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第一部 春

41 花の妖精フェイ

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「おーい! 妖精さ~ん、いるなら出ておいで~」

 花壇に水まきをしているわたし、マリエンヌ・フローレンスは妖精を探していた。ルナの証言によると、この花壇で羽が生えている小さな生き物を目撃した、らしい。

 しかし、公式ファンブックには、それらしいファンタジーな生き物は載っていなかった。おそらくルナは、目の錯覚を起こしたのだろう。天然のルナらしいわね、まったく。
 
「ふぅ、やっぱり妖精なんているわけないか……」

 あきらめ半分のわたしは、とりあえず水まきを終えたので、ホースを地面に寝かせた。ホースの先端からは水が流れたまま、ダダ漏れになっている。

 蛇口が遠いところにあるから、いったんホースを離さないといけない。蛇口までホースを持っていってもいいが、また次に水まきすることを考えると、その都度ホースをのばすのは効率が悪い。
 
 合理的かつコストを抑えて水まきをするなら、シャワーノズルを取り付けたいところ。しかし、なぜか倉庫を探したけど見つからない。
 
 そこで、わたしは土日の休校になったら実家に帰省しようと考えている。シャワーノズルを手に入れたいからだ。
 
 わたしの実家は花屋だ。
 
 園芸用品などいくらでも売っている。シャワーノズルだってある。それと、何となく父と母に会いたい。わたし、マリエンヌは一人っ子なので、両親もわたしに会いたがっていることだろう。
 
 心理的には、遅れてきたホームシック。
 
 ただ、実家に帰るといつも花屋のお店を手伝いを頼まれることが多く、のんびりできない。まあ、動いていることは嫌いじゃないし、家族と花の手入れをすることは大好きだから、いいけどね。
 
 そんなわたしは蛇口を閉めてから、ふと顔を上げた。水滴が舞う花壇は、まるで透明なガラス細工を散りばめたように輝いている。太陽の光りを楽しそうに浴びる花びらは笑う。キラキラとまばゆい光景に、わたしの心は軽やかに踊った。花壇の手入れは自然とのつながりを感じる、調和。
 
「ふぅ……つかれた、つかれた」

 わたしは花壇のそばにあるベンチに座って休憩することにした。花壇はべつに広くはないが、たくさんの花々が咲いているため、その分だけ水やりも骨が折れる。

 それでも、綺麗に咲きほこる、モネフィラ、サクラソウ、クロッカス、そして、わたしが一番好きなマリーゴールドの花を眺めていると、心が浄化され……。
 
 この世界が美しいことを実感する。
 
 そして、妖精の姿を探してみる。目を凝らし、虚空に動く物体を探す、ひらひらと舞う蝶、ぶんぶん飛ぶ蜂、春の風が、ふわふわと綿毛を運んでいる。
 
 花の香りを大きく吸い込む、と。いきなりの突風が吹いた。わたしのスカートが風に大きく揺れた。鮮やかな群青をなびかせるスカートの丈は膝よりも下で長い。

 とても窮屈さを感じた。

 ああ、日本の女子高生だったころが懐かしい。短いスカートのほうがかわいいし。
 
 省みると、太もも丸出しにしていた高嶺真理絵の高校生活は、学習漬けの日々だった。成績という数字でしか自分の存在価値を見出せない。哀れな少女。唯一の友達はイラストが得意な腐女子。わたしの趣味は読書と乙女ゲーをやることぐらい。仮想空間での恋愛シミュレーションで女の欲求を満たしてお腹の底をうずかせる、そんな日々がループしていた。
 
「ああ、なんて陰キャなのだろう……わたし」
 
 そのとき、脳内に保存された高嶺真理絵のアーカイブが、さらさらと水が流れるように再生された。
 
 3ーAの教室。
 騒ぐ生徒たち。
 教室に先生が入って来て急に静かになる。
 退屈な授業、ノートの落書き。
 イケメンキャラの二等身イラスト。
 それらを描く、友達の笑顔。
 黒板、机、教室の窓辺で風に揺れるカーテン、校庭のグランド、サッカーをする男子たち、綺麗に咲く花壇で水まきする……。

 わたし……。
 
 あれ? そこから記憶が、ない……。
 
 おそらく、高校の花壇で水まきをしているときに何かあったのだろう。目を閉じて、ぐっと眉根を寄せる。


 思い出せ! 思い出せ! 

 高嶺真理絵の記憶を思い出せ!

 しかし、水まきからの記憶だけが思い出せない。こんなしかめっ面を作っていると、またベニーに怖い顔はモテないぞ! なんて言われそう。
 
「ああん、ダメだ、ダメだ……」

 わたしは、ぶんっと首を振って我に返る。

 そのときだった。ふと、人が歩いてくる気配を感じた。すると、一組のカップルが現れた。花壇で告白をするつもりだろう。わたしは、さっとベンチから腰をあげ、ダッシュで倉庫の裏手に隠れ身をひそめた。もちろん、顔だけひょっこりだしてカップルをのぞく。

 よし、イケ! 

 がんばって告れ!
 
 ここは伝説の花壇だ。
 
 カップルが愛を誓い合うと、その二人は永遠に結ばれるという伝説がある。もちろん、カップルはモブでもその効果はあるみたい。年間で、一週間に一組は告白しにくるという統計もある。わたし、マリエンヌの日記にそう書いてあった。
 
「おお!」

 カップルは抱き合ってキスをした。どうやら、告白が成功したようで、二人は手を繋いで歩き去った。
 
「よし、これで二人は永遠に結ばれたわね……」
「うん、よかった~」
「ほんとね~」

 ん? だれ?
 
 子どものような、かわいい声が響いた。

 はっとして首を振って見回すと、手のひらサイズの人形が飛んでいた。よく見ると羽が生えている。ああ、これが妖精か。大きな瞳、透き通るような白い肌、耳はつんと尖っている。うんうん、妖精以外に考えられない……って……。
 
「ええええええ!」

 わたしの叫び声にびっくりした妖精は、
 
「うるさいな……これだから人間は苦手」
 
 とつぶやきながら顔をしかめて、ぺろっと舌を出した。
 
「いた! いた! 妖精がいた!」
「ふぇ? 僕が見えるの?」

 わたしは、大仰に二度うなずいた。
 
「ええ、バッチリ丸見えよ」
「あれ? おっかしいな……」

 妖精は、さっと両手を広げた。すると、水色に光る玉が、パッと花火みたいに咲いて、虚空に浮かんだ。妖精はその玉をじっくり見つめながら、指先で触れていじくっている。まるで、スマホの画面を操作するみたいに。
 
「あ……屈折率のジェネレーターがイカれてる。しまった……ぼく、透明になれてない」
 
 妖精はまた舌を、ぺろっと出した。

 はあ? なにこのボケた妖精は?

 なんだかわたしは、妖精の舌を引っ張ってやりたい衝動に駆られ、次の瞬間には、その気持ちに素直になっていた。
 
 むぎゅ!
 
 わたしは妖精を両手で握るように捕まえた。虫を採取する要領とまったく同じやり方。または、蚊を叩き殺す動作とも似ていた。
 
「ぎゃぁぁぁぁ! なに? なに?」
「なに? じゃない! あなたでしょ? わたしをこの乙女ゲームの世界に入れたの?」
「あ、気づいてる? すっご~い。知能が高いんだね」
「ふざけないで! わたしがなぜマリエンヌになっているのか説明しなさい」
「あれれ? 覚えてないの?」
「どういうこと?」

 妖精はわたしの頭を指さし、まるで、拳銃で撃ち抜くように言葉を放った。
 
「高嶺真理絵は死んだよ」
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