人違いです。

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底なし沼にて

104.

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(※女性に対する性的な表現が含まれます。ご注意ください)








 本来ならばまだ学園の中等部に入学しているかどうかという若さでその身体の成長を止めてしまった少女、アリス。何処までも壊れてしまった彼女の瞳は酷く残虐な気配を宿している。 固唾を飲んで彼女の話に耳を傾ける俺に仄かなーーそれでも確実な殺意を向けながら、アリスは尚も話を続けた。


「お察しの通り、ぼくの身体は成長を止めてしまった。明らかな成長期の年齢に明らかな年月が経っても一寸の成長もしないぼくの変化に、無駄に賢い奴等は薬の完成をすぐ様理解した」


 とはいえ、多くの奴隷達の犠牲を糧に完成した薬は到底世間で受け入れられる良薬ではなかった。身体の成長を無理やり止めて、代わりに永遠の若さと異常な筋力の発達を得る。そんな一見軍事国にとっては完璧な薬には当然欠点があるもので。
 その副作用は文字通り「最悪」と決定づけていいものだろう。資料サンプルとして当時それを見た時は、流石の俺でも顔も顰めざるを得なかったものだ。

【副作用:筋肉痛、関節痛、頭頂葉前部萎縮による感覚異常、大脳辺縁系に深刻な損傷による感覚的思考力の低下】

 ーーまぁ要するに、現在進行形で俺に降り掛かっている問題という訳である。とはいえ、ある程度の成長を終えた俺(成長期自体は終わってないと信じているが)と未成熟なアリスとでは感じる苦痛の度合いは段違いだろう。思わず同情のまま彼女の髪の束を掬いあげて撫でると、アリスは何故か楽しそうにケラケラと笑ってみせた。
 詳細には俺と彼女に投与された薬は別のものだが、彼女が忌まわしい薬物療法の原点となってしまったことに間違いはない。シャルとシャロンも、彼女の身体で完成したその薬を投与されたのだ。

 ちなみにシャルとシャロンがなんの副作用もなく何時も元気いっぱいだったのは、彼等が元々ある一定の年齢で成長が止まる【体質呪い】だった為にある程度からであるという見解に収まっている。……判断の極端さや攻撃性に関しては副作用を色濃く反映しているのだが、まぁそれはおーーーー第3部隊の皆が助けていくだろうから問題ない。


「支配人はぼくを自室に閉じ込めて魔物用の鎖で拘束して、昼夜問わず毎日毎日ぼくを犯した。精も根も尽き果てるとはこの事を言うのだと思ったものさ」
「っ……」
「実の所そんな大層な拘束などしなくとも、ぼくはとっくに彼に精神を掴まれてしまっていたから逃げも隠れも出来なかったのだけど……変な所で臆病だったようでね。ジャラジャラ煩いし痛いし気持ちいいし疲れるしでなんか頭がおかしくなっちゃって」


 面白いよね。
 いや何も面白くないです。
 
 両足をぶらぶらと揺らして微笑むアリスの髪で三つ編みを作りながら呟けば、彼女は「そうかい?」と適当に鼻で笑った。俺はそんな彼女をぼんやりと眺め、目を伏せる。
 そうやって足を揺らす単純な動作1つにすら耐え難い痛みを感じているだろうに。あまりに長い年月苦痛に晒され続けた彼女は、それを表現せずに耐える事を覚えてしまったのだろうか。ーーいや、慣れただけだろうか。
 まだまだ新参者の俺には分からない。


「そしたらまぁ当然の如く、妊娠するじゃないか」
「成程先が見えた。聞いてないぞ」
「……そうかい。あは、は、そう。やはり女性への性虐待や妊娠というのは世の反感や同情、関心を集めるからね。出来る限り薬の件を内密にして処理するには、ぼくの事は適当に済ませてしまった方が余程楽に事が進んだのだろう」
「終わってんな騎士団」
「あはは、言わずと知れてるじゃないか」


 たしかに。胡乱げに目を細めて深く溜息を吐くと、少女は楽しそうに自分でも反対側の髪を編み始めた。


「ぼくの身体は並大抵の事じゃあ動じなくなっていたからね。幼い身体での出産も恙無く進んださ。それと同時にぼくは1番母様になった」
「…………」
「生まれた子どもには『2番』と名付けられ、まもなく薬物が投与された。結果は当然死亡。するとまた支配人はぼくを嬲る。そして再び妊娠して、『3番』が生まれる。すると今度は3歳になってから薬が投与された。また死んだ。また妊娠。次は『4番』。今度は10歳まで待った。ーー『4番』は5年生きた。『5番』は」
「……………まて、君今何歳だ」


 捕らえた支配人の年齢を鑑みても……どう考えてもおかしい。だって、資料の情報が確かならば被害者は最終的に『51番』までいたはずなのだ。
 そもそも支配人は何歳だ。アリスが奴隷として売られた当初から代替わりをしていないのならば、明らかに長生きをし過ぎだろう。俺が見世物小屋を襲撃する頃には100歳を超えていてもおかしくはない。神に愛された神子でもあるまいし、そんな馬鹿な事があるものか。
 思わず髪を編むのをやめて、朗々と語り続ける彼女を凝視する。彼女は、ヘラりと適当に笑みを作った。


「さぁ?数えてなどいないし、まぁでもざっと90は超えているのではないかなぁ。あぁ安心してくれたまえ。ぼくが産んだのは『10番』までさ。『10番』は難産でね。産みこそしたもののひと月と経たず死んでしまった。それ以来ぼくの子宮も壊れてしまったようで、赤子を宿さなくなったのさ」
「なにを安心すればいいんだ俺は。本気で許せないんだけど。今から殺したいああころしたい」
「あはは、だよね。殺したいねぇ。殺せなかったのだけどねぼくは」


 グラグラと腹の奥が煮え滾るような感覚、と表現すれば良いだろうか。髪を乱雑に掻き毟ってそれに耐えていると、アリスも同調したのかカタカタと右腕が痙攣し始めた。床に置いた大槍に手を伸ばしたいのだろう。そして衝動のままに俺に攻撃したいのだろう。

 湧き上がって消えてくれない殺人衝動から気を逸らすため、謁見室の結界を強化し直す。次いでに外の攻撃も強化してやれば、アリスに呆れ紛れに「流石の集中力だね」と笑われた。

 もっと、もっともっともっと苦しめてやれば良かった。俺の手で。正当な断罪に囚われず私情で拷問してやればよかった。あの頃の愚直な自分に文句を言ってやれるなら今すぐ言いたい。
 この少女を嬲った目を抉り、声を聴いた耳を刈り取り、貫いた陰茎を焼き切り薬漬けにして恐ろしい事を考えたその精神を壊し大切な家族を皆殺しにして孤独を味あわせてやればよかったのだ。それこそが正当な罰だと、何故あの時の俺は会議で発言しなかったのだろう。

 それをそのまま呟いて謝罪をすれば、彼女は何故か酷く寂しそうに目を伏せた。


「どうした?……ああ、しんどいよな。辛い事を話させて悪かった」
「違うよ。違う。…………ーー薬とは、恐ろしいものだなと思っただけさ。改めて、ね」
「ふぅん……?」


 退屈そうに欠伸を漏らす少女の言葉に含みを感じながらも、それ以上続けようとする様子もなかったため適当に頷いておく。
 どうにも掴みどころの無い人だ、とつくづく思う。環境は腐っていれど過ごした年月は伊達じゃないということだろうか。ーー何にせよ、彼女は女性としての尊厳を限りなく破壊されたと言っていい。その上仲間奴隷にも疎まれていたのだ。

 支配人は、……支配人も恐らく己も薬を服用したのだろう。捕獲した時の奴は雑魚ながらにそこそこ強かった記憶があるから。それ以上にでっぷりとした体型が身体強化を阻害していたせいで、アリスやシャル、シャロンのような完成体にはならなかったのかもしれない。
 
 
「『11番』以降は7から10歳ほどの奴隷が連れてこられた。そして薬を服用させ、生き残ったのは数少ないけれど。直ぐに死んでしまった彼等にも番号を振り分けたのは、支配人の優しさかもしれないね?これが愛かな?」
「違うかな」
「おや残念。
 ……その中でも一際薬との親和性が高かったのが『35番』と『36番』だった。彼等は瞬く間に支配人のお気に入りとなったけれど、それ以上に彼等は凶暴過ぎた」


 「でしょうね……」と、知らず疲れ果てた様な声が漏れてしまって苦笑する。俺にすら会わなくなって日が開くと武器を振るってくるのだから、恨みを持った支配人はその限りではない。流石の幼児性愛者も殺される恐怖には勝てなかったに違いない。
 事実、保護された時の彼等は魔物用の堅牢な檻に2人まとめて突っ込まれていた。食事も与えられず、最大限まで弱らせて。

 はぁ殺したい。もう死んだけれど。


「…………それ以降は、君が見た資料の通りじゃないかな」
「お疲れ様」


 話疲れたのだろう。はぁあ、と笑顔のまま深い溜息をついてソファにもたれ掛かるアリスを見下ろせば、彼女は小さく頷くのみだった。俺は天井を何となく見上げ、当時の事を回想する。

 第3部隊と第4部隊(カトリーヌの前任)が突入した時、俺は支配人含む関係者の捕獲を担当していた。奴隷達の保護は第4部隊が担当していて、それが終われば直ぐに会議と裁判にかけられたのだ。
 支配人と幹部数名は違法薬物の開発及び売買その他諸々の聞くに絶えない罪状の数々で極刑、他は奴隷堕ちだった気がする。ーーそして、奴隷達は、貴族の家々にそれぞれ送られた筈で。
 
 今思えばきっと、その中でも違法な取引があったのだろう。それに気付けなかったのはかつての俺の落ち度だ。


「なんで助けてくれなかったのかな」


 詰るような響きをもって告げられた言葉に、ふわふわと遠く漂っていた意識を戻す。無言のまま見つめて続きを促せば、アリスは血色の瞳をどろりと歪ませて口角を上げた。 


「君がぼくを見つけてくれればぼくは幸せになれたかもしれない。君がぼくを引き取ってくれれば、ぼくは双子のようになれたかもしれない。ぼくは何故デスぺリア家に行かねばならなかった?……ああ、見世物小屋での生活よりは幾分マシだったさ。それでも彼等双子はーーぼくよりずっと感情を手に入れていた」
「……彼等は未発達過ぎて、奴隷として再び売買するには危険すぎた。一時的に保護して『立場』を理解させた後、本来彼等も君と同様に貴族に渡されるはずだった」
「でも!!!!」


 烈火の如き憤怒が、ずるりと首を擡げ始める。


「でもそうしなかっただろう。それが!!!それが愛なんだろう!?!?ぼくはそれがずっと欲しかったのに、何も求めず諦めるばかりの双子はそれを手与えられて享受してッッ」
「……」
「何故?何故?ぼくは一体何をした?綺麗な衣服を与えられて広い部屋を与えられて人形になって、それの何が幸せだ?ぼくは自由に大地を駆け回りたかった。ぼくは様々な知識を手に入れたかった。ぼくは!!!!」


「それを貰えるって!!!あの男は約束したのに!!!ぼくを裏切ったんだ!!!」


 あの男。ーー言うまでもない。前第4部隊隊長だろう。その後まもなくして不義を嫌うカトリーヌに追いやられたゴミ野郎だ。

 彼の関心事は往々にして金と権力の事ばかりだった。例えば誰もが振り返る美貌を宿したアリスだって、彼にとってはデスペリア家から金と恩義を毟りとる使い勝手の良い道具だったに違いない。
 広い部屋にぐわん、と響き渡る怒声に気を取られ、結界が緩みそうになる。慌ててもう1枚上乗せすれば、襲う龍の咆哮に吐き気が込み上げてきた。手で口を抑え冷や汗を拭う。

 アリスはと言えば俺の様子など一向に目に入らぬようで、右手をぶるぶると異様に震わせては歯をカチカチと鳴らしている。左手はギュッと白いスカートを掴んでいて「皺になってしまいそうだ」なんてどうでもいい事を思った。

 何十年もの間奈落のような苦しみに耐えて漸く手に入れられると思ったら、待っていたのは幼児性愛者からのの強要。幾ら住む環境が良くなったとしても、そんなものはアリスにとって何の価値も魅力もない。


「君にとって、お洒落は魅力的ではなかったかな」
「お洒落?ただ奴の好みに着飾られるだけのあれがお洒落だって?ぼくはあんなもの求めていない。ぼくは自分の身に何が起こってどうなったのか正しく知った上で活用する術と場所が欲しかった」
「……そう」


 そうだよなぁ。


「無論君が何も悪くない事もぼくの運が悪かった事も理解しているよ。でもその上で、ぼくは君を攻めて詰る権利があると思わないかい?『なぜ助けてくれなかったのか』と年甲斐もなく叫んでーー
 君をころしてしまっても、許されると思わないかい?」
「……殺されてやるつもりはないけど、その機会はこうして設けただろ」
「あああはははそうだねありがとう。こうして貴族共を嬲り殺しにすることが許されて非常に嬉しい。欲を言えば王族をも嬲り殺しにしてしまいたいけれど、それは生憎ぼくの役目ではないからね……あはは、はは、は、はあああ、もう疲れた疲れたつかれたぁ―――…はやく死にたい死にたい死にたい」


 死にたい。
 痛むのだろう頭を抱えて何度も何度もブツブツと呟くアリスを、俺は冷えた目で見下ろす。

 可哀想だなぁ、と思う。この革命を彼女が生き抜く覚悟をしてくれたのならば、ヘイデル王国であと幾年かで完成するであろう会計様とユズの薬で、彼女は今度こそ真に自由の身になれるかもしれないのに。そうすれば今度こそ彼女は求めたものを手に入れられるのに。――しかし、そんな未来をいくら騎士が力説してもきっと何の意味もない。
 アリスにとってはもう、あと1日生きることすら辛くて苦しくて恐ろしいことでしかないのだから。終わりを決めてしまった人間に、彼女を一度捨て置いてしまっていた俺がいったい何を言えるというのか。
 1を救えなかった俺が出来る償いは、今日ここで彼女の全てを終わらせてやることだけだ。

 勿論一緒に死んでやることはないけれど。俺にとって彼女は自分の命を賭ける様な存在ではない。その役目は革命軍の誰かしらが担えばいいのではないだろうか。
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る少女を睥睨し、悟られぬよう細心の注意を払って胸元の短剣を抜き取る。そして、まるで物語に登場する麗しい少女を慰める優しい騎士を描いた挿絵のように、淑やかに彼女の背後に手を回した。

 少女はまだ気付いていない。

 ごめんな。でも俺は元々君と正攻法で戦うなんて1回も言ってないからさぁ。下の人間が追いつく前に君を殺さないといけないんだ。それが命令だから。
 それが俺が走ると決めた道だから。


「そろそろかな」
「……そうだな」
「君も死ねたらいいね」
「死ぬさ」
「はは、は、は、きみって意外と愚かだな」


 そうかな。そうだろうな。とやらに現を抜かしてヘイデル王国を有効活用できなかった。陛下とイリアス様の為に、王様やノアを喰い潰せなかった。これを愚かと言わずなんと言う。

 俺は家族に褒められた美しい笑みを作り上げ、アリスを――アリスの背中を見つめる。

 


 ずぶ。
 

 そして、丁度心臓辺りがある当たりをめがけて躊躇なく短剣を振り下ろした。
 もうすっかり慣れた感触が手に伝わって、次いで狂気的な嗤い声が部屋を満たす。俺も耐え切れずクスクスと嗤いながらソファの下に置いた剣を手に取り、鞘にしまう。剣なんて持っていても使える身体がないのだから必要ない。


「愚かなお嬢さん、自己紹介どうも有難う」


 敵にそう簡単に背中を見せちゃいけないって、見世物小屋で習わなかったのかな。ささやかな煽り文句にも笑顔を添えてやれば、鮮血を口から滴らせた少女もゾッとするような笑みでにったりと頷く。「そうだねぇそうだねぇ、君もそう言えば騎士嘘つきだった」と大槍を苛立たしげにぐるりと回して。


 ーー絶叫。
 

「はははははッはは、は、ははあははは!!!殺戮だ殺戮だ!!!やっとやっとやっとやぁあああっとこの日が来た!!!ねぇきみ、精々楽しませてくれたまえ!!!その上でぼくを殺したまえ!!ぼくが君、を殺す前に君がぼく、を殺したまえ!!!!!」


 指を鳴らし、外の魔法を解除する。――結界だけは何とか持ち堪えられるといいけれど。



 びき、びき、と氷が割れる音がもうずっと響いている。
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