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第37話 仕事4
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「救いようのない自意識過剰だな」
唐突に栄吉が割り込んだ。
「なんだって、この漬け物石!」
栄吉はとんだ茶番に白けたというように呆れ顔で言った。
「みんなの笑いものだって? それこそ笑わせんな。誰もおめえのことなんか気にしてねえ。みんなに笑われるほどの存在感があったのか? おめえが勝手に哀れな女を演じてそれに自分で酔ってただけだろうが。可哀想な女に手を差し伸べてくれるお頭の弱い馬鹿男を物色してたんだろうがよ。それを柚香のせいにして、天神屋の主人を騙し、それでも足りなくて自分を悲劇の主人公にしてやがる。馬鹿馬鹿しくて見ちゃいられねえ」
「あんたに何がわかるのさ!」
「わかりたくもねえ。馬鹿旦那だけかと思えばお内儀も同じ穴の狢だな。こんな連中、手にかけるほどの価値もないが仕事だから仕方ねえ。お喋りは終わりだ。おめえさんたちには死んでもらう」
栄吉より先に主人が立ち上がった。
「そうはいかん。松毬がしくじったと聞いてこちらも用心棒を雇った。帰るなら今のうちだ」
「あっしが帰るとでも? それより松毬一家を雇ったことまで吐いちまったな」
栄吉の挑発に乗るように、主人が声を張り上げた。
「佐平治! 孫六! お客様だ!」
奥の唐紙がするすると音もなく開いた。のっそりと熊のような大男が出てくるのを注視している栄吉を、いきなりお藤が突き飛ばした。
前方に気を取られているうちに、背後から気配もさせずに小動物のような男が現れていた。その男は小柄で、顛か鼬を彷彿とさせる雰囲気を持っていた。小さな体に二本の前歯がよく目立つ。用心棒の癖にかなりの洒落者のようで、やたらと目立つ太縞の着物を着ている。
小男はいきなり栄吉に楔を投げて来た。一本や二本ではない。栄吉は咄嗟に懐から出した匕首でそれらを撥ね退けた。
「おい、用心棒ってのは普通、刀差してる浪人者か何かじゃねえのかよ」
刃物の合間を縫うように、お藤の投げた湯飲みがお茶をまき散らしながら飛んでいく。飛んだ先には先程の大男がおり、湯飲みを素手で弾き飛ばした。湯飲みは壁に当たって派手な音を立てながら砕け散った。
主人とお内儀が二人で手を取り合う中、刃物がひらめき、その辺にある小物が飛び交う。
大男が栄吉の襟首を掴み、そのまま壁に叩きつける。いくら顔が漬け物石のようでも、実際に漬け物石ほど顔が硬いわけではない。額が割れ、鼻を潰されて、栄吉の顔は見る間に真っ赤に染まる。
もう一度壁に叩きつけようとしたところで、お藤が琥珀の簪を抜き、その先端を大男に向ける。慌てた大男は栄吉を放して一歩下がるが、小男の持っている分銅鎖でお藤の簪が巻き上げられてしまう。お藤は隙をついて懐から出した楔を小男に投げつける。楔は分銅鎖を持つ左手の手首に刺さり、簪が小男の手から零れ落ちる。それを栄吉がすかさず拾い上げ、お藤のそばの唐紙に向かって投げつける。
栄吉は分銅鎖の先を掴んで強く引き、小男を引き倒して分銅鎖を奪い取ると、それを大男に向かって繰り出す。こめかみに命中した大男がよろけて壁にぶち当たり、そのまま文机に突っ込んで机がバラバラに粉砕される。これにはさすがの主人もお内儀も頭を抱えて悲鳴を上げた。
自分の体で粉砕してしまった文机から硯を持ち上げた大男は、それを栄吉に向かって水平に投げてきた。避けきれないと判断した栄吉は飛んでくる硯を素手でつかんだ。想定外の栄吉の行動に呆然と固まった大男を見て、栄吉は『こいつは玄人じゃねえな』と冷静に判断した。
唐紙から簪を抜いたお藤はそのまま天神屋の主人の背後に回り、音もなく盆の窪にブスリとそれを刺しこんだ。
天神屋はそれが自分に刺されたことに気づいていなかった。お藤が簪を抜き、血を拭って再び髪に挿すと、主人がどっと前かがみに倒れた。
そのお藤を我に返った大男が狙う。栄吉がさっきのお返しとばかりに硯を投げつける。しかしやはりこの大男は重い硯を裏拳で弾き飛ばし、唐紙に大穴を開けた。
「おめえ本物の熊なんじゃねえのか」
ブツブツ言いながら栄吉はそばにあった煙草盆を持ち上げて殴りつける。大男の肩口に当たった煙草盆は粉々に砕け散った。
「やべえな、こりゃ。野生の熊と素手で戦ってる気分だ」
大男が栄吉を振り返ったところで、お藤が大男の首に飛び付いて分銅鎖の鎖を巻き付ける。
「栄吉さん、お内儀を」
栄吉は主人にとりついたお内儀の首筋に匕首を滑らせた。
主人と違ってお内儀の方は首から血を噴き出した。ここには心の臓から頭の方へと血を送る太い通り道があるのだ。
お内儀は噴水のように温かい血を噴き上げながら、自分の身に起こっていることがわからないように目を見開いて栄吉を見た。
「亭主と一緒に地獄へ堕ちろ」
「どうして……」
お内儀は小さな声で呟いた。誰かに聞かせるというよりは、自分自身に問いかけているようだった。
「あたしは華を咲かせたかっただけなのに……他には何も要らなかったのに……」
天神屋の主人とお内儀は、折り重なるようにして突っ伏した。
栄吉はもう聞いていないであろうお内儀に向かって言った。
「花を咲かせるためならどんな手段をとったっていいってこたぁねえんだよ。あんたの嫌いだった無花果はな、花を咲かせないわけじゃねえんだ。実の内側に花がつく。花ってのは見せびらかすだけのもんじゃねえ、内面に咲かせるもんだ」
唐突に栄吉が割り込んだ。
「なんだって、この漬け物石!」
栄吉はとんだ茶番に白けたというように呆れ顔で言った。
「みんなの笑いものだって? それこそ笑わせんな。誰もおめえのことなんか気にしてねえ。みんなに笑われるほどの存在感があったのか? おめえが勝手に哀れな女を演じてそれに自分で酔ってただけだろうが。可哀想な女に手を差し伸べてくれるお頭の弱い馬鹿男を物色してたんだろうがよ。それを柚香のせいにして、天神屋の主人を騙し、それでも足りなくて自分を悲劇の主人公にしてやがる。馬鹿馬鹿しくて見ちゃいられねえ」
「あんたに何がわかるのさ!」
「わかりたくもねえ。馬鹿旦那だけかと思えばお内儀も同じ穴の狢だな。こんな連中、手にかけるほどの価値もないが仕事だから仕方ねえ。お喋りは終わりだ。おめえさんたちには死んでもらう」
栄吉より先に主人が立ち上がった。
「そうはいかん。松毬がしくじったと聞いてこちらも用心棒を雇った。帰るなら今のうちだ」
「あっしが帰るとでも? それより松毬一家を雇ったことまで吐いちまったな」
栄吉の挑発に乗るように、主人が声を張り上げた。
「佐平治! 孫六! お客様だ!」
奥の唐紙がするすると音もなく開いた。のっそりと熊のような大男が出てくるのを注視している栄吉を、いきなりお藤が突き飛ばした。
前方に気を取られているうちに、背後から気配もさせずに小動物のような男が現れていた。その男は小柄で、顛か鼬を彷彿とさせる雰囲気を持っていた。小さな体に二本の前歯がよく目立つ。用心棒の癖にかなりの洒落者のようで、やたらと目立つ太縞の着物を着ている。
小男はいきなり栄吉に楔を投げて来た。一本や二本ではない。栄吉は咄嗟に懐から出した匕首でそれらを撥ね退けた。
「おい、用心棒ってのは普通、刀差してる浪人者か何かじゃねえのかよ」
刃物の合間を縫うように、お藤の投げた湯飲みがお茶をまき散らしながら飛んでいく。飛んだ先には先程の大男がおり、湯飲みを素手で弾き飛ばした。湯飲みは壁に当たって派手な音を立てながら砕け散った。
主人とお内儀が二人で手を取り合う中、刃物がひらめき、その辺にある小物が飛び交う。
大男が栄吉の襟首を掴み、そのまま壁に叩きつける。いくら顔が漬け物石のようでも、実際に漬け物石ほど顔が硬いわけではない。額が割れ、鼻を潰されて、栄吉の顔は見る間に真っ赤に染まる。
もう一度壁に叩きつけようとしたところで、お藤が琥珀の簪を抜き、その先端を大男に向ける。慌てた大男は栄吉を放して一歩下がるが、小男の持っている分銅鎖でお藤の簪が巻き上げられてしまう。お藤は隙をついて懐から出した楔を小男に投げつける。楔は分銅鎖を持つ左手の手首に刺さり、簪が小男の手から零れ落ちる。それを栄吉がすかさず拾い上げ、お藤のそばの唐紙に向かって投げつける。
栄吉は分銅鎖の先を掴んで強く引き、小男を引き倒して分銅鎖を奪い取ると、それを大男に向かって繰り出す。こめかみに命中した大男がよろけて壁にぶち当たり、そのまま文机に突っ込んで机がバラバラに粉砕される。これにはさすがの主人もお内儀も頭を抱えて悲鳴を上げた。
自分の体で粉砕してしまった文机から硯を持ち上げた大男は、それを栄吉に向かって水平に投げてきた。避けきれないと判断した栄吉は飛んでくる硯を素手でつかんだ。想定外の栄吉の行動に呆然と固まった大男を見て、栄吉は『こいつは玄人じゃねえな』と冷静に判断した。
唐紙から簪を抜いたお藤はそのまま天神屋の主人の背後に回り、音もなく盆の窪にブスリとそれを刺しこんだ。
天神屋はそれが自分に刺されたことに気づいていなかった。お藤が簪を抜き、血を拭って再び髪に挿すと、主人がどっと前かがみに倒れた。
そのお藤を我に返った大男が狙う。栄吉がさっきのお返しとばかりに硯を投げつける。しかしやはりこの大男は重い硯を裏拳で弾き飛ばし、唐紙に大穴を開けた。
「おめえ本物の熊なんじゃねえのか」
ブツブツ言いながら栄吉はそばにあった煙草盆を持ち上げて殴りつける。大男の肩口に当たった煙草盆は粉々に砕け散った。
「やべえな、こりゃ。野生の熊と素手で戦ってる気分だ」
大男が栄吉を振り返ったところで、お藤が大男の首に飛び付いて分銅鎖の鎖を巻き付ける。
「栄吉さん、お内儀を」
栄吉は主人にとりついたお内儀の首筋に匕首を滑らせた。
主人と違ってお内儀の方は首から血を噴き出した。ここには心の臓から頭の方へと血を送る太い通り道があるのだ。
お内儀は噴水のように温かい血を噴き上げながら、自分の身に起こっていることがわからないように目を見開いて栄吉を見た。
「亭主と一緒に地獄へ堕ちろ」
「どうして……」
お内儀は小さな声で呟いた。誰かに聞かせるというよりは、自分自身に問いかけているようだった。
「あたしは華を咲かせたかっただけなのに……他には何も要らなかったのに……」
天神屋の主人とお内儀は、折り重なるようにして突っ伏した。
栄吉はもう聞いていないであろうお内儀に向かって言った。
「花を咲かせるためならどんな手段をとったっていいってこたぁねえんだよ。あんたの嫌いだった無花果はな、花を咲かせないわけじゃねえんだ。実の内側に花がつく。花ってのは見せびらかすだけのもんじゃねえ、内面に咲かせるもんだ」
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