必要とされないモノたち

餅雅

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銀の星

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 ぼーと夜空を眺めていると、本当に偶に流れ星を見ることがある。その日も暗闇に散らばる星屑を眺めながら不意に眼の前を小さな銀の光が横切った。
「しまった!」
 思わず声を上げていた。幸い、もう誰もいない公園だったのでその独り言を聞いた人は居ないだろう。そう。僕は独りだった。高校卒業と同時に就職で都会へ出た。安いアパートを借り、順調に昇進……する予定が、入社一年もせずに会社が倒産した。それから再就職の面接は軒並み失敗。今はアルバイトを掛け持ちしている。
 だから正直、流れ星に願い事を三回唱えれば叶うだなんて本当に信じてはいないが、信じたい気持ちもあった。
「宝くじでも当たらないかなぁ」
 なんてぼやくのは今に始まった事ではない。周りの誰もが悠々自適な生活を営んでいる様に見えて、自分がどんどん卑屈になっていく。
 ふと腕時計を見つめた。夜中の二時を指している。昔ならば、丑三つ時だのと面白がったが、もう三十を目前にしている市瀬 良樹にとっては『早く帰って明日の為に早く寝なければならない』という強迫観念しか無かった。
 ただ毎日、奨学金の返済と、家賃と、生活費を稼ぐ為に毎日働く……その繰り返しだった。
「……………………」
「??」
 良樹は人の話し声に首を傾げた。暗い公園の中はしんと静まり返っている。けれども耳を澄ますと、どうやら子供の声が聞こえる。
 愈々幻聴が聞こえて来たのかと首を傾げながら目を凝らすと、公園の隅、ベンチの裏からだった。それで良樹がベンチ裏を覗くと、子供が蹲っていた。
「何してるんだい?」
 つい、声を掛けてしまった。というのも、どう見ても年中くらいの年格好の男の子が、一人でこんな所に居るのは流石に見過ごせなかった。
「この子と話しをしてるんだ」
 子供は躊躇なく誰も居ない叢を指し示した。良樹は首をもたげ、昔観た映画『エクソシスト』を思い出した。確かあれは、一人遊びに興じていた女の子に悪魔が取り憑く話しだったと思う。
「ああ……坊や、お家は何処?」
 直ぐ、自分の考えを打ち消してそう問い質した。今時幽霊だとか、悪魔だとか、笑ってしまう。それらを信じていた黒歴史が僅かに顔を出していた。
「お家……?」
 子供が聞き返したので、良樹は頷いた。子供は周りを見渡すと、すくっと立ち上がった。
「分かんない。おじさん、探してくれる?」
 子供の返答に良樹は困っていた。取り敢えず周りに親らしき人もいなさそうなので、子供の手を引いて近くの交番へ行く事にした。


 子供は、藍色のターバンを巻いたおかしな格好をした男の子だった。半袖Tシャツの上に貫頭衣みたいなのを羽織っていて、ダボっとしたズボンを履いている。ハロウィンはまだだった筈だと考えながらも、まあ、コンビニのレジ打ちをしている自分は、割りと変な格好の客をよく見るので、追及しない。こないだは黒い網タイツを履いたヒゲモジャのおじさんが居たし、ゴスロリの若い娘も来る。それに比べればこの子の格好など、良樹にとってはどうでもいいことだった。
「坊や、お名前は?」
「銀河」
 お巡りさんが、眠気眼を擦りながら子供に名前を聞いている。『銀河』なんてキラキラネーム……と思ったが、あまり聞かない名前だと思った。同級生の海(まりん)くん……そう言えばどうしているだろうかと不意に思った。
 取り敢えず、後は警察に任せようと思った。もう、自分には何も出来る事はない。だからもう銀河とも会うことは無いと思っていた。


 市瀬は品出しをしながらぼーとしていた。パートの三浦おばちゃんから
「夜中までゲームでもしてたの?」
 と聞かれたが、そんなものではない。あの銀河の事が気になって眠れなかったのだ。夜中に、誰も居ない公園で独りで寂しかっただろう。叢に話しかけて、虚しくは無かったのだろうか? 親は一体何をしているのだろう?
 頭の中に、田舎の両親が思い浮かんだ。家は農家で、いつも大変そうだった。それでも笑顔を絶やさない母と、ぶっきらぼうで無口な父親。けれども運動会は毎年見に来てくれたし、参観日だって来てくれた。家出した時は探し回ってくれた。あの親が、普通の、一般の『親』であると自分は思っていた。だからクラスに、片親しか居ない子とか、家庭の事情で施設で暮らしている子の意味が解らなかった。当時は普通から逸脱した変な家庭の子だと思っていた。この年齢になるとまあ、人夫々、色んな事情があることは解るのだが、当時の自分は恵まれていたのだと、銀河を見て尚更思った。
「ねえ、おじさん」
 ふと、パンの品出しのカゴを持ち上げた時、声をかけられて少し困惑した。子供の声だ。平日の昼間に……今日は祝日では無かった筈だと振り返ると、昨日の銀河がそこに立っていた。
 何で? 警察は? 家は? 親御さんは? 困惑しながらも、いつもの癖で貼り付けた笑顔が出来上がっていた。
「いらっしゃいませ」
 銀河は何を言われたのか解らなかったのか、呆けている。良樹は自分を奮い立たせた。
「何でこんな所に居るんだ? 君くらいの年なら小学校とか、幼稚園とか、保育園とか……」
「ようちえん? ほいくえん……? あ! そう、保育園か! おじさん、一緒にその保育園に連れて行ってよ!」
 子供の言葉に苛立ちを覚えた。
「坊や、ごめんね~。おじさん忙しいんだ」
 ここでやっと、あの時声を掛けたのは間違いだったと思った。
「さやかちゃん、保育園に行きたいって言ってるんだ!」
「はいはい、おかえりくださ~い」
 は? さやかちゃんって誰だよ。と言い掛けた時ふと、自分の右肩に子供の頭が乗っているのが視界に入った。髪がボサボサで、口から血を流している。青白い肌があって、首を更にそっちへ向けると、その子供の濁った眼と自分の目が合って思わず変な悲鳴を上げていた。
 それで早退した。良樹はさっき自分が見たものは寝不足のために見た幻覚か、何かの見間違いに決まっていると思っていたが、眼の前に居る銀河は、ずっと誰も居ない壁に向かって話しをしていた。
「そっか、橘先生って言うの? ああ、それで……うん、うん。よく思い出せたね。すごいすごい」
 良樹は何を見せられているのどろうかと言いたげな顔だったが、もう何も聞くまいと思った。この手の話は、所謂黒歴史の中で散々調べた覚えがあった。そう。銀河は今、幽霊と話しをしているのだ。だから自分のすべき事は、これから家に帰って栄養ドリンクを飲み、仮眠をとって養生することでは無いと良樹は解っていた。手に持っているスマホで検索し、近くの保育園へ足を運ぶ。銀河は良樹の後を追いながら保育園の入口まで着いて来た。
 保育園の庭では、銀河と年格好の変わらない子供達が遊んでいた。柵に囲われたそこは一見、動物園のそれにも見えるが、子供を守る為の大事な柵であることを良樹は知っていた。銀河はその柵越しに遊ぶ子供達を見て不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、おじさん、あの子たちは、ここに閉じ込められているの?」
 銀河の言葉に何を言い出したのかと良樹は頭を悩ませた。
「閉じ込められているんじゃなくて、悪い大人から守っているんだよ。昔から居るだろ? 包丁持って学校へ侵入する頭のおかしい奴とか、アクセルとブレーキ踏み間違えて車で突っ込んで来る奴とか……」
 ふ~ん……と銀河は納得したのかしてないのか解らない返事をした。まあ、こんな話を子供にしても仕方がない。
「じゃあ、おじさんは帰るから……」
 これでもう終わりにしたかった。これ以上深入りしてはいけないと思った。
「橘先生がいない?」
 銀河の声に良樹は体を震わせた。
「おじさん、さやかちゃんが、橘先生居ないって……」
 言葉が終わる前に全力で走っていた。知らない。関わりたくない。煩わしい。自分の事で手一杯なのに、何であの時、声をかけてしまったのかと過去の自分を恨んだ。そして小さな小石に躓いて顔面から勢い良く転んだ時、一瞬さやかちゃんの濁った眼を見た気がした。
『待って……行かないで……』
 地の底から湧き上がる様な声だった。可愛い女の子の声ではない。喉の潰れた様なノイズ混じりの声だった。これがもし若い二十代前半のギャルの声だったなら必ず立ち止まっただろう。
「さやかちゃん!」
 背後から銀河の声がした。
「おじさんに取り憑いても、おじさんは男だから赤ちゃん産めないよ?」
 急に何の話を始めたのかと良樹は困惑した。
「は? 何?!」
 掠り傷の出来た鼻先を抑えて銀河を見やると、銀河は良樹を見てはたと気付いた。
「ああ、おじさんをパパと勘違いしたんだね。この人はさやかちゃんのパパじゃないよ」
 銀河の言葉に言いしれない恐怖を覚えた。彼女も居ない自分が、パパ呼ばわりなどゾッとする。良樹が呆然としていると、銀河は申し訳なさそうな顔をした。
「おじさん、さやかちゃんのパパを探してくれる?」
 良樹は全力で首を横に振った。銀河はそんな良樹と、良樹の背後……首辺りを交互に見つめ、腕を組んで悩んだ。
「ややこしい事になったな」
「お前のせいだろ!」
「おじさんが声をかけなければ、さやかちゃんはおじさんに取り憑いたりしなかったよ」
「夜中にガキンチョが独りでウロチョロしてて声をかけない大人なんて居ないだろ?」
「お人好しだよ」
「うわ、ムカツク~!!」
 良樹が金切り声を上げると、銀河は周りを見渡した。
「おじさん、今は昼間だから良いんだけど、夜になってもさやかちゃんが取り憑いたままだと、霊障が起こるから、外してあげたいんだけど……」
「ああ、外してくれよ!」
「さやかちゃんのお父さんを探してくれる?」
「何でそうなるんだよ!?」
「子供なんだから親元に帰すのは道理でしょう?」
 銀河の話しにそれはそうだけど……と言いかけて首を振った。
「いやいや! あれだろ? 般若心経とか唱えて塩振っといたら除霊出来るんだろ?」
「出来るよ」
 銀河に即答され、良樹は目を白黒させた。なら、それで良いじゃないかと言いかけた時、銀河が言葉をついた。
「一時的に霊を離す事は出来る。けれどもおじさんをパパと思い込んでいる以上、また直ぐ戻って来る事になるよ? おじさんはそれでいい? 見ず知らずの娘の霊のせいで足先から壊死したり、事故で頭をかち割って植物状態になるような事になっても良い?」
 良樹は想像するのも恐ろしかった。思いっきり首を横に振ると、銀河は軽く頷いて見せた。


 良樹はスマホの検索画面を見つめた。いつくか入力したワードの中から八年前の失踪事件を見つける。
 上村 さやか(当時四歳)、午後二時半、お昼寝から起床、三時のおやつの時にさやかちゃんが居るのを他の保育士も確認。保育園の帰宅時間、他の保護者が子供のお迎えに来た後、さやかちゃんの母が迎えに来るもさやかちゃんの姿は見えず、保育士とさやかちゃんの母が保育園内を探すも見つからず、警察と消防の捜索も虚しく発見に至らなかった。
 良樹は画面をスクロールしながらそれを読んだ。
「両親は既に引っ越しているみたいだ」
 良樹の言葉に銀河は眉根を寄せた。
「引っ越し先は?」
「そこまでは流石にネットに載らねぇだろ。あ、でもなんか橘先生だっけ? 保育園での担任だった先生のコメント載ってる。
 いつも明るく、みんなと仲良く出来るとても良い子でした。早く見つかることを心より願っています
 だってさ」
 何だか月次なコメント……とは思ったが、保育園も子供がさやかちゃんだけでは無いのだろう。全部の子供を把握などしていないのかもしれない。だから、さやかちゃんが居なくなった事にも気付かなかったのでは無いだろうか?
「お手上げだよ」
「その保育園は、そこの、今見た保育園?」
「隣町だな」
 良樹はそう呟きながら画面の地図を凝視した。電車で三十分といった所か……四歳が独りで歩いて来れる距離とは思えない。こないだコンビニへお菓子を買いに来た子が確か四歳くらいだったか……コンビニの外で不安そうな顔で我が子を見つめる親の姿に笑いそうになったが、計算が出来て無かったなぁ。お金が足りないから、お菓子を一つ減らすか、あと五十円出すように説明したら、お菓子を一つ諦めると言っていた。だから多分、このさやかちゃんも、電車に乗るお金など持っていないだろうし、自分で切符も買えない。誘拐されて、ここまで来たのだろうか?
「保育園というのは、態々家から遠い所へ行くものなの?」
「さあ? 保育園落ちたってのも以前話題になったくらいだから、近所の保育園は入れなくて、隣町なら空きがあったから預けたとかじゃねーの?」
 まあ、如何せん自分は結婚してないのでこの手の話は詳しくない。
「ん?」
 良樹は違和感を覚えてもう一度記事を見た。そもそも、この事件は隣町で起きた失踪事件である。
「さやかちゃんはどうしてこの隣町に? 誘拐犯に連れて来られた?」
 良樹が聞くと、銀河は誰も居ない道路を見つめた。暫くして良樹へ視線を戻す。
「覚えて無いって」
 まあ、自分の様に、誰かに取り憑いてしまってここまで来た。という可能性もあるかと良樹は思った。まさかこの歳で、過去の黒歴史が役に立つなどと思っていなかった。
「あ~あ、ちょっと待ってろ。電話掛けてみる」
 良樹はそう言うと、銀河に背を向けて電話を掛けた。数回の呼び出し音の後、男の声が受話器かれ聞こえる。
「あ~、那由多? 良樹だけど……」
 何故か受話器の向こうからは何も聞こえなかった。
「ちょっと調べてほしい事があって……」
「良樹、今、お墓に居るの?」
 唐突な質問に良樹は寒気がした。
「いや……」
「じゃあ何人とそこに居るの?」
 良樹は那由多が所謂霊媒体質で、霊感の強い男であることを知っていた。その彼が、電話越しに何か感じたのだろう。良樹は振り返るが、そこには蟻の行列を眺めている銀河の姿しか無い。
「二人……かな?」
 自分と銀河……さやかちゃんを数に入れるか迷った。
「早くそれから離れた方が良いよ。そんな生易しい数じゃない」
 その後の彼の言葉が耳に貼り付いた。
「……星の数ほど居るよ」
 良樹は銀河の名前を思い出した。
 数百から数千個の恒星などが集まっている天体
 という意味だと、良樹は思い返していた。


 那由多は、小学生の時に事故で両足が動かなくなった良樹の同級生だった。けれども那由多は、悪霊に引っ張られたのだとずっと言っていたものだから、良樹の黒歴史は、この那由多との出会いが発端であることは間違いない。けれどもお互いに別の高校へ行き、それから長らく連絡などしていなかった。連絡しようとする度にあの頃の黒歴史が顔を出し、良樹は恥ずかしさから悶絶した。けれども、この手の話で連絡出来るのは那由多しか居なかった。
「お! やっぱり上手いな」
 良樹は那由多から送られたメールの写真を眺めた。那由多は歩けなくなってからは趣味の絵を磨いている。どっかの雑誌の挿絵も描いた事があるらしい。粗いデッサンでも、素人目には素晴らしく見えた。那由多は霊視で見たものをスケッチし、良樹に送ってくれたのだ。
 1枚目はさやかちゃんが生前両親と住んでいたマンションの外観。三階の一番右端が村上家だと書いてある。
 2枚目はさやかちゃんの通っていた保育園の外観。園の正面玄関の前は道路で、建物の奥側に庭が広がった形をしているらしい。
 3枚目はさやかちゃんのお父さんとお母さんの似顔絵……
 良樹はその3枚目に描かれた顔に見覚えがある気がした。まあ偶に自分の父そっくりな人を見かけたりもするので、他人の空似だろう。
 4枚目は銀河と出逢った公園の絵。
 一通り画像を見て、良樹は再び電話をかけた。
「何で公園?」
「それは解らない。本人が生前思い出のある場所だとか……かな?」
「隣町の公園に?」
 那由多の声が一瞬止まった。
「あんまり深入りしない方が良いと思うよ」
「いや、そうしたいけど、憑かれてるんだよ。何とか外したいの。親の所へ連れて行けば離れる……」
「どうかな?」
 那由多の声は低かった。
「例えばだけど、良樹は自分が四歳の頃の記憶ってはっきり覚えてる?」
「は? いや……」
「八年前の事件だよね? 八年って結構長いよ? まあそのさやかちゃんの親がどうかは解らないけど、他に兄弟でも居たらさやかちゃんはどう思う? 自分は誘拐されて殺されて、ようやく両親に会えても、両親と話も出来ない、抱き上げても貰えない。それどころか自分の存在は忘れられ、知らない子供が、両親の元で何不自由無く暮らしてたら? その子供から両親を取り返そうって考えになるのは目に見えるだろ?」
 そんな事を言われても……いや、確かにそうかもしれないが、そうなったとしても、誰も自分を責めやしない。と思う。
「もしくは、親が不仲になってたら? 自分が居ないせいで両親の仲が悪くなってたとしたら? それか……疑いたく無いけど、その子、親に殺されたって可能性もあるよね?」
 那由多の話しに鳥肌が立った。
「は? 行方不明になったのは、保育園でだろ?」
「どうだろう? 保護者のお迎えの時間に子供の引き渡しでドタバタしている中、さやかちゃん一人居なくなった事に気付かないザルな保育園だろ? 例えば親がこっそり既に迎えに来てて、連れ帰って殺した後、何食わぬ顔をして保育園へ迎えに行けば、保育園で失踪したって事になるんじゃない? 保護者であれば、子供だって騒がないから連れ出すのは簡単。仮に誰かに見られたとしても保護者が迎えに来た。くらいにしか思わない。偶々、気付かれなかったから保育園で失踪って話しになっているだけじゃないの?」
 那由多の推理に良樹は反論出来なかった。自分の両親は、仲が良くて、子煩悩で……あの両親が自分を殺す……なんてのは全く想像がつかない。けれども現実にそんなニュースもある。だから全否定出来ない。
「……それをする意味って?」
「家で失踪したら親が真っ先に疑われるのが普通だから、保育園での失踪にしたかった。そうすれば保育園の過失だし、自分達に火の粉がかかることはない。そう考えたとしたら案外無理筋では無いと思うけどね」
 良樹は那由多の話しにしどろもどろになった。
「どうすれば良い?」
「他の憑依体質の人にくっつけちゃうのが理想なんじゃないの? さやかちゃんには悪いけど……放っておけば自我を失うだろうし……今のさやかちゃんの状態なら、怨霊になったりはしないと思う」
 自我を失う……良樹は思わず電話を切った。
「薄情な奴……」
 否、本当に那由多の足が動かなくなったのが霊のせいだったなら、良樹を助けたくてそう言ったのだろう。
「何か手掛かりが掴めそう?」
 銀河に言われ、良樹は溜め息を吐いた。
「そういやお前は何者なんだ?」
 良樹の問いに銀河は瞬きをした。
「え~?? 今~??」
「いや、確かに今更感はあるけどさ、元々はお前がさやかちゃんと話してた訳だし……」
「はあ~、ただの通りすがりです」
「へ~、そうなんだ~って、そんなんで納得するか! ボケ!」
 良樹は銀河の頭を軽く叩くと、銀河が慌てて自分の頭を触っていた。ターバンが乱れていないか確認し終わると、大きな溜め息を吐いた。
「実はじじいに急かされて嫁を探している」
「はあ? え? はぁ?」
 突飛な発言に良樹はたじろいだ。どう見ても年中……小学生には見えない。
「今はこんな姿だが、本当はもっとスレンダーでイケメンジャニーズ風で……」
「俺にも覚えがあるから辞めとけ、態々黒歴史を作ろうとするな。後で恥かくのはお前だぞ。前世からの運命の人なんて恥ずかしい事は言わない方が良い」
 と言って、高校の時に片思いしていた女の子にプロポーズをしてふられた事を思い出し、自分が恥ずかしくて顔を覆った。
「大分お悩みの様だな……」
「頼むから傷口を広げないでくれ」
「傷口に塩を塗ったのは自分だからね? 銀河のせいにするな」
「あ~恥ずかしい。で、イケメンジャニーズ風が、謎の薬を飲まされて体が縮んでしまったってか?」
「話を聞く気があるのか?」
「ありますあります。聞かせて下さい」
 良樹が懇願すると、銀河は溜め息を吐いた。
「銀河の国には七つの塔があってな、その塔の灯は、星の光を蒐めて灯している。けれども最近、星が国に流て来なくなって来ていて、それで、星を蒐めに来た。それと同時に、星が流れて来なくなった原因を調べている。まあ嫁は……ついでだ」
 銀河の話しに良樹は首を捻って空を見上げた。
「その塔の灯は、電気じゃダメなの?」
「生憎、こことは違う次元の為、そういう問題ではない」
「その塔の光が無くなったらどうなるの?」
「あちらとこちらの窓が開いてしまう。所謂鬼門が開くと考えてもらって差し支えない」
 また、自分の黒歴史が顔を出した。
「鬼門って……それってやばいんじゃ……」
「そう。銀河の国に人間が入って来られては困る」
「いやちげえよ! 魑魅魍魎とかがこっちに来るんだろ?」
「こっちは太陽があって明るいから、来るとしても夜くらいだろう」
「いや、充分怖えよ」
「心配せんでも、良い子は取って食ったりはせん。そこはちゃんと銀河も御触れを出している」
 いや、そういう意味じゃなくて……と言いかけて飲み込んだ。
「じゃあ、銀河は人じゃないってこと?」
 良樹が問い質すと、銀河は微笑した。
「何か問題があるか?」
 銀河の顔が何故か酷く怖かった。


 良樹は隣町へ来ていた。那由多から貰ったスケッチを眺め、マンションへ向う。やはり、今は別の人が住んでいる様だった。
 保育園も数年前に建て替えたのかとても綺麗な外観に変わっていた。
 もう日も暮れて来ていた。
「次のバイトがあるんだけど……」
 良樹が呟くと、銀河は保育園の中を覗いている様だった。
「なあ、帰るからな」
「え? ああ……」
 銀河の様子に良樹は首を傾げた。
「どうした?」
「さやかちゃんが保育園の中へ入って行った」
「はあ? それ、先に言えよ! はあ~あ、これで心置きなく帰れる……」
 良樹が踵を返すと、保育園の中から悲鳴が聞こえた。物が倒れ、窓硝子が割れる。保育士さん達が二、三人の子供の手を引き、赤ん坊を抱き抱えた保育士さんも出て来た。
「すみません! 誰か救急車を!」
 理由が解らないまま119に電話していた。保育園から出て来た人で、腕に大きな怪我をし、顔が真っ青な人が居た。その顔に見覚えがあった。
「橘先生……?」
 良樹の目にも、橘先生の背後にしがみつくさやかちゃんの姿が禍々しく映っていた。


 翌朝、スマホでニュースを見て驚いた。保育園で、ガス爆発が発生。現場に居た保育士一名が重体。との事だった。良樹は自分がしたことは間違っていたのだろうかと思ったが、今一腑に落ちなかった。那由多の推理通りなら、自分が昔通っていた幼稚園で、自分の担任の先生に会って、自分は無視されたと思ったのかもしれない。他の子供達が羨ましく思えたのかもしれない。
「良樹」
 家を出ると、外で銀河が待っていた。
「もう少し手伝って貰えないだろうか?」
 銀河の言葉に少したじろいだが、軽く頷いた。
 良樹と銀河は病院へ来ていた。ネットニュースで、ここに運ばれたと聞いた。良樹は橘の表札を探していたが、銀河が直ぐこの病室だと教えてくれた。けれどもその表札を見て、良樹は違和感を覚えた。否、偶々結婚して苗字が変わっただけだと自分に言い聞かせた。
 軽くノックをしてドアを開けた。
「失礼します」
 ベッド横のパイプ椅子に男の人が一人座っている。その男の顔を見て、良樹は銀河を見た。銀河は鋭い目で、ベッドに横たわっている女性の、腹の上に張り付き、何か大きな肉の塊みたいになっているさやかちゃんを睨んでいた。
「何だ? 君たちは……」
 良樹はその言葉をそっくりそのまま相手に返したかった。
「あなたこそ、さやかちゃんのお父さんですよね?」
 それを聞いて明らかに相手が動揺した。さやかちゃんは良樹の声で気付いたのか、上体を起こし、振り向いた。大きな肉の塊に複数の目が開き、男を凝視していた。
『パ……パ……』
「な、何だ貴様!」
「は~ん、もしかして、橘さんと再婚したくてさやかちゃんを殺したの? それとも、再婚するのにさやかちゃんが邪魔だった?」
 良樹が呟くと、銀河が良樹の袖を握った。
「いや、多分、そっちの女が横恋慕して、さやかちゃんを誘拐したんだろう。殺しておいて、傷心の男に近付いて離婚させて、男を奪ったんだろ?」
 化け物の目に涙が浮かんでいる。啜り泣く声は父親に届いていない。その瞳の一つに、生前のさやかちゃんと、八年前の橘の姿が映っていた。
『さやかちゃん、今日はお母さん、お迎え来れないんですって。先生がお家まで送って行くわね』
『わ~い! 先生大好き!』
 さやかが車に乗り込むと、先生の表情は酷く冷たかった。
『私は大嫌いよ』
 そこで映像が途絶えた。
 余りにも突然で、理不尽だった。化け物の体が小刻みに震え、ベッドも壁も揺れ、窓硝子にヒビが入った。怒号と共に点滴の袋が破れ、下に落ちた点滴の管から血が逆流する。化け物はまるで子供の様に泣き叫びながら何度も女性の体の上で飛び跳ねた。女の人が、何度も咳き込みながら血を吐く。男は必死にナースコールを押すが、コードが千切れてしまった。
「銀河! 何とかならないのか?」
「は? 何で?」
「何でって……」
「他人の子供を誘拐して殺した者が罰を受けているだけだろ?」
「いや、それは……そうなんだけど!」
 女の人が事切れると、怪物は男に手を伸ばした。どうやら男にもその姿が見えるらしく、酷く震えて尻もちをついている。
『パ……パ……』
「お前なんか、さやかじゃない!!」
 錯乱した男の言葉で、怪物は男の頭を潰してしまった。まるで指先で蟻でも潰したみたいな音がした。男の頭の無くなった首から赤い血が迸る。良樹は見ていられなかった。
「なんで……」
「おいで」
 銀河が話しかけると、怪物はどんどん小さくなり、銀河と同じくらいの背格好になった。
「帰ろう」
 銀河はポケットから月の形の鏡を出すと、怪物に翳した。鏡の中に、赤茶げた髪を二つ結びにした可愛らしい女の子が映っている。それが生前のさやかの姿であることは直ぐに解った。
「よく頑張ったね」
 怪物の体が光に包まれて消滅すると、銀河はベッドに横たわった女と、首のない男の前に来て手を翳した。二人の体から小さな光が飛び出すと、ぺろりと口にするのを見て良樹はぞっとした。
「え? 今、何したの?」
「え? 食事だけど」
「はあ?!」
「え? 知らないの? 悪い事をした人間の魂って、主食だよ?」
 そんなことも知らないなんて……と言いたげな銀河の顔が、何処となくさっきよりも大人びて見え、身長も幾らか伸びている気がするのは気の所為だと良樹は自分に言い聞かせた。


「ありがとうございました」
 出入り口の自動ドアが開いて、セーラー服の女の子が一人出て行った。三浦はその後ろ姿を見送りながら目を細めていた。
 うちの子も、生きてたら今年で十二歳だものね……中学生か……新潟少女誘拐事件が確か九年だったわね……きっと、何処かで生きていてくれているよね……?
 目に涙が浮かび、必死に袖で拭った。
『ママ!』
 不意に子供の声がして店内を見回した。コンビニの棚の間も見て回るが、子供らしい姿は見当たらない。空耳かと思って自動ドアの方へ目をやると、四歳の女の子が立っていた。
「……」
 三浦は自分の目を疑った。八年前、消息を絶った娘が、あの頃の姿のままそこに立っている。三浦は嬉しさよりも、それを肯定する勇気がなくて首を横に振った。
 幻覚……そう思う事にした。けれどもその幻覚は生前と変わらず明るい笑顔で笑い、手を降っている。三浦は恐る恐るコンビニの外へ出た。
『ママ! こっちこっち~! 何で迎えに来てくれないの! もうっ』
 三浦はふらつきながら自分の手を引くさやかに困惑した。確かに小さな手で指先を掴まれている感覚がある。けれどもその感触は酷く冷たい。
 何処をどう歩いたのか覚えていない。いつの間にか公園のベンチ裏の繁みを素手で掘っていた。
 どうして自分はこんな事をしているのかしら?
 三浦はぼうっと土を掘っていた。周りには誰も居ない。細い木の根がいくつか出て来て、爪の間に土や小石が挟まった。爪が割れて血が滲む頃、白い骨が見付かった。
『ママ~!』
 耳の奥で娘の声がした気がした。
「さやか……」
 静かに涙が頬を伝っていた。生きていると信じたかった。本当はそうなんじゃ無いかと不安だった。
「さやか……さやか……ごめんね……」
 優しい風に三浦の声が溶けて行った。


 さやかちゃんの白骨が見付かった事は翌日の新聞に載っていた。
 良樹は新聞を持って那由多の家の前に来ていた。呼び鈴を鳴らすと、直ぐドアが開いて車椅子の男が顔を出す。学生の頃と違い、記憶の中の面影はそのままに、お互いに大人びていた。
「久しぶり……その、今回は本当、那由多のお陰で助かっ……」
「助かった? 良樹新聞は見た? 何人亡くなったと思ってるの? 他の関係ない保育士さんや園児にも怪我人が出てる。こんな事なら霊視なんてするんじゃなかった!」
 那由多の言う事は尤もだった。
「けど、さやかちゃんはお母さんの元に帰れて……」
「それで? さやかちゃんは上に上がれるの?」
 上……つまりは天国へ行けるか? という意味だ。
「あいつは?」
 那由多の質問に良樹は銀河の事を思い出した。
「ああ、なんか用事が有るって……」
「良樹、あいつはこっちでいう所謂鬼なんだ。鬼は悪い魂を食って生きている」
「あ~なんかそんな事言ってたな。良いじゃん。良い人の魂は食べないんだろ?」
 良樹の言葉に那由多は拳を壁に撃ち込んだ。
「良樹、その善人と悪人の匙加減がそいつの気分次第だって事に気付いてる?」
 那由多の言葉の意味が良樹には解らなかった。
「例えば、放っておけば自我を失い、純粋な魂のまま輪廻の輪に乗れたはずの魂をけしかけて罪を犯させ、悪い魂へと転じた場合、その魂を、そいつは天国へ導くと思う?」
 那由多の言葉の意味をやっと理解し、良樹は顔が真っ青になった。
「え……けど……まさか……」
「その片棒を掴まされた俺達は、世間にとって果たして善人だろうか? そもそも、悪人なんて曖昧な定義に良樹は疑問を抱かなかったの? 立場が変われば、善も悪も引っくり返る事くらい良樹も知っているだろ?」
 良樹は身震いした。見た目が子供だからと思っていたが、自分はとんでもないものに関わってしまったのだと今更恐怖を覚えた。
「本来鬼門の向こうに居るはずの鬼が何をしに来たか知らないけど……」
「なんか星を集めてるって言ってた。塔に灯す為の……あと、嫁探し?」
 那由多の目が何時になく険しかった。
「けど、そんな悪い奴には見えなかったけど……」
 良樹が弁解しようとすると直ぐ那由多に詰られた。
「そりゃね、頭に角でも生えてれば普通もう少し警戒するよね」
 ふと、銀河の姿が脳裏を過った。頭に巻いたターバンを気にしていた。もしかしてあの布の下には角が生えていたのかもしれない……そう考えると生きた心地がしなかった。
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