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106.大僧正と蛇

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「何をしておられる!」

 遠くに見える黒塗りの箱の柄に気を取られていると、角灯を片手に怒声を上げながら向こうから走ってくる大僧正。
元気なお爺ちゃんですね。

 ちなみに角灯は初代の頃、ランタンと呼んでいました。
ほのかな朱色の明かりが硝子に映えて綺麗です。

「あれ程申し上げたでしょう、貴妃!!」
「ったく、爺さんやらかしたな」
「怪しい格好で顔を隠していてもわかりますからな!
はよう戻られよ!!」

 怒声の合間に、嫌そうな声でぼやいたのは私じゃありませんよ。
心から同意はしますが。

 鬼より鬼の形相の大僧正は、1人で来たようです。
しかし己が危険物と化してしまった事には、気づいていなさそうですね。

「はぁ、左鬼ズォグイ

 そう言って小石を拾い、ランタンの灯りがこちらへ辿り着く手前で、投げつけます。

「何を……な、何じゃ、ふぐっ?!」

 小石はパリン、とランタンを割り、はずみで皺のある手から落ち、周囲に撒き散らした油に火が引火して数十秒程燃えます。

 大僧正は、私達の向こうで灯りに反射した、無数の小さな光点に気づいたからでしょうか。
驚いたような声を出そうとしました。
しかし鬼の腕が背後から首を捕え、不発に終わりました。

 そのまま引きずって、素早く壁際に移動したのは良いのですが、首を折らないようにしてますよね?
流石に自分達の邪魔、もとい、助けに来たっぽくみえなくもない、お年寄りを物理的に口封じするのは駄目ですよ。

 鬼が大僧正の膝をカクンとして、地面に座らせたのを確認し、私も駆け寄ります。
そのまま正面から大僧正の顔を抱きこんであげました。

「フガッ、何をなさる……」
「黙りなさい」

 文句は今は聞けません。

 __シュー、シュー……。

 無数の噴気音が聞こえ始めると、程なくして向こうの方からそれは近づいて来ます。

「この音は……」

 人の胸元でボソボソ喋るの止めて欲しいですね。

「とにかく静かに。
わかりましたね」

 微かな声で忠告すれば、コクリと頷いたので、ゆっくりと顔を離します。

「お嬢」

 同じく、微かな声の鬼が懐から出した筒を受け取り、自分達を囲むようにして、中の液体を半円状に静かに撒けば、ツンとくる酢の臭い。
コン爺特性の忌避剤です。

 自分達がいた方向を改めて見れば、紐のようなものが水面を伝い、段を難なく乗り越えて、油の燃えた辺りに集まっています。

「蛇……かように……」

 私達同様、微かな声を震わせる大僧正も、目をいくらか強化したようですね。
物凄く目つきが悪くなっていますが。

 大僧正の言うように無数の、と言っても、100匹には全然足りないでしょうが、蛇が向こう側から移動していました。

 恐らく雨が降ると、地下水の水位が上がり、八角形の水路から水が湧き出ます。
水位が上がれば、1段低い所からこちらへ渡れる仕組みなのでしょう。

 1段低いあの辺りは、ツルツルした石を使っていましたし、管理する僧侶によって手入れはされています。
普段なら蛇は登れない仕様とお見受けしました。

 しかしあの黒塗りの箱を得ようとするとなると……。

 あの箱は普段無く、雨の日は現れる。
箱を守ろうとするかのような玄武の雄蛇。
1段低いツルツルの床。
そもそも何故なにゆえ、蛇は現れたり消えたりするのか……。
ある者は笑い、ある者は恐怖した死者の顔。
それから火の玉。

 【高祖望まぬ者、雨濡れに立ち入らば冥府に向かう】

 そこで顔色を悪くし、絶句している大僧正の言葉の裏を返せば、高祖が望む者ならどうなのか……。

「ふむ、左鬼ズォグイ
「お、やる気か、お嬢」
「ええ。
しかし時間が無いので共同作業です。
まずはガッポリあの辺りから」
「任せろ!」

 言うが早いか、鬼は2人くらい入れそうな麻袋、私は丸めていた針金を取り出します。
手分けして互いに針金を、両方向から袋の縁に刺して一周させて、針金を縛って緩い三角形を作れば、鬼は腰に巻いていた紐を外して長めに切りました。
それを底辺の角に1つずつ、頂点の角に2つ括りつけ、準備は終いです。

「それでは大僧正。
邪魔せず、大人しく、そこにいて下さい」
「いや、しかし……」
「年寄りは若者の言葉に従うもんだぞ、爺さん」
「じ、爺……」

 力強い鬼の言葉に感動したのでしょう。
二の句は告げられないようなので、鬼との共同作業に集中すると致しましょう。
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