Over the Forty ー夢を見れないお年頃ー

真田 真幸

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逃亡編 

彼の揺るぎなさに捕まって

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彼は私の隣に座り、背もたれに体を預けながら私の身体と密着させた、ふぅっと息を吐いた。

「実は今日、この店を選んだのは、仁さんから理彩さんがクラッシックが好きで、特にピアノ曲が好きだって聞かされていたからなんだ。
ドビュッシーが好きなのも知ってた。最初は理彩さんが好きなものを知りたくて聞いていたんだけど…。今は俺もクラッシックが好きなんだ。」

柔和な顔で種明かしされて、私はビックリしていた。

仁は、どちらかと言えばサザン命みたいな感じのロック小僧だったので、クラッシックに興味はなかった。

だから、彼がクラッシック好きになったことについては、まさかの影響だったのだ。

「何が好き?」

「ストラビンスキーの“春の祭典”とか、ホルストの組曲“惑星”が好きかな…特に木星は壮大!あとはバイオリンの音が俺好きなんだ。シュトラウスも聴く。ビバルディの“冬”はなんかほっこりする。」

「なんか意外!」

「そう?」

「もっと若者らしくロックとか、ヒップホップとか聞いてそうなイメージ。」

「まぁ…ロックも聴くけど、ヒップホップは騒がしすぎて好きじゃない。」

「なんか君は歳の割りに、中身が老成してるね。」

「酷いなぁ~理彩さん。老成じゃなくて、せめて大人だって言って!」

少し拗ねた顔の彼と見て、私が笑うと釣られたように彼もクスクスと笑う。

あんなに拒否していた彼の体温が心地よい。

と、いうか…もう悪あがきが出来ないと観念するしかなかった。

合コンの夜、確かに心の中に眠っていた私の女の部分を、彼は揺り動かしていた。

今思えば、若者の社交活動の見物を決め込んでいた私は、彼の言葉を信じず、目を覚ました女の意識に気が付かないフリをしていただけだったのかも知れない。

「…落ち着いたね。」

「うん…」

ふと、目の前にある食べかけのアクアパッツァが目に入る。

「アクアパッツァ、冷めちゃった…」

私がそう言うと彼は立ち上がって店員さんを呼んで、冷めてしまったので温め直して欲しいと頼んだ。

変なお願いなのにも関わらず、店員さんは笑顔で快く引き受けてくれた。

グラスに手を伸ばし、ちょっと温くなったスパークリングワインを口に含む。

さっきは彼が去るまでやり過ごすことしか頭になくて、味わう余裕などなかった。

今は甘い花のような香りとピリッと辛い爽やかな口当たりが分かる。

私の隣に戻った彼は、ワインクーラからボトルを取りだし、空になった私のグラスを金色の輝きで満たす。

「ありがとう。」

冷たく冷えたそれを一口飲んだあと、不意に彼手が私の手からワイングラスを取り上げてテーブルに置き、私の両手を握り向き合った。

「俺、この先、理彩さん以外を好きになる自信が全くない。理彩さんが一目惚れで…初恋で…13年の間、思い続けるが苦しくて、余所見をしてみようと努力をしてみたこともあるけど、やっぱり無理だった。」

だから…そう言って一度、彼は深呼吸して言葉を続けた。

「理彩さん、性急な申し出になりますが、俺の彼女に…いや…出来れば俺の嫁さんになる前提で付き合って下さい!一日でも早く、俺は理彩さんにとっての最後の男になりたい!」

緊張感で彼の顔は少し赤くなっていた。

私の手を握る彼の手も小刻みに震えている。

4日前、堂々としていた彼は今、目の前にはいない。

多分、さっき食らった私の捨て身の言葉に、彼は何でもないふりをして私を慰めてくれていたけど、やっぱり傷付いているんだと思った。

私が深く息を吐くと、彼はビクッと肩を揺らした。

「何で仁は…こんな面倒臭い奴に、私のことを託したかなぁ…。オマケに私の性格まるわかりになるぐらいの英才教育まで施してくれちゃって…。」

困った顔で私は彼を見つめる。

だけど、彼は覚悟を決めているのか、目を反らさない


「凄く…君の人生にとってリスキーなことを言ってるのは理解してる?私を選ぶってことは、父親になれる権利を放棄するってことなのよ?」

「子供がいない夫婦なら、いくらでもいるよ。
確かに俺と理彩さんの子供が生まれたら、そんな素敵なことはない。でも、俺は子供よりも理彩さんといる人生を選ぶ。それに…実は就職した頃から、俺の子供は諦めてくれ、俺には子供を作るつもりがないって、親には話してあるんだ。まぁ…理由は話してないから、おかしい方向に勘繰っているみたいだけどね。幸い、俺には兄弟がいるし、俺が子供を作らなくても問題はない。それに最初から親に俺の意思として、そう伝えておいた方が、理彩さんと一緒になるときに、理彩さんに負担がかからないでしょ?
子供が無事に出来たら出来たで、俺の気が変わったと言えばいい。」

…脱帽だった。

おかしい方向に勘繰っているという、彼の御両親のことが心配になったけど、彼の心遣いがとても嬉しかった。

彼の気持ちを疑う余地は、もう何処にもなくて、何度も考えてみたけど、彼の私に対する好意は…かなり異常とは言えるものの、誠実な真っ直ぐさは好ましく思う。

その気持ちは…限りなく恋愛の愛しさに近く、まだ戸惑いがあるけど、既に私は彼に捕まってしまっているのだという答えしか出てこなかった。

「私は…一哉の最初で最後の女になるの?」

突然、ファーストネームで呼ばれた彼…一哉は驚いて大きく目を見開いた。

そして直ぐに、嬉しそうに泣きそうに顔を歪ませて答えた。

「うん、俺は最初から理彩だけのものだ。」

我慢していたのに、“理彩”と呼ばれた瞬間、勝手に私の目から涙が溢れ落ちた。

「不束な中古女ではございますが…よろしくお願いいたします。」

そう言って、私は頭を下げた。

我ながら可愛いげがないとは思ったけど、それが私の素直な気持ちだった。

「理彩」

そう呼ばれて顔を上げると握っていた両手を引っ張られて、一哉の胸の中に私はすっぽりと収まった。

「やっと…捕まえた…」

ちょっと泣き声が混じった言葉のあと、額に落とされる柔らかな口づけを感じながら、私は目を閉じて一哉の心音に耳を傾けた。





暫くして、ふと、階段を上がってくる音に気付いて、私は一哉から慌てて離れようとしたけど、一哉が離してくれない。

「ちょっ!一哉、店員さんが来ちゃう!」

「別に俺は気にしないよ?」

「私が良くない!」

やっとの思いで間一髪、一哉の腕の中から抜け出して髪の毛を整えたものの、店員さんにはバレバレだった気がする。

店員さんが残した「ごゆっくり…」という言葉が妙に恥ずかしかった。

その後、今度こそ冷めないうちにアクアパッツァを食べようとするも、私の腰に腕を回して離れない一哉に邪魔されながら、食べることを余儀なくされたのは言うまでもない。



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