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逃避行の終局
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●
『どうする? 相手が騎兵なら難地を飛ぶのがベストだけど』
「相手も飛んでるのだとあまり意味はねえな。谷風だって風除けの呪文が使える奴を寄こすだろうよ。その上で包囲すれば良い。ただ、難地ってのは悪くはない考えだ」
イグレーンの確認に対して俺は一部を肯定した。
起伏の多い場所を飛び、山や谷を越えて進むのが騎兵を突き放す利点ではある。三日で都市ダキナの城まで辿り着けると言ったのは、風を利用する他に地形を無視してとベリ飛行船の利があるがゆえだ。しかし相手もグリフォンやペガサスなので、その利点その物に意味はない。ただ、風が強かったり黒雲が掛かることが多いとか、霧のある所を選んで飛ぶことに意味はあるだろう。
「確かこの辺に……あったあった。今から送るイメージで暫く飛んでくれ。俺はちょいとあの二人に確認をしてくる」
『了解って。ちょっと街道を通るの? 一時とはいえまたモメそうな……』
「モメるから良いんだよ」
俺は幻術でイグレーンにルートの指示を出しつつ聖堂へと赴いた。
暫くは順風で『敵対者』も遠く、帆をしまう必要がないから持ち場を離れても問題ない。まあ、役目と言っても帆を畳んだり出し直すくらいだけどな。
「お二人とも。今しがた北西より空中部隊を確認した。包囲と練度からナルモン伯の手勢と思われる。ここで一つ確認をしておきたいんですが……」
「伯が……。もし止めるかという問いでしたら、このままお願いします」
「それなら楽ですがそうは思ってはいませんよ。旗はお持ちですか?」
「旗だと? あるにはあるが……」
此処で言う旗とは『旗幟を鮮明にすべし』で言う、態度を示す旗だ。
もちろん旗一本で意味をなす訳ではなく、補助で幾つもの旗を立てる事である程度の意味をなすことになる。『我々は●●軍である』『どこそこの国家に所属している』をメインに、『交戦しよう』or『休戦しよう』という旗を建てれば、どういう立場で何をしているかが丸判りな訳だな。だから戦争や政争では、『どちらの立場をハッキリと言え』という風に求められるし、表明しないと攻撃されても文句は言えない。
「それは良かった。何処かの砦に寄ってテーヌ領の旗を回収るのは時間の無駄ですからね」
「なにっ!? あえてここに姫が居られると晒す気か? よもや降伏……」
「それなら相談せずに停戦してますよ。公用使の旗と共に使います」
「なるほど……この船を我が領が接収して使って居るとするわけですね」
メアリは判らなかったようだが、アリノエールは理解したようだ。
この辺りは騎士に過ぎないメアリと、正式に当主を継いではいなくとも貴族の跡取り娘であるアリノエールとの差であろう。俺が何を言いたいのかを、そう……ナルモン伯に判り易い名分が無くなることを理解したのだ。
「そう言う事です。ここは既にテーヌ領。ナルモン伯には口出す名分がありません。仮に宰相からの命令書があったとしても、本来は一度ダキナで代官の認可を受けなければなりませんからね」
「判りました。ただ、それで伯が止りますか? 無視するのでは?」
貴族だけでなく王国も、何の理由もなく貴族を好き勝手には出来ない。
公用で動いているという態度を示す旗と、テーヌ領なりダキナの旗があれば、この地方の伯爵が公用で雇っているという事になる。ナルモンを領地に持つウィリアム卿が、テーヌに領地を持つアリノエール嬢を捉えることなど出来ない。お互いに貴族同士だし、王国には罪状を認定し、正式に領地没収するまでかっては出来ないのだ。ただ、そこには暴力という手もあるとアリノーエルは心配する。
「ですので街道に向かっています。少なくとも、これで俺たちは町や関所の上を飛んでも問題ありませんしね。迂回した分も含めて、一時間は圧縮できるでしょう」
「そうか。空にも法が……」
「まあ、慣例ではありますが」
海と違って空は限りが無いように見えるが、やはり限りはある。
それこそ他者に見られる可能性自体は、何処かの地形の上を飛ぶ以上はあり得るのだ。ということは誰かの目に晒されることになり問題行為は存在する。とはいえ好き勝手に飛んでいくので捉まえることは難しく、証拠なんか残らないから、町の中で停泊でもしない限りは関所などに縛られることもない。ただ、不文律としてお偉いさんの上を避けることになっており、城や関所などは上空を飛ばないのが『普通の船』のルールである。そのルールを旗で誤魔化すってわけだ。
「カワラー卿。答えてもらって居ませんよ。伯が無視した場合は?」
「ナルモン伯も『子供の使い』じゃないですしね。一度か二度は向こうも横紙破りで強行するでしょう。逆に言えば、その数回に絞る事が出来ます。加えてこちらは、難地も飛ぶことでそれを全て使えない様に強要して行く予定です」
当たり前だが慣例を律儀に守る必要などない。
法律ではなく、あくまで積み重ねて来た慣習の結果に過ぎないのだ。権力やら暴力に物を言わせて、『そんな事は知らんなあ?』で済ますことも出来る。公の目に晒すことで、そう何度も使える手にしないというのがまず一つ目の対策。そして多に風が吹いたり、雲や霧が掛かる様な場所を飛び抜けるのが二つ目の対策だ。
「つまり、その数回を何とかするという事ですね?」
「はい。重要なのはナルモン伯は全ての可能性に備えなければならないという事です。もちろん宰相の命令ですから、聞く必要がある当時に、本当の意味で叶える必要はないので博打を打つ可能性はありますけどね」
ナルモン伯は子供の使いでは無く、宰相もただの貴族ではない。
だから無茶をしてでも命令を聞いて見せないと、ナルモン伯の立場と才覚が疑われる。女二人を捕まえられないとか恥ずかしいだろうし、命令権は基本的に宰相にあるからな。ただし、それが逆に扱われるという事でもある。ナルモン伯もきぞ0区であるから、テーヌ領没収という顛末が自分に及ぶことを考えている筈だ。同じ目にあいたくないが、同時に何度も起きるようでは困る。最終的に『さすがはナルモン伯』と言える行動を取ったら手を引く可能性はあった。
「さて。申し訳ありませんがそろそろ旗を御願いできますか? アレを先に掲げておけば、初動で楽になりますからね」
「メアリ、お願い」
「承知しました姫」
この件で一番大きいのは、臨検を受ける理由がなくなる事だ。
一介の飛行船の場合、騎士が止れと言ったら止まらなければならない。だが公用使として動いて居る飛行船の場合、テーヌ地方で止めることのできるのはテーヌ地方の騎士や代官だけだ。メアリが持ち歩いている旗がどの程度の格か判らないが、場合によってはテーヌ所属の騎士でも止められない。親族衆か代官くらいであろう。少なくとも、この時点でナルモン伯の手勢が他所の領地で止れとは言えないのだ。
●
『ようやく旗に気が付いたみたい。追いついた奴が引き返していくよ』
「お疲れさんってとこだな。これで連中は一度方針を固め成す必要が出て来る。ま、ナルモン伯が噂通りの人物なら、諦めはしないだろうがな」
カテドラルに先回りして停戦を命じようとしたグリフォンが去っていく。
イグレーンに見える位置から命令を出そうとして、回り込んでる最中に公用使の旗と、ダキナ家の旗を見かけたのだろう。流石に当主にはついてないのでテーヌ伯の旗は持って来てないそうだが、親族衆でありこの土地の領主一族であることは理解しただろう。これで少なくともテーヌ領の貴族でも分家格では止められないことになる。
「難地を抜け、町や関所を飛び越えてダキナ市に向かうぞ。ただし親族衆筆頭である先代当主の弟の館は避けるんだ。向こうについてる可能性があるし、貫目的に止めに来るかもしれん」
『地上は面倒くさい括りがあるねえ』
「お前だって親分衆の縄張りは飛ばんだろ」
『そりゃね。ま、そう言うもんか』
こちらがこの領地の公用で飛んでるので、ナルモン伯には止められない。
あくまでそう言う理屈でしかないが、騎士たちに判断できるはずがない。そこでせっかく築いた包囲網を収縮し、一度伯爵に確認をするはずだ。その上でもう一度包囲するとして、その前に出来るだけ突き放しておくに限る。ちなみに貫目というのは立場の重さの事で、お互いに比較した時にどちらの立場が重いのかという時に重要になる。隣国の使者が騎士や男爵だったら、この国の国王や公爵が尊重するかと言えば、そんなわけがないので、もっと上の貴族を寄こすようなものだ。
『ここからどう出てくると思う?』
「流石に『公徳なんぞ知らん』とは人目が付く前ではやって来ないと思うが、それでも先ぶれの使者を出してからならやるかもな。だからダキナ市の手前と、何も無い山間部の何処か……いや、平原に入ってからか」
お互いにやって良い事と、やってはいけない事がある。
例えば公論や正義を振り回し、『オレの方が正しい。だから従え!』とはお互いに言い難い。宰相の命令があるし、一々話を聞いて居たら、向こうはこっちを強引に捕まえてから全てを最小に押し付けるだろう。それはこちらも同じで、向こうは無視して行動できることを忘れてはいかない。また、泣き言で同情を買う様な事をしても無駄だろう。ナルモン伯は同盟相手が欲しいのであって、女子供の同情が惜しいわけではないのだ。
『そういえば、こっちの動きが読まれるって事は? マーシャル卿とか』
「あり得るっちゃあ、あり得るかな? アリノエールが頼りないお嬢様ってのは確かだ。ただ、爺やとして動く可能性がある。その辺をこちらが期待するのはどうかと思うが、ナルモン伯の立場じゃ無理だ。だから予想して回り込むことくらいだろう」
ナルモン伯がこちらの行動を読み、策謀を行う可能性はある。
例えばだが、メアリが裏切ってアリノエールを海賊に売るという嘘を吐く。それだけでマーシャル卿はこちらに付かないどころか、捕縛する可能性もあるだろう。だが、それはアリノエールを見放してない限りは、事の顛末を聞いたら護衛側に回って終わりだ。熱にうかされた正義論ではなく、お家が取り潰される瀬戸際なのだからそれは明らかであろう。ただ、頼りないお嬢様のままな場合、大人しく婿を探して家の存続だけを考えろという可能性はあるので、油断は禁物だけどな。
『高空に飛んで引き離すとか?』
「向こうも人目が無くなるからな。撃沈は狙わんだろうが、船に乗り込んで来る可能性が増える。むしろ人目が付くところなら、その手は一回くらいか」
相手が飛行船ならやれないが、グリフォンと魔術師なら可能だ。
こちらの甲板に乗りつけて、万が一を考えて飛行の呪文を使っておけば落下しても問題ない。その状態で乗り込んで来られると、こちらとはお手上げである。いや、メアリなら迎撃できるだろうが、船の中に魔導師を入れた時点で、飛行船としては危険すぎる状態になるのだ。普通ならば降伏すべき状態であろう。
「あー。ソレか、最後にゃグリフォンからの切り込みをし掛けて来るな。理屈はどうあれ、包囲網を整えて指揮官自らが話を付けに行くなら、一応は筋が通る。少なくとも話を聞いた皆がナルモン伯の勇気と度量を認めるだろうよ」
「部下任せにせず、勇気をもって突入? 味方にとっては蛮勇じゃない?」
「この場合は難しい交渉ごとに、貴族の立場で収めに入ったことになる」
油断は禁物だが、魔法で撃沈は目指さないだろう。
こちらが低空で移動するメリットはないが、町を盾にやったら、むしろ卑怯者としてやって来るぐらいだろう。その上で魔導師であるナルモン伯が飛び込んで来られたら、こちらとしては降伏するしかないのだ。せめて甲板に辿り着く前に迎撃する必要があるが、風の魔導士相手に飛び道具が通用するはずもない。向こうは短時間ならグリフォン無しでも空を飛べるし、矢除けの呪文もあるしな。切り込みは難しいからこそ、ナルモン伯も面目を保てるって事だ。
「よしっ。だいたいの目安が付いたから、今の予想を元に二人と相談して来る。道中の何処かで飛び込んで来るとして、そこでの迎撃策を練って来るわ。どう出て来るか判れば、対抗策はあるってな」
『じゃあ、こっちは予定通り飛んでいくよ。後は宜しく』
向こうの策の最終系が分かればやり易い。
伯爵がどんな理屈をつけて飛び込んで来るかは別にして、甲板に乗りつけて切り込むならば対抗策を用意しておけば良いだけだ。向こうも伯爵だし、宰相の命令にそこまで忠義立てはしないだろう。あくまで命令に対して、一応は従ったという態を為したいだけなのだ。その上で、アリノエールの女見物に来ているだけなのだから。もしそこでこちらが食い止めれば、そこで話が終わる可能性はあった(同時並行で、捕縛の使者とかは立ててるだろうが)。
『どうする? 相手が騎兵なら難地を飛ぶのがベストだけど』
「相手も飛んでるのだとあまり意味はねえな。谷風だって風除けの呪文が使える奴を寄こすだろうよ。その上で包囲すれば良い。ただ、難地ってのは悪くはない考えだ」
イグレーンの確認に対して俺は一部を肯定した。
起伏の多い場所を飛び、山や谷を越えて進むのが騎兵を突き放す利点ではある。三日で都市ダキナの城まで辿り着けると言ったのは、風を利用する他に地形を無視してとベリ飛行船の利があるがゆえだ。しかし相手もグリフォンやペガサスなので、その利点その物に意味はない。ただ、風が強かったり黒雲が掛かることが多いとか、霧のある所を選んで飛ぶことに意味はあるだろう。
「確かこの辺に……あったあった。今から送るイメージで暫く飛んでくれ。俺はちょいとあの二人に確認をしてくる」
『了解って。ちょっと街道を通るの? 一時とはいえまたモメそうな……』
「モメるから良いんだよ」
俺は幻術でイグレーンにルートの指示を出しつつ聖堂へと赴いた。
暫くは順風で『敵対者』も遠く、帆をしまう必要がないから持ち場を離れても問題ない。まあ、役目と言っても帆を畳んだり出し直すくらいだけどな。
「お二人とも。今しがた北西より空中部隊を確認した。包囲と練度からナルモン伯の手勢と思われる。ここで一つ確認をしておきたいんですが……」
「伯が……。もし止めるかという問いでしたら、このままお願いします」
「それなら楽ですがそうは思ってはいませんよ。旗はお持ちですか?」
「旗だと? あるにはあるが……」
此処で言う旗とは『旗幟を鮮明にすべし』で言う、態度を示す旗だ。
もちろん旗一本で意味をなす訳ではなく、補助で幾つもの旗を立てる事である程度の意味をなすことになる。『我々は●●軍である』『どこそこの国家に所属している』をメインに、『交戦しよう』or『休戦しよう』という旗を建てれば、どういう立場で何をしているかが丸判りな訳だな。だから戦争や政争では、『どちらの立場をハッキリと言え』という風に求められるし、表明しないと攻撃されても文句は言えない。
「それは良かった。何処かの砦に寄ってテーヌ領の旗を回収るのは時間の無駄ですからね」
「なにっ!? あえてここに姫が居られると晒す気か? よもや降伏……」
「それなら相談せずに停戦してますよ。公用使の旗と共に使います」
「なるほど……この船を我が領が接収して使って居るとするわけですね」
メアリは判らなかったようだが、アリノエールは理解したようだ。
この辺りは騎士に過ぎないメアリと、正式に当主を継いではいなくとも貴族の跡取り娘であるアリノエールとの差であろう。俺が何を言いたいのかを、そう……ナルモン伯に判り易い名分が無くなることを理解したのだ。
「そう言う事です。ここは既にテーヌ領。ナルモン伯には口出す名分がありません。仮に宰相からの命令書があったとしても、本来は一度ダキナで代官の認可を受けなければなりませんからね」
「判りました。ただ、それで伯が止りますか? 無視するのでは?」
貴族だけでなく王国も、何の理由もなく貴族を好き勝手には出来ない。
公用で動いているという態度を示す旗と、テーヌ領なりダキナの旗があれば、この地方の伯爵が公用で雇っているという事になる。ナルモンを領地に持つウィリアム卿が、テーヌに領地を持つアリノエール嬢を捉えることなど出来ない。お互いに貴族同士だし、王国には罪状を認定し、正式に領地没収するまでかっては出来ないのだ。ただ、そこには暴力という手もあるとアリノーエルは心配する。
「ですので街道に向かっています。少なくとも、これで俺たちは町や関所の上を飛んでも問題ありませんしね。迂回した分も含めて、一時間は圧縮できるでしょう」
「そうか。空にも法が……」
「まあ、慣例ではありますが」
海と違って空は限りが無いように見えるが、やはり限りはある。
それこそ他者に見られる可能性自体は、何処かの地形の上を飛ぶ以上はあり得るのだ。ということは誰かの目に晒されることになり問題行為は存在する。とはいえ好き勝手に飛んでいくので捉まえることは難しく、証拠なんか残らないから、町の中で停泊でもしない限りは関所などに縛られることもない。ただ、不文律としてお偉いさんの上を避けることになっており、城や関所などは上空を飛ばないのが『普通の船』のルールである。そのルールを旗で誤魔化すってわけだ。
「カワラー卿。答えてもらって居ませんよ。伯が無視した場合は?」
「ナルモン伯も『子供の使い』じゃないですしね。一度か二度は向こうも横紙破りで強行するでしょう。逆に言えば、その数回に絞る事が出来ます。加えてこちらは、難地も飛ぶことでそれを全て使えない様に強要して行く予定です」
当たり前だが慣例を律儀に守る必要などない。
法律ではなく、あくまで積み重ねて来た慣習の結果に過ぎないのだ。権力やら暴力に物を言わせて、『そんな事は知らんなあ?』で済ますことも出来る。公の目に晒すことで、そう何度も使える手にしないというのがまず一つ目の対策。そして多に風が吹いたり、雲や霧が掛かる様な場所を飛び抜けるのが二つ目の対策だ。
「つまり、その数回を何とかするという事ですね?」
「はい。重要なのはナルモン伯は全ての可能性に備えなければならないという事です。もちろん宰相の命令ですから、聞く必要がある当時に、本当の意味で叶える必要はないので博打を打つ可能性はありますけどね」
ナルモン伯は子供の使いでは無く、宰相もただの貴族ではない。
だから無茶をしてでも命令を聞いて見せないと、ナルモン伯の立場と才覚が疑われる。女二人を捕まえられないとか恥ずかしいだろうし、命令権は基本的に宰相にあるからな。ただし、それが逆に扱われるという事でもある。ナルモン伯もきぞ0区であるから、テーヌ領没収という顛末が自分に及ぶことを考えている筈だ。同じ目にあいたくないが、同時に何度も起きるようでは困る。最終的に『さすがはナルモン伯』と言える行動を取ったら手を引く可能性はあった。
「さて。申し訳ありませんがそろそろ旗を御願いできますか? アレを先に掲げておけば、初動で楽になりますからね」
「メアリ、お願い」
「承知しました姫」
この件で一番大きいのは、臨検を受ける理由がなくなる事だ。
一介の飛行船の場合、騎士が止れと言ったら止まらなければならない。だが公用使として動いて居る飛行船の場合、テーヌ地方で止めることのできるのはテーヌ地方の騎士や代官だけだ。メアリが持ち歩いている旗がどの程度の格か判らないが、場合によってはテーヌ所属の騎士でも止められない。親族衆か代官くらいであろう。少なくとも、この時点でナルモン伯の手勢が他所の領地で止れとは言えないのだ。
●
『ようやく旗に気が付いたみたい。追いついた奴が引き返していくよ』
「お疲れさんってとこだな。これで連中は一度方針を固め成す必要が出て来る。ま、ナルモン伯が噂通りの人物なら、諦めはしないだろうがな」
カテドラルに先回りして停戦を命じようとしたグリフォンが去っていく。
イグレーンに見える位置から命令を出そうとして、回り込んでる最中に公用使の旗と、ダキナ家の旗を見かけたのだろう。流石に当主にはついてないのでテーヌ伯の旗は持って来てないそうだが、親族衆でありこの土地の領主一族であることは理解しただろう。これで少なくともテーヌ領の貴族でも分家格では止められないことになる。
「難地を抜け、町や関所を飛び越えてダキナ市に向かうぞ。ただし親族衆筆頭である先代当主の弟の館は避けるんだ。向こうについてる可能性があるし、貫目的に止めに来るかもしれん」
『地上は面倒くさい括りがあるねえ』
「お前だって親分衆の縄張りは飛ばんだろ」
『そりゃね。ま、そう言うもんか』
こちらがこの領地の公用で飛んでるので、ナルモン伯には止められない。
あくまでそう言う理屈でしかないが、騎士たちに判断できるはずがない。そこでせっかく築いた包囲網を収縮し、一度伯爵に確認をするはずだ。その上でもう一度包囲するとして、その前に出来るだけ突き放しておくに限る。ちなみに貫目というのは立場の重さの事で、お互いに比較した時にどちらの立場が重いのかという時に重要になる。隣国の使者が騎士や男爵だったら、この国の国王や公爵が尊重するかと言えば、そんなわけがないので、もっと上の貴族を寄こすようなものだ。
『ここからどう出てくると思う?』
「流石に『公徳なんぞ知らん』とは人目が付く前ではやって来ないと思うが、それでも先ぶれの使者を出してからならやるかもな。だからダキナ市の手前と、何も無い山間部の何処か……いや、平原に入ってからか」
お互いにやって良い事と、やってはいけない事がある。
例えば公論や正義を振り回し、『オレの方が正しい。だから従え!』とはお互いに言い難い。宰相の命令があるし、一々話を聞いて居たら、向こうはこっちを強引に捕まえてから全てを最小に押し付けるだろう。それはこちらも同じで、向こうは無視して行動できることを忘れてはいかない。また、泣き言で同情を買う様な事をしても無駄だろう。ナルモン伯は同盟相手が欲しいのであって、女子供の同情が惜しいわけではないのだ。
『そういえば、こっちの動きが読まれるって事は? マーシャル卿とか』
「あり得るっちゃあ、あり得るかな? アリノエールが頼りないお嬢様ってのは確かだ。ただ、爺やとして動く可能性がある。その辺をこちらが期待するのはどうかと思うが、ナルモン伯の立場じゃ無理だ。だから予想して回り込むことくらいだろう」
ナルモン伯がこちらの行動を読み、策謀を行う可能性はある。
例えばだが、メアリが裏切ってアリノエールを海賊に売るという嘘を吐く。それだけでマーシャル卿はこちらに付かないどころか、捕縛する可能性もあるだろう。だが、それはアリノエールを見放してない限りは、事の顛末を聞いたら護衛側に回って終わりだ。熱にうかされた正義論ではなく、お家が取り潰される瀬戸際なのだからそれは明らかであろう。ただ、頼りないお嬢様のままな場合、大人しく婿を探して家の存続だけを考えろという可能性はあるので、油断は禁物だけどな。
『高空に飛んで引き離すとか?』
「向こうも人目が無くなるからな。撃沈は狙わんだろうが、船に乗り込んで来る可能性が増える。むしろ人目が付くところなら、その手は一回くらいか」
相手が飛行船ならやれないが、グリフォンと魔術師なら可能だ。
こちらの甲板に乗りつけて、万が一を考えて飛行の呪文を使っておけば落下しても問題ない。その状態で乗り込んで来られると、こちらとはお手上げである。いや、メアリなら迎撃できるだろうが、船の中に魔導師を入れた時点で、飛行船としては危険すぎる状態になるのだ。普通ならば降伏すべき状態であろう。
「あー。ソレか、最後にゃグリフォンからの切り込みをし掛けて来るな。理屈はどうあれ、包囲網を整えて指揮官自らが話を付けに行くなら、一応は筋が通る。少なくとも話を聞いた皆がナルモン伯の勇気と度量を認めるだろうよ」
「部下任せにせず、勇気をもって突入? 味方にとっては蛮勇じゃない?」
「この場合は難しい交渉ごとに、貴族の立場で収めに入ったことになる」
油断は禁物だが、魔法で撃沈は目指さないだろう。
こちらが低空で移動するメリットはないが、町を盾にやったら、むしろ卑怯者としてやって来るぐらいだろう。その上で魔導師であるナルモン伯が飛び込んで来られたら、こちらとしては降伏するしかないのだ。せめて甲板に辿り着く前に迎撃する必要があるが、風の魔導士相手に飛び道具が通用するはずもない。向こうは短時間ならグリフォン無しでも空を飛べるし、矢除けの呪文もあるしな。切り込みは難しいからこそ、ナルモン伯も面目を保てるって事だ。
「よしっ。だいたいの目安が付いたから、今の予想を元に二人と相談して来る。道中の何処かで飛び込んで来るとして、そこでの迎撃策を練って来るわ。どう出て来るか判れば、対抗策はあるってな」
『じゃあ、こっちは予定通り飛んでいくよ。後は宜しく』
向こうの策の最終系が分かればやり易い。
伯爵がどんな理屈をつけて飛び込んで来るかは別にして、甲板に乗りつけて切り込むならば対抗策を用意しておけば良いだけだ。向こうも伯爵だし、宰相の命令にそこまで忠義立てはしないだろう。あくまで命令に対して、一応は従ったという態を為したいだけなのだ。その上で、アリノエールの女見物に来ているだけなのだから。もしそこでこちらが食い止めれば、そこで話が終わる可能性はあった(同時並行で、捕縛の使者とかは立ててるだろうが)。
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