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第二章 木槿山の章
第47話 救出3
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呆気にとられる漣太郎を無視し、勝孝が「十郎太」と慌てて声をかける。
反射的に刀を手に立ち上がろうとした瞬間、お八重の背後から「十郎太、刀を置け!」と鋭い声がした。
「勝宜さま……と、月守殿?」
勝宜は月守を部屋へ招き入れると、漣太郎に視線を落とした。
「漣太郎殿、すまぬが父上とお家の一大事に関わる話があるゆえ席を外しては貰えぬか。今日のところは一旦戻り、沙汰を待たれよ」
「しかし」
「父上も良いですね」
「なぜ橘がそなたと一緒におるのだ」
「その話をせねばならぬと申しておるのです。今は一旦漣太郎殿にはお引き取り頂きたい」
有無を言わせぬ勝宜の勢いに勝孝が渋々頷いて見せると、漣太郎も仕方なく「では先程のお話は保留ということで」と言って出て行った。
漣太郎が出ていくと、勝孝の横には十郎太が控え、正面には勝宜と月守が、その後ろにお八重とお鈴が座った。
「どういうつもりだ勝宜。なぜおまえが橘と一緒におるのだ」
「父上、この方は橘殿ではありません。月守殿と仰る方で、ご家族を迎えに来られたのです。そしてこちらは……」
勝宜に紹介される前にお八重が平伏した。
「松原屋の八重にございます。大船屋の若旦那様との縁談がございましたが、あんな木偶人形の嫁になる気は毛頭ございませんし、鬼畜の家へ輿入れする気も全くございません。どうぞ御贔屓に」
態度と言っていることが全く合っていないが、確かに漣太郎の言う通り気の強そうなおなごではある。勝孝相手に『鬼畜』などという言葉を正面から投げつけたのは、おそらくこの娘が最初で最後であろう。
十郎太は内心ヒヤヒヤするが、勝孝は「面白い娘だ」と特に気にしていないようだ。
「して、月守と申したな。家族を迎えに来たとはどういうことだ」
これにも勝宜が答えた。
「ただいま雪之進に呼びに行かせております」
なるほど雪之進は月守と話を付け、月守は直接勝宜に話を持って行ったようである。しかし、家族とはどういう意味かと十郎太は首を傾げる。萩姫を迎えに来たということならば、月守ではなく橘を名乗るはずだ。
「父上、萩姫をかどわかしたというのは本当なのですか」
「お前は知らなくても良いことだ」
「えっ? 勝宜さまは御父上様が姫様を亡き者にせんと企んでいたことをご存知なかったのですか!」
お八重が素頓狂な声を上げた。姫を始末するという計画は、勝孝と勝宜が共謀したものだと思っていたのだろう。驚くべきことに、勝宜は一切何も知らされていなかったのだ。
「先程月守殿から聞かされて初めて知ったのです。父上、勝宜は悲しゅうございます。父上と亡き伯父上殿はご兄弟ではありませぬか。何ゆえにそのように争うのです。勝宜は従姉弟たちを蹴落としてまで成り上がろうとは思うておりませぬ。兄弟がおりませぬゆえ、萩と桔梗丸を実の妹や弟のように思うておりまする」
ここで初めて、それまで一言も声を発することのなかった月守が静かに口を開いた。
「勝宜殿、そなたに兄弟がおらぬのはなぜだかお分かりか?」
やめろ、なぜ今その話をする――十郎太は背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
「一つ上に姉がいたと聞きました。ですが何日も生きることなくこの世を去ったと」
「どうやって亡くなられたかご存知か」
――やめてくれ、頼む。
「病ではないのですか」
「違う。殺されたのだ」
月守の背後でお八重が「嘘でしょ」と両手で口元を押さえる。
「誰に」
月守が勝孝を正面から見据えた。
「御父上がご存知だ」
「どういう意味ですか」
そこへちょうど雪之進の声がした。
「狐杜殿をお連れ致しました」
襖が開くと、雪之進と貧しい身なりをした萩姫がそこにいた。少なくとも十郎太にはそう見えた。
だが、彼女はおよそ姫とは思えない勢いで月守に駆け寄った。
「月守さま! 来てくれたんだね、絶対に助けに来てくれると思ってた! ああ、お八重ちゃんも! 会いたかったよ、ほんとに会いたかった」
「狐杜ぉ! 心配したんだから!」
お八重と抱き合って泣く『萩姫』に十郎太と勝孝だけが訳が分からずにいる。
「これは一体何の茶番だ!」
激昂する勝孝に、八重が狐杜を抱きしめたまま声を張った。
「それはこちらの台詞です! 勝孝さまはまだ幼い萩姫様と若様のお命を狙ったばかりでなく、こうして赤の他人までも殺そうとしたのですよ。あなた様がかどわかしたのは萩姫様ではございません。似ているだけのわたしの友です!」
「あたし、あたし、姫様じゃありません。河原の近くに住んでるただの孤児です。似てるのかもしれないけど別人です、ほんとです」
「見たらわかるじゃないの、勝孝さまは血のつながった姫様と赤の他人の見分けもつかないと仰せですか」
「お八重殿」
月守が静かに遮った。
「話を戻そう。勝孝殿、そなたの第一子に当たる姫をどうされた。そなたが答えられぬと申すなら、十郎太殿に聞くしかないのだが」
一斉にすべての視線が十郎太に注がれた。
目を閉じると、あの雪の日のことが思い出された。あの時、この腕の中で確かに姫様はまだ温かく、そして元気に泣いておられた。
ここで懺悔するしかないのか。
十郎太の視界の片隅で雪之進が小さく首を横に振るのが見えた。むしろ隠して生きるより、ここで裁いて貰った方が楽になれるのかもしれない。
「恐れながら……申し上げます」
「十郎太さま!」
雪之進が割って入る。
「おやめください。月守さま、これ以上は何卒ご容赦を」
「このまま過去を葬る方が十郎太殿には酷というもの」
「かまわぬ。雪之進、下がれ」
「しかし十郎太さま」
「良いのだ」
そう、良いのだ。赤子を捨てたあの時から、お末と同じところへ行くことができないのは決まっていたのだ。
それなら自分は罪を告白し、勝孝もろとも地獄に堕ちてやる!
反射的に刀を手に立ち上がろうとした瞬間、お八重の背後から「十郎太、刀を置け!」と鋭い声がした。
「勝宜さま……と、月守殿?」
勝宜は月守を部屋へ招き入れると、漣太郎に視線を落とした。
「漣太郎殿、すまぬが父上とお家の一大事に関わる話があるゆえ席を外しては貰えぬか。今日のところは一旦戻り、沙汰を待たれよ」
「しかし」
「父上も良いですね」
「なぜ橘がそなたと一緒におるのだ」
「その話をせねばならぬと申しておるのです。今は一旦漣太郎殿にはお引き取り頂きたい」
有無を言わせぬ勝宜の勢いに勝孝が渋々頷いて見せると、漣太郎も仕方なく「では先程のお話は保留ということで」と言って出て行った。
漣太郎が出ていくと、勝孝の横には十郎太が控え、正面には勝宜と月守が、その後ろにお八重とお鈴が座った。
「どういうつもりだ勝宜。なぜおまえが橘と一緒におるのだ」
「父上、この方は橘殿ではありません。月守殿と仰る方で、ご家族を迎えに来られたのです。そしてこちらは……」
勝宜に紹介される前にお八重が平伏した。
「松原屋の八重にございます。大船屋の若旦那様との縁談がございましたが、あんな木偶人形の嫁になる気は毛頭ございませんし、鬼畜の家へ輿入れする気も全くございません。どうぞ御贔屓に」
態度と言っていることが全く合っていないが、確かに漣太郎の言う通り気の強そうなおなごではある。勝孝相手に『鬼畜』などという言葉を正面から投げつけたのは、おそらくこの娘が最初で最後であろう。
十郎太は内心ヒヤヒヤするが、勝孝は「面白い娘だ」と特に気にしていないようだ。
「して、月守と申したな。家族を迎えに来たとはどういうことだ」
これにも勝宜が答えた。
「ただいま雪之進に呼びに行かせております」
なるほど雪之進は月守と話を付け、月守は直接勝宜に話を持って行ったようである。しかし、家族とはどういう意味かと十郎太は首を傾げる。萩姫を迎えに来たということならば、月守ではなく橘を名乗るはずだ。
「父上、萩姫をかどわかしたというのは本当なのですか」
「お前は知らなくても良いことだ」
「えっ? 勝宜さまは御父上様が姫様を亡き者にせんと企んでいたことをご存知なかったのですか!」
お八重が素頓狂な声を上げた。姫を始末するという計画は、勝孝と勝宜が共謀したものだと思っていたのだろう。驚くべきことに、勝宜は一切何も知らされていなかったのだ。
「先程月守殿から聞かされて初めて知ったのです。父上、勝宜は悲しゅうございます。父上と亡き伯父上殿はご兄弟ではありませぬか。何ゆえにそのように争うのです。勝宜は従姉弟たちを蹴落としてまで成り上がろうとは思うておりませぬ。兄弟がおりませぬゆえ、萩と桔梗丸を実の妹や弟のように思うておりまする」
ここで初めて、それまで一言も声を発することのなかった月守が静かに口を開いた。
「勝宜殿、そなたに兄弟がおらぬのはなぜだかお分かりか?」
やめろ、なぜ今その話をする――十郎太は背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
「一つ上に姉がいたと聞きました。ですが何日も生きることなくこの世を去ったと」
「どうやって亡くなられたかご存知か」
――やめてくれ、頼む。
「病ではないのですか」
「違う。殺されたのだ」
月守の背後でお八重が「嘘でしょ」と両手で口元を押さえる。
「誰に」
月守が勝孝を正面から見据えた。
「御父上がご存知だ」
「どういう意味ですか」
そこへちょうど雪之進の声がした。
「狐杜殿をお連れ致しました」
襖が開くと、雪之進と貧しい身なりをした萩姫がそこにいた。少なくとも十郎太にはそう見えた。
だが、彼女はおよそ姫とは思えない勢いで月守に駆け寄った。
「月守さま! 来てくれたんだね、絶対に助けに来てくれると思ってた! ああ、お八重ちゃんも! 会いたかったよ、ほんとに会いたかった」
「狐杜ぉ! 心配したんだから!」
お八重と抱き合って泣く『萩姫』に十郎太と勝孝だけが訳が分からずにいる。
「これは一体何の茶番だ!」
激昂する勝孝に、八重が狐杜を抱きしめたまま声を張った。
「それはこちらの台詞です! 勝孝さまはまだ幼い萩姫様と若様のお命を狙ったばかりでなく、こうして赤の他人までも殺そうとしたのですよ。あなた様がかどわかしたのは萩姫様ではございません。似ているだけのわたしの友です!」
「あたし、あたし、姫様じゃありません。河原の近くに住んでるただの孤児です。似てるのかもしれないけど別人です、ほんとです」
「見たらわかるじゃないの、勝孝さまは血のつながった姫様と赤の他人の見分けもつかないと仰せですか」
「お八重殿」
月守が静かに遮った。
「話を戻そう。勝孝殿、そなたの第一子に当たる姫をどうされた。そなたが答えられぬと申すなら、十郎太殿に聞くしかないのだが」
一斉にすべての視線が十郎太に注がれた。
目を閉じると、あの雪の日のことが思い出された。あの時、この腕の中で確かに姫様はまだ温かく、そして元気に泣いておられた。
ここで懺悔するしかないのか。
十郎太の視界の片隅で雪之進が小さく首を横に振るのが見えた。むしろ隠して生きるより、ここで裁いて貰った方が楽になれるのかもしれない。
「恐れながら……申し上げます」
「十郎太さま!」
雪之進が割って入る。
「おやめください。月守さま、これ以上は何卒ご容赦を」
「このまま過去を葬る方が十郎太殿には酷というもの」
「かまわぬ。雪之進、下がれ」
「しかし十郎太さま」
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