奴隷の花嫁

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第5話 大切な

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「ベルトマー男爵との会談は明日か……」

 ラウリは初夏のまだ涼しい夜を一人で歩いていた。
 今日はいつものカテーラ男爵家で性の手ほどきを行なっていた。いつもの使用人にもせがまれたが、今日はその気になれず、暗い中馬車も使わずに一人歩いて自分の館に帰っていた。

 一人で居る状況がさほど多くないラウリに取って、物事を色々と考えることが出来る一人の時間が貴重だった。
 今はソニヤの行き先を調べた資料が手元に無い為、頭の中で整理していくしか無い。手元にあったとしても月明かりではほとんど読むことが出来ないので意味がないのだが。

 中央区、東区の貴族は調べられるだけ調べた。ラウリと繋がりの無い貴族も居るため、確実とは言い切れない。だが、ラウリを通さずに父のコスティから直接買い取ることが出来るという人物は、そんなに多くはない。だが、万が一と言う事も考えられるため、普段接触することのない貴族達とも関係を持っていたのだ。

 頭の中でその様な貴族達も整理し、ベルトマー男爵、今日ヘルミネン伯爵の社交界に出席している知人に話を聞き、その結果によってはまた同じような作業に近い日々が続くのかと思うとうんざりしてくる。

 性の手ほどき自体は嫌いではない。だが、同位であれば、さほど強く出られることはないが、上位の爵位を持っている者達は無理を要求してくることもある。金払いが良いのがまだ救われるのだが、基本遊びとは言え、本来品格を要求するものである。
 ただ行為をするだけであれば、知性の無い獣と同じである。利害の一致の上、お互いに求め合い、楽しむと言うのが本来ラウリの道であった。本来、その獣達に手ほどきをするのは自分の求めるものではないので、遠慮したい。しかし、ソニヤの行方を探すためには致し方のないことだと割りきって行なっている。

 ここ数日、その様な獣達が続く中、お互いによく知るカテーラ男爵からのお誘いであったため、魂の洗濯というのは言いすぎかもしれないが、少し救われた気分になっていた。
 これが他の横暴な貴族達からの誘いであった場合、精神的にも、肉体的にも疲れすぎて歩く気にもならなかっただろう。

 幸か不幸か。真夜中の家路をゆっくりと歩いている時にそれは聞こえた。

 女性の悲鳴のようだった。

 一瞬聞こえたが、すぐにその音は塞がれたかのように聞こえなくなった。

 本来、庶民達の間で行われている事など、気にすることはなかっただろう。

 ほんの魔が差したというか、何かの琴線に触れたというか、どうでも良いことと思える事の状況を知りたくなり、悲鳴の聞こえた方向へと歩き始めた。

 路地を曲がり、薄暗い建物の影。遠くではっきりと見えることはなかったが、上半身裸の女性が横たわっているようにも思えた。

 4人ほど走り去るのが見えたが、そちらに興味はなく、その横たわっている女性に向かってそのまま歩き続ける。

 近づくと、その女性は股の辺りが白濁した液状のものがたくさん付着しており、若干黒い色に見えたので、血も混ざっているのだろう。

 胸は完全にはだけており、腰回りに切り裂かれたドレスだったであろうものが纏わりついていた。

 だが、一番その女性で違和感、いや、確実にあってはならない事がそこには起きていた。

 上半身だけ裸になっていると思っていた事だが、後ほどそれは大きな間違いだった事が判明する。普通に寝ているだけではこうなることはあり得ない状態。遠くからでは色彩がはっきりとわからないため、その様な色だとは認識できなかった事。


 そして、近づいたことでもう一つ衝撃的な事実を知ることになる。

「……ソニヤ……?」



~~~~~



「随分と痛い事してくれるじゃねぇか」

 少し時は遡る。
 ソニヤは何があってもすぐに逃げ出す予定だったのだが、痛みから現状の理解をすることが遅れ、頭がはっきりとした時には既に男達に取り囲まれていた。

「お、こいつ奴隷じゃねえか。随分と良い物着てるな」

「お気に入りの奴隷だったんじゃねぇか?」

「だけどよ、こんな所に放置して逃げちまう程度なんだ。俺達で貰っちまっても問題ねぇだろ?」

 ソニヤはまだ奴隷の紋様が残っている。あの暖かい二人、カルナ男爵は、すぐにでも奴隷から開放するつもりだった。
 お披露目では、まず奴隷であることを周知させ、自分の子供が居なくなったことから奴隷だが養子を得ることで立ち直ったと言う表現をしたかったのだ。
 その為、まだ奴隷の紋様を消すことはせず、つけたままにしてしまった。これが悲劇の引き金を引くことになるとは知らずに。

 その悲劇の引き金は男達の会話から理解できる通りに、少しずつ近寄ってくる。
 その内容も、ソニヤの事を4人の専属奴隷にするという事だ。
 優良な貴族が扱う奴隷は奴隷の体調等を考えつつ、運用することが多い。しかし、いかに優良だと言えども、庶民では奴隷の扱いはかなり厳しいことになる。
 だが、この4人は庶民であり、男であり、そして盗賊であった。
 ソニヤの事を無理に働かせるだけならともかく、異性としての能力を、まずは楽しむだろう。そして、利用し、商売を始めることだろう。

 奴隷商に売ると言う事だが、その奴隷の紋様がわかる人が見れば、簡単に奴隷の販売元がわかってしまう。
 奴隷商を通さずに自分で売ると言う方法もある。だが、この国には新規で奴隷商になる者はまず居ない。高い奴隷商はまず奴隷商が増えても何も言わない。だが、同じような安い価格帯の奴隷商がどんなことをしてでも潰してくる。安い価格と言うのは、これから彼らがソニヤの事を弄ぶのは決定事項だからだ。綺麗にするにも、見栄えを良くするにも、費用は安くない。その為、その費用を掛けられない彼らにとっては、素材が良くても安い価格でしか販売できないのだ。
 そして、安い奴隷商も高い奴隷商の紋様が付いた奴隷はまず買い取らない。魔法をかけられた奴隷は高い奴隷商、運悪ければ、貴族の奴隷商となってしまうからだ。

 貴族は、プライドの高い生き物である。
 その様な奴隷の紋様が付いた奴隷が価格帯の安い奴隷商から売られたことがわかれば、高い価格帯の奴隷商達は、どんな手を尽くしてでも調べ上げ、その販売した奴隷商を締め上げるだろう。
 だから、仲買人と言うものが居るのだ。だが、仲買人も何もかも買うわけではない。意図的に奴隷商を貶めたり、仲買人達に不和をもたらす者であれば、買わないこともある。買ったとしても、徹底的に調べあげ、その奴隷が関係している奴隷商か、貴族達に話を通し、問題なければ自分のものとして奴隷商に売る。問題がある場合は購入先に今までかかった調査費用や旅費等を全て請求し、支払われない場合はその出来事を公開する等の行為をする。
 つまりは、奴隷業全般では、全て住み分けされているのだ。

「俺が先でいいよな。痛い思いしたからよ」

 ソニヤに突き飛ばされた男が痛んだ顔をさすりながらそう周りに宣言する。

「仕方がないね」

「わかったよ。中に出すなよ、お前のは量が多いんだから」

「お前の出した後ってちょっと気持ち悪いんだよな」

「うるせー。中に出さなきゃいいんだろ?」

 普段からこの様なことを日常的にやっているかの様な会話。
 ソニヤにとって、その言葉の意味もわかっていたため、慌てて逃げ出そうとする。
 だが、取り囲まれていたために簡単に捕まってしまった。

「ヴェステルよく捕まえた」

「ユールじゃあるまいし」

「ニーロもこの前のがしたよ」

「お前らうるせぇ。大丈夫。痛くないから」

 そう言うとソニヤを捕まえた男はソニヤの服を力任せに破き、ソニヤの胸をあらわにした。

「ん、まだ育ちきってないんだな。暗いと年齢わからねぇもんだな」

「一応成人してるんじゃねえのか?」

「俺は気持ちよければ良い」

 そう言いながら初めの男は自分の分身を表に出し、ソニヤに迫ってきた。逃げ出そうともがくソニヤだが、恐怖からか悲鳴も上げられず、力も入らず、地面に座り込んでしまった。
 観念したと思い込んだ男はそのままソニヤの下腹部を触りだす。母親の弟の時が思い出されるが、今は実弟のような助けがあるわけでもない。絶望一色に染まったソニヤの耳に初めの男からの言葉が入ってきた。

「なんでぇ、こいつ初物だぞ。中が硬てぇ、やめた。つまらん」

 ソニヤの事を見逃してくれるかもしれないという言葉が聞こえた。助かるかもしれないと言う安堵と、少し活力が戻ってくる。希望というものは人の原動力だと実父や実母から聞かされたことがある。どの方向に逃げ出せば良いのかと考え始めた所で、再度絶望の言葉が耳に入った。

「奴隷でこの容姿でって相当珍しいな。それなら俺が初物もらうよ」

 今、ソニヤを後ろから捕まえているヴェステルと言う名の男からの言葉だった。




「おいおい、こいつ壊れちまったか?」

 3人が何度も事を終え、白濁液に汚されたソニヤは路上に転がされていた。口が半開きになり、よだれや白濁液がそのまま垂れ流されている。目も中空を眺めて目の前で男達が手を振っても目がそれを追いかけることはなかった。

 行為中、泣き叫びたかったが、相手の動きに合わせて漏れ出るうめき声しか出ず、この様な状況になったことより、実父や実母、奴隷になってからも娘として扱ってくれた義父、義母、それに、ラウリに対して申し訳ない気持ちが溢れ、涙が止まらなかった。

 だが、頭の回転は止めていなかった。彼らの顔を覚え、声を覚え、体形を覚えていた。
 ソニヤを連れていけば、養うための費用がかかる。そして、この奴隷の紋様を消せるのは魔法を使える高価格帯の奴隷商のみ。奴隷商に連れていけばこの紋様が何処の紋様かはっきりとわかってしまうだろう。その為、ソニヤは彼らがそれに気づいて置き去りにしてくれる事を願わなければならなかった。
 ここでその事を教えてしまえば、面倒事に巻き込まれることを嫌がる盗賊達に殺されてしまうことの可能性は高かった。
 その為、ソニヤの考えでは、壊れたものをそのまま捨てていくと言う形を取ってもらいたかったのだ。

「初めの時と違って、ようやく中もほぐれてきたぞ」

「ヴェステルが上手くやったおかげであんまり血が出てないしね」

「ヴェステルの番だったから譲ったけど、次は俺に初物やらせろよ。それでどうする、やるか?」

「後何日かしたら、しっかり中もほぐれるだろう。その時は俺にもやらせろよ?」

 初めにしなかった男がソニヤに対して絶望的な一言を告げる。壊れていようが壊れていまいが、ソニヤはもう逃れられることが出来ないという事だった。

「いやぁぁぁぁぁ!!!!」

 絶望から逃げ出したい、誰かに助けて欲しい、あの優しい義父、義母、そしてラウリの元へと戻りたい、その一心で大きな声が出た。
 だが、出来たのは声を出すことだけだった。男達はすぐにソニヤの四肢を押さえ、口も塞ぐ。

「ふざけんな!!」

「今更叫びやがって!!」

 だが、ソニヤは帰るために、生きて帰るために抗うことにした。口を塞いでいる男の手を噛み付き、手を放させる。

「助けて!!」

 誰に届くでもない言葉、運が良ければ近くに夜間歩哨をしている衛兵が居るかもしれない。まだ起きている近所の人々が気づいてくれるかもしれない。男達も、誰かが来てしまうことを恐れ、逃げていくかもしれない。微かな希望を込めて助けを求め、叫んだ。

「くそっ! うるせぇ!!」

 そう言うとヴェステルと呼ばれた男は手でもう一度ソニヤの口を塞ぎ、そして腰に付けていたナイフでソニヤの腹を切り裂いた。

「!!!!!!」

 冷たい刃物がソニヤの腹を横に線を書いていく。乱暴に。
 音にならない悲鳴を上げる。今まで経験したことのない痛み。想像もしたことのない痛み。自分の生命が終わってしまうかもしれない痛み。
 それらから逃げ出したい、すぐに終わって欲しい、今日の出来事は夢であって欲しい、そう思うが、鋭い痛みは続き、体の芯に響いていく。

「ヴェステル!!何しやがる!!」

「くそっ!! またやりやがった!! 商品にもなりゃしねぇじゃねぇか!!」

「具合良かったのにな」

 男達でもこれは予想外の行動だったようだ。

「やっちまったもんは仕方ねぇ、逃げるぞ」

「ちっ!!」

「大馬鹿野郎!!」

 掴んでいたソニヤの四肢を手放し、すぐに走って逃げていった。
 ソニヤは男達から開放された。
 だが、自分が望んでいた開放とはかなりかけ離れていた。




~~~~~



「……ソニヤ……?」

 ラウリは2ヶ月以上も探し続けたソニヤの変わり果てた姿を見つけ、慌てて抱き起こす。

「………ラウリ様……?」

 ソニヤは視点が定まって居なかったが、こちらの顔を見ると、苦痛に歪んだ顔から微笑んだ顔に変わっていった。
 見知った人物が居たという事での安心感からだろうか、それともラウリに会えたことからの喜びからだろうか、ただ単に心配させまいという配慮からだろうか。
 ラウリは改めてソニヤの状態を確認する。
 夜なのではっきりとはわからないが、胸や口、それと下腹部を中心に白濁した液に汚されていた。力任せに押さえられていたのか、四肢には人の手形のような痣があり、そして一番の問題が腹部の裂傷だった。
 夜だというのに傷は深く、そして広く見える。血も遠目では何かをかぶせていたのかと思うほど流れでてしまっている。

「ラウリ様……、ごめんなさい……」

「何を謝るんだ?!」

「貴方の側から離れてしまったこと、貴方にこの様な所を見せてしまったこと、そして……貴方に重荷を背負わせてしまうことにです」

 全てラウリに対しての謝罪であった。奴隷であるため、自由になる身で無い事は明らかである上に、ラウリの奴隷で無いのにだ。本来この様な謝罪は全く必要ない。だが、ソニヤは初めて好意を寄せた異性、自分にも好意を寄せてくれた異性、そして、義父や義母の考えで、ひょっとしたら自分の夫となったかもしれない異性。そんな人であるために、その様な言葉が死を意識した時でも出てきたのだろう。

「ラウリ様、私の事は忘れて下さい」

「忘れられるわけ無いだろう、こんなに探したのに……、ようやく見つけ出すことが出来たと思ったら……」

「そんな顔なさらないで下さい。私が好きな貴方はもっと良い笑顔でしたよ」

 無茶なことを言う。だが、ソニヤは、ラウリが元気で、そして笑顔で居て欲しいのだ。この様な世の中で生を受け、実父や実母が他界するまでは幸せだったが、それ以降は短いが不遇な生活を送っていた。そして更に短いが、とても幸せな生活が二つ。
 全体から見ればかなり幸せな方なのかもしれない。だが、彼女はまだ16歳と言う事を除けば、だ。

「こうなったのは貴方の責任ではありません……。ですが……、優しい貴方は自分のことの様に思ってしまうでしょう……。単なる奴隷の一人が居なくなった……、そう思って下さい……」

 ソニヤの呼吸が荒い。顔もまだ微笑みを崩さないが、抱き起こした時に比べて痛みに歪んでいる。

「私は幸せでしたよ……、売られた先では娘の様に扱ってくださいましたし……。でも、一番はラウリ様、貴方と出会うことが出来ました……」

 喉がつまり、話したいことも満足に話せないようになっていく。その様子に気づいたラウリは自分が水筒を持っていないことに気づく。水を飲むことが出来れば彼女の声を、言葉を、もっとはっきりと聞くことが出来るのに。屋敷を出る時に水筒を拒否したことを今更になって後悔している。

「ソニヤ……」

 申し訳ない気持ち、失いたくない気持ち、ソニヤをこの様な目にあわせてしまった後ろめたさ……。
 実行犯への憎悪、ソニヤを売り払った父への怒り、ソニヤを連れて行ったことを知らせなかった使用人達への苛立ち……。
 ソニヤへの愛おしい感情、先日までのあの日向での暖かい二人の逢瀬、与え、そして与えられた事への喜び……。
 様々な感情が入り混じり、抱き起こしていたソニヤを抱きしめる。力加減はしているつもりなのだが、感情がコントロール出来ず、強く抱きしめてしまった。

「ラウリ様っ……、私は汚れております……、その様なことをなさると……」

 自分の痛みと言う感情を表に出すより、ラウリへの配慮を先に口に出すソニヤ。
 ラウリはその暖かい配慮と、彼女が痛がっていることに気づき、慌てて離れ、言葉にする。

「ソニヤ、君は汚れていない!!」

 そう言うとラウリは彼女の唇にくちづけをする。
 乱暴され、男性の分身を無理矢理体内に突っ込まれ、そして吐き出されたその口に、くちづけをする。
 ソニヤはその行為を拒否するために両手でラウリのことを離そうとする。だが、痛みからか、離れたくないのか、それとも実は求めていたのかわからないが、両腕に力が入らない。
 どのくらいの時間が流れたのか、ラウリはゆっくりとソニヤから離れる。

「君は汚れていない……」

 もう一度、彼女に伝える。彼女は穢れて居ないと。

「ありがとう……ございます……」

 涙が溢れてくる。
 ソニヤの頬にも、ラウリの頬にも光るものが伝わり、そして落ちていく。
 もう一度二人はくちづけを交わし、お互いの気持ちが伝わっていく事を感じた。
 だが、もう遅かった。
 彼女の呼吸は荒かった状態から、一気に落ち着いていく。
 力無くラウリに預けていた体が、より重くなっていく。

「ソニヤ……?」

 ラウリはゆっくりとソニヤから離れ、様子を確認すると、彼女は既に息を引き取っていた。
 苦しんで逝った様には見えず、安らかな顔で息を引き取っていた。

「ソニヤ……」

 ラウリはソニヤを抱きしめたまま、静かに、声を上げずに抱きしめながら涙を流した。



 馬車と多数の歩兵の足音が辺りを騒がしくする。
 深夜の街中、近隣の国に攻められないこと100年以上。この様な夜が騒がしいことなど、この王都ではかなり珍しい事だ。
 盗賊団が入り込んだ時でも、ここまで騒がしいことはなかった。
 実際、盗賊団の時は、貴族の屋敷が襲われ、その報復として多の貴族達が連携し、盗賊を追い詰め、最後は自首と自害に迫られたので、兵士達の行進する音だけしか鳴り響かなかった。
 だが、今回は、複数の馬車の音、それ以外にも複数の馬の足音、それ以上に多数の鎧をつけた兵士の駆け足する音が真夜中の街中に鳴り響いていた。
 この王都が攻められた時を記憶しているものは既にこの世に居ない。だが、攻め入られたのかもしれないと錯覚するくらい、騒がしく走り去っていった。
 足音は2方向から響き渡る。
 一つの場所に向かって。

「貴様、そこで何をしている!!」

 兵士達が目的の場所にほぼ同時期にたどり着く。その目的の場所には、裸の女性を抱きしめるようにうずくまる男が一人。
 人数の多い部隊の隊長が代表としてその男に質問をする。
 だが、その男は話を聞いていないのか、耳が聞こえないのか、それとも意識を失っているのかわからないが、微動だにすることがなかった。
 隊長が二人の兵士に指示し、その男を拘束しようと近寄る。

「隊長!! 女性の腹部から大量の血が!!」

「なんだと!?」

 近寄った一人の兵士から報告が入る。隊長としても本意ではない報告であったため、思わず返事をする声が大きくなってしまった。

「女性を保護!! 生命維持に努めろ!! 男性の方は確保!! 抵抗するなら力ずくで抑えろ!!」

「はっ!!」

 訓練された動きで兵士の10人程が男性を囲い、三人が男が急遽暴れた時の対応として、三人が裏から男性を引き剥がす。タイミングをあわせて女性を三人で助け出すことに。
 助け出すことに成功したが、女性を確保した兵士の顔には落胆の色が見えた。副官と思われる者が急ぎ女性を確認しに行くと、同じような表情へと変わっていった。
 そしてすぐに、副官は駆け足で隊長の元へと戻り報告をする。

「隊長! 男性、女性共に確保に成功しました。しかし、女性の方は既に息を引き取っております」

「伺っている特徴と相違無いのか?」

「はっ、服装に関してはわかりませんが、容姿の特徴は間違い無さそうです」

「そうか……」

 隊長がその報告を聞くと同時にもう一台の馬車が現場にたどり着いた。
 その馬車を確認すると隊長が駆け足でその場者の元へと向かう。落胆した表情から勤務するための表情に無理に塗り替えてから馬車の扉を叩き、隊長が中の者へと伝える。

「カルナ男爵、報告がございます。よろしいでしょうか」

 そう、この馬車は文字通り、命がけで守ったソニヤの義父、義母の乗っていた馬車であった。
 カルナ男爵は、自分がそのまま一人で行ってもソニヤを助けることが出来ないと悟り、慣れない馬車の操作を何とか行い、現場に近いところにある兵士詰所に向かっていったのだ。
 詰所の兵士達も夜間であるために、装備を整えているものは少なく、準備するのに時間がかかってしまった。
 だが、それでも男爵から涙ながらに頭を下げられての事であった為、できうる限り最速で事を運び、ソニヤを助け出すことを命として、夜間静かにしなくてはならないことをねじ曲げてでも行動してくれたのだ。
 しかし、その皆の迅速な行動に結果が伴わないと言うのはやはり心に来るのだろう。隊長も表情を変えずに報告する自身がなかった。
 なんとか表情を作り、報告の準備を扉が開く前に終わらせる。

「隊長……、ソニヤは無事だろうか……」

 強行軍とまでは行かないが、心労と慣れない馬車の運転、更には普通以上の速度で走った事での路面の突き上げ等が重なり、男爵の顔色は優れなかった。
 だが、自分の体より、自分の娘のことを優先して行動した結果だ。結果が伴えばこの様なことは苦ではないのだろう……。結果が伴えば……。

「男性を一人確保、そして、女性の亡骸を一人確保致しました。申し訳ございません、間に合わせることが出来ませんでした……」

 結局隊長は表情を変えずに答えることが出来なかった。
 もっと、遠まわしに言えばよかったのか、男爵に直接現場で判断してもらうほうが良かったのかわからない。どちらにしても、苦しい答えを伝える他なかったのだから。
 隊長からの報告を聞くと、結局男爵はその場に座り込み、男爵婦人は周りを気にすること無く泣き始めてしまった。



 男爵の足に力が入るようになるまで、少し時間を要した。
 そして、言葉を発することもさらに時間を必要とした。

「隊長……、取り乱してすまない。現場に連れて行って貰えないだろうか」

「はっ!」

 隊長は馬車から男爵が降りることを手助け、更に足元がおぼつかない男爵を気遣ってゆっくりと現場へと歩いて行く。
 夜の暗がりである現場だが、今では現場を確認する為にランタンの灯が幾つも灯っていた。
 そして、男爵が近づくと赤く染まった石畳、そして、離れたところには両腕を捕まれ、腹と腕が真っ赤に染まっている男性が一人。更にはその隣に担架に乗せられ、布を被せられた女性と思える人が一人居た。
 真っ赤な地面を横に見ながら担架の側で男爵は立ち止まる。
 副長が隊長の挨拶でその被せられた布を剥ぐと男爵は膝から崩れ落ちてしまった。

「ソニヤ……、ソニヤ……」

「間違い……では無い様ですね……」

 隊長も男爵に確認してもらうまで間違って欲しいと願っていた。だが、この男爵の落胆を見て、違う未来にならなかったこの世界を呪った。
 男爵は血に汚れるのも厭わず、そのままソニヤの亡骸に抱きつきながら泣き始める。
 短い間だったとはいえ、心の底から娘になって欲しいと思っていたのだ。そして、その娘に好きな人が居るという事も馬車の中で聞いた。
 しかもほんの数時間前の話だ。

 男ばかりの子供に恵まれ、家は安泰だと言われ続けたが、相次いで亡くなり、諦めかけていた時に光る娘を見つけることが出来た。
 奴隷だったが、そんな事は些細な事。男爵程度の階級でしか無いが、王家との繋がりは深い。現国王様からも後継ぎ問題を直接どうするのかと聞かれたこともある。二つの家をそのソニアの想い人との間に生まれた子供たちに各々継がせることが出来る例を利用し、存続させることを国王様にお願いしようと思っていた。
 家も残せ、娘にも子や孫が生まれ、娘の明るい幸せな未来をそのほんの数時間前には描けていたのだ。

 だが、その幸せはもう永久にやって来ることはない。

 そんな心温かな幸せな未来を奪った犯人、兵士に繋がれている男を男爵は刺すような目で睨みつけ、そして驚愕した。

「ラウリ……君……」

 自分の最愛の娘、その未来を奪った男が、添い遂げたいと思っていた男だったとは思いたくなかった。だが、現場に残った証拠としては、そうとしか考えられなかった。
 男爵はラウリに飛びつき、両手で首を絞めつつ叫んだ。

「何故だ!! 何故ソニヤを殺した!!」

 ラウリは男爵にされるがまま何も抵抗をして来なかった。男爵は何度も何度も繰り返し叫び、そして力無く泣き崩れる。
 その間、ラウリは何一つ言葉を発することはせず、ずっと中空を眺めているだけだった。
 貴族が、この国最古の男爵家当主が、頭を下げてまで出動を願った。そして話に聞く人柄と、冬は寒いが暖かな人達が居ると言ういつかは行ってみたいと思わせる男爵領へのあこがれから、男爵への同情と、相手への殺意が兵士達にも漏れ始めていた。

 どうしてくれようか。
 このままここで殺してしまおうか。
 この様な殺意が渦巻き始めた所で声が聞こえた。

「あなた……、ラウリ君は絶対その様なことは致しません」

 震えていたが、気丈な声の主は同じ馬車で来ていた男爵婦人だった。
 背筋はしっかりと伸ばし、貴族としての振る舞いを忘れるようなことは無かった。
 だが、その顔は涙が溢れ、流れ出ることを隠そうともしていなかった。そして、叫びだしたい様な衝動を無理にでも抑えてるようにも見えた。

「ミンミ……、そう言うが……」

「あの娘が愛した男性を信じることが出来ないのですか?」

「信じたいとは思うが……」

「ラウリ君は何度も話していますし、彼の仕事も知っています。衝動で女性を襲ったり、そして殺めたりする様な人では無いでしょう」

「そうかもしれないが……」

「副隊長さん。現場を見て、単独犯の行動だと推測されますか?」

 突然話を振られた副隊長は狼狽しつつ、現場を再度目視してから答えた。

「はっ!! 彼女の四肢に付いた手型の痣、そして……」

「いいわ、はっきりと仰って下さい」

「はっ! 失礼致します。この精液の量を考えると、この短時間で一人で行うには不可能だと私は考えます」

 言葉が詰まった要因はソニヤの事を配慮しての事だった。性的暴行を受け、更には居た堪れない姿になってしまった娘の状態をそのまま口にして良い物なのか迷ってしまってと言う事だ。

「あなた、ラウリ君がこの時間にこの様な所を歩いている理由、それはもう一つの彼の仕事でしょう」

「……あの性の手ほどきか?」

「はい。多分、それを終えた後なのでしょう。事を終えた後、もう一度襲いたくなるとは思えません」

「しかし、相手がソニヤだから……」

「貴方の居ない所でソニヤから話は聞いています。彼の元に居た時、手が触れたことくらいしか無かったそうです。そのくらい純粋な関係だったのですよ」

「まさか……、そんな……」

「そんな事より、可哀想に。ソニヤをこのままにして置くのですか?」

 男爵婦人の言葉に、ようやく我に返る男爵。だが、犯人への怒りは抑えきれず、唇を噛み締め、現状しなくてはならないこと、ソニヤを暖かい所に迎え入れると言う事を思い出し、ソニヤの側に戻る。

「ソニヤ……、家に帰ろう。お風呂に入って綺麗にして、それからゆっくりとお休み……」

 そう言うと、近くに居た兵士に伝え、馬車の方へと歩いて行った。

「ラウリ君。今日のことはまた後日伺います。その時、ソニアの最後がどうだったのか、教えて下さい」

 ラウリの返事を聞く前に、男爵婦人はソニヤの向かった方向へと歩き始めた。

 男爵達が立ち去り、そして兵士達もラウリを送るために残された数名を除き、全員がこの場から離れ、辺りに静寂が戻った。
 ラウリはようやく少しだけ思考が戻り、赤く濡れた地面を、彼女が居たはずの場所を眺めた。
 結局、彼女は見つけ出すことは出来た。だが、助けることは出来ず、この世からも居なくなってしまった。

 彼女が居たと言う形跡は、心の中にあるあの暖かい逢瀬、彼女の血で濡れた自分の衣服、そして、知らない男の精液の味のする彼女との口づけという記憶以外には何も無くなってしまった。



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