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第一話
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十一歳を迎えた春のことだった。父に伴われ、初めて私は城に上がった。
「那緒、これからお前の主人となるお方の御前に出る。・・・くれぐれも失礼のないように。」
「は、はい、父上。」
侍女に先導され、美しい内庭に面する城の長い廊下を進み、接見の間へと案内される。池や岩が絶妙に配置され、中央には大きな垂れ桜が見頃を迎えていた。
那緒はひどく緊張していた。これからは毎日登城し、次代当主の学友となるのだ。今日は誂えてもらったばかりの鴇色の小袖に、紺の袴を着ている。母は似合っていると言っていたが、父は心配そうな顔をしていた。変な所はないだろうか。名誉なことではあるが、何か粗相をしてしまわないだろうか。もし・・・
「こちらで、お待ちくださいませ。」
侍女の言葉ではっとし、部屋に通されると、すでに二組の親子がいた。那緒には誰だかわからなかったが、父は彼らと親しげに言葉を交わし、那緒にも挨拶を促した。どうやら自分と同じく、学友として集められた者達のようだ。
挨拶を終えたところで、ちょうど侍女が廊下から声を掛けてきた。
「おいででございます。」
正座をして頭を下げ、入室を待つと、襖が開いてしゅっ、しゅっと足を擦る音が聞こえる。那緒は胸がどきどきするのを抑えられなかった。
「面を上げよ。」
子どものものだが、落ち着いた様子の声がした。頭を上げれば、そこには自分と同年代の少年が座っていた。確か、お年は自分より一つ上のはずだ。肌は少々日に焼けていて、話に聞いていた通り、馬に乗ったり、武道の鍛練も好んでおられる様子が伺える。ごく淡い鼠色の小袖に、濃い紫の袴が良く似合っている。何より、自分達をまっすぐ射抜く、力強い目が印象的であった。
「私は十四代当主東条寺 極正が息子、京。さて・・・初登城の者は特に緊張しておろう。堅苦しい話ではないゆえ、力を抜いてよい。」
そう言ってふっと、笑顔をつくると、こちらをちらと見られた気がした。
自分のことを言っているのだと、那緒は頬に血が上るのを感じた。先の二人が挨拶をし、那緒の番となった。
「葛西家の那緒にございます。未熟者でございますが、誠心誠意お仕え致します。どうぞよろしくお願い致します。」
事前に何度も練習していたおかげで、つっかえずに言え、ほっとした。京様が再び口を開いた。
「そなたらは私の学友として、今回集められた。共に学び、語り、時に食を同じくするのだ。遠慮はいらぬ。本当の友人のように、時には兄弟のように接して欲しい。父上もそのように思っておられる。これからよろしく頼む。」
この領地において、東城寺家以上の身分の者などいない。子どもの那緒でもそれくらいは知っている。少年とは思えない堂々としたお姿に、皆背筋を改め、深々と頭を下げた。
翌日から、行き帰りには下男を伴って城に通い始め、気付くと十日が過ぎていた。初めは城内の案内や決まりごと、礼節を教えられたが、この頃は朝城に上がると、手習いや算術、古典を学ぶ。そして昼食を挟んで、午後には馬術、剣術、弓術などの鍛練があった。
まだ新しい生活には慣れない。帰る頃には、那緒はへとへとになって、下男におぶさって眠ってしまうこともあった。今朝もまだ布団に潜っていたい身体をどうにか起こして来たのだった。
「おはようございます。」
「おはよう、那緒。今日は手習いからのようだ。机の用意をしようか。」
「はい、鷹丸殿。」
部屋にはすでに、一番の年長者である、羽柴 鷹丸殿がいた。年は十四。穏やかでお優しい人柄の方だ。とても優秀で、年齢が一番上だと言うのを差し引いても、勉強も随分先まで進んでいるようだった。
端に置かれている机を並べ、布巾で拭く。驚いたことに、京様も私達と同じように机を並べて、勉強をされた。筆や硯を並べて準備が一通り終わった頃、京様がお見えになった。
「おはよう、鷹丸、那緒。準備は終わってたか。ありがとう。」
「おはようございます、京様。」
領主の息子ともあれば、城中でも伴の者を付けるのが普通であるが、京様は必要な時以外はお一人でいることも多かった。堅苦しいことはお嫌いで、接見の時に言ったように、親しい学友のように接してくださっている。口調も最近は少々くだけていた。
「那緒は今日、教本の第四項からのはずだな?昨日の復習はしたか?」
「は、はい。あの・・・昨日は帰りに寝てしまったので・・・。朝早く起きて、勉強して参りました。」
「そうかまたか。まぁその内体力がつけば、余裕も出るだろう。無理はするなよ。」
京様が、はははっと、声を発てて笑う。鷹丸殿も口元を緩めて微笑んだ。
廊下から早足で歩く足音が聞こえてきた。がらりと少々乱暴に障子が開く。
「おはようございます!あぁ良かった。八雲様はまだのようですね。いや、今日は朝餉のめざしがとても旨くて・・・。」
桐岡 周防殿。京様と同じ十二歳。明るく、場を楽しませてくれるが・・・
「昨日は確か、玉子焼きでしたかな?」
・・・少々周りが見えていない。すぐ後ろに立っていた八雲様が、にっこりと口角を上げ、言い放つ。目は笑っていない。八雲様は京様の教育係を勤めておられ、手習いのご教授もされている方だ。一見柔和な雰囲気のお方だが、京様は怒らせない方が身のためだ、と教えて下さった。
「畏れ多くも、ここは東城寺家第二城内。まだ元服前の童児と言えども、ほどほどに。現ご当主が寛大だからこそ、笑って許されるのです。京様の学友としての自覚を持って、行動なされよ。」
「申し訳ございません・・・。」
「朝餉をゆっくり食べられるよう、早く起きるように。では、席に着いて。」
席に着く前、周防殿がちらりと京様の顔を見る。京様は、
“ば・か“
と、笑いを噛み殺しながら声を出さずに言った。周防殿も少し小突いてやり返す。同い年とあって、誰よりも気安く、打ち解けているご様子だ。
講義中は皆同じ部屋にいるが、年齢も違うので、学ぶ内容はそれぞれ違う。だが私が書き順
や計算を間違っていると、年長の方々が教えて下さることもある。もちろん京様も。私は今まで、勉強は家で雇っていた家庭教師に教わっていたので、こんな経験は初めてだった。
今朝は早く城に向かった。いつも一番早い鷹丸殿が、お姉様の結婚祝いがあり、登城できないからだ。準備を一人でするなら、少し時間が心許ない。城に着いて下駄を脱ぐと、袴の裾が汚れていることに気が付いた。今日は晴れているが、梅雨に入ってここ数日雨が続いていたので、足元がぬかるんでいたのだ。これで過ごさねばならないことにちょっとげんなりしたが、部屋の前まで来て、そんなことは頭から吹き飛んでしまった。
「京様!おはようございます。どうなさったのですか?」
京様は内庭に面する縁側に腰を掛けて、本を開いていた。
「おはよう。今朝は少し早く目が覚めてな。本でも読んでいようと思ったんだ。机の準備するだろう?一緒にやるか。」
「そ、そんな・・・。私がやりますから、京様は読書を続けて下さい。」
「いいから。そら、そっちの端を持て。」
京様も朝の準備をすることはあるが、いつもは筆や半紙を並べるくらいだ。京様に机を運ばせるなどさせて良いのか、那緒にはわからない。
「いつもは鷹丸に遠慮しているんだ。あいつは生真面目過ぎる所があるからな。領主の嫡男にこんなことはさせられないと。」
準備を手際よく進めながら、京様は言う。
「周防の気楽さが少しでも移れば、ちょうどいいと思わないか?まぁ、周防にも逆のことが言えるか。」
なるほど、と思った。確かに鷹丸は京様に対して、態度も言葉遣いも崩さない。予習復習も欠かさず、朝も一番早い。
「京様はすごいですね・・・。一人一人をそんな風に見てらっしゃるなんて。」
「那緒のことも見ているぞ。」
にやりとして、こう続けた。
「嫌いなものは先に食べて、好きなものを残しておく、とかな。」
「・・・そんなところは見なくていいです。」
そんな所を見られていたなんて。子どもっぽい行動は慎まねば。
机は二つ出すだけだった。
「もう一つ並べなくてよろしいのですか?」
「周防は風邪で休みだ。・・・というのは建前だな。俺は食べ過ぎだと思ってる。」
思わず那緒は吹き出してしまった。
「今日は二人だけだ。よろしくな。」
「よろしくお願いします。」
午前の講義を終え、昼食を摂る。今日は炊きたてのご飯に、海苔とねぎの味噌汁、葉物の浅漬けと、若アユの煮付けが出た。若アユは骨まで柔らかくなっていて、那緒の好物だ。いつもなら最後に残しておくが、今日はその事を指摘されたばかりで恥ずかしかったので、少しずつ食べた。そう思っていることも、見透かされていそうだったが。
「今日の剣術の稽古だが、素振りと型の練習で切り上げて良いそうだ。せっかく晴れているし、少し庭を歩こう。」
「はい京様。・・・申し訳ございません。」
「良い。気にするな。」
京と那緒では実力が違いすぎた。那緒は剣術が苦手であった。古くからある武家の葛西家は武道を重んじ、那緒も小さい頃から武道の鍛練をしていたが、剣術はなかなか上達しなかった。
食事を終えて片付けは侍女に任せ、胴着に着替えてから道場に向かった。神棚や先生に挨拶をしてから、声を出しつつ素振りをし、型の練習も行う。京様の素振りや型は四人の中で一番美しい。二歳上の鷹丸殿にも打ち勝つ。勉強は将来優れた領主になるためにもちろんやるが、本当は身体を動かす方が好きなのだと、以前言っていた。聞いていた通り、いつもより随分早く鍛練は終わった。
庭に出る前に、京様が菓子を二つ持ってきた。炊事場からくすねて来たようだ。内緒だぞ、と言って一つくれた。皮はほろほろと柔らかく、甘い白餡の中には大きなくるみが入っていた。行儀は悪いが、庭を歩きながら二人で食べた。他愛もない話を色々として。
「城に通い始めて二ヶ月あまりか・・・。どうだ、何か辛いことはないか。」
紫陽花が咲き乱れた一角に来たとき、京様が聞いてきた。手には先程見つけたカタツムリが乗っていて、もう片方の手で目をつついている。胴着は着替え、今は目に爽やかな水色の小袖を着ている。
「いえ、身体も慣れて来ましたし、鷹丸殿も周防殿もお優しくて。最初は緊張しておりましたが、今は楽しいです。」
「なんだ、その“お優しい“に俺は入っていないのか?那緒にそんな風に思われていたとは知らなかったな。」
ちょっとわざとらしいくらいに眉尻を下げて言うので、慌ててしまった。
「ち、違います!!那緒はいつも、京様が一番お優しくて、凛々しくていらっしゃると思っています!!それにっ・・・」
「・・・“那緒“?」
しまったと思って口に手を当てたが、遅かった。
「あっはははっ!!なんだお前、自分のことを那緒と言うのか!幼げだとは思っていたが、本当に幼子のようじゃないか。」
もうすっかり治ったと思っていたのに。普段は言わないが、家で気を抜いた時や、気が動転したりすると、自分のことを那緒と言ってしまう癖があった。那緒は顔を真っ赤にしてうつむいたが、京様は腹を抱えて笑い続けている。
「そん・・・な、に、笑わなくてもっ、よ、よろしいでは、ありませんか・・・。」
那緒は身体を震わせ、ついに目から涙をこぼした。京は笑うのをぴたりと止め、驚いて那緒を見る。
「こ、子どもっぽいのは、わかって、います。だから、普段は気を付けていて・・・。そんなに、笑わないでくださいませ・・・。」
泣きたくなどなかったのに、ぽろぽろと涙が止まらない。京様が早口で言う。
「すまん、那緒。俺が悪かった。もう泣くな。な?」
泣き止もうとすればするほど、難しい。これでは京様も呆れてしまう。どうしよう・・・。
「じゃあ、何か一つ、那緒の言うことを何でも聞こう。宿題を代わっても良いし、好きなおかずをやっても良い。どうだ、何かないか?」
京様は袖が汚れるのも構わず、ごしごしと私の顔を拭った。京様は私を泣かせてしまったことに、かなり焦っている。ぐすぐすと鼻をすすった。
「・・・では、京様も、何か恥ずかしい話を一つ、してください。」
我ながら子どもっぽくて、馬鹿げたお願いだと思ったのに、京様は、うーんと唸って考え込むような顔をした。そして、迷うように口を開いた。
「・・・俺も七つの頃まで指しゃぶりが治らなかった。夜寝る時とか集中して本を読んでいる時とか。父上や乳母達もさんざん気を揉んでいた。・・・あっ!今はやってないぞ!!ちゃんと克服したんだ!!」
頬を少し染めて言い募る様が、何だかおかしかった。
「誰にも言うなよ。これは本当に誰にも話したことがないんだ。」
「・・・では、内緒でございますね。」
「そうだな。俺はさっきのことを決して誰にも言わんし、那緒も決して誰にも言うな。二人だけの秘密だ。」
京は那緒の頭をぽんぽんとたたいた。京様がそういえば、と言って、
「さっき、それに、と言っていたのは何て言おうとしたんだ?」
あ・・・。那緒はまた顔を赤くして、小さな声で言った。
「あの・・・、京様が一番お美しくていらっしゃると言おうとしました・・・。」
京様はあきれたりせず、そうかと言って、笑ってくれた。涙はいつの間にか止まっていた。
「那緒、これからお前の主人となるお方の御前に出る。・・・くれぐれも失礼のないように。」
「は、はい、父上。」
侍女に先導され、美しい内庭に面する城の長い廊下を進み、接見の間へと案内される。池や岩が絶妙に配置され、中央には大きな垂れ桜が見頃を迎えていた。
那緒はひどく緊張していた。これからは毎日登城し、次代当主の学友となるのだ。今日は誂えてもらったばかりの鴇色の小袖に、紺の袴を着ている。母は似合っていると言っていたが、父は心配そうな顔をしていた。変な所はないだろうか。名誉なことではあるが、何か粗相をしてしまわないだろうか。もし・・・
「こちらで、お待ちくださいませ。」
侍女の言葉ではっとし、部屋に通されると、すでに二組の親子がいた。那緒には誰だかわからなかったが、父は彼らと親しげに言葉を交わし、那緒にも挨拶を促した。どうやら自分と同じく、学友として集められた者達のようだ。
挨拶を終えたところで、ちょうど侍女が廊下から声を掛けてきた。
「おいででございます。」
正座をして頭を下げ、入室を待つと、襖が開いてしゅっ、しゅっと足を擦る音が聞こえる。那緒は胸がどきどきするのを抑えられなかった。
「面を上げよ。」
子どものものだが、落ち着いた様子の声がした。頭を上げれば、そこには自分と同年代の少年が座っていた。確か、お年は自分より一つ上のはずだ。肌は少々日に焼けていて、話に聞いていた通り、馬に乗ったり、武道の鍛練も好んでおられる様子が伺える。ごく淡い鼠色の小袖に、濃い紫の袴が良く似合っている。何より、自分達をまっすぐ射抜く、力強い目が印象的であった。
「私は十四代当主東条寺 極正が息子、京。さて・・・初登城の者は特に緊張しておろう。堅苦しい話ではないゆえ、力を抜いてよい。」
そう言ってふっと、笑顔をつくると、こちらをちらと見られた気がした。
自分のことを言っているのだと、那緒は頬に血が上るのを感じた。先の二人が挨拶をし、那緒の番となった。
「葛西家の那緒にございます。未熟者でございますが、誠心誠意お仕え致します。どうぞよろしくお願い致します。」
事前に何度も練習していたおかげで、つっかえずに言え、ほっとした。京様が再び口を開いた。
「そなたらは私の学友として、今回集められた。共に学び、語り、時に食を同じくするのだ。遠慮はいらぬ。本当の友人のように、時には兄弟のように接して欲しい。父上もそのように思っておられる。これからよろしく頼む。」
この領地において、東城寺家以上の身分の者などいない。子どもの那緒でもそれくらいは知っている。少年とは思えない堂々としたお姿に、皆背筋を改め、深々と頭を下げた。
翌日から、行き帰りには下男を伴って城に通い始め、気付くと十日が過ぎていた。初めは城内の案内や決まりごと、礼節を教えられたが、この頃は朝城に上がると、手習いや算術、古典を学ぶ。そして昼食を挟んで、午後には馬術、剣術、弓術などの鍛練があった。
まだ新しい生活には慣れない。帰る頃には、那緒はへとへとになって、下男におぶさって眠ってしまうこともあった。今朝もまだ布団に潜っていたい身体をどうにか起こして来たのだった。
「おはようございます。」
「おはよう、那緒。今日は手習いからのようだ。机の用意をしようか。」
「はい、鷹丸殿。」
部屋にはすでに、一番の年長者である、羽柴 鷹丸殿がいた。年は十四。穏やかでお優しい人柄の方だ。とても優秀で、年齢が一番上だと言うのを差し引いても、勉強も随分先まで進んでいるようだった。
端に置かれている机を並べ、布巾で拭く。驚いたことに、京様も私達と同じように机を並べて、勉強をされた。筆や硯を並べて準備が一通り終わった頃、京様がお見えになった。
「おはよう、鷹丸、那緒。準備は終わってたか。ありがとう。」
「おはようございます、京様。」
領主の息子ともあれば、城中でも伴の者を付けるのが普通であるが、京様は必要な時以外はお一人でいることも多かった。堅苦しいことはお嫌いで、接見の時に言ったように、親しい学友のように接してくださっている。口調も最近は少々くだけていた。
「那緒は今日、教本の第四項からのはずだな?昨日の復習はしたか?」
「は、はい。あの・・・昨日は帰りに寝てしまったので・・・。朝早く起きて、勉強して参りました。」
「そうかまたか。まぁその内体力がつけば、余裕も出るだろう。無理はするなよ。」
京様が、はははっと、声を発てて笑う。鷹丸殿も口元を緩めて微笑んだ。
廊下から早足で歩く足音が聞こえてきた。がらりと少々乱暴に障子が開く。
「おはようございます!あぁ良かった。八雲様はまだのようですね。いや、今日は朝餉のめざしがとても旨くて・・・。」
桐岡 周防殿。京様と同じ十二歳。明るく、場を楽しませてくれるが・・・
「昨日は確か、玉子焼きでしたかな?」
・・・少々周りが見えていない。すぐ後ろに立っていた八雲様が、にっこりと口角を上げ、言い放つ。目は笑っていない。八雲様は京様の教育係を勤めておられ、手習いのご教授もされている方だ。一見柔和な雰囲気のお方だが、京様は怒らせない方が身のためだ、と教えて下さった。
「畏れ多くも、ここは東城寺家第二城内。まだ元服前の童児と言えども、ほどほどに。現ご当主が寛大だからこそ、笑って許されるのです。京様の学友としての自覚を持って、行動なされよ。」
「申し訳ございません・・・。」
「朝餉をゆっくり食べられるよう、早く起きるように。では、席に着いて。」
席に着く前、周防殿がちらりと京様の顔を見る。京様は、
“ば・か“
と、笑いを噛み殺しながら声を出さずに言った。周防殿も少し小突いてやり返す。同い年とあって、誰よりも気安く、打ち解けているご様子だ。
講義中は皆同じ部屋にいるが、年齢も違うので、学ぶ内容はそれぞれ違う。だが私が書き順
や計算を間違っていると、年長の方々が教えて下さることもある。もちろん京様も。私は今まで、勉強は家で雇っていた家庭教師に教わっていたので、こんな経験は初めてだった。
今朝は早く城に向かった。いつも一番早い鷹丸殿が、お姉様の結婚祝いがあり、登城できないからだ。準備を一人でするなら、少し時間が心許ない。城に着いて下駄を脱ぐと、袴の裾が汚れていることに気が付いた。今日は晴れているが、梅雨に入ってここ数日雨が続いていたので、足元がぬかるんでいたのだ。これで過ごさねばならないことにちょっとげんなりしたが、部屋の前まで来て、そんなことは頭から吹き飛んでしまった。
「京様!おはようございます。どうなさったのですか?」
京様は内庭に面する縁側に腰を掛けて、本を開いていた。
「おはよう。今朝は少し早く目が覚めてな。本でも読んでいようと思ったんだ。机の準備するだろう?一緒にやるか。」
「そ、そんな・・・。私がやりますから、京様は読書を続けて下さい。」
「いいから。そら、そっちの端を持て。」
京様も朝の準備をすることはあるが、いつもは筆や半紙を並べるくらいだ。京様に机を運ばせるなどさせて良いのか、那緒にはわからない。
「いつもは鷹丸に遠慮しているんだ。あいつは生真面目過ぎる所があるからな。領主の嫡男にこんなことはさせられないと。」
準備を手際よく進めながら、京様は言う。
「周防の気楽さが少しでも移れば、ちょうどいいと思わないか?まぁ、周防にも逆のことが言えるか。」
なるほど、と思った。確かに鷹丸は京様に対して、態度も言葉遣いも崩さない。予習復習も欠かさず、朝も一番早い。
「京様はすごいですね・・・。一人一人をそんな風に見てらっしゃるなんて。」
「那緒のことも見ているぞ。」
にやりとして、こう続けた。
「嫌いなものは先に食べて、好きなものを残しておく、とかな。」
「・・・そんなところは見なくていいです。」
そんな所を見られていたなんて。子どもっぽい行動は慎まねば。
机は二つ出すだけだった。
「もう一つ並べなくてよろしいのですか?」
「周防は風邪で休みだ。・・・というのは建前だな。俺は食べ過ぎだと思ってる。」
思わず那緒は吹き出してしまった。
「今日は二人だけだ。よろしくな。」
「よろしくお願いします。」
午前の講義を終え、昼食を摂る。今日は炊きたてのご飯に、海苔とねぎの味噌汁、葉物の浅漬けと、若アユの煮付けが出た。若アユは骨まで柔らかくなっていて、那緒の好物だ。いつもなら最後に残しておくが、今日はその事を指摘されたばかりで恥ずかしかったので、少しずつ食べた。そう思っていることも、見透かされていそうだったが。
「今日の剣術の稽古だが、素振りと型の練習で切り上げて良いそうだ。せっかく晴れているし、少し庭を歩こう。」
「はい京様。・・・申し訳ございません。」
「良い。気にするな。」
京と那緒では実力が違いすぎた。那緒は剣術が苦手であった。古くからある武家の葛西家は武道を重んじ、那緒も小さい頃から武道の鍛練をしていたが、剣術はなかなか上達しなかった。
食事を終えて片付けは侍女に任せ、胴着に着替えてから道場に向かった。神棚や先生に挨拶をしてから、声を出しつつ素振りをし、型の練習も行う。京様の素振りや型は四人の中で一番美しい。二歳上の鷹丸殿にも打ち勝つ。勉強は将来優れた領主になるためにもちろんやるが、本当は身体を動かす方が好きなのだと、以前言っていた。聞いていた通り、いつもより随分早く鍛練は終わった。
庭に出る前に、京様が菓子を二つ持ってきた。炊事場からくすねて来たようだ。内緒だぞ、と言って一つくれた。皮はほろほろと柔らかく、甘い白餡の中には大きなくるみが入っていた。行儀は悪いが、庭を歩きながら二人で食べた。他愛もない話を色々として。
「城に通い始めて二ヶ月あまりか・・・。どうだ、何か辛いことはないか。」
紫陽花が咲き乱れた一角に来たとき、京様が聞いてきた。手には先程見つけたカタツムリが乗っていて、もう片方の手で目をつついている。胴着は着替え、今は目に爽やかな水色の小袖を着ている。
「いえ、身体も慣れて来ましたし、鷹丸殿も周防殿もお優しくて。最初は緊張しておりましたが、今は楽しいです。」
「なんだ、その“お優しい“に俺は入っていないのか?那緒にそんな風に思われていたとは知らなかったな。」
ちょっとわざとらしいくらいに眉尻を下げて言うので、慌ててしまった。
「ち、違います!!那緒はいつも、京様が一番お優しくて、凛々しくていらっしゃると思っています!!それにっ・・・」
「・・・“那緒“?」
しまったと思って口に手を当てたが、遅かった。
「あっはははっ!!なんだお前、自分のことを那緒と言うのか!幼げだとは思っていたが、本当に幼子のようじゃないか。」
もうすっかり治ったと思っていたのに。普段は言わないが、家で気を抜いた時や、気が動転したりすると、自分のことを那緒と言ってしまう癖があった。那緒は顔を真っ赤にしてうつむいたが、京様は腹を抱えて笑い続けている。
「そん・・・な、に、笑わなくてもっ、よ、よろしいでは、ありませんか・・・。」
那緒は身体を震わせ、ついに目から涙をこぼした。京は笑うのをぴたりと止め、驚いて那緒を見る。
「こ、子どもっぽいのは、わかって、います。だから、普段は気を付けていて・・・。そんなに、笑わないでくださいませ・・・。」
泣きたくなどなかったのに、ぽろぽろと涙が止まらない。京様が早口で言う。
「すまん、那緒。俺が悪かった。もう泣くな。な?」
泣き止もうとすればするほど、難しい。これでは京様も呆れてしまう。どうしよう・・・。
「じゃあ、何か一つ、那緒の言うことを何でも聞こう。宿題を代わっても良いし、好きなおかずをやっても良い。どうだ、何かないか?」
京様は袖が汚れるのも構わず、ごしごしと私の顔を拭った。京様は私を泣かせてしまったことに、かなり焦っている。ぐすぐすと鼻をすすった。
「・・・では、京様も、何か恥ずかしい話を一つ、してください。」
我ながら子どもっぽくて、馬鹿げたお願いだと思ったのに、京様は、うーんと唸って考え込むような顔をした。そして、迷うように口を開いた。
「・・・俺も七つの頃まで指しゃぶりが治らなかった。夜寝る時とか集中して本を読んでいる時とか。父上や乳母達もさんざん気を揉んでいた。・・・あっ!今はやってないぞ!!ちゃんと克服したんだ!!」
頬を少し染めて言い募る様が、何だかおかしかった。
「誰にも言うなよ。これは本当に誰にも話したことがないんだ。」
「・・・では、内緒でございますね。」
「そうだな。俺はさっきのことを決して誰にも言わんし、那緒も決して誰にも言うな。二人だけの秘密だ。」
京は那緒の頭をぽんぽんとたたいた。京様がそういえば、と言って、
「さっき、それに、と言っていたのは何て言おうとしたんだ?」
あ・・・。那緒はまた顔を赤くして、小さな声で言った。
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