奴隷の花嫁

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第3話 別れ

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「すまない、こんな事になるなんて」

「いいえ、着いて来たのは私です。謝る必要はありませんよ」

「来世と言うのがもしあるというのなら、もう一度君を見つけるよ」

「ありがとう。私も、貴方と一緒になって、この子とあの子達の親にまたなりたいわ」

「そうだな。私達にはもったいない子達だな」

「そうね。ただ、この子は世界を見せてあげられないのが残念だけど」

「残念だな。一緒に草原で日向ぼっこしたかったな」

「ふふ。そうですね。貴方はお昼寝大好きですからね」

 軽く笑い合う。他愛もない、だが、信頼し合ったどうしの心のこもった笑いがそこにはあった。
 どちらからとも無くお互いが黙り、抱きしめ合う。そして、ゆっくりと唇を重ねると共に、二人は濁流に飲まれていった。



「ソニヤ!! アレクシス!! 落ち着いてよく聞いてくれ!!」

「どうしたんですか? そんなに険しい顔なさって……」

 二人の少年少女の前に村の男達数人が険しい顔しながら向かい合っている。普段温厚な人達が、この様な険しい顔をして居ることなど、ほとんど見たことがない。
 弟の手をつなぎながら大人たちの言う言葉を聞く準備を整える。

「いいか、落ち着いてよく聞いてくれ。お前たちの両親が洪水に巻き込まれて亡くなった」

「え……?」

「中洲に取り残されていた子供たちを助けるために死力を尽くしてくれたんだ……」

「亡くなった……?」

「ちくしょう……あんな良い奴がこんなに簡単に死んじまうなんて……」

「二人だけを残してどうするんだよ……」

 ソニヤは14歳になったばかりだが、死と言う事はもう何度も学んでいる。生きる為に家畜を殺して食べること、魚を殺して食べること、そして、友人の死、飢饉による自分より小さい子供の餓死等、多くの死に出会ってきた。
 だが、あの暖かく優しい父や母が、自分の最も愛する人達がこの様な事になるとは思っても見なかった。

 一瞬、これは本当のことではなく、この後両親がひょっこりと顔を出してくれるのではないか。今でなくとも、明日には帰ってくるのではないかと思ってしまった。しかし、ソニヤにはその考えを表に出すことは出来なかった。そして、両親の生存と言う希望も彼らの表情から絶望的だという事を悟ってしまった。その為、自分がどうすればいいのか、心も体も感情というものが完全に失われ、思考が完全に止まってしまった。

 ふと左手から暖かく、そして弱々しい力が伝わってきた。
 アレクシスの少し大きくなってきた右手だった。
 ソニヤは温かみを感じた左手を眺め、そしてその少年、弟の事を眺め、どうしたら良いのかわからずにあいていた右手で頭を撫でていた。



「ソニヤ、アレクシス、落ち着いて聞いて欲しい」

 洪水から3日後、ようやく水が引き、畑や村の復旧作業が始まり、そしてようやく少しだけ落ち着きが取り戻せた辺りの時に村長の家に呼ばれた。
 村長は白が混ざった頭だったのが、今では全て真っ白になってしまっていた。頬は痩せこけ、健康的だった顔は少し土気色になっていた。
 この村長とは両親が仲が良かった為、よく遊びに来ていた。だが、その時とは違い、今は何も飲み物も用意されていなかった。

「二人には悪いが、母親の弟、となり村に住んでいるのだったな。そちらで世話になってもらいたい……」

「え?」

「すまないな、この村の食料庫の一つが今回流されてしまってな……、収穫期の畑もあの有様じゃ。人を減らさねば村が無くなってしまう……」

「食料庫が……」

「周りの村も大きな被害を出しているそうだが、比較的その村は少ない被害で済んでいるそうじゃ。お前たちの両親が助けた子の親にも掛け合ったのじゃが、被害のあった者達の半数はこの村を出ていく事になってしまってな……。助けられた所の者達も皆出ていく事になっておるのじゃ……」

「そうなんですか……」

「すまない……、力になれなくてすまない……」

 涙も枯れ果ててしまったかの様に衰弱した村長に、アレクシスは理解が及んでいなく、ソニヤは反論することさえ出来なかった。



 数日後、たまたま寄ってくれた行商の馬車に乗り、亡き母親の弟家族が住んでいる村に向かうことになった。
 家財道具一式を売り払い、家を他の者に渡し、今まで手をかけて耕してきた畑は荒れたままに村長に引渡し、長年過ごした村を後にした。

 少しずつ小さくなっていく村の影。両親や友人たちの思い出が詰まった村から離れる事に二人は大声で泣き出してしまう。行商人には迷惑なことなのだろうが、事が事だけに好きなだけ泣かせることにした。
 翌日、一度だけ訪れたことのある弟家族の家に向かい、ソニヤが事情を説明する。
 既に村長から話を聞いていたらしく、素直に二人を受け入れてくれることになった。
 行商人はそこまで見届けた後、二人に挨拶をして再度旅立っていった。



 暖かく優しい母親の弟、一度家族の家を訪れたてくれた時は優しく顔を撫でてくれた記憶がある。弟はまだ幼い時期だった為、はっきりと記憶はないと言っていた。
 お世話になるからには、畑仕事でも、炊事洗濯でも何でも力になる。恩は返さなければいけないと両親から教わり、それを実行しなければとソニヤは心に決めていた。
 だが、優しい母親の弟が同じく優しいと言う事は無かった。

「ちっ、俺の畑も大打撃受けたのに、なんで二人も引き取るハメになっちまったんだよ!!」

 ソニヤは女だからか、暴力を受けることはなかった。だが、弟のアレクシスはあまり畑仕事の知識が無いため、乱暴に扱われ、1ヶ月経った頃には憂さ晴らしと言う名目で暴力を振るわれることになっていた。
 母親の弟の妻は二人を引き取ることには表向き賛成し、外には孤児を助ける聖母のような母親を演じ、家の中ではソニヤに炊事洗濯を全てやらせ、アレクシスには薪割り等の力仕事を押し付けていた。
 暴力を振るわれていたアレクシスは、畑仕事をしていれば目に付いてしまうし、買い物にも行かせられないと言う事で、家の周り以外には行かせないよう言いつけられ、服も村を出る時に来ていた服以外全て売り払われてしまった。
 ソニヤは、買い物の手伝いをさせられると言う事で、買い物着と言う事で1着だけ残し、他の服はアレクシスと同じように全て売り払われてしまった。
 もちろん、思い出の詰まった家財道具を売って作ったお金は二人に簡単にまき上げられ、既に手元にない。

 更には、家の中で住まわせてもらえているかと思いきや、農具等を入れてある少し大きめの納屋で二人は寝泊まりしていた。
 助けを求めようにも知己の居ないこの村。行動を移すには足りない資金。そして体力。
 食事も普段から満足にもらえていない為、ソニヤが剥いた野菜のクズとかをかき集め、夜見つからないように二人で食事の足しにしていた。
 その様な極貧な暮らしをし続け半年した頃、納屋に母親の弟が酔った状態で顔を出す。

「くそっ! 本当はお前らなんか引き取りたくなかったんだよ!! 女房が良い顔したいから引き取るなんて言い出しやがって!! おかげで面倒ばかりじゃないか!!」

 朝は畑仕事をし、昼は炊事洗濯、夜は内職をし、二人のためにと賃金を作って居たソニヤの懐から奪った金で買った酒で酩酊している。
 弟は怯えながら納屋の隅に逃げ、ソニヤは暴力を受けていないため、逃げることがなかった。
 だが、それがこれからの悲劇を引き起こしてしまう。

「俺はな、お前の母親が大嫌いだったんだよ。小さい時からずっと比べられ、常に劣等感を感じながら生活してたんだ。だから俺はこの村に逃げてきたのに、また姉に似たお前が来るなんてな!!」

 壺に入っている酒を浴びるように煽りながらソニヤの事を眺める。

「お前、姉に似てきたな。体つきもな」

 男は壺を足元に置きながらソニヤに近づきしゃがみながらソニヤの顎を持つ。ソニヤは顎を持たれるのを嫌がるが、力任せに男の方に顔を向かせられた。

「もう少しで15歳で成人するんだったよな」

 そんな言葉を舌なめずりしながら話す。
 余った左手は下腹部を抑えるかのような仕草で。

「男を知るのも良い機会か。姉を犯すようで楽しそうでもあるしな」

 男は右手に力を込め、ソニヤを無理矢理押し倒し、空いている左手で自分のズボンを脱がせ下腹部を露出させた。

「ひっ!?」

「怯えんなよ。気持ちいいんだぜ?」

 ソニヤは少なくとも知識だけは前の村の若い女集から聞いていた。だが、目の前の男のものが歪な形をしているので、聞いたものとはかなり違うという事と、好きでもない相手とその様な行為を無理矢理させられるという恐怖から小さな悲鳴をあげてしまったのだろう。
 変えの下着等数枚しか無い中、その貴重な一枚が無理矢理破られ、少し毛が生え揃ってきた大切な部分が見えてしまった。

「いやっ!!」

 拒否する言葉と共に、胸元を両手で押し、男をはねのけようとする。だが、恐怖からか力が入らず、男を支えるだけの形になってしまった。

「おいおい、言葉と体の行動が間違ってるじゃねーか。うれしいねぇ」

 男にとっては女性の誘う仕草に思えたのか、その様な感想が出てしまった。だが、ソニヤにとっては全く意味の違う行動であり、やめて欲しい行動なのは間違いなかった。

「お……お願いします……やめて下さい……」

 怯え、震える中、精一杯の言葉を紡ぎだす。淡い、微かな希望を込めて。

「大丈夫だ。何回かするうちにお前も気持ちよくなる」

 絶望的な言葉が聞こえた。今やめるつもりも無いし、今後何度もその行為をやらされるという事が理解できてしまった。

「お、意外と出るとこ出てたんだな」

 男はソニヤの胸部を揉みしだきながら感想を述べる。しかし、ソニヤにとってはその褒め言葉も恐怖の対象でしか無く、死刑を先延ばしにされているような気持ちでしか無かった。

「まぁいいや。俺も我慢できねえからな」

 そう言うと男は右腕はソニヤの太もも辺りを逃さないようにしっかり抱え、左手は自分の歪な形の分身を掴み、腰をソニヤに近づける。

「いやぁ!!!」

 歪なものがソニヤの下腹部に触れた途端、大きな声でソニヤは叫ぼうとした。だが、恐怖からか、かすれた声しか出て来なかった。

「緊張するな。さっきも言ったがいずれ気持ちよくなる」

 震える腕で男を叩き、足も振りほどこうと力を入れるが男にとって大した効果が出てるわけでもなく、逆に興奮しきった男の力加減が無くなり、掴まれた足がより痛くなっていった。
 男が再度舌なめずりした瞬間、男の裏で何かが割れる音が鳴った。
 そして、男はそのままソニヤの胸に顔を埋めるようにしてくる。

「キャーーーー!!!」

 恐怖しきったソニヤは悲鳴を上げてしまった。だが、この悲鳴も音にならない悲鳴であり、目の前の男に対して届いていなかった。
 だが、ほんの数秒、混乱しきったソニヤにとってほんの数秒とはとても長い時間に感じたかもしれないが、ここまで興奮している男が全く動かない。それに、冷たい水のような液体が体の前面に何滴も垂れてきてる。
 腹に垂れてくる冷たい液体を感じることで、ようやく混乱から脱し、不安になったソニヤはとりあえず男を体から退け、横にすることにした。
 思ったより男の体が軽く動いたので、一瞬ビックリしたが、その理由もすぐにわかった。

「アレクシス……」

 弟のアレクシスが男の体をどけることを手伝ってくれていたのだ。しかし、その事でようやく理解したことがある。
 男が飲んでいた酒の壺、これの欠片であろう物が自分の腹の周りに散乱していたのだ。

「まさか……、アレクシス……」

「そうさ、僕がやった。ソニヤ姉さん、行こう。今まで母さんの弟だという事で我慢してきたけど、もういい加減我慢できない」

 両親と暮らしていた時は穏やかで、そして少し臆病だった弟が、この様な行動に出ていると言う事に混乱を覚えてしまったソニヤだが、こんな荒んだ生活をしていれば性格も変わってしまうのだろうかと少しだけ理解してしまった。

「でも、どこに行くの?」

「この男が漏らしていた。ここから西に1日の所に小さな町があると。小さいと言っても町だから、こんな所より大きいはずだ。そこで働き先を探そう。二人だけで生きていくんだ!」

 弟はソニヤに対して手を差し伸べて待っている。この様な生活から飛び出て新しい生活を始めるという恐怖、そして好奇心、さらには安堵と言う感情達が押し寄せてくる。
 成人間近のソニヤだとは言え、それらを実行するための知識も知恵も持ち合わせていなかった。だが、色々な感情から長考してしまっていたソニヤに対して、ずっと手を差し伸べ続けているアレクシスだった。答えはすぐには出せなかった。だが、二人の内どちらかが居なくなっても、二人ともこのまま残っていても、今より酷い未来しか見えない事は確実だ。新しい生活への恐怖心より、このままの生活を続けていく事への恐怖心からソニヤはアレクシスの手を掴むことを選んだ。

「ありがとう姉さん。それじゃ、買い物用の服に着替えて。僕はこの男の服を剥ぎとって着替える。それと、時間があれば何か食べられる物を持ってきてほしいな。丸一日食べなくても何とかなるけど、向こうですぐ何かを食べられるかわからないからね」

 そう言うとすぐにアレクシスは男の服を上下共に脱がし始め、切れた場所も縫い合わせることが出来ず、そのままだった自分の服を脱ぎ捨て着替え始めた。
 ソニヤはその様子を眺めていることはせず、行動に移すと決めたからにはこの家から、この村から抜け出すことを優先して考え、行動を始めた。



「しまった、水筒……は、あの家には無かったか……」

 小さな袋にパンといくつかの野菜と干し肉を二つ放り込み、背負ったアレクシスはソニヤと共に隣の町を目指して月の出ている街道を歩いていた。
 その時に気づいたこと、水の確保だった。だが、結局現在出来る解決策は二人には思い浮かばず、そのまま夜が明けるまで歩き続けていた。

「ねえ、アレクシス、お母さんの弟、あの人は大丈夫なの?」

「あいつの事は心配しなくていいよ。安い素焼きの壺さ、そう簡単に死ぬことはないよ。だけど、思いっきり叩きつけたからしばらくは目を覚まさないと思うけどね」

 自分の行った行動に対して何ら思うことはなかったらしく、そのあとは黙々と歩き続けた。

「ねえ、あれは何かしら?」

「あれ?」

 ソニヤが指さした先には茶色い筒状のものが見えた。

「あれは壺?!」

 二人は慌てて走って近寄る。手にとって見ると、実際は素焼きの花瓶だった。

「なんだよ、穴開いてるじゃないか……」

「まって、葉っぱと石を使えばある程度は使えるかも」

 無いよりはと言う事で、近くにあった水場で花瓶を洗い、葉と石を使い、穴を塞ぎ、水筒代わりにして二人は歩き出した。



 夕方になる少し前、そろそろ人々が外から街中へと戻っていくタイミングで二人は紛れ込むことに成功した。
 この町は1,000人は住んでいそうな町であり、両親と住んでいた村と比べて遥かに規模が大きかった。整った通りと二階建ての石造りの家、食事処や酒場、その他にも色々な店が多くあり、活気に満ち溢れていた。
 二人はこのまま街中を散策したかったが、安定して寝る場所を探さなければならない。職に関しては今日探すことは出来ないが、寝床は仮とはいえ、今日中に探さなくてはならない。
 そして二人は昨日まで住んでいた村とは反対側の町外れに人の住んでいない空き家を見つけることが出来た。
 机や椅子も壊れており、ベッドなども無く、壊れた食器等が散乱していた。

「とりあえず、ここで寝泊まりしょう。明日から職探しだ。姉さんはとりあえずこの家を住めるようにしてくれないか?」

「うん、わかった。でも、今日はもう眠りましょう。昼に少しだけ眠っただけでずっと歩いてきたんだもの。疲れちゃった」

「そうだね。土の床でしか無いけど、雨風が防げるだけましだろうね。それじゃ、姉さんおやすみ」

 二人は体にかける物も無いまま床に寝転んだ。先日までの納屋に比べて隙間風がほとんど入ってこない事を考えれば、とても暖かい寝床だった。
 そして、二人は夢を見たのだろう。二人でこの街で生活し、そして以前の様な暖かい家族として生きていけるのだろうと。その様な明るい未来を。

 アレクシスは翌朝、残り少ない食料を少しだけ胃に入れ、職を探しに行った。何か当てがあるわけでもない。だが、行動しなければ何も食べることが出来ないし、姉を助けることも出来ない。姉を助たい一心で行動していた。

「とりあえず、お皿を片付けなければね。使えそうなのがあればいいんだけど」

 家の掃除は午前中いっぱいかかった。だが、逆に言えばそれだけで終わってしまうほど、何もなかったと言うところなのだが。

 掃除が終わり一息ついてゆっくりしている所に、外から数人の男の話し声が聞こえた。
 町外れとは言え、周りに全く家が無いわけではない。整地された道もあるため、人の行き来は太陽が出ている間はそこそこあった。だが、この家の前で止まることなど無かったのだ。
 警戒しつつ聞き耳を立てるが、思ったより聞こえなかった。断片的に聞こえてもその単語が何を言っているのかも理解するのは難しかった。

 不安になりつつ、部屋の隅で息を殺して男たちが過ぎ去るのを待つことにした。大丈夫。何も怖いことはないと自分に言い聞かせながら。
 しかし、男たちの声が無くなるどころか、少し人数増えてしまったようにも思えた。
 心臓の鼓動が高鳴るのがわかる。外にまでその音が聞こえてしまったのではないかと思うくらいに。
 しばらくして数人の足音が遠ざかっていくのがわかり、安堵したため大きく息を吐いた。

「あぶなかった。この家も勝手に借りてるだけだし、万が一にも人買いがいたら大変だもんね」

 そう呟きながら次は何をしようかと腰を上げた所で扉がドンドンと少し強めにノックされる。

「はいっ!?」

 驚いたソニヤは思わず返事をしてしまった。
 本来、この家には誰も居ないはずなのに。
 ソニヤの声を聞いた者は返事もせずにそのまま扉を開け中に入ってきた。

「一人じゃないか。まあ、良いか」

「あれ、二人いたと思ったんですがねぇ」

 男が二人だった。一人は旅をしている様な格好で、大きな体躯だった。もう一人は、背中が曲がりこちらをいやらしい表情で眺めて来ていた。

「お前はこの家のものではないな。どこから来た」

 体の大きな男が質問をしてくる。だが、衛兵では無いだろう。衛兵なら軽い甲冑等を常時付けていると聞いていたからだ。しかし、ソニヤはあっけにとられた状態で何も考えられず、素直に答えてしまった。

「2つ西の村からです」

「まだ成人前だな。親と一緒じゃないのか?」

「両親は先日の洪水で亡くなりました……」

「そうか。気の毒にな」

 質問してきた男は、隣に立っている背中が曲がっている男に対して袋から金貨を2枚ほど渡した。

「ほら、金だ」

「へぇ、ありがとうごぜえやす」

 背中が曲がっている男は金を受け取るとそそくさと家から出ていってしまった。

「さて、もう一つ聞こう。他にも誰か居ないのか?」

 呆けていたソニヤだが、金のやり取りをしている所で目が覚め、頭が回転し始めた。
 そう、この眼の前に居る男、この男は人買いだという事に気づいたのだ。このままでは二人共奴隷商に売られてしまうという事を理解したソニヤは、せめてアレクシスだけでも自由にと思い、嘘をつくことにした。

「私だけです」

 決意を込めた言葉。決してアレクシスの事を知られてはならない。だが、演技をしたことも無い。色々と話してしまうと何かしら情報が漏れでてしまうだろうと考え、短い言葉にしたのもそれが理由だ。

「そうか。俺が何者かわかるな?」

「はい……」

「悪いようにはせん。余程の性格が悪くなければ、良い所が買い取ってくれるだろう。自分から着いて来るか?それとも縄をかけたほうがいいか?」

「自分で歩きます」

「わかった。準備は必要か?」

「ありません」

 その言葉を聞くと男は背を向けて歩き始めた。ソニヤは置いていかれまいと少し早歩きで歩かざるを得なかった。着いて行くのがやっとの歩き方で、少し遅れがちになりそうだったが、遅れることは出来なかった。その理由は男が3人、ソニヤの後ろにいつの間にか集まってきていたのだ。
 後から知ったことだが、既に家を包囲して、逃げ出した時に捕まえる役目だったそうだ。その場合は乱暴に引きずられることになったかもしれないことを考えると、良い判断をしたと考えられた。

「アレクシス、ごめんね。頑張って生きてね……」

 一日という短い時間さえも一緒に暮らすことの出来なかった家に向かってソニヤは心の中でアレクシスに謝罪した。



 ~~~~~



「そんな経緯があったのか」

「はい。でも、私の身の上話など、ラウリ様にはお耳汚しではなかったのですか?」

「いや、これは僕から聞いてみたかったことだ。話してくれてありがとう」

 ここはアールトネン家の一室、先日奴隷たちを集めて講義したような部屋ではなく、貴族たちが雑談するために造られた陽の光の入る暖かな部屋で、ソニヤとラウリは向かい合ってソファーに座っていた。

 ラウリは深く背もたれに寄りかかりながら、ソニヤは相手が貴族だと言うのと、座り慣れていないのでソファーの端、背もたれを必要としない座り方で背筋を伸ばして座っていた。
 先ほどの話はラウリから生い立ちと捕まった経緯を話してくれと聞かされ、アレクシスの事以外を全て伝えた。アレクシスが居なければ出来なかったことは少し脚色して。

 ソニヤはラウリの前に出るという事で、簡易ドレスを着させられていた。女使用人達のイメージでライトグリーンのやや細めで丈もそれほど長いドレスではない。簡易ドレスと言っても生地自体は高級ドレスと差がないものを利用しているため、本来ソニヤの生まれの者であれば、村の中では見ることさえ出来なかったものである。
 髪は結い上げられ、薄く化粧も施されている。本来奴隷である身分のため、ここまですることはないのだが、彼女がラウリのお気に入りと言う事が既に知れ渡っているのと、ソニヤの性格が女使用人達に気に入られ、面白半分と言う気持ちも含めてソニヤに色々としていくのだった。
 その色々と遊ばれて着飾ったソニヤがこの部屋に居る理由なのだが、ラウリに直接色々と教わっているためである。

 文字、算術、言語、更には歴史等、貴族として振る舞う為の勉強をするための基礎知識をソニヤに教え込んでいたのだ。ソニヤは文字を読むことは出来たが、書くことは出来ず、更には難しい言い回しは全くわからなかったし、算術等も学んだことがなかった。歴史等は昔の貴族の会話に着いて行くための物である。
 だが、生まれてから農作業以外ほとんどして来なかったソニヤにとって、非常に楽しいものだった。
 まだ簡単な問題ばかりしている所だが、ラウリがつきっきりで教えるため、期待に応えたいというのもあったのかもしれないが、未知を知ると言う事はとても楽しいことだと言う事を、子供の時に知った好奇心というものを呼び起こされ、次々と吸収していった。
 それで、今はその休憩時間を利用してラウリが今までの経緯を質問し、答えたと言う事だ。

 話し終えると二人は外にでて、この頃二人で面倒を見ている部屋の目の前にある菜園と花壇を見て回っていた。

「ラウリ様、芋はまだ植えること出来ますよ。それとこの花は風通しの良いところの方が大きな花に育ちますよ」

「この時期に植えるのか。全く知らなかった」

「ふふっ、私がラウリ様に教えるなんておかしな話ですね」

「そうでもないさ。僕は知らないことが多い。まだまだ人に助けられなければ何も出来ないさ」

「私に色々とお教えくださっています。なんでもお出来になっているではありませんか。それに、両親から教わったことがあります。教えるという事は、しっかりとその事を学び取っておかなければ教えることは出来ない、と」

「なるほど。良い言葉だな。だが、僕には料理ができん。それ以外にも洗濯や、馬車を御することもできん。例外と言えるが、政なども僕にはさっぱりわからない。僕に出来ることは奴隷商に関連することだけだ」

「でも、私より遥かにお出来になっています」

「ソニヤの農業の知識は僕には到底追いつける自信がない。それだけでも素晴らしいことだと僕は思うのだけどね」

「私の知識なんて農村の村人であれば皆持っていますよ。そんな凄いことではありません」

「だが、先ほどの花の知識、あれも農村であれば皆知っているのか?」

「いいえ、恋話が好きな女の子達しか知らないと思いますけど」

「ほら、それだけでもソニヤは特化していると言う事がわかったではないか」

「あら、そうみたいですね」

 二人はどちらかともなく笑い始める。愛想笑いではなく、微笑ましい時に出る声だ。
 ラウリも、ソニヤも今のこの状況がとても暖かいものだと感じていた。この様な感覚を初めて知るラウリに取って、とても心地よく、いつまでもこの状況に浸っていたいと思わせるくらいのものだった。
 ソニヤにとっては久しぶりに落ち着いて笑える。笑い合える。両親と死別して以降、このゆったりと流れゆく時間の中で心から漏れ出る笑い。心の奥が少しむず痒いこの感覚。懐かしく、そして心地良いこの状況。浸っていたいという気持ちと、生き別れになった弟の行方、酷い境遇になるはずだったが、たまたま運良くこの様な所にお世話に成ることが出来た自分の境遇に対し、弟が今どの様な酷い状況になっているのかを考えると、何もかも投げ出して走り去りたいと言う気持ちも無くはない。
 だが、この目の前の暖かい人から離れたくない。裏切りたくない。恩を返したい。自分は奴隷になったのだから命令には従わなくてはならない。この様な様々な感情や思考が渦巻き、弟を探しに行きたいという事ができないで居る。
 ひょっとしたらこの人に弟の捜索を願った場合、聞き入れてくれるかも知れないと考えられるようにはなっていた。

「さあ、休憩は終わりだ。勉強に戻ろう」

 二人は庭先にあるテーブルに置いていた紅茶を飲み干し、勉強道具が置いてある室内の机に戻っていった。



「ラウリ様、失礼致します」

 扉をノックされ、入出を許可すると父付きの使用人、アルドルフが入ってきた。

「そろそろお時間でございます」

「そうか、もうそんな時間なのか」

 ソニヤに勉強を教えていたラウリは外を眺め、日の傾きで時間を確認する。もう既に日が傾き始め、あと数時間で日も暮れてしまうだろうと言う時間だった。

「ソニヤ、すまない。今日はここまでだ」

「ラウリ様、ありがとうございました」

 勉強がとても楽しいことだったらしく、長時間勉強し続けていたソニヤだったが、まだまだ学び足りないとでも言うのか、残念な顔をしながらお礼を言う。

「明日は無理だが、また別の日に時間を作って教えるよ」

 その言葉を聞くとソニヤの顔は明るく笑顔になり、立ち上がりまっすぐラウリに向かって礼を言う。

「ありがとうございます!! よろしくお願い致します!!」

 満面の笑みだった。本当に楽しいのだろう。それと、ラウリと居ることが嬉しいのかもしれない。単純な気持ちだけでこの喜びは表せそうにないが、うれしい当気持ちだけはいっぱいにあった。
 ラウリはアルドルフとともに部屋を出ていくと、入れ替わりに服を着せてくれたコラリーを含めた3人の女使用人達が入ってくる。
 ソニヤの変身している時間は終わりを告げ、普段の奴隷の生活が戻ってくる。
 だが、ソニヤにとってこの奴隷の時間もこのアールトネン家では楽しく、そしてうれしい時間だった。
 仕事をすれば金銭という形でだが評価され、そして、誰かが痛みつけられているという事がこの屋敷では無かったからだ。
 皆がまっすぐに生き、まっすぐに笑い、まっすぐに喜んでいた。奴隷商と言う商売でこの様なことがあり得るのかと言えば他の奴隷商を知らないのでよくわからない。
 だが、少なくとも母親の弟の家に居た時に比べれば遥かに過ごしやすく楽しい空間ではあった。

「ラウリ様、ソニヤの事よろしくお願いしますね」

「コラリー姉ちゃん、なにか言った?」

「ううん、何でもないわ」





「今日はリンティラ家のご令嬢と、ご婦人もかな?」

「はい。基本はご令嬢の性の手ほどきとなっておりますが、毎月ご婦人も参加なさっておりますのでその様なことに成るかと」

「そうか。伯爵は今日は参加されないのか?」

「裏から聞いた話によれば、今日はお妾様の所に向かわれるそうです」

「そうか。あの方は何人居るんだろうな」

「私の知る限り6人でございます」

「毎日一人と言う事か。凄いことだね」

「ラウリ様に比べればそうではないかと。集中しますと一日に5人ほどお相手なさいますし」

「僕は果てない様にすることができるからね」

「しかし、ここの所毎日ではお体持ちませんでしょう?」

「大丈夫だ。欲しいものがあるから、少し頑張っておきたくてね」

「ご入用でしたら旦那様を通して用意いたしますが?」

「ああ、大丈夫だ。これに関しては自分で買いたいのだ」

「承知いたしました」

 夜の仕事に関しては必要経費を除き、8割ラウリの懐に入る事になっている。その為、夜は頑張れば頑ばるほど、自分の収入につながるのだ。その収入も欲しいものにつながる。
 その欲しいものと言えばもちろん……。
 二人は一旦着替えるためにラウリの自室へと話しつつ戻っていった。



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