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第四章
悪夢
しおりを挟む偽ユシルと曲がり角でぶつかりそうになってから数日、カナトはなぜか悪夢を見るようになった。
夢の中でカナトは自分が拷問された時のことが延々と繰り返されていた。しかし、その相手はフェンデルではなくアレストである。
いくら泣き叫んでも冷たい瞳で見下ろされ、気絶してまた目を覚まさせるほどの痛みが襲う。
今回もカナトはその拷問の悪夢にうなされてハッと目を覚ました。
部屋の中に荒い息づかいが響く。
………なんだ。またあの夢か。
額の汗をぬぐってふうと息を吐き出す。
偽ユシルに会ってから悪夢見るなんて、本当縁起の悪いやつだな。
思い出して隣を見ると、アレストはすでにいなくなった。おそらく事務室で仕事をしているのだろう。
アレストに襲われそうになってからカナトはまたこりずに同じベッドで寝ていた。
「何もなくてよかったけど……あれ?」
カナトはバッとのどを押さえた。
声、戻った?
「あ、あーあー」
戻ってる!!
「嘘だろ……昨日まであんな酷い声だったのに」
うれしいあまりカナトはベッドを降りると簡単な身支度を終えて事務室へ向かった。
事務室で仕事をしていたアレストは足音で来客が来るとわかっていたが、突然ドアを開けられることに少し頭痛を感じた。
ヴォルテローノ領から送られてきたアグラウの容態を書き記した手紙を机の上に置く。
「何かあったのか?」
入ってきたカナトはどこか誇らしそうにもったいぶった様子で近づき、軽く握った拳を口もとに持っていった。
「ぉ"れの"………ぇ"?」
カナトはのどを押さえて戸惑った様子で右往左往していた。
何をしたいのかわからないな。
アレストは表面上の笑顔を保ちながらとりあえず座るよう指示した。
カナトは肩を落としながら休憩スペースのソファに腰を下ろして項垂れ、一言もしゃべらなくなった。
「何か僕に伝えたかったのか?」
顔を上げカナトが何度もうなずく。そして自分のポケットを探すと持ち歩いているノートとペンを忘れてきたことに気づいた。
アレストはそっと机にある紙とペンを取って渡す。
サササッとペンを動かしていたカナトは紙を見せた。
「……ふむ。起きた時はしゃべれたが、突然声が戻った、ということか?」
こくっとうなずかれる。
小さく深く息を吐き出したアレストは紙を返した。その時、一瞬触れた指先に驚いたカナトがパッと手を引っ込めた。その後指が触れ合えない程度で紙を受け取り、ソファに座り直す。
最近カナトから接触を拒む傾向がある。原因は思いつかなくもないが、襲おうとした日から3日くらいは何もなかった。しかし、その後悪夢で夜中に目覚めるようになってから接触を避けるようになった。どう考えても別に何か原因があるように思える。
悪夢と関係があるのか?
「カナト、現実を言うのは少し心苦しいが、きみの声はしばらく戻らない。のどを傷つけないようになるべく筆談を使うといい。それに、声が戻ったら僕に愛の言葉を言うつもりだろ?まだ“記憶”が戻らない僕に言いたいのか?」
ハッとしたカナトが、そうだった!と口に手を当てる。
アレストはその様子に軽く笑い、立ち上がってカナトの頭をなでようとした。
大きな影に包まれたカナトは、伸ばされた手に一瞬怖気ついたが素直に頭なでを受け入れた。そうしていると硬直していた体も少しずつとリラックスしていった。
「カナト、抱き寄せてもいいか?」
い、今?
カナトが見る見る顔が赤くなっていき、やがてうつむきながら小さくうなずく。
アレストはその隣に座るとひょいとカナトを脚に乗せた。
「………っ!!」
「そうやって驚く顔も恥ずかしがる顔も可愛いな」
か、可愛いって言うな!
抗議の意を込めてカナトはアレストの胸に小さく拳を打ちつけた。
そして紙とペンを取って何かを書こうとした。しかし、取った紙の裏表を持ち間違えて、その裏側に目を落とすとアグラウの名前が見えた。
あれ?これって……。
カナトがもともとアレストに当てた手紙を読んでいく。内容はアグラウの病状についてのことであり、今かなり危険な状態だと書かれている。
アグラウの毒殺だ!!
「ああ、それか。いずれは混乱を避けるために他の者に見せられないから、きみの筆談用にちょうどいいと思って」
当たり前のように言うアレストはカナトの手から紙を取ってひらっとさせた。
いやいやいや!犯人お前だろ!!というかいくら他の人に見せられないからってそんな筆談用の紙にするか!?俺には見せていいのかよ!
「どうしたんだ?その顔は。まるで、犯人を見るような目だな」
ぎくりとカナトが反応してしまった。その反応を目に収めて幾分、アレストの口もとから笑みが消える。
「きみはいったいどれほどのことを把握しているんだ?」
「ぁ……ぃ、や」
なんて言えばいい!!?また拷問されるのか!
カナトの頭の中に悪夢の内容が繰り返し再生される。まるで本当にアレスト自身から拷問を受けたようにその目を恐ろしく思い始めた。
いくら本当のことを言ってもそもそも夢ごとだと思われる。
カナトの体が震え始めたのを見てアレストはふっと表情を和らげた。
「そんなに怖がらないでほしいな。もうあんな酷いことはしない」
「ほ、ほん"、とうかぁ"?」
「本当だ。きみは僕の味方なのだろう?」
カナトは必死にうなずいた。
「それならきみに酷いことをする理由がない。きみの知っていることは誰にも話さないでくれるか?」
話したらどうなるのか、前回偽ユシルに協力を持ちかけられた時ですでに思い知った。カナトはうなずいてから目に涙がにじんできたことに気づいた。手のひらでぬぐうと、見かねたアレストが抱き寄せて代わりにぬぐった。
「カナト、きみさえ望むのならなんだって与える。だからーー」
「兄さん!って、ちょっと、ムソク!」
半開きのドアの前で偽ユシルがムソクに止められていた。
ムソクが部屋の中に視線を向けながらアレストの意向をうかがう。うなずかれたのを見て偽ユシルを放した。
「兄さん、紅茶店に出すクッキーの新作が……」
部屋に入ってきた偽ユシルはカナトとアレストの姿勢に言葉をなくした。
アレストの脚に乗る形で向かい合うカナトから視線をそらして口を開く。
「兄さん酷いなぁ…私ももっとそばにいたいのに、使用人のカナトばかり可愛がるなんて」
偽ユシルはわざと使用人という部分に力を入れた。
カナトは2人の妙に、おもに偽ユシルだけアレストに近々しくするのを思い出して顔をしかめた。降りまいとアレストの首に抱きつき、自分の食べ物を守る猫のような鋭い眼光を向けた。
こいつは俺の恋人だ!!ユシルの体で浮気は許さない!!
カナトは偽ユシルがアレストを誘惑しようとしたことに気づいているわけではないが、2人の距離が近いことにとにかく気に食わず、浮気と呼んでいた。
それに対してアレストはいやがることなくカナトの腰に回した腕をさらに寄せる。
「すまないが、このままでも話していいかな」
「え、ええ。もちろんだよ、兄さん」
偽ユシルは表面上引きつった笑いをもらすが、内心は穏やかではなかった。
なんで?カナトに出すおやつに薬を混ぜたはずなのに。本来なら悪夢にうなされてアレストから距離を取るんじゃないの?なんでこんなにもくっついているのよ!
「カナト、なんだか顔色悪いね。最近何かあった?」
「うるせ"ぇ"」
「なっ」
密かに探ろうとした偽ユシルの顔がゆがむ。すぐにとりつくろって笑った。
おかしい!あんなに魔法書を読みあさって制作方法も材料も準備したのに!
郊外に近いイグナスの邸宅にはたくさんの魔法書がある。そのうち製薬分野の書物をいくつか王都に持ってきていた。そのなかに人のトラウマを引き出して悪夢を見させる薬の作り方があった。
この世界で魔法を使えるのはユシル以外にいない。だから魔法で何をしてもバレない。そう踏んだ偽ユシルは堂々と厨房に入って薬を液体チョコレートのなかに混ぜた。
ただ、その後なぜかアレストに厨房の出入りを禁止されてしまった。
偽ユシルは密かに唇を噛んだ。
厨房に入れないから薬を付け足すこともできないけど、何も効果がないの?アレストから酷い仕打ちを受けたならカナトのトラウマはアレスト関係だと思っていたのに。
「ユシル?」
「え?ああ!そうだった。新しいクッキーなんだけど、新しく品種開発した食用薔薇を混ぜてみたんだ。抽出したエキスか、乾燥した花弁を粉にして混ぜるか迷ったんだけど、兄さんも味見してくれない?1人じゃ決められなくて」
だったら店の人に味見させろよ。カナトがジト目でその胡散くさい笑い顔を見た。
そんな視線を無視してユシルは手のひらに隠した薬の瓶から桃色の液体を一滴垂らしてクッキーに染み込ませた。それをアレストに差し出すーーはずが、カナトに横取りされた。
「え?ちょっと、待っーー」
止める間もなく勝ち誇った顔のカナトに惚れ薬入りのクッキーが食べられた。
あ、あの猿ガキがッ!!
偽ユシルは焦ったが、すぐにカナトを惚れさせることで簡単に排除できるのでは、と考え細く微笑んだ。
バカが勝手に自滅してくれて助かった!
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