1 / 27
1
しおりを挟む
住宅街から少し離れた、木々が囲む屋敷の扉の前で待ち始めて、かれこれ三十分は経った。
時間を間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。大奥様から聞いた日付と時間はメモして何度も確認した。
ーゴンゴンゴンー
三度目になるノックは虚しく響いて消えていった。出直そうかしら、と弱気になってしまうが、そんなわけにはいかない事情があった。
「あきらめちゃダメよ、エルナ」
丸まっていた背すじをピシッと伸ばし、大きめのトランクを手にエルナは玄関を回り込む。今日は雲が厚く、日は射していないが、ここは背の高い庭木が生い茂っていて、さらに少し薄暗く、どことなく甘い空気に湿度を感じる。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか」
しかし何処からも返事はなく、屋敷から人の気配も感じない。
「家は合ってるはずだけれど・・・・」
屋敷の外壁が切れている。そちらに近付くにつれて、どうやら甘い匂いのもとが庭の方にあるらしい事に気付いた。
庭を覗き込んだエルナははっと息を飲んだ。
庭には薔薇が咲き誇っていた。それも真っ赤な大輪の薔薇が。エルナは引き込まれるように薔薇の園に足を踏み入れた。
人を探していた事も忘れて、真紅の薔薇に魅入る。エルナも路上の花売りの少女から薔薇を買った事があるけれど、いずれも可憐な野薔薇だった。
こんな美しい薔薇は見たことがない。そしてこの芳しい香りもエルナは嗅いだ事がなかった。噎せかえるような香りの渦に頭がクラクラする。
「何をしている」
後ろから声を掛けられ、エルナははっと振り返る。
少し長めの黒髪に、陶器のように白い肌。長身で、少々細身の引き締まった体躯。そして、黒曜石を思わせる漆黒の瞳。
まるで昔妹に読んであげた絵本の挿絵に描かれていた妖精の王そのもの。私は素敵だと思ったけれど、小さな頃から賢かったあの子は「お花の妖精なのにどうして黒い髪に黒い目なの?」と聞いてきて、困ってしまったのを思い出した。
「用がないなら出ていけ」
彼はそう言うなり、くるりと背を向け、去っていく。
「あ、あのっ!」
エルナはぽーっとしていた頭を降って、慌ててワンピースのポケットから手紙を取り出し、重いトランクを持って小走りで追い掛ける。
「勝手にお庭に入ってしまって申し訳ありませんでした。私エルナと申します」
足を止めるつもりのない様子に焦ってしまう。
「アッヘンバッハ家の大奥様からのご紹介で参りました!」
常にはない大声で呼び掛けるとピタリと足を止めた。
「アッヘンバッハの?紹介とは何の事だ」
訝しげな声と表情は、演技のようには見えない。どんな手違いか、彼に話がいっていなかったようだ。
「大奥様から手紙を預かって参りました」
初見の印象は、控えめに言ってあまり良くはないだろう。せめて少しでも挽回したくて、出来るだけ落ち着いた声音を意識した。
封をされた手紙を手で破って目を通す。
「・・・・・ルドルフ・アッカーマン邸の専属メイドとして、エルナ・フィッシャーを推薦する。」
彼と至近距離で目が合うと、まるで甘美な毒を直接頭に流し込まれたように、脳がじぃんと痺れた。
時間を間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。大奥様から聞いた日付と時間はメモして何度も確認した。
ーゴンゴンゴンー
三度目になるノックは虚しく響いて消えていった。出直そうかしら、と弱気になってしまうが、そんなわけにはいかない事情があった。
「あきらめちゃダメよ、エルナ」
丸まっていた背すじをピシッと伸ばし、大きめのトランクを手にエルナは玄関を回り込む。今日は雲が厚く、日は射していないが、ここは背の高い庭木が生い茂っていて、さらに少し薄暗く、どことなく甘い空気に湿度を感じる。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか」
しかし何処からも返事はなく、屋敷から人の気配も感じない。
「家は合ってるはずだけれど・・・・」
屋敷の外壁が切れている。そちらに近付くにつれて、どうやら甘い匂いのもとが庭の方にあるらしい事に気付いた。
庭を覗き込んだエルナははっと息を飲んだ。
庭には薔薇が咲き誇っていた。それも真っ赤な大輪の薔薇が。エルナは引き込まれるように薔薇の園に足を踏み入れた。
人を探していた事も忘れて、真紅の薔薇に魅入る。エルナも路上の花売りの少女から薔薇を買った事があるけれど、いずれも可憐な野薔薇だった。
こんな美しい薔薇は見たことがない。そしてこの芳しい香りもエルナは嗅いだ事がなかった。噎せかえるような香りの渦に頭がクラクラする。
「何をしている」
後ろから声を掛けられ、エルナははっと振り返る。
少し長めの黒髪に、陶器のように白い肌。長身で、少々細身の引き締まった体躯。そして、黒曜石を思わせる漆黒の瞳。
まるで昔妹に読んであげた絵本の挿絵に描かれていた妖精の王そのもの。私は素敵だと思ったけれど、小さな頃から賢かったあの子は「お花の妖精なのにどうして黒い髪に黒い目なの?」と聞いてきて、困ってしまったのを思い出した。
「用がないなら出ていけ」
彼はそう言うなり、くるりと背を向け、去っていく。
「あ、あのっ!」
エルナはぽーっとしていた頭を降って、慌ててワンピースのポケットから手紙を取り出し、重いトランクを持って小走りで追い掛ける。
「勝手にお庭に入ってしまって申し訳ありませんでした。私エルナと申します」
足を止めるつもりのない様子に焦ってしまう。
「アッヘンバッハ家の大奥様からのご紹介で参りました!」
常にはない大声で呼び掛けるとピタリと足を止めた。
「アッヘンバッハの?紹介とは何の事だ」
訝しげな声と表情は、演技のようには見えない。どんな手違いか、彼に話がいっていなかったようだ。
「大奥様から手紙を預かって参りました」
初見の印象は、控えめに言ってあまり良くはないだろう。せめて少しでも挽回したくて、出来るだけ落ち着いた声音を意識した。
封をされた手紙を手で破って目を通す。
「・・・・・ルドルフ・アッカーマン邸の専属メイドとして、エルナ・フィッシャーを推薦する。」
彼と至近距離で目が合うと、まるで甘美な毒を直接頭に流し込まれたように、脳がじぃんと痺れた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる