ハロル・ロイツェの華麗なる盲目的日常

ココナッツ

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3.抽象的感情

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「ハロル、久しぶり」
「師匠!」
 校舎の前に二人の影が見えた。カリレと、もう一人だ。そのもう一人に話しかけられたハロルは、リベルダが今までに見たことのない笑顔で走り出した。距離を見誤り、師匠と呼ばれた彼にぶつかるくらいには全力だ。そのままギュッと抱き着いた。
 そしてハロルはぺたぺたと相手の顔を触り始めた。骨格やパーツの位置を確認し、特徴を照らし合わせる。それが一致したのか、嬉しそうに声を上げた。
「本当に師匠だー!」
「ハロルは元気だね」
「へへ、ごめん。急に帰ってくるからびっくりした」
「なかなか会えなくて悪いね。また色んな国を回っていたんだ」
 普段通り、ハロルと共に学校へとやってきたリベルダが一人、置いてけぼりにされている。リベルダには一度だって見せてくれなかった純粋な笑みを、惜しみなく振り撒いている。リベルダは困惑の表情を浮かべた。
 カリレがそんなリベルダに気がついたのか、助け舟を出した。
「ハロル、再会に浸るのもいいが、紹介したらどうだ?」
「そうだな! リーベ、この人がモルガン・カーグ師匠。俺に護身術……戦い方を教えてくれた人なんだ」
 護身術と呼べるのか、もはや怪しいそれを引っ込めながら、ハロルはイキイキと紹介した。
「はじめまして」
 モルガンは優しい笑みを湛えた。名前に似つかない温厚そうな顔立ちで、カリレより教師らしさを感じた。歳もカリレより下だが、大人びて見える。物腰も柔らかく、リベルダとは違った要因で好かれやすそうだ。ミルクティー色の髪と暖かい眼差しもその印象を強める。
「こちらこそ、はじめまして。アルダム侯爵家次男、リベルダです」
「あぁ、君がアルダムくん? 噂はかねがね聞いているよ。……そういう堅苦しい挨拶はやめてくれ、ここに貴族は君しかいないんだから」
 さりげなく、場違いだと言われた気がした。初対面の人に神経質になりすぎただけだとは思うが、妙に引っかかる言い方だった。
「君、ハロルとはどういう関係かな?」
「友人、ですが」
「そうかい。友人ねぇ……可愛いハロルに漬け込むような貴族と、君は違うんだろうね」
 モルガンは腹の底が見えない笑顔で放った。リベルダはそれに、人生で初めて肝が冷えた。
 そんなリベルダの気は露知らず、ハロルは無邪気に聞いた。
「師匠、いつまでここにいるの? またすぐ仕事?」
「いや、しばらくは留まれるはずだよ。この辺で調査なんだ」
「本当!? やったー!」
 またもハロルはモルガンに抱き着いた。モルガンは馴れた手つきでその髪を柔らかく撫でる。
 一瞬、リベルダとモルガンの目が合った。そしてまた笑顔を見せた。静かに、だが確かに見せつけるような。
「ハロルは本当に私のことが好きだね」
 にこやかに、ハロルに向かってではなく、リベルダに向かって言った。
 名前は厳しく、顔は温厚、しかし性格は腹黒。そう、モルガンは名前と顔だけではなく、性格も合っていない、癖のある人物であった。
 決して悪人ではない。ただ、ハロルへの愛が一入なのだ。ハロルを守るためなら何にだってなる気でいる。彼の言う「仕事」というのも、具体的には誰も知らないが、ハロルのために行っていることだ。とにかくハロル至上主義。過保護で他を寄せ付けない。
 もちろんハロルにただ友人ができるだけであれば、ここまで牽制はしなかっただろう。ただ、相手はリベルダだ。貴族社会の有名人、平民のモルガンさえも耳にしたことのある人物。そんな人と関わって過度に目立つことは避けたかった。極力ハロルを貴族や魔法を生業とした者から遠ざけたい。
 しかし、リベルダにそんな事情は関係ない。ただリベルダが感じた畏怖からハロルを離したかった。
「ハロル」
 リベルダはグイッとハロルの腕を引っ張り、自分の方へ引き寄せた。ハロルはされるがまま彼の胴に背中から収まった。抵抗される可能性も考えたが、案外大人しくしている。
「いきなりそんなに抱き着いたらモルガンさんも驚くだろう」
「そ、そうだな。ごめん、師匠」
「おや、気にしなくていいんだよ。いつもの、ことだからね」
 モルガンはあくまで普段通りだということを強調した。
 二人の間に火花が散った。笑顔でありながら、互いの隙を探している。
「そうだ! リーベ、師匠に教えてもらえよ」
「なっ、何をだ?」
 モルガンにばかり気を取られて、当のハロルを置いて行っていた。よくよく考えてみれば、愛しい人が腕に収まっているのだ。リベルダはもっと堪能しておけば良かったと少し後悔した。
 ハロルはパーソナルスペースが狭い。それどころか無い。人に触れられることに慣れている。リベルダから触れられないようにしていたのは、受けてきたのが攻撃だからだ。当たり前だが、誰でも避ける。しかし、そうでもなければ受け入れることは容易い。
 頭上のリベルダへ顔を向け、輝く笑顔で言った。
「戦い方だよ! 強くなりたいんだろ? なら師匠が一番だ」
「だ、だが……」
 リベルダは何か理由を見つけて断ろうとした。けれど、そこに予想外の声が入る。
「僕は構わないよ? ハロルのためなら」
「えっ」
 モルガンは何でもなさそうに呟いた。
「君、強いんだろう? そんな人に教えられることがあるなんて、嬉しいな」
 心底良い顔を……いや、悪い顔をしながら、言ってのけた。
 つまり、強いというのは噂でしかなく、本当は取り繕っているのだろう、と言いたいのだ。完全に煽られている。
 この場で素直なハロルだけがモルガンの腹黒さに気づいていないのだろう。ハロルの場合は見えていないことよりも、単純に鈍感なので分かっていない。
 カリレはやれやれと呆れ、リベルダは目が笑っていない。
「こちらこそ光栄です。ハロルが師匠と呼ぶ人なんですから、期待していますよ」
 張り詰めた空気を遮るように、予鈴が鳴った。
「では、帰りも来ます。ハロルも、じゃあ」
 リベルダはどんな時も欠かさずハロルを分けて挨拶する。リベルダの誠実さがそうさせるのか、名前を呼びたいのか、本人もそこまで考えてはいない。
 ただ、今は確かにそれがモルガンの癪に障った。



 はてさてどうなったかと言えば、充分という言葉が似合うだろう。
 教育という名の手合わせは、十回やれば三回リベルダが勝つような塩梅であった。ハロルに負けたリベルダが、ハロルの師匠であるモルガンにこれだけの勝率なら万々歳だ。
 ハロルとの最初の戦いは不意をついた、ルール外と言われればその通りの攻撃だった。なので、ハロルとも改めて戦えばそれくらいの勝率になるだろう。ちなみに、ハロルとは初対面以降一度も正式に戦っていない。
 本当に充分すぎる結果である。ハロルが近接格闘を教わっているので、モルガン自身も近接だろうという見立てで、自分の傍に近づけない戦法をとった。元より遠距離の方が得意なので、相性は良かった。それが上手く機能したのが十分の三だ。
 次いで言うなら、モルガンは戦闘中一度も笑わなかった。会話の際は不自然なほどに上がったままの口角が、途端に下がりっぱなしになっていた。リベルダにはそれが恐ろしく見えた。

「師匠、おじさんと校舎覗いて来れば?」
 ハロルは突然言った。
 散々戦って疲れたリベルダは、自分で生み出した水を飲んでいたが、吹きそうになっていた。辛うじて水を飲み込んだリベルダを横目に、モルガンが言った。顔も声も抑えているが、モルガンも驚き焦っている。
「ど、どうしてかな?」
「大人同士、何か話すこととか、あー……とりあえず、行って来い」
「ま、まぁ、ハロルが言うなら……」
 ハロルはカリレとモルガンの背中を押す。カリレはほぼ巻き込まれた形であり、しかもどうして押し出されているのか分かっていない。鈍感さは血筋だろうか。
「おい、ハロル!」
「悪いなおじさん!」
 言い切り、無理矢理押し出した。校舎に入れられてしまった二人は、流石に何か考えがあってのことだろうと、甘んじて受け入れた。
 理論も何も無い、力技を見ていたリベルダは頭上に疑問符を浮かべていた。
「は、ハロル、どうかしたか……?」
 振り向いたハロルは、今更理由を探すように困った顔をした。そして少し考えた後、パッと思い付く。
「リーベ、今日は変だった。……いや、いつも変か……?」
「失礼な」
「自業自得だ。……まぁ、なんだ、口調かな。おじさんと喋ってる時と同じはずなんだが、違う気がした」
 野生の勘、というのか。感じ取ったものがあるらしい。リベルダとモルガンの間の火花も、モルガンの腹の底も見えないハロルだが、リベルダの変化は見えた。
「気のせいだろう。なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
 リベルダは拗ねたような顔をした。それを声で感じ取ったハロルは、悶々としていた。
 ハロルは言葉に出さないコミュニケーションは苦手だ。察するのは得意じゃない。不器用な自分の性格に困ったことは少なかったが、今は確実に困っている。
 そんなハロルを見て見ぬふりして、リベルダは空気を変えた。
「そうだ、ハロルは顔を覚えられるのか」
「え、おう、一応」
「俺の顔は、覚えてくれないのか」
「な、なんで」
「…………嫌ならいい」
 珍しく弱気だった。そんなリベルダに慣れず、どうしていいか分からないハロルは簡単に折れた。
「別に良いよ、それくらい。ほら、ちょっと屈め」
 自分が小さいことを不服そうに言いながら、そっとリベルダの顔に触れた。
 輪郭、口元、鼻筋。順番に確かめるように触れ、目の傍を通ると、リベルダは反射で目を閉じた。その目の周りもほんの小さな力で触る。整った、凛々しい顔をしている。繊細、という言葉はあまり似合わない。勇敢そうな立派な顔立ち。彼らしい、そう思った。
「…………」
 リベルダは悶々としながらハロルの手の感触に身を委ねた。
 変、と言われたリベルダの感情は、一言で表せば嫉妬だ。カリレには感じなかったが、モルガンにはヒシヒシと感じた。ハロルがあれだけ懐いていることにも、自分の知らない昔から関係があることも、羨ましくて仕方がない。
 リベルダは恵まれている。欲しい物は簡単に手に入る環境にいた。簡単でなかったとしても、努力で掴み取った。だが、ハロルは自分よりも強く、そして手に入りずらい。むしろ、もうモルガンのもののような気がした。
 初めてだった。それはもはや手に入れたいなどという感覚ではない。せめて彼の隣に並びたいと思ってしまった。今の自分は彼の傍に立つことすらできていないと、思い知らされた。
 その感情がハロルに気づかれるのを恐れたらしい。鈍感な彼に気づかれるほど、上手く返事ができなくなっていた。
 顔に触れている今だけは、ハロルが自分のことだけを考えている。その感覚がリベルダに愉悦を与えた。
 が、それもすぐに終わる。
「っあー! やめだやめだ! お前の顔がどうであろうと、何も変わんねぇよ」
 ハロルはパッと手を離した。気恥しさがあったのだろう。リベルダから距離を取ろうとするが、肩を掴まれ止められた。
「うおっ、なに?」
 リベルダは口を開きかけ、閉じた。そして不意に力を抜いて、ハロルの肩に顔を埋めた。ハロルは驚きながらも、それを受け止める。
「ハロル、俺はお前が好きなんだ……」
「え、おう、知ってる」
「そうじゃない……そうだが、そうじゃない……」
 ハロルに出会った当初は、モルガンに教えてもらえるとあらば、とても喜んだだろう。しかし、今となっては彼が強いことに重きを置く必要がなくなった。ハロルと二人で歩き、話せることが喜びなのだ。
 ハロルの芯が強いところが好きで、真実を知ろうとするところが好きで、素直なところが好きだった。家柄や顔、魔法ばかり見てくる他人と違って、リベルダとして話すハロルが好きなのだ。
 自分が好きなのは「強い人」ではなく、「ハロル」という一人の人間だと、そう言いたいが、何故か口から出てこなかった。ただそのまま、ハロルの肩に身体を預けた。
 一方のハロルは、モルガンよりも弱かったことを自分に認識されて落ち込んでいるのかと、当たらずも遠からずな考えをしていた。師匠が強いのは当たり前だし、今更そんなことで幻滅しないし、俺は別に……。その続きまで思い付きそうになったが、止めた。
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