12 / 78
第11話 泉のほとりにて
しおりを挟む
「母上、随分と楽しそうだったな」
日が沈み、夜の帳が下りたローラハイン離宮。
今宵は満月で、その美しい白影が湖面に揺らめいていて幻想的な雰囲気を醸し出している。
夕食後、二人は離宮敷地内にある森の中を歩いていた。
シルフィアをある場所へと誘うためだ。
護衛の騎士が付いて来ようとしたのだが、アークレイが頑なにそれを断わったため、今は二人だけだ。
結局、エレーヌの勧めにより離宮に留まることになったアークレイとシルフィア。
王宮へは遣いを出したが、城に戻ってからのシメオンの怒りの形相が目に浮かぶ。
泊まる可能性もあることは事前に伝えていたから、たぶん大丈夫だろう。
シメオンの顔を消し去り、アークレイは隣のシルフィアへと笑いかける。
「はい。お元気そうで安心いたしました」
「ああ。まだ時々熱を出して寝込まれることもあるようだが、この地での静養が効いているようだ。以前より大分元気になられているし、今日は貴方が来られたので、母上も張り切っていたようだ」
「私ですか?」
「ああ。貴方をお連れして正解だったようだ」
「私もエレーヌ様とお会いできて良かったです」
シルフィアは嬉しそうに微笑んだ。
「ところで、母上は余計なことを貴方に話されていないだろうな?」
「え?」
離宮を一通り回った後、応接間へと戻ってきたアークレイが見たものは、まるで本当の母子であるかのように親密な様子のシルフィアとエレーヌの姿だった。
一体この短い間に何があったのかと驚くアークレイに、二人は顔を見合わせ、「内緒です」と笑うだけだった。
「いいえ、そのようなことはございません」
「そうか?俺の悪口など話されていなかったか?」
「まさか!そのようなこと!」
慌てたように首を振るシルフィアに、アークレイは肩を竦めて「冗談だ」と笑った。
どうやら真面目なシルフィアに、あまり冗談は通じないようだ。
「シルフィア殿、こっちだ」
「はい」
指でシルフィアを招き、僅かに月の光が差し込む薄暗く細い道を行くアークレイだったが、シルフィアは周囲を警戒しながら後を付いてくる。
忙しなく辺りを見回すシルフィアは、どこか怯えているようにも見える。
「どうされた?」
「いえ・・・このような夜に森の中を歩いては、魔物などに襲われませんか?」
「魔物?ああ・・・」
シルフィアの怯えようにようやく合点が付いた。
「大丈夫だ、シルフィア。言い忘れていたが、ここローラハインの町に魔物は入って来れんのだ。よほどの魔物でなければな」
「え?」
「この町を含めた周辺の土地は国の直轄領なんだが、ローラハインはかつて、建国の英雄王グラミラス1世が、王位を退かれた後にお住まいになられた町でもあってな。ご逝去されるまで余生を過ごされたそうだ」
「あ・・・では・・・」
何かに気づいたのだろう、息をのんだシルフィアの目が大きく開かれた。
「そうだ。盟友である大魔術師ラヴェル=ファイエ=ヴォルドレーにより、グラミラス1世のために町全体を覆う魔物除けの結界が張られたんだ。余程の魔物でなければ、結界内に入って来ることはできない」
そう言うと、強張っていた表情がほっと安堵したものに変わる。
「貴方は剣を使うのだろう?魔物が恐ろしいのか?」
シルフィアの腰に提げた剣。
シルフィアが愛用していたという剣だ。
「はい・・・魔物は苦手です。センシシア国内でも魔物が多く棲息していて、度々民が襲われることがありました。剣で切れる魔物であれば良いのですが、中には剣で切れない魔物も多くおります・・・魔物を退治するためにはやはり魔術師の方々のお力が必要ですが、センシシア王国は辺境の地ですので、当然魔術師ギルドもございませんし、お招きすることはとても難しいのです」
「そうだな・・・魔術師たちの力は凄まじいものがあるからな。ローザラン殿などは特に魔物に容赦がない」
「ローザラン・・・?もしや、セヴェリーニ=ローザラン様ですか?」
「ああ。ご存知か?」
「はい!勿論でございます!」
先ほどまでの憂い顔はどこへやら。
シルフィアは顔を紅潮させて嬉しそうに笑った。
英雄に憧れる少年のような笑顔だ。
セヴェリーニ=ローザラン。
その名を大陸中に轟かす稀代の天才魔術師。
純粋なシェラサルトの民の血を引くローザランは、同じシェラサルトの民である、大魔術師ラヴェル=ファイエ=ヴォルドレーの再来とまで言われているほどだ。
現在は魔術学院で魔術を教える傍ら、ヴォルドレーが記し残した書籍を解読し、古代魔術を研究しているらしい。
「ローザラン様の名声は遠くセンシシアにまで届いております」
「ほう、そうか。凄いな」
「陛下はローザラン様の魔術を直に見られたことがあるのですか?」
「ああ。俺が未だ王子の頃だが、古代魔術を研究されているローザラン殿が、アルフェレイク王国の古代遺跡を調べたいと申し出てこられたんだ。しかし、その遺跡には魔物が多く棲み付いていたため、数百年もの間立入禁止となっていた・・・ならばと、その魔物を一掃いたしますので、立ち入りを認めていただけますか?とおっしゃってな・・・」
「魔物を一掃?」
「ああ。しかし、ローザラン殿はそれを実際にやってのけた。同行した俺の目の前でな。言葉通りの『一掃』だ」
両手を挙げ、アークレイは苦笑して大仰に肩を竦める。
「唖然とする俺たちを振り返って見たローザラン殿は、にっこりと微笑みながら『これでよろしいですよね?』なんて明るい声で言ったんだよ・・・魔術師を敵に回すものではないと俺が実感した出来事だったな」
「やはりすごいのですね・・・魔術師の方々が国王並の待遇を受けるというのもわかります」
「ああ。しかし魔物か・・・結界で守られたエシャールに居ると、魔物の脅威をつい忘れてしまいそうになるな」
「エシャールもヴォルドレー大魔術師の結界がまだ活きているとお聞きしました」
「ああ。ローザラン殿も感心するほどの強固な術らしいからな」
王都エシャール。
都の全域に張り巡らされた1,000年前の結界。
大魔術師ヴォルドレー。
古代魔術。
古代アルフェレイク王国。
魔術学院にローザラン魔術師。
今まで身近に感じたこともなかった魔術師の影に、改めて、ここオルセレイド王国が『魔術王国』と呼ばれる国なのだと実感する。
「こっちだ、シルフィア殿」
「はい」
先を歩くアークレイに手招きされ、シルフィアは足早に木々が途切れた先を抜けた。
「わ・・・・・・」
その面前に広がっていたのは、月の明りがまぶしいほどに降り注ぐ、水面が輝く小さな泉だった。
感嘆の声をあげ、シルフィアはしばしその場に立ち尽くしてしまう。
「どうだ、なかなか良いだろう」
「はい・・・とても、綺麗です」
「ここは俺の気に入りの場所なのだ。シルフィア殿にも是非見せたくてな」
「本当ですか?ありがとうございます」
嬉しくて、胸のあたりが暖かいものに包まれる。
アークレイがシルフィアに辛い想いをさせてしまうかもしれないとエレーヌは心配してくれていたが、度々こんなふうに嬉しい驚きをアークレイは与えてくれる。
たとえそれがシルフィアを気遣っての行動だとしても、それだけでもシルフィアには十分だった。
「水に触れてみるといい。気持ちいいぞ」
「はい」
泉の側に膝をつくと、そっと掌を水の中へと入れた。
指先に触れるやわらかな水の感触が心地いい。
「そんなに冷たくないだろう?」
「ええ。水がとても澄んでいるのですね」
「ああ。常に水が沸き出でているからな。その水が小さな小川となって湖に流れているんだ。深さも腰くらいまでだから溺れる心配もない。俺も子供の頃はここでよく水浴びをしたものだ」
「それは気持ちが良さそうですね」
「ああ。なかなか気持ちがいいぞ」
アークレイは徐に腰に提げていた剣を外して地に置き、勢い良く草の上へと腰を落とした。
「シルフィア殿も座るといい」
「はい」
シルフィアも剣を外し、アークレイの横に並び、その柔らかな草の上に座る。
アークレイの視線を追って空を見上げれば、漆黒の闇の中で白金に輝く丸い月があった。
包み込むように柔らかな月の光に、日ごろの忙しさに追われていた身体と心が癒されていくようだった。
「やはりここは良いな・・・」
「はい。静かで心が落ち着きますね」
「ああ。全てを清めてくれるような、そんな清浄さがここにはある。悩んだときにここに来ると、道しるべを与えてくれるような・・・俺にとってそんなところだ」
『悩む』という言葉が意外で、シルフィアは驚いてアークレイへ視線を向けた。
「陛下でも悩まれることがあるのですか?」
いつでも毅然と振る舞い、堂々として、自信に満ち溢れたアークレイが、何かに悩むことなどシルフィアには想像できなかった。
「当然だ。俺とて人間だぞ?」
膝に顎を乗せ、視線だけこちらに向けたアークレイはくっくっと苦笑する。
「そ、そうですね・・・申し訳ありません」
「まあ、俺も出来るだけ他人には見せないようにしているが」
「・・・陛下は一国を背負うお方ですから、私などがわからない重責も感じられているのですね」
「ん・・・重責か・・・父上が早くに亡くなられたときは流石に落ち込んだものだ。父上の死を悼む間も無く、王位継承という責務を負うことになったからな・・・自分に父上のあとを継ぐことができるのか、自分に国を治めるだけの力があるのか。誰にもその悩みを打ち明けられなかったから余計に・・・な。逃げ出すようにこの離宮へ来て、1日中何をするでもなく考えていたものだ」
「陛下・・・・・・」
「だがまあ、ここで悩んでいるうちに、俺一人で国を背負おうとしていたことが間違いだったと気づかされた」
「え?」
顔を上げたアークレイはすっと天上の月をまっすぐに見上げた。
「俺には優秀な臣下が大勢いる。自分の力だけで成し遂げようとするのではなく、彼らを信用して、彼らとともに国を築くことこそが、王たる俺の務めだと気づかされた。一国の王が王座に座り、誰の意見も聞かずに我侭を言って、ただふんぞりかえっているというのは、単なる独裁者か傀儡であろう?俺はそんな愚王になるつもりはないからな」
「愚王だなんて・・・陛下は立派に国を治めていらっしゃいます」
「そうだろうか?だがまだ1年半足らずだ。今はまだ、課程の段階で結果は見えておらぬからな。1,000年も続いてきたこの偉大なる国を、俺の代で途切れさせるわけにもいかぬし、更にこの後、1,000年、2,000年と国が続くためにも、俺はこの国を安定させたいと思っている」
まだまだ解決しなくてはならない課題が山積みだ。
出来ることはたくさんある。
法も整備させる必要があるし、地方は目が行き届かないので、なんとか改善したいと考えている。
オルセレイド王国を大国にしたいとか、そのような大層な野望は持っていない。
戦争がない、民が笑顔で暮らせる平和で豊かな国にしたい。
そう望んでいるのだ。
自分の思いを独白のように語ったアークレイは、ふとシルフィアが穏やかな笑みを浮べて自分を見ていることに気づき、はっと我に返った。
「あー、いや・・・つまらないことを聞かせたな。すまない」
微笑みを浮かべたシルフィアはゆっくりと首を振った。
「いいえ。陛下の想いを教えていただき、とても嬉しく思っております」
「いや・・・こんな風に俺の想いを語ったのは、シルフィア殿が初めてかも知れないな」
「そうなのですか?」
シルフィアは首を傾げ、驚いたように少し目を見開いた。
母にも、友人であるウォーレンにも、片腕であるシメオンにも、2人の妃にも、こんな風に王としての自分の想いを語ったことはなかった。
あまり自分の心の内を他人に見せるようなことはしない。
弱い部分があることを知るのは、母エレーヌと、子供の頃からつきあいがあるウォーレンくらいなのだが、そんな2人であっても、国の行末について悩みを打ち明けたことは一度としてない。
何故かはわからないが、シルフィアの側だと、自分の心の内を自然に曝け出すことができるような気がするのだ。
「あの・・・陛下・・・・・・」
「ん?」
シルフィアの、どこか躊躇いがちな碧玉の目がアークレイを見上げてきた。
「私にも・・・陛下の立派なお志のために、何かお手伝いをさせていただくことは可能でしょうか?」
「え?」
「あまり正妃が国政に口を出すことは良くないと思いますが、私はそもそも女性ではございません。子を成すわけでもございませんので、一般的な正妃とは立場も意味合いも異なります。2人の王子様を無事にお育てすることが私の務めだと思っています・・・ですが、私も何か、陛下の政に手助けがしたいのです。どのような形でも構いませんので、どうかお願いいたします」
「・・・シルフィア殿」
シルフィアのどこか思いつめた表情に、その真剣さが窺えた。
シルフィアは本当に優秀だ。
この国の社会情勢や習慣などは1週間足らずで覚えたし、閣僚や主要な貴族の名前もすぐに覚えたし、国政の仕組みや法律などもかなり細かいところまで覚え始めている。
まるで宰相並の勉強量だという。
思わぬ法律の落とし穴にシルフィアが気づき、指摘され、シメオンが慌てて法務官たちに手直しをさせたこともあるという。
元々はセンシシア王国の国政を担うべく育てられてきたというのもあるのだろうが、それだけではなく、シルフィアなりに、この国のことを考えてくれていることも理由の一つなのだろう。
「わかった・・・王城に戻ったら、大宰相に話してみよう」
「!・・・ありがとうございます!」
シルフィアに顔に、まるで花がほころぶような笑顔が浮かんだ。
「なに。礼を申すのはこちらのほうだ。ありがとう」
「いえ、そんな・・・・・・」
はにかむように目を伏せたシルフィアの横顔に、アークレイもふっと口元に笑みを浮かべた。
本当にシルフィアは不思議な存在だと思う。
見た目は華奢で、まるで少女と見紛うほどの美貌で、透き通るような印象はどこか儚げで、庇護してあげたいような、護ってあげたいような雰囲気なのに。
意外にも芯の強い、シルフィアの一面が見えてくる。
こうして話していると、何故か自分のほうが護られているような、包まれているような感じがするのは気のせいではないだろう。
ふと視線を落とせば、シルフィアの横に置かれていた剣が目に入った。
アークレイが持つ剣よりも、少し幅の細い剣。
センシシア国王からシルフィアへと託されたものだ。
それを使者から渡されるまで、シルフィアが剣を使うことに気づかなかった。
当然、王族の嗜みとして多少は剣術を習っていただろうが、オルセレイドに来てからは剣に触れてもいなかったようだし、この華奢なシルフィアが剣を振るう姿がどうしても想像できなかった。
護られるのではなく、自らを護る術を持つシルフィア。
一体、どのように剣を振るうのか興味があった。
「そういえばシルフィア殿」
「はい」
声をかければシルフィアはアークレイに視線を向け、ふわっと笑みを浮かべる。
「貴方はいつから剣を?その剣、随分と使い込まれているようにも見えるが」
アークレイにとっては、それは純粋に興味からの質問のつもりだった。
だが、柔らかな笑みを浮かべていたシルフィアの表情は、アークレイの問いかけに、一瞬にして強張ったものに変わってしまった。
日が沈み、夜の帳が下りたローラハイン離宮。
今宵は満月で、その美しい白影が湖面に揺らめいていて幻想的な雰囲気を醸し出している。
夕食後、二人は離宮敷地内にある森の中を歩いていた。
シルフィアをある場所へと誘うためだ。
護衛の騎士が付いて来ようとしたのだが、アークレイが頑なにそれを断わったため、今は二人だけだ。
結局、エレーヌの勧めにより離宮に留まることになったアークレイとシルフィア。
王宮へは遣いを出したが、城に戻ってからのシメオンの怒りの形相が目に浮かぶ。
泊まる可能性もあることは事前に伝えていたから、たぶん大丈夫だろう。
シメオンの顔を消し去り、アークレイは隣のシルフィアへと笑いかける。
「はい。お元気そうで安心いたしました」
「ああ。まだ時々熱を出して寝込まれることもあるようだが、この地での静養が効いているようだ。以前より大分元気になられているし、今日は貴方が来られたので、母上も張り切っていたようだ」
「私ですか?」
「ああ。貴方をお連れして正解だったようだ」
「私もエレーヌ様とお会いできて良かったです」
シルフィアは嬉しそうに微笑んだ。
「ところで、母上は余計なことを貴方に話されていないだろうな?」
「え?」
離宮を一通り回った後、応接間へと戻ってきたアークレイが見たものは、まるで本当の母子であるかのように親密な様子のシルフィアとエレーヌの姿だった。
一体この短い間に何があったのかと驚くアークレイに、二人は顔を見合わせ、「内緒です」と笑うだけだった。
「いいえ、そのようなことはございません」
「そうか?俺の悪口など話されていなかったか?」
「まさか!そのようなこと!」
慌てたように首を振るシルフィアに、アークレイは肩を竦めて「冗談だ」と笑った。
どうやら真面目なシルフィアに、あまり冗談は通じないようだ。
「シルフィア殿、こっちだ」
「はい」
指でシルフィアを招き、僅かに月の光が差し込む薄暗く細い道を行くアークレイだったが、シルフィアは周囲を警戒しながら後を付いてくる。
忙しなく辺りを見回すシルフィアは、どこか怯えているようにも見える。
「どうされた?」
「いえ・・・このような夜に森の中を歩いては、魔物などに襲われませんか?」
「魔物?ああ・・・」
シルフィアの怯えようにようやく合点が付いた。
「大丈夫だ、シルフィア。言い忘れていたが、ここローラハインの町に魔物は入って来れんのだ。よほどの魔物でなければな」
「え?」
「この町を含めた周辺の土地は国の直轄領なんだが、ローラハインはかつて、建国の英雄王グラミラス1世が、王位を退かれた後にお住まいになられた町でもあってな。ご逝去されるまで余生を過ごされたそうだ」
「あ・・・では・・・」
何かに気づいたのだろう、息をのんだシルフィアの目が大きく開かれた。
「そうだ。盟友である大魔術師ラヴェル=ファイエ=ヴォルドレーにより、グラミラス1世のために町全体を覆う魔物除けの結界が張られたんだ。余程の魔物でなければ、結界内に入って来ることはできない」
そう言うと、強張っていた表情がほっと安堵したものに変わる。
「貴方は剣を使うのだろう?魔物が恐ろしいのか?」
シルフィアの腰に提げた剣。
シルフィアが愛用していたという剣だ。
「はい・・・魔物は苦手です。センシシア国内でも魔物が多く棲息していて、度々民が襲われることがありました。剣で切れる魔物であれば良いのですが、中には剣で切れない魔物も多くおります・・・魔物を退治するためにはやはり魔術師の方々のお力が必要ですが、センシシア王国は辺境の地ですので、当然魔術師ギルドもございませんし、お招きすることはとても難しいのです」
「そうだな・・・魔術師たちの力は凄まじいものがあるからな。ローザラン殿などは特に魔物に容赦がない」
「ローザラン・・・?もしや、セヴェリーニ=ローザラン様ですか?」
「ああ。ご存知か?」
「はい!勿論でございます!」
先ほどまでの憂い顔はどこへやら。
シルフィアは顔を紅潮させて嬉しそうに笑った。
英雄に憧れる少年のような笑顔だ。
セヴェリーニ=ローザラン。
その名を大陸中に轟かす稀代の天才魔術師。
純粋なシェラサルトの民の血を引くローザランは、同じシェラサルトの民である、大魔術師ラヴェル=ファイエ=ヴォルドレーの再来とまで言われているほどだ。
現在は魔術学院で魔術を教える傍ら、ヴォルドレーが記し残した書籍を解読し、古代魔術を研究しているらしい。
「ローザラン様の名声は遠くセンシシアにまで届いております」
「ほう、そうか。凄いな」
「陛下はローザラン様の魔術を直に見られたことがあるのですか?」
「ああ。俺が未だ王子の頃だが、古代魔術を研究されているローザラン殿が、アルフェレイク王国の古代遺跡を調べたいと申し出てこられたんだ。しかし、その遺跡には魔物が多く棲み付いていたため、数百年もの間立入禁止となっていた・・・ならばと、その魔物を一掃いたしますので、立ち入りを認めていただけますか?とおっしゃってな・・・」
「魔物を一掃?」
「ああ。しかし、ローザラン殿はそれを実際にやってのけた。同行した俺の目の前でな。言葉通りの『一掃』だ」
両手を挙げ、アークレイは苦笑して大仰に肩を竦める。
「唖然とする俺たちを振り返って見たローザラン殿は、にっこりと微笑みながら『これでよろしいですよね?』なんて明るい声で言ったんだよ・・・魔術師を敵に回すものではないと俺が実感した出来事だったな」
「やはりすごいのですね・・・魔術師の方々が国王並の待遇を受けるというのもわかります」
「ああ。しかし魔物か・・・結界で守られたエシャールに居ると、魔物の脅威をつい忘れてしまいそうになるな」
「エシャールもヴォルドレー大魔術師の結界がまだ活きているとお聞きしました」
「ああ。ローザラン殿も感心するほどの強固な術らしいからな」
王都エシャール。
都の全域に張り巡らされた1,000年前の結界。
大魔術師ヴォルドレー。
古代魔術。
古代アルフェレイク王国。
魔術学院にローザラン魔術師。
今まで身近に感じたこともなかった魔術師の影に、改めて、ここオルセレイド王国が『魔術王国』と呼ばれる国なのだと実感する。
「こっちだ、シルフィア殿」
「はい」
先を歩くアークレイに手招きされ、シルフィアは足早に木々が途切れた先を抜けた。
「わ・・・・・・」
その面前に広がっていたのは、月の明りがまぶしいほどに降り注ぐ、水面が輝く小さな泉だった。
感嘆の声をあげ、シルフィアはしばしその場に立ち尽くしてしまう。
「どうだ、なかなか良いだろう」
「はい・・・とても、綺麗です」
「ここは俺の気に入りの場所なのだ。シルフィア殿にも是非見せたくてな」
「本当ですか?ありがとうございます」
嬉しくて、胸のあたりが暖かいものに包まれる。
アークレイがシルフィアに辛い想いをさせてしまうかもしれないとエレーヌは心配してくれていたが、度々こんなふうに嬉しい驚きをアークレイは与えてくれる。
たとえそれがシルフィアを気遣っての行動だとしても、それだけでもシルフィアには十分だった。
「水に触れてみるといい。気持ちいいぞ」
「はい」
泉の側に膝をつくと、そっと掌を水の中へと入れた。
指先に触れるやわらかな水の感触が心地いい。
「そんなに冷たくないだろう?」
「ええ。水がとても澄んでいるのですね」
「ああ。常に水が沸き出でているからな。その水が小さな小川となって湖に流れているんだ。深さも腰くらいまでだから溺れる心配もない。俺も子供の頃はここでよく水浴びをしたものだ」
「それは気持ちが良さそうですね」
「ああ。なかなか気持ちがいいぞ」
アークレイは徐に腰に提げていた剣を外して地に置き、勢い良く草の上へと腰を落とした。
「シルフィア殿も座るといい」
「はい」
シルフィアも剣を外し、アークレイの横に並び、その柔らかな草の上に座る。
アークレイの視線を追って空を見上げれば、漆黒の闇の中で白金に輝く丸い月があった。
包み込むように柔らかな月の光に、日ごろの忙しさに追われていた身体と心が癒されていくようだった。
「やはりここは良いな・・・」
「はい。静かで心が落ち着きますね」
「ああ。全てを清めてくれるような、そんな清浄さがここにはある。悩んだときにここに来ると、道しるべを与えてくれるような・・・俺にとってそんなところだ」
『悩む』という言葉が意外で、シルフィアは驚いてアークレイへ視線を向けた。
「陛下でも悩まれることがあるのですか?」
いつでも毅然と振る舞い、堂々として、自信に満ち溢れたアークレイが、何かに悩むことなどシルフィアには想像できなかった。
「当然だ。俺とて人間だぞ?」
膝に顎を乗せ、視線だけこちらに向けたアークレイはくっくっと苦笑する。
「そ、そうですね・・・申し訳ありません」
「まあ、俺も出来るだけ他人には見せないようにしているが」
「・・・陛下は一国を背負うお方ですから、私などがわからない重責も感じられているのですね」
「ん・・・重責か・・・父上が早くに亡くなられたときは流石に落ち込んだものだ。父上の死を悼む間も無く、王位継承という責務を負うことになったからな・・・自分に父上のあとを継ぐことができるのか、自分に国を治めるだけの力があるのか。誰にもその悩みを打ち明けられなかったから余計に・・・な。逃げ出すようにこの離宮へ来て、1日中何をするでもなく考えていたものだ」
「陛下・・・・・・」
「だがまあ、ここで悩んでいるうちに、俺一人で国を背負おうとしていたことが間違いだったと気づかされた」
「え?」
顔を上げたアークレイはすっと天上の月をまっすぐに見上げた。
「俺には優秀な臣下が大勢いる。自分の力だけで成し遂げようとするのではなく、彼らを信用して、彼らとともに国を築くことこそが、王たる俺の務めだと気づかされた。一国の王が王座に座り、誰の意見も聞かずに我侭を言って、ただふんぞりかえっているというのは、単なる独裁者か傀儡であろう?俺はそんな愚王になるつもりはないからな」
「愚王だなんて・・・陛下は立派に国を治めていらっしゃいます」
「そうだろうか?だがまだ1年半足らずだ。今はまだ、課程の段階で結果は見えておらぬからな。1,000年も続いてきたこの偉大なる国を、俺の代で途切れさせるわけにもいかぬし、更にこの後、1,000年、2,000年と国が続くためにも、俺はこの国を安定させたいと思っている」
まだまだ解決しなくてはならない課題が山積みだ。
出来ることはたくさんある。
法も整備させる必要があるし、地方は目が行き届かないので、なんとか改善したいと考えている。
オルセレイド王国を大国にしたいとか、そのような大層な野望は持っていない。
戦争がない、民が笑顔で暮らせる平和で豊かな国にしたい。
そう望んでいるのだ。
自分の思いを独白のように語ったアークレイは、ふとシルフィアが穏やかな笑みを浮べて自分を見ていることに気づき、はっと我に返った。
「あー、いや・・・つまらないことを聞かせたな。すまない」
微笑みを浮かべたシルフィアはゆっくりと首を振った。
「いいえ。陛下の想いを教えていただき、とても嬉しく思っております」
「いや・・・こんな風に俺の想いを語ったのは、シルフィア殿が初めてかも知れないな」
「そうなのですか?」
シルフィアは首を傾げ、驚いたように少し目を見開いた。
母にも、友人であるウォーレンにも、片腕であるシメオンにも、2人の妃にも、こんな風に王としての自分の想いを語ったことはなかった。
あまり自分の心の内を他人に見せるようなことはしない。
弱い部分があることを知るのは、母エレーヌと、子供の頃からつきあいがあるウォーレンくらいなのだが、そんな2人であっても、国の行末について悩みを打ち明けたことは一度としてない。
何故かはわからないが、シルフィアの側だと、自分の心の内を自然に曝け出すことができるような気がするのだ。
「あの・・・陛下・・・・・・」
「ん?」
シルフィアの、どこか躊躇いがちな碧玉の目がアークレイを見上げてきた。
「私にも・・・陛下の立派なお志のために、何かお手伝いをさせていただくことは可能でしょうか?」
「え?」
「あまり正妃が国政に口を出すことは良くないと思いますが、私はそもそも女性ではございません。子を成すわけでもございませんので、一般的な正妃とは立場も意味合いも異なります。2人の王子様を無事にお育てすることが私の務めだと思っています・・・ですが、私も何か、陛下の政に手助けがしたいのです。どのような形でも構いませんので、どうかお願いいたします」
「・・・シルフィア殿」
シルフィアのどこか思いつめた表情に、その真剣さが窺えた。
シルフィアは本当に優秀だ。
この国の社会情勢や習慣などは1週間足らずで覚えたし、閣僚や主要な貴族の名前もすぐに覚えたし、国政の仕組みや法律などもかなり細かいところまで覚え始めている。
まるで宰相並の勉強量だという。
思わぬ法律の落とし穴にシルフィアが気づき、指摘され、シメオンが慌てて法務官たちに手直しをさせたこともあるという。
元々はセンシシア王国の国政を担うべく育てられてきたというのもあるのだろうが、それだけではなく、シルフィアなりに、この国のことを考えてくれていることも理由の一つなのだろう。
「わかった・・・王城に戻ったら、大宰相に話してみよう」
「!・・・ありがとうございます!」
シルフィアに顔に、まるで花がほころぶような笑顔が浮かんだ。
「なに。礼を申すのはこちらのほうだ。ありがとう」
「いえ、そんな・・・・・・」
はにかむように目を伏せたシルフィアの横顔に、アークレイもふっと口元に笑みを浮かべた。
本当にシルフィアは不思議な存在だと思う。
見た目は華奢で、まるで少女と見紛うほどの美貌で、透き通るような印象はどこか儚げで、庇護してあげたいような、護ってあげたいような雰囲気なのに。
意外にも芯の強い、シルフィアの一面が見えてくる。
こうして話していると、何故か自分のほうが護られているような、包まれているような感じがするのは気のせいではないだろう。
ふと視線を落とせば、シルフィアの横に置かれていた剣が目に入った。
アークレイが持つ剣よりも、少し幅の細い剣。
センシシア国王からシルフィアへと託されたものだ。
それを使者から渡されるまで、シルフィアが剣を使うことに気づかなかった。
当然、王族の嗜みとして多少は剣術を習っていただろうが、オルセレイドに来てからは剣に触れてもいなかったようだし、この華奢なシルフィアが剣を振るう姿がどうしても想像できなかった。
護られるのではなく、自らを護る術を持つシルフィア。
一体、どのように剣を振るうのか興味があった。
「そういえばシルフィア殿」
「はい」
声をかければシルフィアはアークレイに視線を向け、ふわっと笑みを浮かべる。
「貴方はいつから剣を?その剣、随分と使い込まれているようにも見えるが」
アークレイにとっては、それは純粋に興味からの質問のつもりだった。
だが、柔らかな笑みを浮かべていたシルフィアの表情は、アークレイの問いかけに、一瞬にして強張ったものに変わってしまった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
277
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる