奴隷の花嫁

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第6話 心の痛み

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「カハッ……」

 胃の中の物を全て吐き出した後にも、継続して襲ってくる吐き気。
 苦しい、気持ちが悪い、胃が痛い、体の倦怠感。
 その他にも様々な負の感情も同じタイミングで沸き上がってくる。
 だが、既にこの吐き気とも5年は付き合ってきているので慣れたものだ。
 吐き戻した後、口をしっかりとゆすぐことをしないと歯が溶けると聞いているので、書斎には常時飲水を置いておくことにしてある。
 一頻り苦しみつつ吐き戻し終えた辺りで扉が開き、入ってくる者が居る。

「ラウリ。吐き終わった?」

「コラリー、いつもすまない」

「良いよ。私の仕事の範囲だからね」

「まだ、誰にも気づかれてないか?」

「大丈夫よ。これも蓋して気づかれないように川に捨ててるから」

「本当に助かる」

「私は貴方のことを許したわけじゃ無いわ。ただ、貴方が救いを求めてるから手を差し伸べているだけ」

「ああ、それもわかっている」

「私が貴方のことを殺したいと考えてるのも知ってる?」

「もちろん知ってるさ。5年前のあの日からずっと俺のことを憎んでいるのも知ってる」

「そっか。もう5年も経ったのね……」

 コラリーはラウリから視線を外し、窓の外を眺める。
 庭は枯れ始めた葉が舞い、そして、冬が訪れようとしていた。



 アールトネン家でソニヤの事を探す手伝いをしてくれていたのはコラリーだけであり、他の使用人は父のコスティから止められていたのをソニヤの死後知った。
 コラリーは仕事を首になる事を覚悟してまで探してくれて居た。
 だが、その甲斐無く、ソニヤは亡くなってしまった。
 その亡くなった当日も二人は街を駆けずり回って探していたのだ。
 その為、帰宅後すぐに服を着替えるでも無く、就寝中だろうコラリーの私室を訪れたのはこの事を伝えるためだった。

 初めはコラリーはラウリが怪我をしたのかと思って心配してくれて居たのだが、どうも様子が違う上に憔悴しきっている。
 そこでようやく怪我ではなく、誰かの血が衣服についてしまったのだと気づくことが出来た。
 人を殺してしまったのかと冗談で立場上聞くことも出来ず、とりあえずその血塗られた服を着替えさせ、そして捨てるためにラウリに要請することにした。

「とりあえず服を着替えましょう」

 だが、ラウリは首を振って拒否する。
 時間も経っているようなので、赤黒くなっている血塗られた服を着ていると言う事はあまり気持ちの良いことでも無いだろう。
 そう思い、もう一度要請しようと思った所でラウリから衝撃の言葉が漏れでた。

「ソニヤが死んだ」

「え……?」

 コラリーにはラウリが何を言っているのか最初は理解できなかった。
 だが、血塗られた服、これが何を物語っているのか直ぐにつながることが出来た。

「あの子はなんで死んじゃったの?!」

 震える声で、ラウリに質問をする。

「……暴漢に襲われ、性的暴行を受けた後に腹を切られた……」

 ラウリは掻き消えてしまうような声で絞りだすように答えた。

「なんでそんな事に……?!」

「……わからない……」

「あの子の行き先のせい?!」

「……カルナ男爵家だった……。行き先としては多分最高のところだろう……」

「それじゃなんであの子は亡くなったのよ!! 貴方だから、優しい貴方だからあの子を救えると思っていたのに!!」

 コラリーはラウリのことを掴みながら泣き叫ぶ。
 だが、ラウリはその言葉に対して何も言うことが出来なかった。
 助けたかった、添い遂げたかった、未来を一緒に歩きたかった特別な女性を失ったのには間違いなのだから。
 コラリーはラウリに対して思いつくだけの罵倒を容赦なく浴びせ続ける。
 彼女もとても大切な思い出、一番自分の暖かかった思い出、あの苦しく忘れ去りたい村で、唯一心の許せた友を失ったのだから。

「貴方を絶対に許さないわ!」

「僕を殺すか?」

「さあ。とりあえずまだ雇われておいてあげるわ」



 数日後、夜の仕事終わり、帰宅するとすぐに自室に戻るラウリ。
 コラリーは新友の死の要因の一つに性的暴行があったというのに、よく夜の仕事が出来るなと関心半分、怒り半分でラウリの部屋に乗り込んでいった。
 だが、そこで目にした光景にコラリーは怒りの感情が薄れてしまうのを感じた。

「ウゴォェェェェ……、ゴホッ、ガハッ……」

 近くの掃除用具室に置いてあったバケツの中に、ラウリが今日食べてきたものと思われるものを戻していた。
 全て吐き終えた後でも何度も何度も胃を絞りだすかのように。
 顔は苦痛に歪み、胃液とよだれで顔が汚れ、見栄えの良い顔が見るも無残な状況になっていた。

「何があったのよ……」

 コラリーの質問に対し、ラウリは吐く音でしか返答出来なかった。

「毒でも盛られたの?」

 苦しみつつも首を振るラウリ。
 コラリーも今日の行き先を思い出し、昔からラウリとの付き合いのある貴族だった事を思い出す。

「あそこの子爵なら貴方を殺す理由も無いわね……」

 労働奴隷も、性的奴隷もアールトネン奴隷商から多く購入している貴族だと言う事もあわせて。
 幾つもの所領を持ち、自分で商会を経営し、金銭的にはかなりの余裕を持っている貴族であり、有能な奴隷を多く抱え、そして大事にする貴族であるため、ラウリを毒殺するようなことはまずあり得ない。
 性奴隷達を自分の目の前で行為を行わせる様を眺めるのが何より好きだという趣向以外、特に問題のない人間だった。
 では、何故ラウリがこの様に苦しみつつ胃の中の物を吐き出しているのかと言うのが疑問になってくる。

「なんでそんな事になってるのよ?」

 コラリーは考えることを放棄してラウリに質問をする。現状を考えると、存外無茶な事を要求するが、コラリーに取ってもう単なる雇い主では無いのだ。

「……、罰……かもしれないな……」

 吐き気と吐き気の狭間、少しの正気の時間に何とか答えることが出来た。聞きづらい声だったが、コラリーにはなんとか聞き取ることが出来た。

「罰……、誰のよ。優しいソニヤが罰するとは思えないわ。私が罰を与えるのならともかくね」

 苦しんでいるラウリに対して急がすように返答を求める。これもその罰の内と言わんばかりに。

「……、さあ、わからないな……。神だろうかね……」

 話し終えるとすぐに吐きに戻ってしまう。
 これ以上、建設的な話が出来ないと理解したコラリーは部屋から出ていってしまった。
 ラウリはその様子を眺めるもなく、吐き続けていた。

 数分後、再度コラリーはラウリの部屋を尋ねる。
 前回と同様、何も挨拶をせずにそのまま扉を開け入ってきた。

「ほら、これで口をゆすぎなさい」

 カートと一緒に入ってきたと思ったら、そのカートには水の入った水差しとコップが。
 そして、一通り苦しんで一旦楽になった状況でのこの水はラウリにとってとても有難いものだった。

「飲むではなくゆすぐのか?」

「そうよ。吐き続けると歯が溶けるって聞いたことあるわ。それに気持ち悪いでしょ。ゆすぎなさい」

「助かる」

「それと、その吐いたのも私が捨てておくわ。さすがに貴方が持ち歩いているのは私がなにか言われそうだしね」

「すまない」

「もう良いのなら先に捨ててくるわ。その中身と対面しながら話すのは気持ちの良いものではないからね」

「ありがとう」

 一通り、口をゆすぎ、吐き切った後の水分補給として水を飲み始めた辺りでコラリーは吐いた物を何処かに捨てに行った。

 一人になったラウリは椅子に座りつつ、遠くにうっすら写る街の灯、歓楽街だろう人々の命の輝きを眺めていた。
 コラリーが戻ってきてもその様子が変わること無く、ずっと眺め続けていた。

「何見てるのよ」

「……街の灯を……」

「ここからじゃ何も見えないでしょ」

「……見えるよ……命の鼓動が……」

 幾つものランプの炎のゆらぎがまたたいているように見え、それが命の鼓動と写ったのだろう。

「何を言ってるのよ」

「……あれを見てると苦しいんだ。何故、彼女とあの様な嬉しそうな輝きを見せてあげられなかったのか、どうしてもっと早く見つけてあげられなかったのかって……」

「何よ。いまさら懺悔?」

「そうじゃない……。彼女のことを思うと苦しいんだ。それに、何もかも投げ捨てて叫びたいのに、何もしたくないんだ」

「……そうなのね……」

「コラリー、君はわかるのか?」

「村に居た時、それを知った自分に絶望感を感じたわ。絶対に成就しないという事にね」

「成就しない?」

「そう。私はその時既に汚れていたから」

「お願いだ。この気持ちは何なのか教えて貰えないか?」

「いいわ。ただ、貴方もこれから苦しむことになるわ。それでもいいの?」

「ああ、覚悟が出来ているとは言えないが、構わない」

「そう。ラウリ、貴方はソニヤのことを愛していたのよ」

「愛……、これが愛なのか……」

「本当はもっと暖かいものらしいけどね。私も体験したこと無いから」

「そうか……」

「今まで知らなかったの?」

「人を売りさばく仕事をしているんだ。その対象を愛してしまっていたら仕事にならなかっただろう」

「そんな男が愛ね。笑えてくるわ。でも、なんで彼女をこの屋敷に居る間助けられなかったのよ」

「今までの彼女に対する行動や言動に嘘偽りなく、彼女のことを助け、そして保護したかった。たとえ穢れていても……。だが、この世がこれほど悪意に満ちているとは想像も出来なかったよ」

 ソニヤの亡くなった日、ラウリはどの様にして帰ることが出来たのかはっきりと覚えていない。
 だが、ソニヤの体の重さ、唇の感触、そして血と精液の匂いだけはしっかりと記憶していた。
 ソニヤとの逢瀬はこの世界にこんなに暖かいものがあるのかと思うことが出来、そして、永遠に続いて欲しいとも願っていた。
 現実は、こんなにも悪意のある出来事が起きてしまうのか。苦しく、そして心が痛い出来事が。二度と経験も体験もしたくないようなことが……。
 コラリーにとっては自分で体験した事、更に大切な友人も同じような目にあったというところが、ラウリを責めている要因の一つだろう。
 奴隷商としては優良とされ、絶対とは言い切れないが比較的まともな将来が期待されている所だったのだから。
 過去には無いとは言えない様な出来事だが、一番に近いほど酷い形の例としてソニヤはなってしまったのだから。

「もう彼女の様な酷い思いをさせたくない」

「貴方に出来るの?」

「今の僕ではわからない。だが、近いうちに実現させる」

「そう。なら貴方に対する仕打ちを決めたわ」

「どうするんだ、僕のことを止めるというわけでは無いようだが」

「実現するまで貴方を見張ることにする。道が逸れないようにね」

「ああ、わかった。これから頼む」

「頼まれましょう」

 二人は正面から向かい合い、強く握手をした。
 長い時間、握りしめ、そのお互いの手にかかる力がソニヤへの、彼女への思いが、愛が乗せられているようだった。
 どちらともなく離れた後、コラリーから相談が持ちかけられた。

「あの子を殺した犯人、どうするの?」

「追い詰めて殺す」

「どうやって探すの?」

 強気なラウリだったが、コラリーのこの言葉で自分には何も手立てがないことに気付かされた。
 何も言うことが出来ず、黙って唇を噛み締め、下を向いている所でコラリーが一つの提案をしてきた。

「私が探すわ。探すための費用、これは貴方が出して」

 ラウリにとってとても有り難い提案だった。だが、売られていった商品を探すためにアールトネン家のお金を使うことは出来ない。
 そうなると、自分で稼いだお金を使うことになる。

「そうか、夜の仕事は継続しなければならないのか……」

「なんでよ。あの子を買うために貯めたお金があるじゃないの」

 ソニヤを買うために貯めていたお金は今でも一切手を付けていない。調査費用程度であれば、10年以上は軽く持つくらいの金額は手元にある。だが、ラウリは暗い顔して仕事をすると言う言葉を漏らした。

「あのお金は彼女のものだ。手を付けることは出来ない」

「彼女の仇を見つけるのよ? 正当じゃない」

「本来、彼女の幸せを願って貯めていたお金だからな。悪いが使うことは出来ない」

「呆れた。お金はお金じゃない」

「そう言うな。体で稼いでくるから、それで捻出するよ。ただ、一つお願いごとが増えると思う」

「何よ?」

「また吐き戻した物を捨ててきてくれないか?」

「どういうこと?」

「今日気づいたんだ。女性との性行為後、自分の落ち着ける場所に戻ってくると猛烈な吐き気が押し寄せて来た」

「あんなに楽しんでたじゃないのよ」

「そうだな。嫌いではなかった。だが、多分もう駄目だ」

「それじゃどうするのよ。お金稼げないじゃない」

「いや、行為自体は問題ない。だが、戻ってきた時の吐いた物の後処理がな」

「わかったわよ。というか、それ知られるのは危険じゃない?」

「そうだな。この商会の商品選定方法に関わってくる。行為だけと言わず、尾ひれが付いて女性が苦手になったとか噂されるだけでこの商会は傾くかもしれない」

「はぁ……。わかったわよ。私もこの商会に倒れられちゃ困るからね。隠し通すわ」

「頼む」

「貴方も出先で出すんじゃないよ?」

「それは大丈夫だ」

「どうだか……」

 呆れた顔してラウリのことを見るコラリー。ラウリのこの爆弾の事を絶対秘密にしなければならない。他の使用人に対してはもちろん、親であるコスティに対してもだ。
 何事も無かったかのようにして置くことが一番良いという事。だが、二人はとても厳しい道だという事が簡単に予想することが出来た。

「そう言えば、明日は出かけるんじゃないの?」

「ああ、ソニヤの行き先、カルナ男爵家から当時の様子の詳細を伝えに行くんだ」

「私も一緒に行っていい?」

 普段一人で何処にでも行くラウリだ。誰か連れて行くというのも怪しまれるだろうと思ったが、一つ良い案を思いついた。

「心労で一人くらい使用人を連れて行っても問題ないだろう」

「そう。なら着いて行くわ。さすがにその場で発言しようなんて思ってないから大丈夫よ」

「どうだか……」

「そこは信用してよ……」

 二人は思わず軽く笑い出してしまった。
 笑うと言う行為はとても良いことだと思う。
 だが、今回は逆に笑えてしまったことがとても悲しかった。
 ほんの少しでも彼女が思い出になってしまったのだと気づいて。



「ラウリ君、よく着たね」

 二人はカルナ男爵の家に招かれていた。
 要件はソニヤの亡くなった日の出来事の報告。
 すぐにお互いに時間を作れなかった理由は単純だ。
 皆、自分の心の整理が出来なかったからだ。
 整理が出来ない状態でもし彼女の亡くなった様子を話ししても、感情が優先されまともに話をすることが出来なかっただろうと言う事だ。
 現在問題なく出来るかと言えば、無理やり体裁を整えているだけだった。だが、話を聞かないわけにもいかない。カルナ男爵には目的があったからだ。

「本日はお招き有りがとうございます。この様な形で赴くことになろうとは残念でしかありませんが」

「そうだな。私もとても残念だよ。さあ、中に入ってくれ」

「失礼致します」

 古い貴族だけあって、建物は歴史を感じさせるものだった。だが、手すりや壁等に擦れや傷等が目立つことはなく、調度品もしっかりと磨き上げられ、隅々まで手入れが届いており、少なくとも今日来客があるために無理矢理体裁を整えたと言う形には見えなかった。
 更に、その調度品等も、一つ一つが名工が作り上げたものなのだろうと思わせる作りだった。
 中には趣のあるものも置いてあったが、亡くなった息子たちの作品か、領民をとても厚く遇するカルナ男爵と聞いているため、その領民からの献上品なのかもしれない。
 その様な綺麗な廊下を歩き、応接室に通される。
 部屋は対面式の多人数掛け椅子と、低めのテーブルが一つ、それ以外に一人掛けの椅子が一つあるだけだった。
 応接室というにはもっとくつろげるような形の場所だった。

「ここはね、ソニヤが気に入っていた部屋なんだよ」

 そうカルナ男爵から聞かされた。だが、ラウリはすぐに納得できた。窓の外には菜園と花畑が見えたからだ。

「ソニヤにお似合いの場所だと思います」

「そう言ってくれるかね」

 ふと、ラウリは気付かされた。精力にみなぎっていたカルナ男爵。孫も生まれてもおかしくないと言う年齢のはずだが、とても若いと評判だった男爵が、今の言葉にはとても枯れたものが混ざっていた。自分もそうだが、それだけ、彼女を失ったことが堪えたのだろう。

「本日は君だけではなく、ヘルミネン伯爵もお呼びしている」

「ヘルミネン伯爵もですか?」

「ああ、もう少しで到着すると思うから、もう少し待っていてくれ」

「わかりました」

 椅子に座り、紅茶を用意される。
 久しぶりにゆったりとした状態で紅茶を飲んでいる気がする。
 だが、精神的にはゆったりと出来ているわけでもなく、これからの事を考えると気が滅入るだけでしか無いが。
 一口飲んだ辺りで使用人が入室してくる。

「どうやら伯爵が着いたようだ。ラウリ君は少し待っていてくれ」

「はい」

 一緒に行くべきかと思ったが、部屋に入るまでにお互いに表に出せない話もあるのだろう。
 この場で待つことを言い渡され、そのまま素直に従う。

「ラウリ君だね? アールトネン男爵家の」

 ひげを蓄えた少し厳しい感じの目をした男性が入ってくる。髪の毛は全て後ろに流しており、その髪の中にはちらほら白いものが混ざっていた。

「はい、ヘルミネン伯爵。私が小さい時に一度だけお目通り頂いたことがございます」

「そうか」

 そう言うとヘルミネン伯爵は中央に一つだけ置いてある椅子にそのまま座り込み、こちらが椅子に座る前に話を切り出す。

「さて、今日ここに集まってもらったのは他でもない。カルナ男爵家の娘、ソニヤ嬢の事を報告、そして狂犯者達をどうするかだ」

 本来ここでコラリーを退出させねばならないのだが、男爵に断りを入れるために話をする。

「大変申し訳無いのですが、先に断りを入れさせて下さい。コラリーと申しますが、彼女もこの場に居させてもらってもよろしいでしょうか」

「なにか理由があるのですね?」

 カルナ男爵は何故その様なことを言うのかと言った顔をしていたが、男爵婦人はわざわざ言ってくることはなにか意味があるのだとすぐ気づき、了承してくれた。
 ヘルミネン伯爵は特に気にしたようもなく、そのままうなづいて了承してくれた。
 コラリーが椅子に座ることは出来ないが、同室に、そして自分の近くに立ってもらうことはできた。
 そして、お互いに一息ついた辺りで男爵婦人が話し始めた。

「ラウリ君には申し訳ないことをしましたね。無理にソニヤを引き取ったために。苦労を掛けました」

「いえ、もったいないお言葉です」

「私達にはもう子供が居ないことは承知していると思います。そして、このままではこの男爵家が断絶してしまうと」

 カルナ男爵家断絶と言われ、少なからず同様してしまった。だが、それ以上に急いでソニヤのことを引き取っていった理由も納得できた。

「古い家ですので、あまり下手な者を後継ぎにすることは出来なかったのです」

 それもそうだろう。名前だけで言えば、王家に近しい貴族。男爵家としては一番地位が高い。
 下手な子爵家や伯爵家より発言力が高い家柄なのだ。
 本来は伯爵の称号をと言われてきたそうだが、数代前の男爵家当主が明言したそうだ。
「男爵であることに誇りを持っている。王家を助けることの出来た男爵家を。これ以上の何を望むというのだ」と。
 王家を助けた名誉を最重視し、報奨や肥沃な土地、地位等はいらないと。
 当時の王様はとてもその言葉を喜び、カルナ男爵家は男爵家でありながら伯爵家並の扱いをしたと言う話を聞いている。
 それだけ、王家に親しい家柄であれば、後継ぎを選ぶのには慎重にならざるを得ないのは納得できた。

「もちろんあの子に変な者を付けることは考えておりませんでしたよ。好いた人も居ましたし……」

 男爵婦人の言葉に何故か衝撃を受けてしまった。
 その衝撃の中身は、俺ではない誰かを好きになっていたのかと思ってしまったからだ。

「あの日、馬車の中ではラウリ君、貴方との縁談を相談していたのですよ」

 続けて耳にした言葉により大きな衝撃を受けてしまった。
 先ほどの勘違いから逆に、とても自分にとって嬉しい事への。だが、それ以上にそれがもう達成されることはあり得ないと言う事がより大きな衝撃になってしまった。
 言葉が出ない。

 嬉しい感情。
 愛おしい感情。
 寂しい感情。
 悲しい感情。
 苦しい感情。

 疑う感情。
 怒る感情。
 憎む感情。

 これらのものが次々と湧きたてられ、一言も言葉にすることが出来なかった。
 しかし、会話は自分抜きでも進んでしまう。衝撃で怯んでいることは出来ないのだ。

「そんな彼女を殺した奴らの目処は付いているのかね?」

「まだ調査中なのですよ。伯爵にはご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

「私に迷惑がかかるのは一向に構わん。男爵との間だ。爵位など関係なく友人と思っているからな。だが、私の顔に泥を塗った輩には相応の事をしてやらねばな」

「伯爵のお手を煩わせるわけには……」

「いや、私がやりたいのだ。いや、させてくれ。あの子を気に入ってしまった私の気持ちを汲んでもらえると有難い」

「そこまでおっしゃられるのであれば」

「それで、私は他の貴族に掛け合えば良いか?」

「そうして頂ければ有難いことです。いずれ人相書き等も作成できますでしょう」

「そうか。それで捕まえた時の罰はどうする。すぐに殺すか?」

「それがよろしいでしょう」

「わかった」

 怒りからなのか、簡単に話が進み、全てを終わらせてしまう流れになってしまっていた。
 男爵婦人の話で衝撃を受けていたラウリだが、話だけは聞いていたのでなんとかそこで話を終わらせない様口を挟む。

「罰について私に案がございますが、よろしいでしょうか」

「なんだね?」

 すぐさま殺してやりたいと言う伯爵と男爵の厳しい目付きがラウリに突き刺さる。殺気も帯びた目線だ。
 だが、ラウリにとってはこれからが一番大事なところなのだ。怯んだままでこのまま口をつぐんでしまうわけにはいかない。

「彼らを貼り付けにし、そして性的に果てさせた者には金貨1枚という報酬を付けます」

 この言葉に対して3人と後ろに控えてるコラリーを含めた全員が何を言っているのか理解できなかった。だが、一部に気がついた伯爵からラウリに質問が来る。

「貼り付けにして衆人の目に晒すと言うのは良い手だと思う。だが、それは相手を喜ばしてしまうだけではないのか?」

 この質問には最もな点である。しかし、それは短期間においてでしかない。それに気づいた男爵から感嘆の声と共に賛同する言葉が聞こえた。

「なるほど! 伯爵、これは妙案かもしれませんぞ」

「どういうことなのです?」

 伯爵夫人からさすがに意味がわからないので詳細をと言う目をしながら疑問の声が投げかけて来た。

「男性は一日に数回果てることが出来れば僥倖です。しかも、それは精神と、体力が万全である時に限ってです。更には衆人環視の中で果てる事は精神的にかなりの苦痛を要します。報酬目当てでかなりの人が来ることでしょう。そして、果てた瞬間、報酬を引き当てた賞賛の声、報酬に辿りつけないかもしれない者達からの罵声、そして嘲笑等多くの精神的苦痛を与えることになると思います」

 すぐに殺してやると言うのは救いでしか無い。そう、ソニヤはまだ生きていたい。幸せな未来を夢を見ながら逝ってしまったのだから、それ相応の報復が必要になるだろう。この罰に関しては伯爵に逆らってでもやり遂げたいと言う気持ちがある。その為、二人の殺気に怯んでる暇など無かったのだ。

「なるほどな……。だが、立たなくなったらどうする。民衆も来なくなってしまうぞ?」

「それに関しては問題ありません。私の方で、その手の技術が上手い娼婦を手配致します」

「そうか! ラウリ君の所は娼館を持っていたな。だが、報酬はどうする。並んでまで果てさせることをしなければならないとなると、一日、いや半日で住むか。かなり大変になるが」

「それに関しては問題ありません。私を報酬にします。私が一晩相手をする権利というのを餌にします」

「なるほどな! 男性としては羨ましい技術を持っているのだろうな。手ほどきもしているというし、納得できる。どのくらい集められそうなのか?」

「そうですね、一声で20人ほどはいけるかと」

「そんなにか!!」

 さすがに伯爵と男爵、男爵婦人も驚きの表情を隠せない。

「多分、最後の数日前は彼女達でも難しいことでしょう。だが、最後の時は派手に果てると思います」

「どういうことかね?」

「人は死に直面した時、自分の子種を残す為に派手に果てます。そこまで行けばもうすぐです」

「なるほどな。しかし、そうならなかった時はどうするのだ?」

「単純です。表で殺せなければ、普通に裏で殺せば良いのです」

「それもそうだな。恥をかくだけかかせておいて、そして助けずに殺すと……。私はその案に賛成しよう」

「伯爵、私もそれには賛成しましょう」

「ありがとうございます」

「場所と牢は提供しよう。報酬と娼婦はラウリ君。捜索はカルナ男爵。これでよろしいか?」

「はっ、承知いたしました」

「私も承知いたしました。ですが、捜索に関しては微力ながら私もこの者を利用して捜索致します」

「そう言えばわざわざ断りを入れてここに居させるのだ。理由を聞かせてもらおうか」

「はい。彼女、コラリーは、ソニヤの同郷の幼馴染なのです。姉と妹に近しい間柄だったそうで、今回どうしてもと言う事で連れてきました」

「そうなのか……。すまないな。ラウリ君のとこに彼女が来た経緯は別として、彼女が亡くなったことは私達貴族の不手際だ。恥を忍んで言わせてもらおう。手伝ってくれ」

「はい、承知いたしました」

 その後、殺意を含んだ談話は、コラリーからのソニヤの幼い頃の話しへと移り、おだやかな形で終えることが出来た。
 コラリーにとってそこまで気にすべき事では無いのかもしれないが、帰りの馬車の中、ラウリの発言について不安混じりに聞いてみた。

「ラウリ、あんな事言って大丈夫なの?」

「何の事だ?」

「娼婦への報酬よ」

「ああ、大丈夫だ」

「あんなに吐いていたのに大丈夫って何処から言えるの?」

「大丈夫にしなければならないんだ。俺にはそれしかやれる事が無い」

 とても重い決意の表情だった。苦しい未来しか無いと言うのがわかっていながら、それに突き進まなければならない。本来の男性であれば、とても嬉しい出来事の未来でしか無い。
 だが、ラウリとコラリーにとっては毎夜吐き続ける未来しか見えなかった。
 しかし、金銭的なことで彼女達に報酬を支払うわけにはいかない。アールトネン家としては何も動いて貰えないからだ。
 どれだけ参加した民衆に報酬を支払うことになるのか正直わからない。公開処刑は複数人一気に実行しないことになり、全員が死ぬまでの長い期間支払い続けることになった為だ。
 ラウリ自身で稼いだお金でこの報酬を支払わなければならない。その為、娼婦である彼女達への報酬を金銭的に支払う場合は、相当な額となってしまう。それならば、娼館で客を取っていた方がどれだけ稼げると言う事だ。
 その彼女達を動かすためにはそれ相応の見合った報酬が無ければ動いてくれないだろう。
 それが自分を苦しめるものだったとしても、ラウリには変更するつもりも無かった。その程度の苦しみ、ソニヤを失った苦しみに比べれば大した事無いからだ。



 二人の静かな決起とカルナ男爵家の対談から数週間後、コラリーはラウリの父、コスティに呼び出され、私室に出向いていた。
 ラウリの行動と自分の行動はまだ誰にも知られてないはずと思い込んでいたコラリーにとって、突然の呼び出しは寝耳に水で、背筋が凍るような思いがした。アールトネン家ではもう動かないと明言されている為、表立って行動できないのと、ラウリの心の病の事は絶対に隠し通さなければならない。
 考えてみれば、ラウリと自分の味方はこの屋敷の中には一人も居ないのだから。
 使用人はほとんどがコスティ派であり、奴隷はラウリ派と言えなくもないが、基本中立であり、味方だったとしても戦力として数えるにはまだ役不足だった。
 いきなり芽を潰されるかと覚悟しながら中で待ち、しばらくするとコスティが戻ってきた。

「コラリー、呼び出してすまなかった」

 立ったまま待っていたコラリーに対し、迎え合わせになっている椅子に座るよう指示する。
 使用人に対し、座ることを指示するという事は、よほど重要なことなのか、それともすぐ行動に移せないようにするためなのか。
 ともかく、ラウリの症状の事を悟られるわけにはいかない。それが知られてしまうのであれば、ソニヤ捜索の件を打ち明けてでも話を逸らす必要がある。
 そう決意をしたコラリーにとっては、今回の呼び出しは少し肩すかしな事になった。

「お願いがある」

「お願い……ですか。私は雇われの使用人です。お願いなど申さなくても命令頂ければ善処いたしますが……?」

 一使用人、一庶民であるコラリーに対し、遥か上の存在である貴族のコスティからその様なことを言われるとは夢にも思わなかった。
 傲慢な貴族も多く居る中、かなり優遇されている勤め先であるのは間違いない。小さい頃に拾って頂いた恩もある。
 だが、ソニヤを死なせてしまった件もあり、絶対の忠誠と言う表現はもうできなくなっている。
 しかし、本来は命令されることが当たり前であり、極々稀に要請程度。そんなことが当たり前の中でのお願いだ。
 一般的な受け答えをしたコラリーには、コスティのこの発言がどんなことを言ってくるのか正直わからず、恐怖心さえあった。

「これを、ラウリに渡して欲しい」

 懐から一つの袋を取り出した。
 あまり大きくなく、成人男性の手のひらより大きいくらいの長方形型の紙で出来た袋。
 こんなものを渡すのに命令ではなくお願いと言う辺り、非常に違和感を感じていた。だが、返事をする前にコスティから切り出される。

「ラウリに今近い者は君しか居ない。幼い頃から付きっ切りだった使用人も今ではあまり話をしてくれないそうだ。だから、君を頼るしか無いのだ」

 ふとコスティが弱々しく消え去りそうに見え、慌てて助けに行こうと構えてしまったが、コラリーにとって憎む相手という事を思い出し、行動を止めることが出来た。
 しかし、ここで拒否しても問題ないかもしれないが、ラウリに他の使用人が近づくことになる。
 今はその危険を少しでも減らすべきかもしれないと思い、条件等聞かずに了承することにした。



「何が渡して欲しいよ。自分で渡せばいいじゃない」

 とりあえず、今日渡さなくても良いと思ったコラリーは自室のベッド脇にあるタンスにその手紙を仕舞い、着替え、寝てしまった。




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