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第一章

08

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この日、カタリーナは放課後久しぶりに王宮へと上がっていた。

カタリーナがいるのは王族の居住区域にあるサロンだ。
目の前にはカタリーナを呼び出したハインツが座っている。
……これは、好きな人が出来たから婚約を解消したいということだろうか。
それとも例の噂のことで咎められるのだろうか。

「カタリーナ」
期待と不安を胸に抱きながら目を伏せているとハインツが口を開いた。

「はい」
「隣に座っていいか」
「……はい?」
思わず顔を上げると、ハインツはカタリーナの返事を待たずに立ち上がり、その隣へと腰を下ろした。

(え……距離が近くない?)
エスコートやダンスの時に触れることはあるけれど……どうして肩が触れるくらい密着して座るのだろう。
そもそもソファに並んで座るなんて初めてだ。
(それにどうして手を握って来るの?!)
指を絡めるようにカタリーナの手を握ったハインツの意図がわからず、絡められた手をじっと見つめるカタリーナの耳元で、ふっと寂しげな吐息が聞こえた。

「やはり君は私に興味がないのだな」
「……え」
「少しでも私を意識していれば恥ずかしがるなり何らかの反応をするものだが」
思わず顔を上げる。
目の前のハインツは寂しげにカタリーナを見つめていた。

……しまった。
バレてしまった。
———いやそもそも隠してもいなかったし、ハインツも同じだと思っていたのだけれど。

「それは……失礼をいたしました」
「そう素直に認められると虚しくなるのだが」
頭を下げたカタリーナに、ふ、とハインツは再び息を吐いた。

「先日両親に怒られたのだ」
唐突にハインツは話題を変えた。
「両陛下に……ですか」
「お前達は婚約しているくせに他人行儀過ぎる、このままでは将来が不安だと」
カタリーナはハインツを見た。
「いくら政略結婚とはいえ、国王となる兄を支えていくには夫婦として信頼関係を築き共に支えあっていかなければやっていけないと」
「……それは……はい。そうですね」
「お前達は優秀だけれど愛情が足りていない。カタリーナの妃教育も区切りがついたのだから後は二人の心を通わせるようにと命じられたんだ」

———ん?
カタリーナは内心首を傾げた。

両陛下の言い分は正しい。
カタリーナも父親から同じようなことを言われた。
確かに将来夫婦となるのだから、カタリーナとハインツは信頼関係を築かなければならない。
でも。
ならばどうしてハインツはカタリーナではなく、他の女生徒と仲良くしているのだろう。

目線で訴えたのが分かったのか、ハインツはその綺麗な眉を下げた。
「君は私に興味がないようだったからな。まず私のことを意識してもらうことから始めようと思ったのだが、女性の気を引く方法というのを知らなくてね。ランベルトに相談したら他の女性と親密になったように見せかけて嫉妬させればいいのではと」
「……それで他の令嬢の方と?」
ランベルトはハインツの従者で、乳兄弟ということもあって幼い頃から親しくしていると聞いていた。

「ちょうど私にしつこく付きまとってきていたから何回か相手をしたんだ。だが君は我関せずだし、あの令嬢も何を勘違いしたのか嘘を振りまき出すし……だからこの作戦は止めて、君に直接言うことにしたんだ」
(そんなこと、最初から私に言ってくれればいいのに……というか)
「その作戦というのは……お相手のご令嬢には明かしたのですか」
「いいや。演技だとバレたら困るからね」
ハインツの返事にカタリーナは目を丸くした。

「それは……勘違いされるのも当然かと思われますが」
「そうか? 大体私が婚約者である君以外の女性と必要以上に親しくするはずないだろう」
「———相手の方はそうは思われませんわ」
想いを寄せる王子と何度も二人きりで会っていたら自分が特別だと思ってしまうのは仕方ないだろう。
悪意で嘘の噂を流すのは許されないことだけれど……乙女心を利用してしまったハインツにも問題はある。

「……その相手の方に説明はされたのですか」
「いや、まだだ」
「ではきちんと説明して、お詫びもして下さいませ」
「———君はやはり私に興味はないのだな」
ぐ、とハインツの手に力がこもった。
そのままぐいと引き寄せられて……カタリーナはハインツの腕の中に閉じ込められた。

「ランベルト曰く、こうやって抱きしめればさすがに君も私を意識すると言われたのだが……効果がないようだな」
「……ランベルト様のおっしゃったことは忘れましょうか」
他にハインツにこういうことを指導する者はいなかったのだろうか。
思わず冷めた目でハインツを見てしまう。
そんなカタリーナに、ハインツは淋しげに眉を下げた。

「……そういう殿下は、私のことをどうお思いになられているのですか」
思い返しても、ハインツがカタリーナに好意を寄せているような態度は感じられなかったと思う。

「好ましく思っているよ。この三年間、君は泣き言ひとつ言わずお妃教育をこなしてくれた。学園でもお妃として相応しい振る舞いをしてくれている。私は君が婚約者で良かったと思っているんだ」
「それは……ありがとうございます」
「けれど私はまだ君のことを深くは知らない。それは君もだろう?  私達はもっと互いをよく知るべきだ」
「……はい」
「それで、次の休日に一緒に出かけようと思うのだが」

「次の休日……ですか」
「何か用事があるのか?」
「……弟と遠乗りに……」
思わずそう口にしてカタリーナは慌てて口をつぐんだ。

「遠乗り? 君は馬に乗るのか?」
ハインツは意外そうに目を丸くした。

確かにカタリーナは馬にも乗れるが、『遠乗り』はアルムスター家の隠語で『ギルドへ行く』と言う意味だ。
思わず言ってしまったが、さすがにハインツもそんな意味が含まれているとは気づかないだろう。

「そうか、私も馬は好きなんだ」
ハインツは笑顔を見せた。
「ならば一緒に行こう。直轄領の一つにいい場所があるんだ」
「……はい」
違うとも言えるはずもなく、カタリーナは頷いた。
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