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    撮影の当日、俺は、晴に連れられて繁華街の一角にあるその崩れそうなぼろい建物へと赴いた。
   その前日に会った春名は、俺に自分も同行したいと言い出した。
    「ちゃんと俺がついて行かへんかったら、レイちゃんまで、なんか、やらしいことされてまうんちゃうか?」
   「まさか」
   俺は、春名の心配を一笑にふした。
   「そんなこと、あるわけないでしょう」
   「やけど、弟くんかて、連れていかれて1日目にいきなり代役やらされたんやろ?それに、俺が監督やったら、こんな超キュートな子がおったら、見逃さへんで」
   俺は、無言で笑った。
  春名の妄想が発動している。
   春名は、俺に、続けた。
  「レイちゃんが、縛り上げられて、弟くんと一緒に、あんなことや、こんなこと、されてもたら、俺、どないしたらええのん?そんな過ちが起きへんように、俺が一緒について行くべきやと思わへんか?」
    「思いません」
   俺は、言い切った。春名は、言った。
  「自分、いけずやなぁ」
   いけずで結構。
   俺は、できれば、もう二度と春名に晴のそういう姿を見せたくなかった。
   春名は、晴のことを俺だと思っていたとはいえ、晴のDVDを見て、10回ぐらいは、いったと言っていた。俺は、それが、許せなかった。俺の大事な弟である晴をこともあろうかそういうことのおかずにするなんて、ということもあったが、それと同時に、春名の性の対象にされた晴への嫉妬を感じていた。
   春名は、それを知ってか知らずか、なおも、俺に食い下がった。
   「頼むで、連れていって。頼みますわ、レイちゃん」
   「くどいな」
    俺は、春名に蹴りを入れた。
   「絶対についてこないで下さいね」
   そうして、俺は、春名に背を向けた。
   
 俺は、晴についてビルと同じぐらい古いエレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターは、不穏な音を立てていて、俺の不安な気持ちは、高まっていった。
   晴も、心なしか、青ざめた、不安げな表情をしていた。
      無理もなかった。
   これから、衆人環視の中で、男に抱かれようとしているのだ。しかも、その観客の中の一人が、双子の兄である俺なのだから、緊張もするだろう。
    晴の張りつめた様子が俺にも伝染してくるのを感じた。
   俺は、晴は、本当に大丈夫なのだろうかと心配になっていた。
   晴は、もともと、気の弱い、内気な奴だった。その晴が、エロDVDの男優なんて。俺は、今でも、本当は、信じられていないのかもしれなかった。
   俺の疑念も、心配も、すぐに、霧消することとなった。
   エレベーターを降りて、晴に案内されて、スタジオのドアの呼び鈴を押した晴は、ドアが開いた途端に、緊張が解きほぐされていった。
   ドアを開いて現れたのは、俺も、よく知っている男だった。
  その茶髪の強面で、大柄な男は、DVDの中で何度も晴を抱いていたその男だった。
   俺は、その男を睨み付けた。
   俺の大事な弟に酷いことをした男だった。
   だが。
   その男の顔を見た瞬間に、晴の緊張が解けるのが俺にも、わかった。
   晴は、まるで、恋い焦がれる相手を見つめるように、その男を見上げて微笑んだ。
   晴は、この男に惚れている。
   俺には、すぐに、わかった。
  「それ、誰、だ?」
   男は、俺を見て、晴にきいた。
   俺は、晴が今日、俺を連れてくるということを彼らに告げていなかったことにも気づいていた。
   男は、俺たちを、その部屋の隣の部屋へと案内した。そこは、事務所になっている様だった。男は、デスクに向かっている冴えない中年男に声をかけた。
   「社長」
    社長と呼ばれた中年男は、俺と晴を見て、ちょっと驚いた顔をしていたが、すぐに、俺たちにソファに座るようにとすすめた。
   晴は、そこにいる人々に、これまでの経緯を話すと、自分は、本当は、礼次郎、つまり、俺ではなかったのだと言った。
       そこにいた人々は、皆、黙って晴の話をきいていた、
   誰も、何も、言わなかった。
   が、しばらくして、社長が口を開いた。
   「なんとなぁ、人違いやったんか」
    社長は、俺と晴を見比べるようにじろじろ見ながら言った。
   「やけど、契約は、契約や。なしには、できへんで、レイちゃ、じゃのうて、ハルちゃん、か?」
   「わかってます」
   晴が言った。晴は、社長に、今日の撮影を俺に見学させてもいいかと、きいた。社長は、呆れた様子だったが、頷いた。
   「別に、かめへんで。ハルちゃんがええんやたら」
    それから、打ち合わせがあるということで、俺は、席を外すことになった。
    俺たちをここに案内してきた男が俺を連れて、スタジオへと案内した。
      男は、俺を連れてさっきのスタジオへと戻っていった。俺は、そこで少し待つように言われた。そのまま、その男は、俺を残して、どこかへ行ってしまった。
    俺は、一人、取り残された。
   スタジオの中では、何人かのスタッフが走り回って機材の準備をしたり、忙しそうにしていた。俺は、一人、途方に暮れていた。
   俺に会釈してくるスタッフたちに、会釈を返しながら、俺は、腕時計を眺めていた。
   「お兄さん?」
    呼び掛けてくる声に、振り向くとさっきの強面の男が立っていた。俺は、その男を睨み付けた。男は、俺に怯む様子もなく言った。
   「さっきは、挨拶もできずに、すみませんでした。俺は、ここの助監督をしている沢村     レイっていいます」
   「谷村   晴の兄の礼次郎です。弟が、いろいろ、お世話になっているみたいで」
   俺は、嫌みを込めて言った。沢村は、苦笑した。
   「こちらこそ、弟さんには、お世話になっています。いろいろと」
   俺たちは、睨みあった。
   先に口を開いたのは、俺だった。
   「あなたですよね?DVDの中で、晴の、その、相手役をされていた方は」
  「はい」
   沢村が、頷いた。
   「俺は、助監督ですが、小さい会社ですから、男優が足りない時には、男優を務めることもあります」
   「そうなんですか?」
   俺は、沢村を上から下まで遠慮会釈なくじろじろと眺めた。
   確かに、男優を務めるほどのことはあって、なかなかの男前だった。だが、どうして、晴がこの男に惚れたんだ?DVDの中では、あんな酷いことをされていたのに。俺には、晴の気持ちがわからなかった。
    「お兄さん、レイちゃんの、いや、弟さんのDVDを見てくださったんですね」
   沢村に言われて、俺は、心臓が跳ね上がった。
   俺は、晴のDVDを見た。
   ただ、見たというだけではなかった。俺は、画面の中でこの男に責められ、喘いでいる弟の姿を見て、自分で抜いたのだ。
   それだけじゃなかった。
   俺は、晴のDVDを見ながら、春名に抱かれていかされていた。
   俺は、思わず、顔が赤らむのを感じていた。沢村は、そんな俺を見つめて言った。
   「弟さんは、最高の素材です。きっと、この業界の歴史に残る名優になります」
   「晴が、名優、ですか?」
   「はい」
    沢村は、頷いた。
   「どうか、弟さんを、俺に任せてください。俺が、弟さんを、最高の男優にしてみせます」
   「はぁ?」
    俺は、沢村を睨んで言った。
   「晴は、今日の撮影を最後に、この世界とは、縁を切るんですよ。晴は、俺の弟は、本来、こんな世界に関わっていい人間じゃなかったんです」
   「わかっています」
   沢村は、言った。
   「彼は、そんな人間じゃない。だけど、すごい魅力を秘めた男優でもあります。お兄さんも、今日の撮影を見てくれれば、わかります。俺が、わからせてみせます。どうか、最後まで、晴から目を反らさずにいてやってください。お願いします」
   そう言って、頭を下げると、沢村は、部屋を出ていった。俺は、怒りが収まらなかった。人の弟をいったい、なんだと思っているのか。晴は、エロDVDの男優なんかになる人間じゃない。晴がなるのは、学校の先生、だった。
    俺は、認めることができなかった。
   晴が、あんな男に惚れてるなんて。
   晴は。
   晴だけは、幸せな人生を歩んでほしかった。
   学校の先生になって、いつかは、幸せな結婚をして、かわいい子供たちに囲まれて、文句のつけようのない幸せが、晴には、相応しいのだ。
    俺なんかとは、違う。
   晴は、俺の望む晴でなくては、ならないのだ。
   俺の代わりに、晴には、是非とも、幸せになってほしい。
   それだけが、俺の望みだった。
   しばらくして、沢村が晴を連れてスタジオに入ってきた。
   晴は、沢村の腕に抱かれて運ばれてきた。
   お姫様抱っこ。
   信じられなかった。
   俺の前を通り過ぎて、二人は、スタジオの隅の小部屋へと消えていった。
   まるで、このまま、二人で、抱き合って、愛し合いそうな勢いだった。
   晴。
   俺は、唇を噛み締めて立っていた。
   俺は、そんなこと、許せない。
   晴が、俺を離れて、そんなどこの馬の骨ともしれない男とどうにかなってしまうなんて、絶対に、認めない。
   俺は、スタジオの隅っこで、仁王立ちになっていた。
   『晴から目を反らさないで』
    そう、あの男は、言った。
   もちろん、だ。
   俺は、決意していた。
   俺は、何があろうと、晴をここから、無事に連れ戻してみせる。
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