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計算違い(ハンダユウマの場合)

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一時はあれほど押し寄せた報道陣も
ここのところ全く姿を見せなくなった。
広報の平田は、
もはや無人となった社の玄関を
監視カメラの映像越しにむなしく眺めていた。
平「たった三週間、早かったですね。誰も来なくなるまで。」
正式な取材の依頼も途絶えた。
平田が振り返ると、
そこには暗い表情の長門社長
そしてハチBOON の四人の
うなだれた姿があった。

長門社長が立ち上がった。
長「では、会議を始める。」
言い終えた社長が腰かけるのを待たず、
平田が立ち上がった。
平「一つご報告が。筑波ロックフェスタですが…。」
昨年から参加させてもらっている
音楽フェスタだ。
会場は大きくはないが、
実力派のシンガーが集まる
音楽性の高いイベントだ。
平「今年は参加を見合わせてほしいと…。」
ボーカルのケンの悲鳴が響く。
ケ「またかよ!」
そう、ケンの叫んだ通り、
例の件以降、
ラジオのゲスト出演、
フェスの参加、
単独ライブの予定会場など、
次から次へと

「ハチBOON は今回は遠慮を」

との旨の申し出が相次いでいる。

長門社長が苦り切った顔で言う。
長「もう誰も取材になんかこない。平田、警備などはいつも通りでいいと伝えてあるのか?」
警備の増員は、
つまり経費の増大につながる。
そこを危惧されている可能性を指摘したのだが
平田は首を振った。
平「いや、そういう理由ではなくて…。」

ベーシストのノブが溜め息をつく。
ノ「音楽で勝負しようとするコンテンツにとっては、我々のような、いわば悪名高いバンドを呼びたがらないんです。」

あのハチBOON が来る、
というだけで、
悲しいかな
色物扱いのイメージを持たれてしまう。

ギタリストのテツは
胸ポケットからタバコを取り出した。
ノ「禁煙してたんだろ?」
ノブが咎めたが構わず火をつけた。
テ「だいたいね。俺らの歌のテーマって、報われない恋なんですよ。」
専門はギターだが、
テツは作詞にも大きく関わっている。
同じく作詞に関わるノブも続けた。
ノ「不器用でも一心に想い続ける男女のキモチ。」
数多くはないが、
それでもついてきてくれるファンの多くは
ノ「そこに共感してくれています。」
長門社長も広報の平田もうなずいた。

ハンダユウマ以外のメンバーはみな未婚だし、
恋人がいるメンバーもいるが、
当然その存在を隠している。

テツの声が大きくなる。
テ「でもね!報われちゃってる!人並みの幸せどころか、こいつは!」
ハンダユウマを指さす。
テ「結婚もしてて、おまけに女優を…その…ゲットしちゃってて。」

ハンダユウマはうつむくばかりだった。
長門社長はハンダの肩に手を置いた。
長「わかってるのか。おまえは貴重なファンを裏切った。」
平田とノブは目をそらした。
それを大々的にマスコミに流したのは
いったい誰だったのか。

しかし、ボーカルのケンはお構いなしだ。
ケ「なんでこいつなんだよ。」
平田が確認した。
平「こいつって?」
ケ「ハンダだよ。水川美佳ちゃん、俺たちのライブ、隠れて見に来てくれてたらしいじゃん。」
平「らしいね。テレビで言ってた。」
ケ「そん時にさ、その…どうして俺じゃなく…。」
ノブは呆れた。
でも、これぐらい自己陶酔できないと、
ボーカルなどは務まらないのかもしれない。

テツも同調した。
テ「ハンダのどこが良かったのやら…。」
テツやケンよりも歳上のハンダを
すでに呼び捨てにしていた。

しかし、ノブは少し意見が違う。

このバンドは、
確かにみんな腕がいい。

しかし、
その中でも、
いちばんレベルが高いのは
ハンダのドラムだ、
とノブは感じている。
それぞれ操る楽器が違うし、
ハンダは普段も目立たない。
だから、ケンとテツには
そこがよくわからないのだろう。

ハンダの肩に手を置いたまま、
長門社長は自らの方針を伝えた。
長「このままでは、ハチBOONの音楽性が正しく理解されない。」

ハンダは

ハッ

とした表情を浮かべた。
他のメンバーと平田にも、
その意図することが伝わった。

長「今月末を持って、ハンダくんには」

ハンダは覚悟したのか、
目をつぶった。

長「ハンダ君にはバンドから外れてもらう。」

ケンとテツは当然という表情で、
拍手すらしかねない様子だった。
もともとこの二人は同じバンドの出身だ。
ノブは、遅れて参加したということでは、
ハンダと同じ立場だった。
しかし、この決定は
自分たちの今後を考えれば
やむを得ないと考えた。

バンドメンバーの三人は
すでに帰路についた。
長門と平田、
そしてハンダはまだ事務所に残った。

長門はハンダに、
契約解除の書面の説明をしていた。

惜しいやつなんだがな。

力なく書面を読んでいるハンダを見ながら、
長門はそう感じていた。

責められる前に
自らの手でスキャンダルをさらす。

自分の作戦ミスだったとは思わない。
ハンダと水川美佳が連れだっている写真、
あれを撮られたからには、
遅かれ早かれ、
そのことが世に出ていたはずだ。

会見の内容も、
それほど世間からは叩かれなかった。
むしろ、潔いとの評価も多かった。
取材もたくさん押し寄せた。
直後はCDの売り上げの数字も伸びた。
ネット上の視聴も大幅に増えた。

それでも
あっという間に世間は冷めた。
興味を失った。

今、思えば。
じたばたせず、
あっさりと認めてしまったことで
事件の収拾を早めてしまったのかもしれない。

嘘をつけば
世間がその嘘の矛盾を突こうとし、
自らの責任にしなければ
世間が、責任を取るまで攻撃してくれる。

それがなかった。

そして、
スキャンダル・バンドの汚名だけが残った。

計算が違った。
でもその責任は
ハンダに負ってもらうしかない。

ハ「ハンコがなくて…。」
ハンダの言葉で、
長門は我に返った。
契約解除の書類の手続きをしていたのだった。
長「ん…。どうしようかな。」
サインでもいいのだが、
後でこじれても嫌だし、
ハンダとは後日、
改めて話をする場を設けたい気持ちもあった。

ハンダの契約を解除することを伝えるため、
会見を開く必要があるかもしれない。
書類はその時でも構わないだろう。

長「もう一度、こっちに来るときにハンコをな。その時に、別れの宴でも張ろうや。」

ハンダは、
長門社長の言葉になんと返事をしたか、
覚えていなかった。

もう終わったんだな、俺の音楽は。
本心では
好きなドラムをやり続けるだけで良かった。
しかしこうなった以上、
音楽の道で食べていくことはできないだろう。

妻にはかわいそうなことをした。
でも、水川美佳と過ごした時間に後悔はない。
彼女と出逢ったことで、
自分の人生は終わりにしても構わない。

そんな気がした。

長門社長と平田にはまだ仕事が残っているらしい。
ハンダは持てるだけの荷物を持って、
社を後にすることにした。
夜もふけようとしている。
帰っても、家には妻はいない。

急ぐ必要はない。
人のいない社内の通路を
もうすぐ通わなくなるこの通路を、
かみしめるように玄関に向かって歩いた。

玄関には、受付ももう誰もいない。
いや、一人いた。
玄関の出口の脇の茂みに
一人の男がうずくまって忍んでいた。

男はコウジ。
水川美佳の熱狂的ファン。

その手には
ナイフが
握られていた。

 ー続くー
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