ライフ・サンクチュアリ ~追放された回復術師の第二の人生~

都一

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第32話:王都への道

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三日後、アシュ、トーマ、オズワルドの三人は王都ヴァルディアへ向けて出発した。
荷馬車には最低限の荷物と、厳重に封印された二つの遺産が積まれている。
生命の聖域と死の境界は特殊な箱に収められ、魔法陣で封印されていた。
それでも時折、箱の隙間から微かな光が漏れ出している。

道中、三人はほとんど言葉を交わさなかった。オズワルドが御者台で手綱を握り、アシュとトーマは荷台に座っている。風が穏やかに吹き抜け、遠くで鳥の鳴き声が響いていた。平和な光景だったが、空気には緊張感が漂っていた。

トーマは荷台の端に座り、視線を虚空に向けていた。彼の心は激しく揺れ動いている。懐の中には、昨夜受け取った手紙が入っていた。エリーゼの写真と共に届いたその手紙には、冷酷な指示が記されている。

『王都での会議に同行しろ。アシュの動向を全て報告しろ。従わなければ、娘の命はない』

トーマは目を閉じた。エリーゼの顔が浮かぶ。まだ十歳の少女。彼の親友の娘で、トーマが唯一守ると誓った存在。親友は五年前、トーマの判断ミスで死んだ。あの日の記憶は、今でもトーマを苛み続けている。

「トーマのせいじゃない」

親友は最期にそう言った。だが、トーマには分かっていた。自分の判断が遅れたせいで、仲間全員が死んだ。唯一残されたエリーゼを守ることが、トーマの贖罪だった。

だが今、その贖罪のために、彼は別の仲間を裏切ろうとしている。

「トーマ」

アシュの声に、トーマはびくりと肩を震わせた。

「な、何だ?」

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

アシュの優しい声が、トーマの心を更に苦しめた。この男は、トーマを疑わず信じてくれている。ギルドに加わった時、過去を問わずに受け入れてくれた。トーマにとって、アシュは救いだった。

だが、その救いを裏切ろうとしている。

「ああ...ちょっと寝不足でな」

トーマは無理に笑みを浮かべたが、その笑顔は不自然だった。アシュは心配そうに彼を見つめたが、それ以上は追及しなかった。

トーマは視線を逸らした。アシュの優しさが、今は重すぎる。

『俺は...どうすればいいんだ』

彼の心は叫んでいた。エリーゼを救うために、アシュを裏切るのか。それとも、アシュを守るために、エリーゼを見捨てるのか。どちらを選んでも、誰かが傷つく。

オズワルドが前方を指差した。

「見ろ、検問所だ」

三人は前を向いた。街道の先に木造の建物が見え、王国騎士が数名立っている。彼らは通行する者を一人ひとり確認し、怪しい者がいないかチェックしていた。

荷馬車が検問所の前で止まり、騎士の一人が近づいてきた。

「通行許可証を見せてください」

オズワルドが懐から書類を取り出し、騎士に渡す。騎士はそれを確認し、それから荷台を見た。

「荷物は何ですか?」

「ギルドの装備と私物です」

アシュが答えると、騎士は疑わしげな目を向けた。

「箱の中身を見せてください」

「それは...」

アシュが言いよどむと、騎士は剣の柄に手をかけた。トーマの心臓が激しく鳴った。もし、ここで遺産が発覚すれば...いや、それ以前に、自分が情報を流していることがバレれば...

その時、別の騎士が駆け寄ってきた。

「待て! その方は、ライフ・サンクチュアリのギルドマスター、アシュ・ルーンフォード殿だ!」

最初の騎士は驚いた表情で、アシュを見つめた。

「失礼しました! 王都大会でのご活躍、拝見しておりました。どうぞ、お通りください」

騎士たちは敬礼し、荷馬車は無事に検問所を通過した。アシュはほっと息を吐いたが、トーマの表情は更に暗くなっていた。

『アシュは...こんなにも信頼されている』

トーマは拳を握りしめた。それなのに、自分はその信頼を裏切ろうとしている。

———

王都ヴァルディアに到着したのは、夕暮れ時だった。
石造りの高い城壁に囲まれた都市は、エルムヘイヴンとは比べ物にならないほど巨大だった。大通りには商人や冒険者、貴族の馬車が行き交い、活気に満ちている。建物は三階建て以上のものが多く、中央には王城がそびえ立っていた。

三人は宿屋に荷物を置き、翌日の会議に備えることにした。宿屋は王都でも有名な「銀の盾亭」で、多くの冒険者が利用している。一階のホールでは冒険者たちが酒を飲みながら、大声で冒険談を語り合っていた。

アシュたちは二階の個室に案内された。部屋は清潔で、三つのベッドと小さなテーブルが置かれている。窓からは王都の夜景が見え、街灯の明かりが美しく輝いていた。

「明日は早いから、今日はゆっくり休もう」

アシュが言うと、オズワルドは頷いた。

「ああ。会議には王国の重要人物が集まる。気を引き締めないとな」

トーマは黙って頷いたが、その目は虚ろだった。彼は窓際に立ち、外を眺めている。王都の夜景は美しかったが、トーマの目には何も映っていなかった。

アシュは心配そうにトーマを見つめた。

「トーマ、本当に大丈夫か? 何か悩み事があるなら、相談してくれ」

トーマは振り返り、アシュを見た。その優しい眼差しが、胸に突き刺さる。

「...大丈夫だ。心配するな」

「でも...」

「大丈夫だって言ってるだろ!」

トーマは声を荒げてしまった。アシュは驚いた表情で、黙り込んだ。オズワルドも険しい顔でトーマを見つめている。

「...すまない」

トーマは頭を下げた。

「疲れてるんだ。少し、一人にしてくれ」

彼はベッドに横になり、背を向けた。アシュとオズワルドは顔を見合わせたが、それ以上は何も言わなかった。

夜が更け、アシュとオズワルドは深い眠りについた。だが、トーマだけは眠れずにいた。彼は天井を見つめ、エリーゼの顔を思い浮かべていた。

「エリーゼ...」

彼は小さく呟いた。あの子の笑顔。「トーマおじちゃん、また遊びに来てね」と言った、無邪気な声。それが、今は聞こえない。

トーマは目を閉じた。涙が頬を伝った。

『俺は...弱い』

自分の弱さを、トーマは痛いほど理解していた。強い戦士として振る舞っているが、心は脆い。大切な者を守れなかった過去。そして今、また同じ過ちを繰り返そうとしている。

『でも...エリーゼを見捨てることはできない』

彼は拳を握りしめた。どんなに苦しくても、エリーゼを守る。それが、親友への誓いだ。

———

深夜、トーマは静かにベッドから起き上がった。アシュとオズワルドは深い眠りについている。彼は音を立てないよう、部屋を出た。

宿屋の裏口から外へ出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。王都の夜は静かで、街灯だけが道を照らしている。トーマは指定された場所へ向かった。それは、王都の外れにある廃倉庫だった。

倉庫の中には、黒いローブを纏った人物が待っていた。トーマが近づくと、その人物は冷たく笑った。

「よく来たな、トーマ・グレイソン」

「エリーゼは無事なのか?」

トーマの声は切迫していた。

「無事だ。お前が従っている限りはな」

黒ローブの人物は懐から小さな水晶を取り出した。その中には、エリーゼが小さな部屋に閉じ込められている姿が映っていた。彼女は怯えた表情で、隅に座り込んでいる。顔は痩せこけ、服は汚れていた。

「エリーゼ...!」

トーマの声が震えた。あの子が、こんな目に...

「彼女は毎日泣いている。『トーマおじちゃんは、助けに来てくれないの?』とな」

「やめろ...!」

トーマは叫んだ。

「お前たちは...卑劣だ!」

「卑劣? 我々は目的のために、手段を選ばないだけだ」

黒ローブの人物は水晶をしまい、トーマを見下ろした。

「次の指示だ。明日の会議で、アシュ・ルーンフォードの発言を全て報告しろ。それと、遺産の保管場所を突き止めろ」

「...分かった」

トーマの声は掠れていた。

「良い返事だ。それと、もう一つ」

黒ローブの人物は、トーマに小さな瓶を渡した。中には透明な液体が入っている。

「これは?」

「毒だ。致死性はないが、一時的に魔法の力を封じる。会議の後、アシュの飲み物に混ぜろ」

「何だと!?」

トーマは激しく反応した。

「それは...アシュを殺すつもりか!?」

「殺しはしない。ただ、力を封じるだけだ。我々がアシュを『保護』するためにな」

「保護だと...? ふざけるな!」

トーマは瓶を叩き落とそうとしたが、黒ローブの人物は素早く彼の手を掴んだ。その力は驚くほど強く、トーマは身動きが取れなくなった。

「トーマ・グレイソン。お前に選択肢はない。従うか、娘が死ぬか。どちらだ?」

トーマは歯を食いしばった。彼の目には涙が浮かんでいたが、それを必死に堪えている。心の中で、何度も叫んだ。

『アシュ、すまない...!』

『俺は...お前を裏切る...!』

『でも、エリーゼを...守らなきゃいけないんだ...!』

「...分かった。やる」

その言葉を口にした瞬間、トーマの心は千切れそうになった。

「賢明な判断だ」

黒ローブの人物は手を離し、トーマに瓶を押し付けた。

「忘れるな。お前は娘のために、仲間を裏切っている。その事実は、もう消えない。お前の手は、既に汚れている」

トーマは瓶を握りしめ、黙って倉庫を出た。彼の背中は小さく震えていた。

外に出ると、トーマは膝をついた。涙が止まらなかった。

「すまない...アシュ...オズワルド...ミラ...リア...みんな、すまない...」

彼は声を殺して泣いた。だが、涙を流しても、罪悪感は消えなかった。

『俺は...もう、戻れない』

———

翌朝、アシュは爽やかな朝日で目を覚ました。隣のベッドを見ると、トーマは既に起きていた。彼は窓際に座り、外を眺めている。その背中は、どこか小さく見えた。

「おはよう、トーマ。早起きだな」

「...ああ。よく眠れなくてな」

トーマの声は掠れていた。アシュは心配そうに近づこうとしたが、トーマは立ち上がって部屋を出て行った。

「顔を洗ってくる」

扉が閉まり、アシュは不安を覚えた。オズワルドも目を覚まし、アシュを見た。

「トーマの様子が、おかしい」

「ああ...何か、抱えているんだと思う」

「話してくれればいいんだが」

二人は顔を見合わせた。だが、トーマの心の内を知ることはできなかった。

トーマは廊下で壁に寄りかかり、深く息を吐いた。懐には、あの瓶が入っている。それが、重い。

『俺は...どうすればいい』

答えは出なかった。

———

朝食後、三人は王都中央議事堂へ向かった。議事堂は王城の隣にある巨大な建物で、白い大理石で造られている。入口には王国騎士が立ち、厳重に警備していた。

「ライフ・サンクチュアリのアシュ・ルーンフォードです」

アシュが名乗ると、騎士は敬礼し、扉を開けた。

「どうぞ、お入りください。会議室は三階です」

三人は議事堂の中に入った。内部は豪華な装飾が施され、天井には大きなシャンデリアが吊るされている。階段を上がり、三階の会議室へ向かった。

トーマは後ろを歩きながら、アシュの背中を見つめた。その背中は、まっすぐで強い。

『俺は...この背中を、裏切る』

トーマは拳を握りしめた。

会議室の扉を開けると、既に多くのギルドマスターたちが集まっていた。レオナルド・ゴールドマンも既に到着しており、アシュを見て微笑んだ。

「アシュ、よく来てくれた」

「レオナルド。久しぶりだな」

二人は握手を交わした。トーマはその光景を見ながら、心の中で叫んだ。

『俺は...最低の人間だ』
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