32 / 45
第三章
06
しおりを挟む
(困ったわ……)
茂みに身を潜めたディアナは小さく息を吐いた。
葉の間から伺う先には、こちらに狙いを定めた二つの赤い目が光っていた。
(こんな所に魔獣がいるなんて)
これまでこの森で魔獣を見かけたことなどなかったのに。
犬のような見た目と大きさの魔獣だった。
人間に気づいているのに襲ってこないのは、ディアナが潜めている藪に生えているのが魔獣避けの効果がある植物だからだ。
つまり、この藪から出ればすぐに襲われてしまうだろう。
ナイフは持っているが、こんな小さな刃では魔獣と戦ったことのない身を守れる気がしない。
魔法も多少は出来るが、家事に役立てる程度で攻撃魔法など使ったことがない。
——魔獣が諦めるまで待つか、それとも……隙をついて逃げるか……。
迷っていると別の方向からガサリ、と音が聞こえた。
(うそ……でしょ)
視線を送ると別の魔獣の姿が見えた。
その魔獣もやはりディアナの存在に気づいているようで、こちらへゆっくりと向かってくる。
二体の魔獣に挟まれてしまっては逃げようがない。
(どうしよう)
絶望的な気持ちに襲われる。
こんな草原の片隅の森に人間が来ることは滅多にない。
……だからこそ、この森に住んでいるのだが。
たとえここで魔獣に襲われて死んでも、どうせ独りで生きている身、大した問題はないのかもしれないけれど。
——ふと頭に青髪の男の姿がよぎる。
自分が死んだら……彼はどうなるだろう。
食事も取らずに淡々とあのベッドの上で横になってるような気もするけれど。
それでも……彼を独り残す訳にはいかない。
(どうする? 強行突破? でも……)
走って逃げられるはずもない。
やはり諦めるまで待つしかないのか。
(でもまた増えたら……ああもう、どうしたら)
ぐるぐると思考が回りだしたその時、更に別の足音が聞こえた。
また魔獣かと思い身体を強張らせたディアナの耳に、空気を切る音と鈍い音、そして唸り声が聞こえた。
「もう一頭!」
男の声と共に、再び肉を切るような音が響いた。
「お見事ですね」
魔獣を斬った剣を鞘にしまうハインツにヨハンが声をかけた。
「初めてとは思えません」
「フリードリヒの指導のおかげだな」
フリューア領に行った時は遭わなかったが、今後魔獣に遭遇することもあるだろうと出立前にフリードリヒに魔獣との戦い方を学んだのだ。
――本当にすぐ遭遇することになるとは思わなかったが、事前に心得などを知っていたおかげで冷静に対峙することができた。
「大丈夫ですか?」
魔獣が息絶えているのを確認すると、カタリーナは傍の茂みへ向かって声をかけた。
思いがけない女性の声に、ディアナははっとして頭を上げた。
ディアナと視線を合わせたカタリーナは、一瞬驚いたように目を見開いた。
「……あ……はい」
「——ここはサンセベルーが生えているのね」
ディアナから視線を逸らすと、カタリーナは藪を見渡した。
「サンセベルー?」
「魔獣が嫌う植物です。加工して作った魔獣避けは旅人に人気があります」
ハインツに答えて、カタリーナは何枚かその葉をちぎり取った。
葉を手の中に握りしめると意識を集中し魔力を注ぎ込む。
やがて手を開くと、中から三粒の黒い小さな玉が現れた。
「今度魔獣に遭遇した時はこれを投げつけて下さい。さっきの大きさくらいの魔獣なら逃げますから」
カタリーナは作った玉をディアナに差し出した。
「———え……あ……」
突然の出来事に、戸惑いながらもディアナはその玉を受け取った。
……悪い人達ではなさそうだ。
そう判断してディアナはフードを深く被り直すと藪から出た。
「……ありがとうございます」
「君はこの辺りの人?」
頭を下げたディアナにヨハンが尋ねた。
「……はい」
「私たちは教会の任務で人探しをしているんだ。最近この辺りで見慣れない男性を見た事はない?」
ディアナの脳裏に青髪の男の顔が浮かんだ。
——この人達は何者なのだろう。
ディアナは三人を見渡した。
人探しをしていると言った男性は穏やかそうな顔の、二十代だろうか。
残りの男女は十代後半くらいだろう。
どちらも冒険者のような格好をしているが……その口調といい、どこか品があるように感じられる。
「男性……ですか」
「多分ね」
「多分……?」
「もしかしたら人じゃないかも?」
ヨハンは首を捻った。
「人間か、小さくなった……トカゲとか?」
「トカゲ……?」
探している相手が人間かトカゲとは、どういう意味だろう。
悪い人たちではなさそうだけれど……怪しい。
「もう一人の連れが知ってるんだけど。心当たりはない?」
「……え……と」
あるといえばある。
家にいる青髪の彼。
トカゲではないけれど……ほとんど食事を取らない所など、人間離れした所はある。
でも……彼のことを教えてもいいものなのか。
何故彼を教会が探しているのか……それは彼にとって良いことなのか、悪いことなのか。
「——うーん、上手く説明できないのが難しいな……」
「リーコスが来るまで待つか?」
ヨハンとハインツが顔を見合わせた側でカタリーナは迷っていた。
リーコスの加護を受けて以来、自分の能力が変化していくのを日々感じていた。
薬を作るのも、以前は煮るなどの工程が必要だったのが、最近は魔力を直接注ぐだけで思う通りの薬が作れるようになっていた。
そして、リーコスと同じ能力の一つも備わったようだった。
カタリーナは魔獣に襲われそうになっていた女性を見た。
今は深くフードを被り顔が見えないが、先刻藪に隠れていたのを覗き見た時にその顔をはっきりと見た。
顔立ちにも特徴は現れていたが……彼女と目が合った瞬間、分かってしまったのだ。
リーコスたち聖獣が、見えると言ったその繋がりのようなものを。
カタリーナは視線をハインツへと移した。
——どうしてこんな場所に、彼女がいるのか、その理由も想像がつかなくはないけれど。
だがそれを伝えていいものか……それは彼女や、ハインツにとって良いことなのか。
そもそも彼女は、自身の『血筋』を知っているのか。
「カタリーナ?」
視線を感じたハインツがこちらを見た。
「どうした」
「いえ……あ」
首を振ろうとすると、リーコスが側に来る気配を感じた。
茂みに身を潜めたディアナは小さく息を吐いた。
葉の間から伺う先には、こちらに狙いを定めた二つの赤い目が光っていた。
(こんな所に魔獣がいるなんて)
これまでこの森で魔獣を見かけたことなどなかったのに。
犬のような見た目と大きさの魔獣だった。
人間に気づいているのに襲ってこないのは、ディアナが潜めている藪に生えているのが魔獣避けの効果がある植物だからだ。
つまり、この藪から出ればすぐに襲われてしまうだろう。
ナイフは持っているが、こんな小さな刃では魔獣と戦ったことのない身を守れる気がしない。
魔法も多少は出来るが、家事に役立てる程度で攻撃魔法など使ったことがない。
——魔獣が諦めるまで待つか、それとも……隙をついて逃げるか……。
迷っていると別の方向からガサリ、と音が聞こえた。
(うそ……でしょ)
視線を送ると別の魔獣の姿が見えた。
その魔獣もやはりディアナの存在に気づいているようで、こちらへゆっくりと向かってくる。
二体の魔獣に挟まれてしまっては逃げようがない。
(どうしよう)
絶望的な気持ちに襲われる。
こんな草原の片隅の森に人間が来ることは滅多にない。
……だからこそ、この森に住んでいるのだが。
たとえここで魔獣に襲われて死んでも、どうせ独りで生きている身、大した問題はないのかもしれないけれど。
——ふと頭に青髪の男の姿がよぎる。
自分が死んだら……彼はどうなるだろう。
食事も取らずに淡々とあのベッドの上で横になってるような気もするけれど。
それでも……彼を独り残す訳にはいかない。
(どうする? 強行突破? でも……)
走って逃げられるはずもない。
やはり諦めるまで待つしかないのか。
(でもまた増えたら……ああもう、どうしたら)
ぐるぐると思考が回りだしたその時、更に別の足音が聞こえた。
また魔獣かと思い身体を強張らせたディアナの耳に、空気を切る音と鈍い音、そして唸り声が聞こえた。
「もう一頭!」
男の声と共に、再び肉を切るような音が響いた。
「お見事ですね」
魔獣を斬った剣を鞘にしまうハインツにヨハンが声をかけた。
「初めてとは思えません」
「フリードリヒの指導のおかげだな」
フリューア領に行った時は遭わなかったが、今後魔獣に遭遇することもあるだろうと出立前にフリードリヒに魔獣との戦い方を学んだのだ。
――本当にすぐ遭遇することになるとは思わなかったが、事前に心得などを知っていたおかげで冷静に対峙することができた。
「大丈夫ですか?」
魔獣が息絶えているのを確認すると、カタリーナは傍の茂みへ向かって声をかけた。
思いがけない女性の声に、ディアナははっとして頭を上げた。
ディアナと視線を合わせたカタリーナは、一瞬驚いたように目を見開いた。
「……あ……はい」
「——ここはサンセベルーが生えているのね」
ディアナから視線を逸らすと、カタリーナは藪を見渡した。
「サンセベルー?」
「魔獣が嫌う植物です。加工して作った魔獣避けは旅人に人気があります」
ハインツに答えて、カタリーナは何枚かその葉をちぎり取った。
葉を手の中に握りしめると意識を集中し魔力を注ぎ込む。
やがて手を開くと、中から三粒の黒い小さな玉が現れた。
「今度魔獣に遭遇した時はこれを投げつけて下さい。さっきの大きさくらいの魔獣なら逃げますから」
カタリーナは作った玉をディアナに差し出した。
「———え……あ……」
突然の出来事に、戸惑いながらもディアナはその玉を受け取った。
……悪い人達ではなさそうだ。
そう判断してディアナはフードを深く被り直すと藪から出た。
「……ありがとうございます」
「君はこの辺りの人?」
頭を下げたディアナにヨハンが尋ねた。
「……はい」
「私たちは教会の任務で人探しをしているんだ。最近この辺りで見慣れない男性を見た事はない?」
ディアナの脳裏に青髪の男の顔が浮かんだ。
——この人達は何者なのだろう。
ディアナは三人を見渡した。
人探しをしていると言った男性は穏やかそうな顔の、二十代だろうか。
残りの男女は十代後半くらいだろう。
どちらも冒険者のような格好をしているが……その口調といい、どこか品があるように感じられる。
「男性……ですか」
「多分ね」
「多分……?」
「もしかしたら人じゃないかも?」
ヨハンは首を捻った。
「人間か、小さくなった……トカゲとか?」
「トカゲ……?」
探している相手が人間かトカゲとは、どういう意味だろう。
悪い人たちではなさそうだけれど……怪しい。
「もう一人の連れが知ってるんだけど。心当たりはない?」
「……え……と」
あるといえばある。
家にいる青髪の彼。
トカゲではないけれど……ほとんど食事を取らない所など、人間離れした所はある。
でも……彼のことを教えてもいいものなのか。
何故彼を教会が探しているのか……それは彼にとって良いことなのか、悪いことなのか。
「——うーん、上手く説明できないのが難しいな……」
「リーコスが来るまで待つか?」
ヨハンとハインツが顔を見合わせた側でカタリーナは迷っていた。
リーコスの加護を受けて以来、自分の能力が変化していくのを日々感じていた。
薬を作るのも、以前は煮るなどの工程が必要だったのが、最近は魔力を直接注ぐだけで思う通りの薬が作れるようになっていた。
そして、リーコスと同じ能力の一つも備わったようだった。
カタリーナは魔獣に襲われそうになっていた女性を見た。
今は深くフードを被り顔が見えないが、先刻藪に隠れていたのを覗き見た時にその顔をはっきりと見た。
顔立ちにも特徴は現れていたが……彼女と目が合った瞬間、分かってしまったのだ。
リーコスたち聖獣が、見えると言ったその繋がりのようなものを。
カタリーナは視線をハインツへと移した。
——どうしてこんな場所に、彼女がいるのか、その理由も想像がつかなくはないけれど。
だがそれを伝えていいものか……それは彼女や、ハインツにとって良いことなのか。
そもそも彼女は、自身の『血筋』を知っているのか。
「カタリーナ?」
視線を感じたハインツがこちらを見た。
「どうした」
「いえ……あ」
首を振ろうとすると、リーコスが側に来る気配を感じた。
33
あなたにおすすめの小説
婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
【完結】16わたしも愛人を作ります。
華蓮
恋愛
公爵令嬢のマリカは、皇太子であるアイランに冷たくされていた。側妃を持ち、子供も側妃と持つと、、
惨めで生きているのが疲れたマリカ。
第二王子のカイランがお見舞いに来てくれた、、、、
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる