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第16章

彩芽、掴まれる

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 何も考える余裕もなく、地下通路を必死の思いで走り回った結果。
 リーパーからは逃げきれたようだが、彩芽は広大な地下通路の中で完全に迷子となっていた。



 同じ所をグルグル回っているのかさえ分からず、壁に手をついて、壁伝いに歩み進む事しか出来ない。

 ポケットにライターこそあるが、明かりを点けるのが怖くて出来ない。
 暗闇以上に、リーパーに発見される事が恐ろしくて、点けるに点けられないのだ。

 握ったままのエドワルドの手の感触が生々しく、手の中で冷たくなっていた。
 エドワルドの中指には、彫で模様が入った指輪がはめられているが、おそらくこれが大事な物なのだろう。
 捨てるなと言われた手前、腕もこんな所に捨てられないが、出来ればビニール袋に氷を入れて、その中に入れて持ち歩きたかった。



 当のエドワルドは最期「通路を下れ」と言っていたが、ほぼ平坦で緩やかな地下通路のどっちが下っているのかなど、もはや分からないし、崩落している所に出る事も度々で、何度も行って戻ってをしていると訳が分からなくなる。
 現在地の確認をしようのない状況では、彩芽はさらに途方に暮れるしかない。

 ダンジョン探索系のゲームならグリッドを塗りつぶしていけば良いが、ここで当てになるのは自分の歩数と歩幅だけである。
 体力の減り具合を考えると、数キロは彷徨っただろう。
 彩芽は連続で全力疾走など、数十秒が限界だ。
 死に物狂いで、遅くても走り回ったが、疲れすぎて喉の奥がすーすーした。

 このまま、入り組み枝分かれを何度もする通路を視界無しで進んでの脱出には、体力以外にも膨大な運と時間が必要になるだろう。



 涙はとっくの昔に枯れ、せめて地上が見える吹き抜けに出られればと思った。
 そこに辿り着けば、エドワルドの仲間達が朝になって、計画通り配置されてさえくれれば、助け出して貰えるかもしれない。

 気付けば水路には水がチョロチョロと流れていて、どうやら別の浴場から続く道には合流している様ではあった。



 水音に誘われながらしばらく歩くと、彩芽はようやく吹き抜けから差し込む光を発見した。

 疲れているのに駆け寄るが、光に入らず闇に潜んで上を覗き込んだ。
 すると、月で白んでいる雲が見える。
 まだ空は朝と言うには暗く、吹き抜けの上に人の気配はない。

 吹き抜けを登れないかと試すが、僅かな凹凸しかなくフリークライミングでも出来なければ、とてもじゃないが登れそうにはない。

 彩芽が肩を落として通路を見ると、記号が書かれた木の札が落ちているのが目に入った。
 エドワルドの仲間が、地図のグリッドに当てはめて配置した現在地確認用の札であった。

 拾い上げ、ライターで照らして見てみる。
 記号によれば、吹き抜けの位置は、もう大分城壁の近くらしい。

 吹き抜けから、もしかすると城壁が見えるかもと空を見上げ、吹き抜けの下を彩芽はグルグルと移動する。
 しかし、城壁の頭さえ見えない。

 それでも、水路の水の流れを見て、このまま進めば外に出られるかもしれないと思い、外光に照らされた通路の下を歩こうと一歩を踏み出そうとした。

 その時、吹き抜けの上を、何かが通り過ぎた影が床の上を通った。

 鳥や蝙蝠の類であれば良いが、蝙蝠は地下通路にこそいる筈で、どちらにしても影は相当大きかった。

 吹き抜けの上をウロウロと往復して何かを探す様に動き回る大きな影は、吹き抜けの真下に止まり、影を落とす。

 赤い目が、吹き抜けの中を覗き込んできた。
 それは、逃げ切ったと思っていた、リーパーであった。



 この時、ようやく彩芽は思い至った。
 あのリーパーこそが、ヴェンガンの呪いだろうと。

 ヴェンガンが闘技場の数万人の観衆の中で、ピンポイントで彩芽を見つけた様に、彩芽からは見えない目印か何かが出ているのかもしれない。
 それをヴェンガンと同じ様に目印にして、リーパーは追って来ている。

 そうでなければ、こんなに早く追いつかれる説明がつかない。



 彩芽はエドワルドがやられてしまった事が確定的となった悲しさよりも、恐怖で頭の中が支配されていた。

 恐怖から後ずさり、隠れる様に通路の暗闇の中に身を潜めて、後ろへと静かに下がっていく。
 音もなく抜き足差し足で逃げる彩芽から出る何かを、リーパーは見つけたらしい。
 リーパーは、吹き抜けをフワッと、大きなマントを高い所から落とす様に降り始める。

 骸骨の顔で光る赤い目が、そんなはずは無いのだが、笑ったように彩芽には見えていた。



 彩芽は水路の流れに逆らって、来た道を戻るしかない。

 地下通路の底へと降り立ったリーパーは、そんな彩芽を容赦無しに追ってくる。

 追いつかれれば、間違い無く殺される。

 リーパーの首切り斧が殺意を持って放つ一振りごとに、彩芽の後ろで通路の床や壁や天井が打ち砕かれ、衝撃からどこかで天井が崩落した音が通路に響いた。
 どうせ崩落するのなら、リーパーの上に落ちてくれと彩芽は願った。



「わっ!?」

 逃げていた彩芽は、何者かによって、エドワルドの腕を奪われ、そのまま足を掴まれていた。
 転倒して足元を見るが、暗くてよく見えない。
 だが、それが何かは感触で見当が付いていた。

 エドワルドの腕である。
 突然、切断された腕が動き出し、足首を掴んできたのだ。

 追って来ているリーパーが骸骨なので、もはや死体が動くぐらいの事に今更驚かないが、掴まれた事には恐怖しか感じない。

 ストラディゴスが、手配書の前で死霊術師と言っていたのを思い出す。
 リーパーがエドワルドの腕を操っているのだろう。

 リーパーが彩芽へと迫る。

 足首を掴むエドワルドの腕の力が強くて、走るのに邪魔なのに振りほどく事が出来ない。

 絶体絶命の状況に、彩芽は死を覚悟した。



 * * *



 彩芽がリーパーに襲われた直後に遡る。



 無事にブルローネからルカラを連れ、酒場に戻ったストラディゴスは唖然としていた。
 壁に大穴を開けて破壊された酒場には、誰もいない。

 何があったのか想像さえ出来ない状況。

 わかっているのは、何者かの襲撃を受けたと言う事だけ。



 彩芽の姿をルカラと手分けをして探すと、破壊の痕跡が潰れた公衆浴場へと続いていた。
 浴場へと足を踏み入れ、痕跡を辿って地下へと降りていくと、何かが地下通路で争った形跡や血痕があり、そこには片腕を失い、肩口から致命傷を負わされたエドワルドが倒れていた。

「エドワルド!?」

 ストラディゴスが駆け寄ると、エドワルドは既に事切れて、冷たくなっている。
 突然の友の死に動揺するが、通路に何かが落ちているのを見つける。

 それは、アモルホッブを巻いた煙草であった。
 どうやら、彩芽が煙草と間違えて吸おうとしたのを落としたらしい。
 紙巻き煙草を好んで吸う人間は、この世界では珍しく、彩芽で間違い無い。

 ストラディゴスが地下通路を進もうとすると、ルカラがそれを静止した。

「ストラディゴスさん! どうする気ですか! 行っちゃだめです!」

「アヤメがいるかもしれないんだぞ! 止めるな!」

「地図も無いのに、この中を探すなんて無理です! もし地下にいるなら、上から声をかけてロープで引き上げるべきです!」

 こんな状況だと言うのに、ルカラの方が冷静でストラディゴスは驚いた。

「確かに、お前の言う通りだ……」

「ここも危ないかもしれません。早く移動しましょう」

「ああ、そうだな」

 ストラディゴスはエドワルドを抱きかかえると、階段を上がり始める。
 吹き抜けから地下通路までは、少なくとも二、三十メートルはあり、それ以上の長さのロープが必要であった。
 上まであがると、エドワルドがマッピング用に用意したであろう資材を物色した。

 そこには、かなりの長さのロープが何本もあり、どうやらエドワルド達は、総延長数十キロはある地下通路に命綱をつけて探索するつもりだった様である。
 ストラディゴスはエドワルドの身体を床に置き、布をかぶせると、ロープを担いで外へと向かった。

「待って!」

「今度は何だ?」

「もし、何かが襲ってきたら、戦わないで逃げて下さい」

 ルカラは、まるで襲撃者の事を知っている様であった。

「お前、呪いの事は何もお知らないって言ってたよな、あれは嘘か」

「急にどうしたんですか! 嘘じゃありません!」

「それなら、質問を変える。お前の前の主人は、お前が逃げ出し後でどうなった?」

「そ、それは……」

「エドワルドが殺されて、今はアヤメの命がかかってるんだ! とっとと言え!」

「……夜道で、切り刻まれて、殺されました……でも、手配書の殺人鬼が犯人だって、みんなっ! 本当に、本当に私のせいだなんて知らなかったんです! 信じて下さい!」

「ルカラ、今すぐ俺の前から消えろ」

「!?」

「お前が生きようとすると、関わった奴が死ぬ。お前は、これ以上アヤメに関わるな」

「でも!」

「全部お前のせいだってわかっただろうが!」

「私だってアヤメさんを助けたいんです!」

「お前のせいで殺されそうなのに、ふざけるなっ!!!」

 ストラディゴスの、始めて見せる怒り。

 ルカラは、どうしたら良いのか分からない。
 彩芽が、自分のせいで地下通路の中を、殺人鬼に追われているかもしれないのに、自分には何も出来ない。

「……じゃあな」

 ストラディゴスは、それ以上は何も言わずに浴場を急ぎ足で出て行ってしまう。

 その場に取り残されたルカラの中で、ストラディゴスの言葉が反芻される。

「生きようとすると、関わった奴が死ぬ」
「お前のせいで殺される」

 生きる為だけに、今まですっと、あがき、もがいていただけなのに。
 自分は、呪われている。
 周りに呪いを振りまいている。

 自分は、生きていてはいけないのか?

「お前のせいで殺される」

 ルカラは、逃げるのをやめようと思った。

 ストラディゴスの言う事は正しい。
 それならば、せめて好きな人の為に、死と向き合いたい。

 決意を胸に秘めたルカラは、酒場の前に停めてあった馬を駆るとフィデーリス城に向かったのであった。
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