高原貸文房具店

竹野内 碧

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かしまし娘

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 ほんの少しだけ気が重くなりながらも学校へ戻れば、当然ながらすでに授業中で有住先生はいなかった。ほぅとため息を付いて、作業に取り掛かる。謄写原紙に張り付いた紙も丁寧に外せば、若干汚れはあるものの破かれたりしていない。折角先生が頑張って作った原稿がダメにならなかったのでほっとした。緩んだベルトを取り外し、少し力を込めてはめ込む。たわみを確認して蓋を閉じてハンドルをグルグル回すと、原紙が汚れている為に変な模様がついて印刷された紙が、インクの匂いと共に排出された。

「よし。これでもうちょっと枚数を刷れば、このまま印刷できるな」

 誰に言うともなく満足げに呟くと、「ありがとうございます」と背後から声がかかり、心臓が飛び出るかと思うほど驚いてしまった。

「こ、校長先生」

 いったん退出していた校長先生が、ニコニコ笑いながら頭を下げてきた。

「本当に助かりました。費用はちゃんと請求してくださいね」
「はい。あとで請求書を作りますね」

 以前お金を取る必要もない簡単な作業だったから、そのまま帰ろうとしたら校長先生にお金を支払うという事は労働への対価だと怒られたのだ。今の校長先生はその昔この学校の主幹だった。物資が不足して、学校教材が不足して困っていた戦時中、祖父が必死になって集めて始めた貸文房具にずいぶん助けられたと、この学校に赴任してきたすぐに話してくれた。

「本当に高原さんにはお世話になったのですよ」

 差し出されたお茶を啜りながら和菓子も頬張る。本当は有住先生と鉢合わせしたくなくて、すぐにでも帰りたかったのだけど、用務員の久恵さんがニコニコと用意してくれたので、ほんのちょっとだけと、ありがたく頂いていた。
 校長先生のこの話はもう何度目か。祖父とは学校と出入りする文房具やという関係だけではなかったようだ。よっぽど気が合ったようで、こちらに戻ってきた時には、すでに祖父が他界していたのでかなりのショックを受けていた。そして時折こうして私に在りし日の祖父の話をしてくれる。

「色々なところから集めてきたチョオクを粉々にして、水で練って型に入れて乾燥させる。単純な作りですよね。チョオクって。だけど我々教員はそこまでの考えが至らなかった。一生懸命小さくなったチョオクを使っていて、作り直すなんて考えが及ばなかったのに、それを教えてくれたのも高原さんです」

 この学校で今でも授業で再生チョオクを作る。黒板受けとかに貯まったものも混ぜたりするから、かなり微妙な色になるのもあるけれど、それはそれで外回りに使うなどしている。私も小学校に行っている時に何度か作っていたけど、それがまさか祖父がやっていたことが始まりだとは思わなかった。

「ほんとアイディアの塊のような人ですね。好奇心旺盛で工夫をなさる。沙奈ちゃんにもその血は受け継がれてますね」

 祖父の面影を私に重ねているのか、目尻を優しげに下げていた。「売れば一方通行だけど、貸せば戻って輪になる。この時代助け合わないとなぁ」と笑っていた祖父。決して商売としては旨味があるわけじゃない。むしろ場所を取ったり、補修や手入れをしたりで大変だ。だけど祖父は敢えてそれを続けた。子供たちがそれを理由に勉強出来なくなるのがいやだったから。そしてだからこそ、こうして祖父を偲んでくれる人達が私を支えてくれるのだ。今はだいぶ規模が小さくなってしまったけれど、それでもこの繋がりを繋げていきたいと思っている。

「でもねぇ年頃なんだから、そういうのに夢中になってばかりいないで、そろそろいい人見つけなきゃ」

 ん?急に変わった風向きの元は久恵さんだ。にたぁっと怪しい笑みを浮かべている。ちょっとばかり嫌な予感がする。

「えーっと」
「私がお嫁に行ったのは、今の沙奈ちゃんよりも2歳若かったわよ。そして今の沙奈ちゃんと同じころには新次郎を生んでたわねぇ。沙奈ちゃんの浮いた話、あまり聞かないのよねぇ」

 チラチラこちらを見るのは止めてもらいませんかね?久恵さんはいいひとだけど、こういう時、本当に困るのだ。以前麻里ちゃんだって独身だと言ったら、「あの子は大丈夫よ。しっかりしているし」という訳の分からない返事を頂いた。それって私がどんくさいって事ですか!

「有住先生あたりなんかどうかしら?」

 その名前を聞いて、喉の奥がひゅっとなる。その名前は今は聞きたくなかった。もしかしたら彼が私に好意を持っているかも?と思わなかったわけではないけれど、それが勘違いだったら私は自意識過剰の恥ずかしい奴だ。
だから敢えてその考えに蓋をして、見ていないふり気付かないふりをしていた。抱きしめられた時に力が入った有住先生の腕からは、気付きたくないものが流れてきた。それが白川さんによって暴かれてしまった。そんな気がする。

 固まった私を見て久恵さんが「あらあらあら」と嬉しそうな顔をするけど、それ久恵さんの想像している展開と違うと思います…。

「まぁまぁ久恵さん、昨今は仕事をされる女性も多くなってきましたよ。あまりそうやって急かすもんじゃないでしょう。さ、仕事に戻ってください」

 校長先生が苦笑いしながら窘めてくれたけど、久恵さんは「うふふー」とお盆で口を隠しながらスキップして出ていってしまった。久恵さんは八百屋のおかみさんとも仲がいい。八百屋というのはゆうちゃんの実家なんだけど、町内会のかしまし娘連合として有名だ。ちなみにゆうちゃんは「かしましどころかクソばばぁ達だ」と悪態をついている。頼れるお母さんたちだけど、こういう時はちょっと厄介。頭を抱えた私に校長先生は、「あなたはあなたのペースでやればいいんですよ」と慰めてくれた。

 私のペースか…。

 通りがかったお寺のお堂にお辞儀をしてその奥を見つめる。お堂の向こうには墓地がある。そこの共同墓地に祖母と祖父が眠っている。最近は其々の家が墓を持つようになりつつあるけれど、祖父は「ばあちゃんと一緒がいいんだよ」と頑なにそれを拒んだ。きっと祖母だけじゃない。沢山の人が眠るそこに、祖父はいたかったのだ。賑やかなのが好きな人だったから。

 じぃじは今何をしているのだろう。祖母に怒られているのだろうか。それとも仲良く遊んでいるのだろうか。死が二人を分かつまでというけれど、祖父母は死して再び結ばれたような気がする。父と母は一緒の墓には入っていない。父は戦地でなくなっているし、母は空襲で亡くなっていて、遺体がどこにあるかすらわからない惨状だった。それでも生前の二人を思えば、やっぱり一緒にいるような気がする。それはきっと祖父がそういう風に私に話していたせいでもあるけれど、私自身がそう信じたかったのだと思う。

 人を愛するっていう事は…そうでありたい。そう考えた時、真っ先に浮かぶのは白川さんで有住先生ではない。

 境内を縁取る蕾が膨らみ始めた紫陽花は、長年この地域を見守っていて、今も和尚様やお弟子さんたちがマメに手入れをしている。そこを抜けて脇道を通れば裏参道へと続き、高原貸文房具店へとつながる。自転車を裏に止めて土間から店に入れば、居間で白川さんが執筆活動をしていた。さらさらと流れるような万年筆には、私が調合した少し灰色がかったブルゥブラックのインクが収められている。

「おかえり」

 顔を上げずに声を掛ける時は筆が乗っている時。でも微かに顔をこちらに傾けてくれる。「ただいま」と返せば、「今日は卸しから注文した荷物が届きましたよ。それと棚に補充をしておきました。在庫切れはメモに残してありますよ」といない間の報告が返ってくる。
 なんだか無性に胸がいっぱいになった。おかえりって声を掛けてくれたのは祖父以来。いつもは一度店を閉じるから、中はしんとしている。時計の音だけが鳴り響き、それが嫌だから、いつもラジヲをつけたままでかけていた。人がいるというのはこんなにも、安心できるんだ。私はどれだけ寂しがり屋なんだ。
 邪魔だとは思うのに、その衝動が止められず背中にしがみ付くと、白川さんがびっくりして動きを止めた。

「どうしたんですか?」
「…ありがとうございます」
「いや店番しているだけ…」
「ありがとうなんです」

 ありがとう。ありがとう。傍にいてくれてありがとう。もし白川さんが帝都に戻っても、私はこの温もりを思い出すことが出来れば、きっと頑張れる。今までそうして来たんだから。離れてしまってもきっと平気。

 白川さんの返事は来ないけれど、それでも言葉を続けずにはいられない。白川さんは作家で帝都に住まいを持つ人。いまだ宿住まいという事は、いずれは戻っていくつもりなんだろう。そして私はここを離れることが出来ない。文房具屋なんてきっと他の人がすぐにやるだろうし、なんなら店ごと誰かに売ることもできる。貸文房具なんて続ける必要だってない。でも私には無理だ。元々は帝都にいたけれど、そんなのは記憶の遥か向こうで、今ここを離れることは想像できない。何よりもこの店が大事なんだ。

「沙奈。沙奈、ちょっと手を離してください」

 依然として背中にしがみ付いているから、白川さんの少し困ったような声色に、ゆっくりと名残惜しそうに手を離した。シュンとなった私に相対するように白川さんが向き直る。

「離れてしまっても平気とはどういうことですか」

 ちょっとばかり、いや結構怒った声を聴いて、びくっと体を震わせる。

「あれ?心の声…」
「私には特殊な能力がありましてね、人の心の声が聞こえるのですよ。だから作家をやっていられる」
「うそ!」
「うそです」
「へっ?」
「小さく呟いていたんですよ…」

 ふぅっとため息を漏らされて、更に体が縮こまる。居心地が悪くて、畳の縁をかりかりと指で掻いたら、ぺしりと叩かれてしまった。

「痛い…」
「僕の気持ちの方が痛い」

 言い切られてしまった。

「物事には順番がありますからね。帝都の件はちょっと置いておいてもらえますか?宿住まいにも理由があります。僕だって色々と考えているんだ。それなのにこの子ときたら…」

 ぐいっと手を引っ張られて、まるで子供をだっこするように、ぽすんとその腕の中に収められてしまった。

「学校で何かありましたか?有住先生とやらと何かありましたか?」

 それに対して首をぶんぶんと横に振る。ああ、白川さんはそういう心配をしてしまったのか。

「…この年になると……その……浮いた話の一つもないんで…まぁ紹介とか…」
「浮いた話…」

 先ほどとは比にならないくらい長いため息を付いた白川さんは、「今度の休みにちょっと帝都に行きましょうか」と提案してきた。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

Miel
2017.02.19 Miel

第一話読了しました。
のどかな風景
のんびりほっこり?と思いきや、一気に作品に引きずり込まれました。
ふたりの関係性やお仕事、展開を楽しみながら続きを読ませて頂きます。

2017.02.20 竹野内 碧

感想ありがとうございます!
久々にウブな主人公で書いていて楽しいです。
これからもよろしくお願いします!

解除

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