柿ノ木川話譚1・狐杜の巻

如月芳美

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第二章 木槿山の章

第14話 町1

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 岩金梅いわきんばいが黄色い花をつけるころには、月守が仲間となったことで与平と狐杜の毎日の流れも決まったものになってきていた。
 天気が良ければ、お袖と狐杜が朝食の支度をしている間に与平と月守はその日に売る魚を獲りに行く。朝食が済むと与平は町へ行き、棒手振ぼてふりの権八に魚をまとめて買って貰う。あとは権八が売り捌いてくれるはずだ。
 与平が町に出ている間、お袖と狐杜は着物の仕立ての仕事をし、月守は零余子や野草を獲りに行く。獲ってきた野草は平たい干籠に並べて天日干しにし、非常食として蓄える。
 その干籠も、大吉のところで貰って来た竹で月守が編んだものだ。「月守は几帳面だ」と言う与平の言葉通り、確かに彼は力仕事よりは細かい作業の方が合っているようだ。
 ところが何を思ったのか、その後月守は大吉から半日だけという約束でくわを借りて来た。狐杜の家のすぐ裏を耕して畑を作った彼は、大吉から買った青物の種を畑に蒔くことにしたらしい。
 月守は畑の世話をしながら自分たちの食用の魚を獲ったり、草履や傘を編んだりと、ほんの一刻も時間を無駄にすることなく働いた。そんな彼を見て、狐杜はますます月守という人間の正体がわからなくなっていった。
 与平はそんなことは全く気にしなかった。むしろ月守の作る草履や傘の質がとても良い事が気になった。もともと職人だったのではないかという気がしてきたのだ。
 与平には商才があったのだろう、月守の作る草履や傘が町で好評を得ていると見るや、『月守草履』『月守傘』と銘打って、少々高値で売ることにしたのだ。これがなんと大成功、町一番の大店おおだなである松原屋の目に留まり、ここで取引させて貰えることになった。
 そのお陰で与平は自分の足で売り歩く必要がなくなった。すべて松原屋が買い取ってくれるので、その分自由になる時間が増えたのだ。
 与平は浮いた時間を使ってお市と連絡を取りながら狐杜やお袖の仕立ての仕事を探したり、月守が使う藁や竹などの資材を買いに行ったりすることが多くなった。
 そんなある日、狐杜のところへ遂に松原屋のお嬢さんであるお八重やえからの注文が入ったのだ。彼女の着物を仕立てるのが当面の目標だった狐杜は飛び上がって喜んだ。数年先になると思っていただけに、あっけなく感じたものの、それもこれも月守と与平のお陰だと思うと感激もひとしおだった。
 翌日、与平が『月守草履』を持って松原屋へ行く際に、狐杜も一緒について行った。仕立てる着物の反物を引き取りに行かなくてはならない。与平に持ち帰って貰ってもいいのだが、さすがに反物を与平に持たせるのはどんなものかと考えた。
「ほら、あそこが松原屋」
 与平に言われて視線を移した先には、狐杜の家と与平の家を合わせたくらいの間口のある大きなお店がドンと構えていた。
「大店とは聞いてたけど、凄いね」
「ここの今一番の売れ筋商品が月守草履なんだぜ」
「与平が作ったわけでもないくせに」
 なんだよ、やたらと月守の肩を持つじゃねえか――などと思っても絶対に口に出さないし、顔にだって出さない。どう考えても月守が相手じゃ分が悪い。与平はちゃんとその辺りは心得ているのである。
 と、その時。店の中から華やかな牡丹色の着物を着た少女が飛び出してきた。驚く狐杜と与平の目の前を走り去り、後ろから男が追いかける。
 狐杜があたふたしていると、与平が「番頭さん!」と声をかけた。少女を追っていた男がくるりと振り返り「なんだ与平か」と戻って来た。どうやら彼が番頭らしい。
「どうしたんですか」
「いやあ、大旦那様とお嬢さんが大喧嘩して。お嬢さんが怒って飛び出しちゃったんですよ」
 眉毛を八の字に下げた彼は、首の後ろをさすりながら「参った参った」とぼやいた。
「それ、おいらに言っちゃっていいの?」
「あ、内緒だよ。ところで今日はどうした。月守草履かい?」
「ああ。お嬢さんの反物も預かりに来た。コイツがお嬢さんの着物を仕立てる狐杜」
 与平が紹介すると、狐杜は慌てて「狐杜でございます」と頭を下げる。そんな狐杜を見て、番頭は訝し気に彼女を覗き込んだ。
「こんな子供に仕立てなんかできるのか?」
「あーそれ禁句。コイツこう見えてもおいらより年上。お嬢さんと同い年だから」
「えっ、十六?」
 狐杜は下からギロリと睨むように「はい」と低く答えた。
「ああ、すまないねぇ。十二くらいかと思ったよ。まあ、入って」
 とても大店の番頭とは思えないほど正直な男である。ここはいくらかの社交辞令を混ぜるものではないだろうか、と与平は内心笑っていた。
 狐杜は狐杜でこちらも恰好だけでも笑顔を作ろうなんて気はさらさら無いようだ。明らかにブスッとしていて、商売に向いていないのが与平にはおかしくて仕方なかった。
 それから与平は月守の草履と代金を引き換え、狐杜の方の反物を受け取った。
「お嬢さんはいいんですか?」
「店の者に探しに行かせたけどね。どうせ行く当てもないだろうから放っておいてもすぐに帰ってきますよ。与平たちも帰りにお嬢さんを見かけたら戻るように言ってください」
「おいらが言って聞いてくれるかね」
 とは言ったものの、番頭はそもそも与平に期待などしていないようで、挨拶代わりにそう言っただけのようだった。
 家への帰り道、狐杜が「なんだかな~」と呟いたのを与平は聞き逃さなった。
「なんだよ」
「ん? 松原屋のお嬢さん。あたしの想像ではおしとやかで、いかにもお嬢様って感じの人だと思ってたんだけどさ。なんか大きな声出してバタバタ飛び出して来たから、考えてたのと随分違うなって」
「案外、柳澤のお姫様だってあんな感じかも知れないぜ」
「まあ、そうだけどね」
 狐杜が手にした風呂敷には、着物に仕立てる予定の反物が包まれている。
 新橋色の地に鬱金色の小花が散ったものと、翡翠色の地にとき色の桜柄のもの。爽やかな緑青ろくしょう系の着物が好きな人。
 桜や撫子のような可愛らしい花の色が似合う女性を想像していただけに、狐杜は憧れに裏切られたような気分に陥っていた。
 大吉たちのいる農村部を過ぎ、もうすぐ河原の我が家に着こうというところで、さっき目にしたばかりの牡丹色が狐杜の視界に飛び込んできた。
「与平、あれ!」
「松原屋のお嬢さんじゃねえか、なんでこんなところに」
 二人が駆け寄ると、彼女は鼻緒の切れた草履を手に座り込んでいた。
「お嬢さん、こんなところで何してるんですか」
「まあ、与平。父と喧嘩して飛び出してきたんだけど、すぐそこで鼻緒が切れてしまって途方に暮れていたの。どうにかならないかしら」
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