上 下
16 / 44

十五章 授業の準備には、授業時間の三倍かかると人は言う

しおりを挟む
 加藤は寝不足の月曜を迎えた。

 彼は特異的な脳の使い方をするために、脳性疲労もハンパない。
 例えて言うなら、脳内のマルチスクリーンに、いつも複数のウィンドウが開いていて、それらすべての処理を、同時に行っているようなものだ。

 なお、加藤の「特異的」というのは、ニアリーイコールで、「変態」の意味も持つ。

 加藤は音竹をめぐる諸事情と、そこここに散らばる、きな臭さの解決策を考えながら、週明けに行う、『命の大切さについて学ぶ』という授業の組み立てを、一晩考えていた。
 よって、ほとんど寝ないまま、朝を迎えたのだ。

 出勤すると、ちらりと加藤の顔を見た白根澤が、すぐに蒸しタオルを作って加藤に投げた。

「ああ、あっちっち!」
「熱くても、我慢して顔拭いて、しゃっきりしなさい!」

 適当に顔を拭いた加藤だが、鏡を見ると、確かに目の下の隈が薄くなっていた。
 白根澤のプロの技と言える。だてに超長く、養護教諭を勤めているわけではない。

「せいちゃん、授業準備出来た? 明日よね」

 加藤は頷きながら小声でつぶやいた。

「クソつまんない指導案だがな」
 
 どのくらいつまらないか。

 まず、授業の事前準備を行うのだが、指導案にはこう書いてある。

「命の大切さを知るために、生徒が産まれた時の写真とメッセージを、保護者から預かる」

 それが悪いとは言わない。

 ただ、何らかの事情のため、出生時に写真を撮っていない、撮ることが叶わなかった親子がいるかもしれないことを、なぜ想定しないのだろうか。

 幸い、この葛城学園は、経済的に困窮している家庭はほぼない。
 だが、複雑な家庭状況が、ないわけでもない。

 授業のエンディングには、取り込んだ写真とメッセージをスクリーンに映しだし、生徒に人気のあるいずれかの曲を流し、生徒も教員も一緒に感動するのだという。

 感動?
 出来るのか?

 この内容で、命の大切さを、実感できるのだろうか?
 思春期の男子だぞ!

 加藤はぶつぶつ言いながら、写真とメッセージを確認していく。
 あるところで、彼の手は止まる。

 そして加藤は、指導案をカスタマイズした。


 翌日の三時間目。

 加藤は資料を揃えて、教室に向かう。
 担当クラスは、一年二組。
 音竹のいるクラスである。

 その頃、校長以下、管理職の教員が、校門の前に雁首揃えて、畏まっていた。
 一台の、ごく普通の乗用車が入校する。

 車のドアが開き、一人の男性が現れた瞬間、一同は顔が膝に付くくらい、深々とお辞儀をした。

「お待ちしておりました!」

 男性は、これまた普通のスーツに、使い古したカバンを持ち、頭を軽く下げる。

「お忙しいところ、突然の依頼、受けていただき恐縮です。早速、授業を拝見したいのですが」

 教頭が、来校者のカバンを持って、校内へ案内する。

 雁首の一人、主幹教諭が、小声で校長に訊く。

「あの方が文科省の……」
「そうだ。わずか三十台で私学行政課の課長になった、『文科省の妖刀』、加藤憲章かとうのりあきだ」

 確かに、シュッとした顔つきは、いかにも頭が良さそうだ。
 主幹教諭の新島は、その顔貌と眼差しから、『妖刀ムラマサ』をイメージした。

 それよりも、校長、なんて言ったっけ? 文科省から来た人の名前。

 加藤なんだっけ
 加藤憲なんとか

 加藤?


 教頭が恐る恐る、一年二組の教室まで、加藤課長を案内する。

「ええと、今日の授業は、養護教諭が行っておりまして、その、授業に慣れていないというか……」

 加藤課長の目が鋭くなる。

「構わないですよ。平素の学校の様子を、我々は知る必要がある」

  すると、養護教諭が授業を展開している教室内が、どっと沸いた。
しおりを挟む

処理中です...