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第2章 ピアノコンクール編

6 イヴァンの過去

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  コンサートホールは開演が迫っていた。
  
  客の行列や黒服のスタッフたちでごった返している。 
  
  入場口の壁面には、今まさに開演を迎えるコンクールの告知をかねた宣伝用のポスターが貼られてあった。
  
  ポスターにはファイナリスト奏者として、イヴァン、ミサオ、ソフィアの名が顔写真つきで連ねてある。
  
  上位入賞者のイヴァンの顔写真は、ミサオとソフィアよりも若干大きい。
  
  というのも金の話だが、ファイナリストの演奏会は入場料が発生する。
  
  つまり、イヴァンは客寄せパンダよろしく集客益を見込んでいる。
  
  大方の予想では優勝者はイヴァンだ。
  
  噛ませ犬としてミサオ、綺麗どころにソフィアが用意されているのが現実的だ。
 
  イヴァンは控え室の机に向かって、書面に目を通している。
  
  無謀なコンクールには出場しない。
  
  自分の実力なら確実に入賞できそうなコンクールを選んでエントリーしている。
  
  もちろん主催者側も集客が見込めるため大歓迎だ。
  
  今回のコンクールは貰った。
  
  と、思わず笑みがこぼれる。
  
  ペンを取ると書面にサインをする。
  
  入賞者には賞金が与えられる。
  
  その額は優勝賞金4万ドル。
  
  指定した銀行口座に入金される。
  
  イヴァンは書類に口座番号と名義を記入する。
  
  名義欄には、修道院の名が書かれてある。
  
  イヴァンはペンを置くと、書類をファイルに閉じて厳重に鞄にしまう。
  
  そして、鞄の奥底にあった一枚の写真を取り出す。
  
  丁寧に木枠の額に入って風化しないようになっている。
  
  写真を手に取ったイヴァンは表情がほころぶ。
  
  初心に戻るかのように心が清浄化される。
  
  写真には子どもたちの姿が写しだされている。
  
  満面の笑みでカメラのシャッターが切られるのを、今か今かと待ち望んでいる。
  
  背景には神々しいステンドグラス。
  
  悠久なパイプオルガン。
  
  演奏者のための椅子。
  
  その椅子に肩を寄せ合って座る少年たち。
  
  つまり教会である。
  
  イヴァンは孤児であった。
  
  椅子の中央に座っているのが幼少期のイヴァンだった。
  
  金は写真に写っている仲間たちに使われるわけではない。
  
  金は今現実に貧困で飢えている孤児たちのために使われる。
  
  将来真っ当な大人になって社会で生きるために、衣食住、教育、衛生的にも娯楽的にも完備された施設で育てるために使われている。
  
  そう、そうなのだ。
  
  仲間たちのためではない。
  
  仲間たちに金をあげたくてもできない。
  
  ましてや送金もできない。
  
  なぜなら仲間たちのほとんどが消息不明だからだ。
  
  修道院で天に召され者。
  
  戦争に旗を掲げに行った者。
  
  社会の歯車にハマることができず、ドラム缶の火で冷えた体を温める者。
  
  闇の社会で暗躍する者。
  
  運のいい者は性が目覚める前に里親に預けられた者もいる。
  
  その過去の素性は隠し通すだろう。
  
  イヴァンも例外ではない。
  
  イヴァンは天才的な音楽の才能があったため特別なことが起きた。
  
  音楽家の里親に預けられ、成人するまで英才教育を受けることができたのだ。
  
  裕福な家のため稼いだ金はイヴァンの自由に使っていいことになっていた。
  
  イヴァンは音楽の才能に感謝しつつ、里親を見つけてくれた修道院に多額の寄付をして恩返ししている。
  
  だが、里親から逃げ出した者もいる。
  
  イヴァンの初恋の女がそうであった。
  
  幼少期に面倒を見てくれた気立てのいい年上のお姉ちゃんは、共に成長すると可憐な美少女になっていった。
  
  イヴァンは物心ついた時には彼女に恋をしていた。
  
  いや、仲間の男たち全員が彼女の虜だった。
  
  そして、やはり美貌に叶った未来が彼女に待っているかのごとく、里親が見つかり修道院を去っていった。
  
  十数年の時が流れる……。
  
  成功したイヴァンは彼女の行方を追ってみた。
  
  探偵を使い、一人の女の名前に行き着く。
  
  バーバラと……。
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