柿ノ木川話譚1・狐杜の巻

如月芳美

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第二章 木槿山の章

第10話 仕事1

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 ひと月ほどが過ぎ、とこの中で与平と狐杜に読み書き算術を教えていた月守も普通に生活できるまでに回復していた。その頃にはもう与平は空で簡単な計算ができるようになっており、その頭の良さには教えていた月守自身も驚かされた。
 良い商人になると褒められても、与平はあまり嬉しそうにはしなかった。本人がまだ満足していないのと、月守に対する嫉妬のようなものがあったからかもしれない。
 床を出て動き始めると、月守はなかなかに役に立つことが多かった。なにしろ長身である。与平が四尺八寸、狐杜は四尺七寸であるのに対し、月守は五尺八寸。実に与平よりも一尺ほど丈がある。高いところに手が届くのはなかなかに便利だ。
 とはいえほっそりとしているので、力仕事に向かないのではと思われた。
 読み書き算術の教え方も上手かったことから寺子屋の先生ではないかとも思われたが、月守は寺子屋を知らないということだった。
 都忘みやこわすれが美しい紫の花を咲かせる頃、月守は与平と一緒に川に入って魚を獲りたいと言い出した。怪我のせいで鈍ってしまった体を元に戻したいと言う。
 そういうことならと与平は二つ返事で引き受けたが。
「魚はどうやって獲るのだ?」
「えーっ? 魚獲ったことも無いのか?」
 どうやら与平を頼ったのはこういうことらしい。それを聞いて狐杜がお腹を抱えて笑っている。
「月守さま、なんでも知ってるのに、魚の獲り方知らないのー?」
「仕方ねえな。こっち来いよ」
 与平が竹を組んだ簀子すのこ状の構造物を背負って川へと向かうのを月守が後から追う。
 どうするのかと眺めていると、与平はその簀子を水の中に入れ、大きな石で重しをして固定した。
「これがおいらの作ったやなだ。こうやってな、川下の方に簀子を斜めに掛けておくと、川上から来た魚がこの簀子の上に打ち上げられるんだ。戻りたくてもどんどん川上から水が流れてくるから魚は戻ることができねえだろ。そこをとっ捕まえて町に売りに行くんだ。これなら魚が勝手に上がって来るから傷がつかねえ。ただし入ってくれるかどうかは運だけどな」
 感心して眺めていた月守は、ふと別の道具に目をやった。
「これは?」
「これは釣り竿。簗に魚がかかるのを待ってる間ぼけーっとしてるのも時間がもったいねえ。だからこいつを使ってもっと向こう側の深みを狙うんだ。ここは川が大きく向こう側に曲がってるだろ? だからこっち側は河原が広くて水が浅い。向こうは流れが速いから底も深い。浅いところは簗漁、深いところは竿で仕掛けるんだ」
「なるほど、与平殿は物知りだな」
 話しながらも与平は手を止めることなくどんどん仕掛けを作って行く。
「溺れるといけねえから、あっちには行くなよ?」
「心得た」
「んで、こいつはもりだ。魚を狙って突く」
 月守が首を傾げる。
「突き刺すんだよ、ブスって」
「それでは売り物にならないのではないか」
「もちろん自分で食うんだ。おっ母にもたまには魚を食わしてやりてえしな」
 興味津々に話を聞いていた月守が見せてくれという。与平は銛漁はあまり得意ではないが、要領さえ教えればいずれ月守も戦力になってくれるかもしれない。静かに川に入ると銛を構えた。
「たあっ!」
 掛け声とともに与平は長い銛を川の中に向けて振り下ろした。その瞬間「外した」と小声で月守が言うのを、狐杜は聞き逃さなかった。
 ――月守さま、ここで見ていてわかるのかな?
「与平殿、私にもやらせて貰えぬか」
「ああいいよ。難しいけどな。魚見えるか」
「いや」
 月守は着物のすそを捲り上げて帯の間に挟むと、川の中に入って来た。
「ほら、あんなふうに見えるのが魚だよ」
「どれだ?」
「そこ」
 男二人が顔を寄せ合って「あそこだ」「ここだ」とやっているのがおかしくて、狐杜は笑いが止まらない。似てはいないが本物の兄弟のようだ。
 しばらくすると与平が月守から離れた。狐杜のそばにやって来た与平は、小声で囁くように言った。
「あの人、多分一発で仕留める。多分」
「え?」
 それっきり与平は何も言わずに息を殺して月守を見守った。
 月守は地蔵のように固まったまま身じろぎひとつしない。
 与平がごくりと唾を飲み込んだその瞬間、月守の腕が動いた。
 ――二往復?
「与平殿。こんな感じで良いのか?」
 二人の方を振り返った月守が手にしていた銛には、二匹の魚が串刺しになっていた。


「すげえよ、すげえよ、なんだよあれ、本当は銛漁やったことあんだろ」
「いや、初めてだ」
「あんな技見たことねえよ。初めてなんてほとんどの奴が外すんだぜ。月守は一撃で仕留めるとは思ったけどよ、あんなの無しだぜ」
 月守が戻ってからの与平は興奮していて全く手が付けられない。いくら狐杜が「落ちついて」「座って」と言っても、まるで聞いちゃいない。
「ちょっと与平、なんで一撃で仕留めるって思ったのよ」
「気配だよ気配。月守は気配を消すんだよ。信じられねえ、すぐ側にいるのに、気配を感じねえんだよ。あんなのありかよ、めちゃめちゃ怖えよ。月守に狙われたら、生きて帰れねえよ。二匹とも仕留められてたけどさ!」
 だが、当の本人は訳がわからないといった顔をしている。
「気配はどうやって消すのだ?」
「は? 消してたじゃねえか、消えてたよ、意識しないで消してたのかよ。まあいいや。今夜は魚が食える。簗で獲った魚はこれからもう一度町に売りに行くから、月守が獲った魚は四人で食おう。おっ母が喜ぶぜ」
 興奮冷めやらぬ与平と今夜のご馳走に喜ぶ狐杜を見ながら、月守は一人首を捻っていた。
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