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争いの果て

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ノダ エイジは
もちろん本気だった。
ハンダユウマを
本気で突き刺すつもりでいた。

しかし、
ハンダユウマが
愚かな醜い豚であるハンダユウマが
突然
自らを守ることを放棄するように
ナイフを押さえる力を緩めた。

突然の変化だった。
力が緩められたせいで
エイジが押し続けていたナイフが
するりとハンダの腹に届いた。

エイジは
思わず
ナイフを離してしまった。

ハンダの皮のコートを突き抜けたナイフは、
しかし、ハンダの身体には
十分に届いては
いなかった。

ナイフは力なく落ちると

カラン!

と、乾いた高い音を立てた。

平「ナイフだ!」
モニター室の平田が叫ぶ。
マイクじゃなかった。

今、ハンダの足下に落ちたのは
間違いなくナイフだ!
平田はガサゴソと携帯電話を探した。
平「け、警察にっ…、いや、助けに!」

そう言って
事務室から飛び出しかけた平田を
社長の長門が制した。
長「待てっ!まだしゃべってる!」
平「社長、でもナ、ナイフが…。」
長「見ればわかる!でもな、も、もう少し待て!」
平「えっ…。」

長門も興奮していた。
驚いていた。
しかし、その一方で
芸能社を率いる社長としての
冷徹な覚悟も潜んでいた。

エイジは
落ちたナイフをすぐに拾い上げた。
屈んだ姿勢のまま、
すぐにハンダの姿を確認したが、
ハンダには
まるで逃げる様子がなかった。
立ったまま、
エイジのことを見下ろしていた。

エ「お、おまえっ!」
コウジの精一杯の威嚇にも
ハンダはなんら動じた様子を見せなかった。

エ「わかっているのかっ!」
ハンダの目に
今は全く怯えがないことが
かえって
エイジを怯えさせた。

自分の怯えを
振り払うように
エイジは大きく叫んだ。

エ「おまえを…殺すぞ!」

エイジは自分の目を疑った。
自分の、殺すぞ、という言葉に
ハンダが
うなずいたように見えたからだ。

その真意がつかめず
エイジは言葉が続かなかった。

ハンダは、
目の前でナイフを持って屈んでいる男を
冷静に見ていた。
不思議な感情だった。
思わぬことが口に出た。

ハ「女神だったんだよ。」

女神…?
さっき自分が口にしたことが
今度はハンダの口から出てきた。
戸惑いで
エイジの動きが止まる。

動きが止まったのを見たのか、
それとも何も見ていないのか
ハンダの言葉は続く。

ハ「俺にとっても女神だったんだ。美佳は。」

その目は、もはやエイジを見ていなかった。
独り言のように語り続けた。

「音楽しかなかった。

 音楽やってると、もてるって言うだろう?
 でも、俺なんかは全然でね。

 音楽しかなかった。

 でもね、現れたんだ。
 女神が。

 俺の音楽を愛してくれてね。
 しかも、あんなに美人なんだ。
 俺みたいな、かっこよくない男を
 好きだと言ってくれたんだ。

 俺は救われたんだよ、女神に。

 今度は、

 きみが

 救われる番だ。

 俺を

 殺せ。」

事務室の平田も、長門も
モニターの映像と、
そして途切れ途切れながらの音声を
ただ、
吸い込まれるように見ていた。

しかし、ハンダ自らが
殺せ
と言ってしまった。
男は
ハンダをどうするつもりだ。

長「平田、すぐに警察に電話しろ!」
平「え…、はい!」
先ほどは
通報を制した長門だったが、
そう言い残すと、
激しい勢いで事務室を飛び出した。

平田は警察に電話をしながら、
ずっとモニターから目を離さなかった。
男が
ハンダを刺してしまうのではないか。
しかし
男は動かなかった。


警察につながり、電話を切った時、
モニターの中に
玄関から飛び出してくる長門の姿が映った。

男は
エイジは抵抗せず、
長門に押さえ込まれた。

遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
ほっ、と安堵のため息をつきつつ、
平田は
この後は忙しくなるぞ、
と覚悟した。

事件のことは
翌日すぐに報道された。
報道陣が大挙して現れた。

 ー続くー
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