柿ノ木川話譚1・狐杜の巻

如月芳美

文字の大きさ
47 / 64
第二章 木槿山の章

第47話 救出3

しおりを挟む
 呆気にとられる漣太郎を無視し、勝孝が「十郎太」と慌てて声をかける。
 反射的に刀を手に立ち上がろうとした瞬間、お八重の背後から「十郎太、刀を置け!」と鋭い声がした。
「勝宜さま……と、月守殿?」
 勝宜は月守を部屋へ招き入れると、漣太郎に視線を落とした。
「漣太郎殿、すまぬが父上とお家の一大事に関わる話があるゆえ席を外しては貰えぬか。今日のところは一旦戻り、沙汰を待たれよ」
「しかし」
「父上も良いですね」
「なぜ橘がそなたと一緒におるのだ」
「その話をせねばならぬと申しておるのです。今は一旦漣太郎殿にはお引き取り頂きたい」
 有無を言わせぬ勝宜の勢いに勝孝が渋々頷いて見せると、漣太郎も仕方なく「では先程のお話は保留ということで」と言って出て行った。
 漣太郎が出ていくと、勝孝の横には十郎太が控え、正面には勝宜と月守が、その後ろにお八重とお鈴が座った。
「どういうつもりだ勝宜。なぜおまえが橘と一緒におるのだ」
「父上、この方は橘殿ではありません。月守殿と仰る方で、ご家族を迎えに来られたのです。そしてこちらは……」
 勝宜に紹介される前にお八重が平伏した。
「松原屋の八重にございます。大船屋の若旦那様との縁談がございましたが、あんな木偶人形の嫁になる気は毛頭ございませんし、鬼畜の家へ輿入れする気も全くございません。どうぞ御贔屓ごひいきに」
 態度と言っていることが全く合っていないが、確かに漣太郎の言う通り気の強そうなおなごではある。勝孝相手に『鬼畜』などという言葉を正面から投げつけたのは、おそらくこの娘が最初で最後であろう。
 十郎太は内心ヒヤヒヤするが、勝孝は「面白い娘だ」と特に気にしていないようだ。
「して、月守と申したな。家族を迎えに来たとはどういうことだ」
 これにも勝宜が答えた。
「ただいま雪之進に呼びに行かせております」
 なるほど雪之進は月守と話を付け、月守は直接勝宜に話を持って行ったようである。しかし、家族とはどういう意味かと十郎太は首を傾げる。萩姫を迎えに来たということならば、月守ではなく橘を名乗るはずだ。
「父上、萩姫をかどわかしたというのは本当なのですか」
「お前は知らなくても良いことだ」
「えっ? 勝宜さまは御父上様が姫様を亡き者にせんと企んでいたことをご存知なかったのですか!」
 お八重が素頓狂な声を上げた。姫を始末するという計画は、勝孝と勝宜が共謀したものだと思っていたのだろう。驚くべきことに、勝宜は一切何も知らされていなかったのだ。
「先程月守殿から聞かされて初めて知ったのです。父上、勝宜は悲しゅうございます。父上と亡き伯父上殿はご兄弟ではありませぬか。何ゆえにそのように争うのです。勝宜は従姉弟たちを蹴落としてまで成り上がろうとは思うておりませぬ。兄弟がおりませぬゆえ、萩と桔梗丸を実の妹や弟のように思うておりまする」
 ここで初めて、それまで一言も声を発することのなかった月守が静かに口を開いた。
「勝宜殿、そなたに兄弟がおらぬのはなぜだかお分かりか?」
 やめろ、なぜ今その話をする――十郎太は背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
「一つ上に姉がいたと聞きました。ですが何日も生きることなくこの世を去ったと」
「どうやって亡くなられたかご存知か」
 ――やめてくれ、頼む。
「病ではないのですか」
「違う。殺されたのだ」
 月守の背後でお八重が「嘘でしょ」と両手で口元を押さえる。
「誰に」
 月守が勝孝を正面から見据えた。
「御父上がご存知だ」
「どういう意味ですか」
 そこへちょうど雪之進の声がした。
「狐杜殿をお連れ致しました」
 襖が開くと、雪之進と貧しい身なりをした萩姫がそこにいた。少なくとも十郎太にはそう見えた。
 だが、彼女はおよそ姫とは思えない勢いで月守に駆け寄った。
「月守さま! 来てくれたんだね、絶対に助けに来てくれると思ってた! ああ、お八重ちゃんも! 会いたかったよ、ほんとに会いたかった」
「狐杜ぉ! 心配したんだから!」
 お八重と抱き合って泣く『萩姫』に十郎太と勝孝だけが訳が分からずにいる。
「これは一体何の茶番だ!」
 激昂する勝孝に、八重が狐杜を抱きしめたまま声を張った。
「それはこちらの台詞です! 勝孝さまはまだ幼い萩姫様と若様のお命を狙ったばかりでなく、こうして赤の他人までも殺そうとしたのですよ。あなた様がかどわかしたのは萩姫様ではございません。似ているだけのわたしの友です!」
「あたし、あたし、姫様じゃありません。河原の近くに住んでるただの孤児です。似てるのかもしれないけど別人です、ほんとです」
「見たらわかるじゃないの、勝孝さまは血のつながった姫様と赤の他人の見分けもつかないと仰せですか」
「お八重殿」
 月守が静かに遮った。
「話を戻そう。勝孝殿、そなたの第一子に当たる姫をどうされた。そなたが答えられぬと申すなら、十郎太殿に聞くしかないのだが」
 一斉にすべての視線が十郎太に注がれた。
 目を閉じると、あの雪の日のことが思い出された。あの時、この腕の中で確かに姫様はまだ温かく、そして元気に泣いておられた。
 ここで懺悔するしかないのか。
 十郎太の視界の片隅で雪之進が小さく首を横に振るのが見えた。むしろ隠して生きるより、ここで裁いて貰った方が楽になれるのかもしれない。
「恐れながら……申し上げます」
「十郎太さま!」
 雪之進が割って入る。
「おやめください。月守さま、これ以上は何卒ご容赦を」
「このまま過去を葬る方が十郎太殿には酷というもの」
「かまわぬ。雪之進、下がれ」
「しかし十郎太さま」
「良いのだ」
 そう、良いのだ。赤子を捨てたあの時から、お末と同じところへ行くことができないのは決まっていたのだ。
 それなら自分は罪を告白し、勝孝もろとも地獄に堕ちてやる!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

処理中です...