侯爵様と家庭教師

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22 家庭教師の憂鬱

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 翌日は使用人達の数少ない休日のひとつだったのだが、モンゴメリとポリーは朝も早くからリュネットの許へやって来た。
 二人はマシューの膝を枕にしてぐっすりと眠っていたリュネットを起こし、着替えを手伝ってくれると言う。夜会用のドレスは背中で留められているものが多く、ひとりでは脱ぎ着が出来ない為に助かった。

 ポリーは、昨夜自分が着つけたときのままのドレスの様子に小さく溜め息を漏らし、それを見たモンゴメリと二人で残念そうに苦笑した。そのやり取りにリュネットは首を傾げるが、誤魔化されて終わる。

 ドレスを無事に脱ぎ終わったところで、二人には礼を言って部屋を出てもらった。折角の休日を無駄にさせるわけにはいかない。
 クローゼットを開いて数少ない自分の普段着を取り出して袖を通し、手早くボタンを留める。その手許で、真新しい下着に包まれた胸が目に入った。
 ドレスに合わせて用意されたらしい下着だが、まさかこれも、マシューが手配したのだろうか、と少しだけ嫌な気分になった。ドレスだけならまだしも下着はさすがに嫌だ。
 少し考えた末、着込みかけた服を脱ぎ、下着も替えることにした。うっかりしていたが、こんな高級そうな絹の下着なんて、ずっと身に着けていたら落ち着かない。いつもの木綿のものがいい。

「……あ、やだ。大変」

 着替え終えてから絹の下着を汚していないか確かめると、ドロワーズに微かな汚れがついているのを見つけてしまった。

(最近来なかったから……)

 半年ほどご無沙汰だった月の障りの訪れに、少しの安心と憂鬱を抱く。女の身体はこれだから面倒臭い、と溜め息をつきながら、荷物の奥に仕舞い込んだままにしていたサニタリーベルトを引っ張り出し、当て布をして処置を済ませる。
 腹が痛み出す前に諸々の始末をつけよう、と汚れた下着を抱え、まわりに見えないようにストールで包み込んで部屋を出た。
 地下に降り、リネン室の奥にある洗濯室に行くと、顔馴染みのランドリーメイドのアンナがいた。

「洗濯?」

「ええ。でも、自分でやるから」

 それだけで彼女には伝わったらしく、漬け置き用に小さな盥を用意してくれ、血液の汚れが落ちやすいという石鹸を貸してくれた。礼を言って受け取り、袖を捲くって濡れないようにしながら水を汲む。

「今日は感謝の日で、使用人はお休みでしょう? 家に帰らないの?」

 カートランド家では、毎年降誕祭の翌日の二十六日は使用人達全員に休日を与えていて、朝から一日、屋敷の中には誰もいなくなるのだ。食事などは給仕の必要もない簡単なものを作り置きしておいて、それを適当に食べて過ごすことになっている。女学校時代にカートランド家のその伝統に触れたリュネットは、メグと二人でいつもと違う場所で食事をしてみたり、二人で見様見真似でサンドウィッチを作って食べてみたり、なかなか楽しんだ覚えがある。
 ヒースホールに勤める使用人のほとんどは地元出身で、歩いて一時間もあれば自宅に帰れる者ばかりだ。アンナも隣村の出身だったような気がするのだが。

「今年はさ、姉さん達が子供連れて帰省して来てるのよ。二十五過ぎてもこれだから肩身狭くってさぁ」

 女性はだいたい十六か十八くらいで結婚する。多少の地域差や階級差はあるが、大抵の場合二十を過ぎると売れ残りと言われるくらいなので、来年二十七になるというアンナはそのことを言われるので帰りたくないのだ。

「他の子達と相談して、ハワードさんに許可ももらったしさ。姉さん達が帰った後に帰省させてもらおうと思ってるの」

 みんないろいろあるな、と同情して頷きながら、石鹸を汚れにこすりつけた。

「あんたは? 今日は家庭教師ガヴァネス? それとも会計士?」

「ゴードンさんは十二夜の間、ダラムの息子さんのところに行くんですって。だから年明けまでお休みなの。レディ・ヴァイオレットは……どうかしらね。弟さん達がいらしているし、遊びたいかも知れないわ」

 今日は体調が悪くなるだろうから、少し休めるのなら有難いのだが、あの勉強熱心な子はどう考えるだろうか。今日も授業が休みとなると、三日連続の休みになってしまう。
 洗い終えて染みもないことを確認すると、あとはやっておいてやる、とアンナが言ってくれたので有難く預けることにする。受け取った下着が高級素材を使っているものだったので、アンナは目を丸くした。

「そっかあ……このドレス、あんたのだったのね。マリゴールド様のかと思ってた」

 洗濯待ちの籠の中から菫色のドレスを引っ張り出されたので、思わず赤面してしまう。恥ずかしがることはないのだが、なんだかちょっと照れてしまった。
 間違えないようにしておくわね、と笑みを向けられたので、しどろもどろと礼を告げて退散し、休憩室へと向かった。そろそろ朝食の時間のような気がする。

 案の定、今日はみんないつもより浮ついていた。
 食後にすぐに屋敷を出るのか、制服は着ないままの私服姿で、バタバタと慌ただしく荷物を纏めたり、食事を運ぶのを手伝ったりしている。リュネットもその中に加わり、食事の準備を手伝う。
 いつものようにハワードが着席したことで食事が始まったが、やはりみんないつもより素早く咀嚼していって、慌ただしく席を立って行った。いつも喋りながら食べているミーガンも、今日は言葉少なで食事の速度が随分と速い。ミーガンの実家は少し遠く、隣村だということを聞いたことがある。時間が惜しいのだろう。

 昨日付けで退職扱いとなったリタは、この朝食が屋敷で過ごす最後のときとなるようだ。いつものように端の方の席に座りながら、彼女だけはいつもと同じように落ち着いて食事を進めていた。
 屋敷の采配を任されているハワードとモンゴメリは帰省しないらしい。慌ただしい部下達の様子を見守りながら、ゆっくりと食事をしている。

「食後のお茶を淹れて来ますね」

「ああ、すみません。ミス・ホワイト」

「いいえ。リタも如何?」

「頂きます」

 そうこうしているうちに、みんな食事も終えて荷物の運び出しも終わったらしく、バタバタと出かけて行った。帰省組がいなくなってしまうと、休憩室の中にはほんの数人しかいなくなる。
 お茶を飲み終えたリタも立ち上がった。

「お世話になりました」

 ハワードとモンゴメリの前で深々と頭を下げると、二人はほんの少し複雑な様子の笑顔を向けた。

「これは今月分のお給金と、退職金よ。それと、こちらは旦那様から、結婚祝いに、と」

 モンゴメリはテーブルの端に置いていた愛用のファイルの中から、二通の封筒を出してリタに渡した。彼女は少し驚いたような顔をしたが、静かに受け取っていた。
 ハワードとモンゴメリも、当然のことながら、マシューとリタの関係のことは把握していた。それ故に少々複雑そうな表情を向けていたが、リタはその二人の視線を珍しい笑顔で撥ね退けていた。

「短い間でしたけど、一緒に働けて楽しかったわ」

 立ち尽くしていたリュネットに向かい、リタは別れの言葉を口にする。リュネットも頷いた。

「お元気で。どうぞお幸せに」

「お嬢さんも」

 リタとはあまり親しくはならなかった。リュネットが苦手意識を持ってしまった為、積極的に打ち解けようとしてこなかった所為だが、それでもやはり、仲間がひとり去るのは僅かばかりでも寂寥と悲しみを感じるものだ。
 手が空いているので荷物を運び出すのを手伝っていると、一台の荷馬車がやって来た。
 手綱を握っていた男はがっしりとした体躯で、顔は見たことがないが、その体型には見覚えがあった。恐らくラリーだ。

「お早うございます」

 帽子をちょっと持ち上げて軽く会釈したラリーの声は、その体躯に見合ったどっしりとした低い声音だったが、優しい響きが含まれていた。声だけでいい人そうだと判断出来る。
 彼は馬車から降りると、リタが抱えていたトランクと、リュネットが運んで来たボストンバッグを軽々と持ち上げ、荷台に積み込んだ。

「これだけ?」

 意外そうな声で尋ねるが、そうよ、とリタが頷くとすぐに笑顔を向け、妻となる彼女へ手を差し出した。
 肉厚の大きな手にリタのほっそりとした手が乗せられるのをぼんやりと眺めていたリュネットは、そのまま二人のことを見送り、少ししてから休憩室へと戻った。
 ちょっとだけ、羨ましいと感じてしまった。
 ラリーは言葉少なだが優しそうだったし、隣に並んだリタも相変わらず表情は乏しいが幸せそうだった。その姿が少しだけ羨ましかった。

 何故こんな気持ちになってしまったのだろう。大好きな両親がいた幼い頃は別として、最近ではすっかりと結婚に対する憧れなどなかったのだが――溜め息を零しつつ、ヴァイオレットがいるだろう居間へと上がって行った。

「あ、先生! マシュー伯父様が、先生を、捜していましたよ」

 部屋の前まで来たときに丁度中からヴァイオレットが出て来て、リュネットの姿を見つけると同時にそんなことを言ってきた。

「そうですか。ありがとう」

「いいえ、どういたしまして! 伯父様は、たぶん、お部屋です」

 礼を言うと、ヴァイオレットはまるで軍隊で敬礼でもするかのように、直立不動姿勢になった。なんだか違和感がある。

「……レディ・ヴァイオレット? なにかあったのですか?」

「えっ!?」

 こちらが驚くくらいにぎょっとした表情になるので、ますます訝しく感じてしまう。こういう仕種をする子供の様子は何度か見たことがある。
 ジッと見つめると、ヴァイオレットは顔を真っ赤にした。

「レディ……」

「あら、先生!」

 なにか悪いことでもしているのなら問い詰めようかとしたとき、今度はマリゴールドから声をかけられる。リュネットはすぐに礼を取った。

「兄があなたを探していましたのよ。急いで行って差し上げて」

 彼女もヴァイオレットと同じことを言ってくる。なんだか腑に落ちない気持ちになりながらも、どうやらマシューがリュネットを探しているらしいということは本当のようなので、礼を言って踵を返した。
 その後ろ姿を見送りながら、マリゴールドは溜め息を零す。

「もうちょっと演技上手にならなきゃね、ヴィオラ。あとで苦労するわよ」

「で、でも、叔母様……嘘はよくないと思うのです」

「あら、いやぁねぇ」

 少し責めるような目つきで見てくる姪っ子に、マリゴールドはころころと笑い声を響かせて、その抗議を一笑に伏した。

「悪意のない小さな嘘は処世術よ。覚えておおきなさい」

 そんなわけあるものか、と叔母に向かって胡乱気な目を向けるが、もう既にその嘘で人を騙してしまったのだからどうしようもない。
 しょんぼりと俯くヴァイオレットに、マリゴールドは言い聞かせるように笑みを向けた。

「いいこと、ヴィオラ。お母様にも言われたでしょう? 大好きなエレノア先生があなたのお家に来る為には、あなたはいい子でいなきゃいけないって」

 確かに言われた。だが、嘘をつくのは悪い子ではないか。そのことを思ってますます憂鬱な気分になって落ち込む。
 そんなヴァイオレットの肩をしっかりと掴み、マリゴールドは微笑んだ。

「でもね、先生は家庭教師だから、あなたが大きくなって、社交界に入る頃にはお別れしなくちゃいけないの。そんな先生とね、ずっと一緒にいられる方法があるのよ」

「どんな方法?」

「それはね――先生が伯父様と仲良くなったら叶うことなの」

「仲良く?」

「そうよ。そして、あなたがついてくれた嘘のお陰で、先生と伯父様は仲良くなる為の一歩を踏み出したの」

 嬉しいでしょ、と笑顔を向けられるが、今のヴァイオレットにはリュネットに嘘をついてしまったという罪悪感の方が強い。申し訳ない気持ちになりながら、弟達がじゃれ合っている部屋の中へと戻った。
 リュネットがずくずくと重い痛みを放ち始めた下腹部を撫でながら階段を昇っていると、バーネットが降りて来る姿が見えた。手には靴を持っていたので、これから下の作業部屋で靴磨きをするのだろう。彼もまた折角の休日を普段通りに仕事で潰す人なのだ。

「侯爵はお部屋にいらっしゃる?」

「ええ、いらっしゃいますよ。どうかなさいましたか?」

「捜していると伺ったもので」

 リュネットの言葉にバーネットはちょっと首を傾げるような仕種をしたが、納得したように頷き、笑顔で「ええ、そうでしたね」と答えた。
 やはりヴァイオレットとマリゴールドに騙されたのだろうか、と考えながら、すっかり通い慣れたマシューの部屋のドアをノックした。
 昨夜のことがあって少し気不味いのだが、部屋に入ると、マシューは何事もなかったかのようにいつも通りの様子だったので、こちらも身構えることなく会釈した。

「お捜しと伺ったのですが」

「僕が?」

 驚いたような表情になる。やはり嘘だったか、とリュネットは残念に思ったし、可愛い教え子に嘘をつかれたことが少なからずショックだった。

「勘違いならいいのです。失礼致します」

 溜め息交じりに頭を下げ、部屋を出ようとすると、腕を掴んで引き留められる。

「折角会えたのだから、もう少しいてくれないか?」

「え……」

「僕はきみと話をしたい」

 話などいつもしているではないか、と困惑しながら見つめ返すと、手を引かれて椅子へと座らされる。

「あの、私、レディ・ヴァイオレットの授業が……」

「マリーが見てるだろう? ああ見えて子供の相手は好きな子だから、少し預けておけばいいよ」

 マリゴールドは三姉妹の中では一番華やかな容貌をしているし、口調も少しきつい。子供など嫌いそうな雰囲気なのだが、実際はそうではない。言われてみれば、姪であるヴァイオレットのことを随分可愛がっている風でもあった。
 人は見かけによらないものだな、と少し失礼な感想を抱いてしまい、申し訳なくなった。
 向かい合わせに椅子を置いて座ったマシューは、リュネットの顔を静かに見つめてくる。その視線を受けていると頬が火照るような感じがして来て、そっと手を翳して遮ろうとしてみる。

「――…あまり、見ないでください。どういう顔をすればいいのか、わからなくなります」

 僅かに震える声で告げると、マシューは苦笑した。不躾に見つめていたことを少しは悪いと思ったらしい。

「ごめん。少し顔色がよくないなと思って……二日酔い? 頭が痛いとかはない?」

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 酒には極端に弱いが、有難いことに翌日に響いたことはない。今日も寝起きのときは頭が少し重たかったが、しばらくすると治まってしまい、今はもうなんともない。
 顔色が悪いのは恐らく貧血気味の所為だろうな、と思ったが、それを口に出すのは憚られる。曖昧に微笑んで誤魔化そうとしたが、マシューは気にかかったようで、膝の上に揃えていた手に触れてきた。

「氷のように冷たい。寒いの?」

「いいえ、そんなには……」

 これは嘘ではない。手が冷えやすいのはいつものことなので気にしていなかったが、この冷たさだと確かに寒そうに感じるのだろう。前にメグにも言われたことがある。
 待ってて、と言ったマシューが立ち上がり、支度部屋の方へ入って行き、大判のタータン柄の肩掛けを抱えて戻って来た。

「丁度いいと思うんだけど」

 ふんわりと着せ掛けられた生地は思ったよりも厚手で、とても暖かい。リュネットがいつも使っている肩掛けはもっと薄手のものなので、余計に暖かく感じた。
 マシューが座り直したところでノックが響く。ドアはいつものように開けたままになっていたので許可を出すと、バーネットが茶器の乗った盆を持って入って来た。

「お茶をお持ちしましたが」

「気が利くね。頼もうと思っていたところだよ」

 主人からの礼に頷きながら、手早く注ぎ分けていく。こういう給仕的なことは従者の仕事ではないだろうに、随分と手慣れている。

「リュネットには砂糖をひとつと檸檬を入れてあげて。僕はいつも通り」

 そう何度も一緒にお茶をしたことはなかった筈なのだが、好みをよく覚えているものだな、とちょっと感心してしまう。ミルクよりは檸檬で飲む方が好きで、砂糖はひとつだけ。昔は砂糖がふたつだったが、最近はひとつで十分だ。
 でも、今日は少し体調が悪い。

「すみません。お砂糖、もうひとつ入れてください」

 こういう体調の日は何故か甘いものが欲しくなる。本当はあまりよくないとは思うのだが、どうしても砂糖の量が増えるものだ。
 指示した通りのカップが差し出され、礼を言って受け取る。

「よくお似合いですね、そのタータン」

 リュネットがカップを受け取ったのを見届けながら、そんなことを言う。バーネットとはあまり雑談のようなものをしたことがなかったので少し驚いたが、マシューが持って来た肩掛けのことを言っているのだと思い、曖昧に頷いた。

「当家のクラン・タータンですよ」

 続いて指摘されたことにハッとした。
 各一族クラン毎に異なる柄があるというタータンだが、イングランド育ちのリュネットはあまり気にしたことがなかった。言われてみれば、メグがこの柄の布が使われたものをよく持っていたような気がする。
 そんな大事なものを、と表情を曇らせると、マシューが「バーネット」と従者を咎めるように呼んだ。

「余計なことを言うな」

「申し訳ございません、旦那様。それでは失礼致します」

 わざと口を滑らせた様子の従者は、主人にカップを渡すとさっさと退室して行った。腹が立つことに、マナーとして開けたままでいるドアを閉めて行く。
 黙り込んでしまった様子のリュネットに、マシューは大きく溜め息をついた。

「深い意味はないよ。丁度いいものがあったと思っただけだし」

 リュネットは小さく頷くが、お茶を零して汚しはしないか、と少しだけ緊張する。大事なものを汚したら本当に申し訳ない。

「タータンって、男性だけのものかと思っていました」

 祭りや式典のときなどに何度か目にしたことがある。色とりどりのタータンを腰に巻きつけた紳士達の姿は、とても珍しく思えた。

「今はあまり見かけないね。最近は女王陛下のお陰でハイランド趣味と呼ばれて流行っているみたいだけど、百年ほど前に着用を禁止された時代があったから一時期廃れたし、我が家もイングランドと縁づいてから機会が減ってしまった」

 もちろん今でも式典や祭り、結婚式などの正装する場面では着用するという。メグの結婚式のときには着ていなかったな、と思い返すと、ヘンリーの親戚に面倒な相手がいたので、すべてイングランド式に統一することにしていたらしい。お陰で嫌味を言われたりすることもなくやり過ごせてよかった、と苦笑するが、少し苦々しげだ。
 昔は女性も肩掛けなどにして常に身に着けていたんだよ、と教えられ、タータンはそういう大事なものなのだと知る。一族である証と誇りなのだ。
 親族との縁が薄いリュネットは、そういう結びつきが少し羨ましい。紺を基調に緑と赤が折り重なる複雑な格子模様を眺めながら、この屋敷に暮らす人々のことを思い浮かべた。

「そういえば、きみのフランスの親戚の話だけど」

 思い出したように呟いたマシューはカップを置いて抽斗を開き、開封済みの手紙を取り出した。

「近いうちにわかるかも知れない。南部の方に住んでいるらしいことは掴めたよ」

「本当ですか?」

「ナポレオンの戦争が終結してからいくらもしないうちのことだったから、お祖母様のことは結構有名だったみたいだね。パリからの転居先が南部の方だってことは簡単に掴めたから、あとは詳細な住所を探すだけらしい」

 それは少し嬉しい。頼ることが出来るかも知れない親戚が存在していると思うと、ドナルド親子に対しても心強い。リュネットの身の上を案じてくれるような人達であることを祈りたい。

 その喜びに水を差すように、腹の痛みが増して来た。いつもはそんなに痛まないのだが、しばらくなかったことで余計な負荷がかかっているのだろうか。
 粗相をする前に手洗いにも行きたいし、とリュネットは紅茶を飲み干し、立ち上がった。

「ご馳走様でした。あまり長居も失礼でしょうから、もう行きますね」

「もっといてもいいんだよ?」

「いいえ、それは……ちょっと……」

 昨日の今日で、あまり二人きりでいたくない、というのが本音だ。少し恥ずかしいし、なんだか居た堪れない気持ちにもなる。
 挨拶もそこそこに、そそっとマシューの部屋をあとにした。
 しばらくふらふらと歩いたところで、肩掛けを巻きつけたまま出て来てしまったことに気づく。大切なものだという話を聞いたばかりだったので、返さなければ、と来た道をすぐに引き返した。
 ノックをしようと手を持ち上げたところで、中からドアが開いた。部屋の主が出ようとしたところだったのだ。
 別れたばかりで再び目の前に現れたリュネットの姿に驚いたようだったが、マシューはすぐに笑顔を向けてくれる。

「どうしたの? 忘れ物?」

「ええ、はい……これをお借りしたままだったので」

 来る途中で畳んで来たタータンを差し出すと、マシューの笑顔が苦笑じみたものに変わる。

「持っていていいよ」

「いいえ、大切なものなのですから」

「大切なものだからこそだよ。きみが身に着けてくれるなら嬉しいに決まっている」

 渡そうとしたタータンをそっと胸の方へ押し戻され、再び受け取る形になる。確かに暖かくて肌触りのいいものなので、いつも使っている肩掛けより魅力的なものである。

「それより、リュネット」

 いいのかな、悪いな、と考えながらもちょっと有難く思ってタータンを抱え直していると、不意に額に触れられた。

「……熱はないか」

 驚いて振り払おうとするが、マシューの手はそれより先に離れて行き、そんな呟きが零される。
 勝手に触ることはしないと誓ったのはつい昨夜のことだというのに、どうしてこんなにも簡単に触れて来るのか。

「きみ、本当に顔色がよくないよ。唇が色を失っているくらいだし。今日はゆっくり寝ている方がいいんじゃないか?」

 体調のことはあまり指摘しないで欲しい。恥ずかしさから頬が僅かに熱くなるのを感じながらも、彼の指示に頷く。

「今夜は来なくていいよ。ゆっくりと休むといい」

「はい、わかりました」

 これ以上追及を受ける前に退散するべきだ。タータンの礼を言って、今度こそマシューと別れた。



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