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セリアが奇病を癒せるかもしれない――。
その報告がもたらされたとき、ラシェルはすぐさま神官を呼び寄せ、詳細を問いただした。
「確かに、彼女の体には加護の痕が確認されました。地母神――命と豊穣を司る古い神のものです」
年老いた神官は、王宮の医療塔の奥、慎重に隔離された小部屋の前で静かに言った。
その扉の向こうに、セリアは眠っている。深く、長い眠りに。
「奇病に罹った患者を、数名、彼女の傍に置いて経過を見たところ……ひとり、明らかに容態が安定しました。熱が引き、皮膚の腫れもいくらか治まりつつあります」
神官は声を潜めるようにして続けた。
「もちろん偶然という可能性もあります。しかし、地母神の加護が周囲に影響を与えていると考えるなら……彼女が目覚め、その力を自覚的に用いることができれば、病を癒す手立てになるかもしれません」
ラシェルは扉の向こうを見つめたまま、黙した。
「……ただし、彼女は未だ意識を取り戻していません。毒によって深刻な衰弱状態にあったものの、肉体的な損傷はすでに癒えています。眠りは、まるで……代償のようなものです」
「毒?」
ラシェルは眉をひそめた。
「はい。村の記録によれば、彼女は王都を追われた後、何者かに毒を盛られたそうです。助かる見込みは薄かった。ですが、その瀬戸際で地母神の加護を受け、命を繋ぎとめた……」
毒。
命を奪われかけていたのか。
そこまでの仕打ちを受けていたのだと、ようやく知らされた。
「……加護は、誰にでも与えられるものではないんですよね?」
背後から静かに声をかけてきたのは、側近のリオンだった。
長年ラシェルの右腕として仕えてきた友であり、かつてセリアを糾弾した一人でもある。
「ええ。特に地母神の加護は、“ある条件”を持つ者にしか現れません。若くして理不尽に命を奪われようとする者――そして何より、“穢れなき身”であることが必要です」
神官は、ごく自然な事実を告げるように言った。
穢れなき身――純潔。
ラシェルの脳裏に、あの夜会のざわめきが蘇る。
セリアが複数の男と密会していたという噂。貴族の娘にあるまじき、下劣な醜聞。
彼女は否定した。けれど、ラシェルは信じなかった。
いや、信じることが怖くて、目を背けたのだ。
(……それが、すべて作られた罠だったとしたら)
今ここにある“地母神の加護”が、その清らかさを証明している。
そうでなければ、神が手を差し伸べるはずがない。
足元が音もなく崩れ落ちていく感覚に、ラシェルはしばし立ち尽くした。
後悔の予兆が、胸の奥で鈍く疼く。
視線を感じて横を見やると、リオンもまた、厳しい表情を浮かべていた。
その顔に刻まれたのは、過去の自分への痛ましいほどの沈黙。
「……王太子殿下、彼女に力があるのなら、やはり……」
「彼女が目覚めなければ、その力も意味を成さない」
ラシェルはそう遮るように言った。
「神官様。彼女を目覚めさせる手段は、あるのですか?」
問いかけに、神官は静かに首を横に振った。
「加護は神の憐れみ。魂を呼び戻すには、同じく神の意思が必要でしょう。私たち人間にできるのは……見守ることくらいです」
無力さに、喉の奥が焼けるように痛んだ。
(彼女を目覚めさせなければ、アナスタシアは――)
アナスタシア。
病に倒れ、今も意識のないまま、かつての輝く笑顔を失っている彼女。
もう二度と目を覚まさないかもしれない。
「……僕自身で、見つけてみせる。彼女を、目覚めさせる方法を」
それだけを言い残し、ラシェルはセリアの眠る扉の前に歩み寄った。
その先にあるのは、救いか、それとも――。
その報告がもたらされたとき、ラシェルはすぐさま神官を呼び寄せ、詳細を問いただした。
「確かに、彼女の体には加護の痕が確認されました。地母神――命と豊穣を司る古い神のものです」
年老いた神官は、王宮の医療塔の奥、慎重に隔離された小部屋の前で静かに言った。
その扉の向こうに、セリアは眠っている。深く、長い眠りに。
「奇病に罹った患者を、数名、彼女の傍に置いて経過を見たところ……ひとり、明らかに容態が安定しました。熱が引き、皮膚の腫れもいくらか治まりつつあります」
神官は声を潜めるようにして続けた。
「もちろん偶然という可能性もあります。しかし、地母神の加護が周囲に影響を与えていると考えるなら……彼女が目覚め、その力を自覚的に用いることができれば、病を癒す手立てになるかもしれません」
ラシェルは扉の向こうを見つめたまま、黙した。
「……ただし、彼女は未だ意識を取り戻していません。毒によって深刻な衰弱状態にあったものの、肉体的な損傷はすでに癒えています。眠りは、まるで……代償のようなものです」
「毒?」
ラシェルは眉をひそめた。
「はい。村の記録によれば、彼女は王都を追われた後、何者かに毒を盛られたそうです。助かる見込みは薄かった。ですが、その瀬戸際で地母神の加護を受け、命を繋ぎとめた……」
毒。
命を奪われかけていたのか。
そこまでの仕打ちを受けていたのだと、ようやく知らされた。
「……加護は、誰にでも与えられるものではないんですよね?」
背後から静かに声をかけてきたのは、側近のリオンだった。
長年ラシェルの右腕として仕えてきた友であり、かつてセリアを糾弾した一人でもある。
「ええ。特に地母神の加護は、“ある条件”を持つ者にしか現れません。若くして理不尽に命を奪われようとする者――そして何より、“穢れなき身”であることが必要です」
神官は、ごく自然な事実を告げるように言った。
穢れなき身――純潔。
ラシェルの脳裏に、あの夜会のざわめきが蘇る。
セリアが複数の男と密会していたという噂。貴族の娘にあるまじき、下劣な醜聞。
彼女は否定した。けれど、ラシェルは信じなかった。
いや、信じることが怖くて、目を背けたのだ。
(……それが、すべて作られた罠だったとしたら)
今ここにある“地母神の加護”が、その清らかさを証明している。
そうでなければ、神が手を差し伸べるはずがない。
足元が音もなく崩れ落ちていく感覚に、ラシェルはしばし立ち尽くした。
後悔の予兆が、胸の奥で鈍く疼く。
視線を感じて横を見やると、リオンもまた、厳しい表情を浮かべていた。
その顔に刻まれたのは、過去の自分への痛ましいほどの沈黙。
「……王太子殿下、彼女に力があるのなら、やはり……」
「彼女が目覚めなければ、その力も意味を成さない」
ラシェルはそう遮るように言った。
「神官様。彼女を目覚めさせる手段は、あるのですか?」
問いかけに、神官は静かに首を横に振った。
「加護は神の憐れみ。魂を呼び戻すには、同じく神の意思が必要でしょう。私たち人間にできるのは……見守ることくらいです」
無力さに、喉の奥が焼けるように痛んだ。
(彼女を目覚めさせなければ、アナスタシアは――)
アナスタシア。
病に倒れ、今も意識のないまま、かつての輝く笑顔を失っている彼女。
もう二度と目を覚まさないかもしれない。
「……僕自身で、見つけてみせる。彼女を、目覚めさせる方法を」
それだけを言い残し、ラシェルはセリアの眠る扉の前に歩み寄った。
その先にあるのは、救いか、それとも――。
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