲かなかっただろうよ」
主人は呆然とお藤を見つめていたが、ゆっくりとお内儀に視線を移した。
「そうなのか? お前が欲しかったのは私ではなくて天神屋のお内儀という肩書だったのか?」
お内儀は黙ったまま、目の前の畳の縁をじっと見つめていた。それが答えでもあった。
「華絵」
「触らないで!」
主人が彼女の肩に手を置こうとするのを、彼女は思い切り振り払った。
「ああ、そうですよ。そうに決まってるじゃありませんか。あんたなんか天神屋の若旦那ということ以外にどんな取り柄があるって言うんです? 商売のことなんか何もわからない。彦左がいなけりゃ何もできない。朝から晩まで若い娘の尻を追い回して、柏華楼に出入りして、昼間っから湯屋の二階で酒飲んで、あたしには見向きもしないで女中に手を出して。あんたがこのお店のために一体何をしたって言うんです? 言えるものなら言ってごらんなさいよ!」
主人は彼女にかける言葉もなく、口を半開きにしたまま悲し気な目を向けている。
「あたしには悠一郎しかいなかった。そりゃあいい男だったよ。あたしの全てだった。あの人の為なら何でもできると思ったよ。だけどあの人は柚香に首ったけだったのさ。憎ったらしいあの女。あの女はわざと孕んだんだ。悠一郎を自分のものにするために。結局あの女は死んじまったけどね。悠一郎も迎えになんか来なかった。ざまあみろだ。花柳病だろうよ。遊女の宿命さ」
お内儀はふんと鼻で笑うと、また主人をぎろりと睨みつけた。
「あたしは柚香に負けた。柏華楼の女たちみんなの笑いものさ。惨めだったよ」
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ワスレ草、花一輪
こいちろう
歴史・時代
娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる